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環楽園の殺人  作者: 凛野冥
第一章:環楽園の殺人
20/40

3/11「アリバイトリックの考察」

  3/11


「舞游、僕の推理を聞いてほしい」

 舞游はベッドに腰掛け、僕はそれと向かい合う位置に移動させたソファーに腰掛けている。

「話して」

 風呂上がりの彼女はまだ髪が少し湿っており、肌もいくらか紅潮したままで、パジャマも薄いものであるために、いつもと違ってどこか色気がある。オレンジ色の柔らかい明かりを放つランプの他に照明を一切つけていないのもそれにひと役買っているのだが、これは話す内容が内容なので部屋をあまり明るくするのはそぐわない気がしたためである。

 僕は一度咳払いした。

「この屋敷に僕らの他に誰も潜んでいないなら、犯人は有寨さんでしか有り得ない。まずはこれを認めないといけない」

「うん」

「犯人が有寨さんである、という結論から逆算して、僕は杏味ちゃん殺しに使われたトリックと霧余さん殺しに使われたトリックを導き出した。先入観を抜きにして現象だけを素直に読み解くと、有寨さんに一連の犯行のすべてを可能とするぎりぎりのロジックを付随(ふずい)させられると分かった」

 舞游は真剣な面持ちで僕の話を聞いている。

「まず第一の事件。解明しなければならないのは密室トリックだ。でもこれは、もう一度はじめから可能性をひとつひとつ検分していけば、簡単に答えを得られたよ。有寨さんは僕らを巧みに誘導して、ある一点を盲点にしてみせただけだったんだ。

〈針と糸のトリック〉の話が出たとき、つまみが小さくて半円形なために糸を駆使して回すことはできないと霧余さんが云った。それに続けて有寨さんが、テープや金具を使ってつまみに糸を固定する方法もあるけど、痕跡がなにもなかったことからこれも有り得ないと云った。……このさりげない言葉にペテンは仕掛けられていた。

 扉の周りを確認したのは、その有寨さんだ。それなら彼がこの際に、つまみに残っていたテープなり金具なりを回収してしまえば、証拠は消えてしまうということになる。

 あの密室はやっぱり〈針と糸のトリック〉によって成り立っていたんだ。それを有寨さんがあの自然な立ち回りのなかで、すっかり実現不可能なそれに変えてしまったというだけだったんだよ」

 舞游はなにか云いたいことがある様子だが、僕の話が終わるまでは口を挟まないつもりなのだろう、ただ頷くだけで先を促した。

「第二の事件。解明しなければならないのはアリバイトリックだ。有寨さんは扉を開けてリビングに這入ってくるのに最低限の隙間を開けるのみだったし、這入ってくるとすぐに扉を閉じてしまっただろ? それはあのとき既に扉の前には霧余さんの死体があったからに違いないんだ。つまり僕と舞游がリビングに這入ってから有寨さんが這入ってくるまでの一分ほどの間に、有寨さんがあの十五分かかってなんとか遂行できるだろう〈引きずり回し〉をやってしまったのだとしたら、彼が犯人で成立する。

 じゃあ、どうやればいいのか……可能性はひとつしかない。

 僕らがリビングにやって来たころ、犯人は切断までは終えていたのだろうと有寨さんは推理していたよね。これも第一の事件と同じ、僕らの無意識に先入観という障壁をつくって真相を当てられなくするためのトリックだったんだ。

 切断までどころじゃない。僕と舞游がリビングに這入ったときには、既に〈引きずり回し〉までが完了していたんだよ」

「え、どういうこと?」

 これにはさすがの舞游も戸惑ったようだった。

「僕と舞游が階段を下りてロビーを通ってリビングに這入ったとき、そこには霧余さんが引きずり回された痕である血や臓物や肉片が既にあのまま存在していたということだ。僕らはそれに気付かなかっただけなんだ。

〈引きずり回し〉が赤い絨毯の上でだけ行われた理由はこれだよ。二階の踊り場からロビーにかけては絨毯が赤い。その上なら、同色である血や臓物や肉片は視認しづらくなる。ただそれだけのためだったんだ。杏味ちゃんの死体が赤いシーツの上に置かれていたのは、それが事件の共通点であり、第二の事件のトリックに寄与するためだけのものであると思わせないようにする方策のひとつでしかなかった。『ナグ・ハマディ写本』とあの絵画、金庫の暗証番号と〈ウロボロスの蛇〉という象徴の一貫性も、赤色の上に死体が置かれるのもまた暗示的な意味を持つのみで、実用的な意味はないんだと錯覚させる機能を持っていた。

 普通、自分の足元が血や臓物にまみれてると疑うことはない。僕らは霧余さんの死体を発見した後にそれに気付いたが、それは霧余さんの死体を目にしたのが引き金となって普通ではない異常な疑いが誘発されたからだ。順序の問題なんだよ。死体から血痕や臓物とは進みやすいけど、逆は起こりにくい。

 つまりこれは認識……グノーシスを利用したトリックだ。現実のかたちが実際はどうであれ、観測者である僕らがそれを認識できないうちは、僕らにとってそれは存在しない。そして認識した途端に、それは顕れることになる。犯人が隠すのではなく、僕らの認識が隠すんだ。

 もちろん、僕と舞游がリビングに這入るまでは、死体だけは別の場所に置かれていただろう。あれが扉の前にあったら、その場で僕と舞游はそれを知覚したはずだからね。きっと階段の左側に置かれていたんだ。有寨さんは一日目から僕らを注意深く観察していたから、僕も舞游もリビングに行くときは階段を右回りに迂回すると分かっていた。右利きの人間は大抵そうする。

 ゆえに有寨さんは僕と舞游がリビングに這入った後で、階段の脇にあった霧余さんの死体と蛇の死骸を扉の前まで移動させるだけで良かった。これなら一分程度で充分に足りる。その後、霧余さん捜索にあたってまず調理室や食糧保管室から調べたりと時間稼ぎをし、あたかもその間に別の犯人が〈引きずり回し〉をしていたかのように演出すれば、すべては完了となる」

 僕はここまでで一旦、話を終えた。

「そんなの……いくらなんでも無茶があるよ……」

 舞游は珍味でも食べたかのような、なんとも云えない表情を浮かべていた。

「無理があるとは、僕だって百も承知だよ。でも有寨さんを犯人とするためには、これしか考えようがない。これ以外に、あの状況を説明する方法があるか? この屋敷には僕と舞游と有寨さんの三人しか生存者はいなくて、死んだ二人は絶対に他殺で、僕も舞游も犯人ではない。なら有寨さんしか残らないじゃないか。それに有寨さんが犯人なら、杏味ちゃんや霧余さんが警戒を緩めていたのも納得がいく。有寨さんが犯人じゃない限り、霧余さんが単独行動を取った理由が分からない。いくら牽強付会(けんきょうふかい)でも、これしかない。それに、僕らが最初に通った時点で霧余さんの血や臓物に気が付いていたとしても、それで有寨さんが犯人だと決定するわけじゃないだろ? しらばっくれることは可能だし、有寨さんならいくらでも誤魔化すための方便を用意できるはずだ。でもそんな成功したら儲けものなトリックが、信じられないことに成功してしまった……」

「だけど、どうしてお兄ちゃんは屋敷中の捜索を提案したの? いくら霧余さんの〈引きずり回し〉が自分には不可能だったと思わせることに成功したからといって、屋敷に他の人間が潜んでる可能性を消してしまったら、元も子もないよ」

「あの場であの提案をしないのは不自然だったし、いずれ避けられなくなることだ。第二の事件のトリックが成功した以上、僕らは有寨さんが犯人であるというよりは捜索に見落としがあったと考える方に流れるしかない。現に舞游だって隠し扉を発見しようとした。それに有寨さんからしてみれば、いつまでも僕達を欺き続ける必要なんてない。僕らを殺すときまで、僕らを混乱に追い込んで右往左往させておけばいいんだ。きっと有寨さんは僕らのことも殺すんだから」

 自分で云って、その言葉に自分が凍りついてしまった。舞游も表情がひと刹那(せつな)、ぴくりと固まった。

「……動機は、分からない。起きた現象だけは辛うじて説明できたけど、僕じゃあ有寨さんがどんな企みを持ってるかまでは見当すらつけられない。グノーシス主義や〈永遠〉を強調するやり口なんかも、単に僕らを混乱させるためだけではない高尚な意図があるのかも知れないけど、それについては輪郭さえ掴めないままだ……」

 少しの静寂があってから、舞游は口を開いた。

「觜也の推理の中で、絶対に間違ってるところがあるの」

 やはり僕らが霧余さんの血や臓物や肉片に気が付けなかったなんて有り得ないと云うのかと思ったが、違った。

「杏味ちゃんの部屋を密室にするには〈針と糸のトリック〉は使えない。お兄ちゃんがつまみに残ってたテープなり金具なりを回収するってやり方も同様にね。だって私は觜也に連れられてあの部屋を出るときに、その点だけは見て確認してたんだよ」

「え、そうだったのか?」

「うん。あれが密室殺人だって霧余さんが云ったときに、後から痕跡を取り除いてしまうタイプの〈針と糸のトリック〉が真っ先に頭に浮かんだから。お兄ちゃんと霧余さんが部屋の中を点検し始めたのは私達が出た後からだったし、私が確認する以前は、お兄ちゃんは扉の内側には触れてない。だから觜也が云った方法は使えないの」

「それじゃあ……」

 あの密室はどうやってつくられたんだ?

 しかし動揺する僕と違って、舞游は落ち着いていた。

「次は私の推理を聞いて。私は觜也みたいに第二の事件のトリックを導き出すことはできなかったけど、それ以外は(おおむ)ね完成させられたの。だから私の推理と觜也の推理とを統合すれば、一連の事件に説明をつけられるんだよ」

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