表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
環楽園の殺人  作者: 凛野冥
第一章:環楽園の殺人
16/40

3/4、3/5「血みどろの天使様」

  3/4


 熟睡には至らずに三日目の朝を迎えた。ソファーが思っていたより寝心地の良いものではなかったのも原因かも知れない。

 舞游の方はまだベッドの上で小さな寝息を立てている。もっとも彼女は昨晩ずっと起きていたようだから、これでようやく眠れたという感じだろう。だから起こすのは気が進まなかったけれど、時刻はもうじき十時に差し掛かるというところなので、僕は仕方なくその肩を揺すった。

「ん……んー……」

「舞游、起きて。有寨さん達と約束した時間だぞ」

 午前十時にリビングに集合と昨日決めていた。互いの無事を確認する目的があるために、遅れると無用な心配をかけてしまうことになる。

 僕らは眠る前、霧余さんが犯人なんじゃないかという疑いについてはとりあえず保留することにした。だからこれから顔を合わせるにあたっても変わりなく振る舞うつもりなのだが、しかし上手くできる自信はあまりない。一枚も二枚も上手な霧余さんと有寨さんに対して隠し事をするなんて、想像するだけで心が折れそうになる。

「舞游、ほら」

 掛布団にくるまって「うーん」だの「やだー」だの駄々をこねる舞游をなおも揺すり続けると、さすがに彼女も諦めたらしく「分かった、分かったからー」と僕の手を叩いた。

 舞游はそれからベッドの上でごろんごろんと転がって(眠気を覚ますための運動だろうか)、それから緩慢な動作で起き上がった。

「顔洗って着替えて来い」

「はいよー……」

 半ば寝惚けている舞游はふらふらと洗面所の方に向かっていった。五分ほどして帰ってくると、いくらか意識が覚醒してきた様子だった。

 ちょうどセットしておいた目覚まし時計が(やかま)しいアラーム音を立てたのでそれを止め、僕と舞游はバリケードを崩して廊下に出る。

「寒っ」

 舞游は自分で自分の身をさすりながら、そそくさと歩いた。僕はその傍らについていきながら、護身用の肉切り包丁を忘れてきたことに遅れて気が付いたが、霧余さん犯人説が正しいならばもう用はないと考えていいだろう。

 各階の廊下に共通している、全体的に白っぽい花柄の絨毯が二階の踊り場で赤色のそれに切り替わる。赤の絨毯はそのままロビーの床も覆っており、僕らはその上を歩いてリビングに辿り着く。

 有寨さんと霧余さんはまだ来ていなかった。僕はリビングの電気と暖房を点けてから、分厚いカーテンを開く。

 雪は相変わらず身の丈以上の高さまで窓の外を埋めていたけれど、気持ち低くなった感じだった。吹雪の勢いも若干弱まっているような気がしなくもない。

「この吹雪と積雪さえどうにかなれば、すぐにでも帰れるのにな」

「それは望めそうになくない? 車から炎でも放射しながら走れるならともかくさ」

 面白い発想だが、一部分だけ下手に溶かせば最悪、雪崩にでも繋がってしまいかねないのではないだろうか。この屋敷に関しては山の頂上ではないものの比較的平坦な場所にあるために(そういう場所を選んで建てたのだろう)、雪崩や土砂崩れに巻き込まれる心配はなさそうだけれど。

「ああ、良かった。二人とも無事だったか」

 リビングの扉が開いて、有寨さんが這入ってきた。珍しく慌てている様子だ。

「霧余さんは?」

 舞游が訊ねた。やって来たのは有寨さんひとりだけだ。

 有寨さんはリビングの扉を閉め、それからリビングの隅から隅まで視線を巡らせた後に「いないんだ」と告げた。

 いない?

「不覚にも、俺はさっき起きたばかりなんだが、既に霧余の姿はなかった。この状況で朝シャワーなんて悠長な真似をするはずもないがいちおう浴場は見てきた……無駄足だったけれどね。他はまだ探してない」

 起きてすぐに飛び出してきたのだろう、有寨さんは寝間着姿だ。

「僕らも知りませんね……此処にもいま来たばかりですし」

 一体、どういうことだろう。霧余さんが犯人ならば、その彼女本人が行方(ゆくえ)をくらませてしまったことにどんな意味があるのか……分からない。彼女が犯人ではないとしても、それはそれで余計に分からない。有寨さんに黙って、単身部屋を抜け出すなんて危険な行為に出る理由なんて……。

「探してみるしか、ないんじゃない?」

 舞游も不可解そうに表情を曇らせながら、そう提案した。

「ああ、そうだね」

 有寨さんは頷くと、僕らを手招きして調理室へ向かっていく。まさか朝食をつくるために先んじて部屋を出たなんてわけもないけれど、まず調べるならそこだろう。

「大したことじゃなければいいんだが、そんな楽観が通じないのは確かだ」

 有寨さんはそう云いながら調理室の中、奥の食糧保管室の中を検めていく。

「霧余には悪戯好きな側面もあるが、ここまで度の過ぎたことはしない」

 ひとつひとつ可能性を潰していくように話す有寨さんの後ろで、僕と舞游はこっそり顔を見合わせ、意思疎通を図る。どうやら彼女もなにが起きているのか分からないらしい。いずれにせよ(これは犯人が霧余さんにせよ、それ以外の誰かにせよという意味だが)、犯人がまた動きを見せたというのは間違いない……のだろうか? 有寨さんが動揺を見せているせいもあって、僕の内で急速に緊張が高まっていく。

 調理室も食糧保管室も空振りだった。またリビングに出ようとする際、有寨さんは調理室の中にあった出刃包丁を手に取った。

「護身用の肉切り包丁も、部屋から消えていたんだ。……ん、舞游と觜也くんも持ってないじゃないか」

「あ、僕らはその、忘れて来てしまっただけです」

「觜也くんだけでいいから、持っておくべきだね。いまから屋敷の中を動き回るんだから、危険はかなり大きいと覚悟してほしい」

 有寨さんはさらに出刃包丁を一丁持つと、片方を僕に渡した。

「いいかい? よく聞いてくれ。もし犯人と遭遇するようなことがあれば、包丁を相手に向けながら、まず距離を取るんだ。こちらが三人いる以上、相手も迂闊(うかつ)には動けない。それで話し合いに持ち込もう。俺がなんとかやってみせる。だが相手がいきなり襲い掛かってきた場合、あるいは話し合いなんてとても成立しなかった場合は、仕方ない、格闘することになる。俺がやろう。体格的にも俺が適任だ。俺はなんとか相手を行動不能にするつもりだが、しかしそれが難しそうな場合は、觜也くんに援護してほしい。俺は最低限、自分が刺されてでも相手を押さえつける。だから觜也くんは相手の手足……いや、狙いを定める余裕がなかった場合は、どこでもいい、とにかく刺すんだ」

 ただし、と有寨さんはこれが一番大事と云わんばかりに僕の瞳を真っ直ぐ見据える。

「殺してはいけない。どんなに仕方がなくても、相手がどんなに悪人でも、人を殺してしまったら、その罪は一生君を(さいな)むことになるだろう。その点だけは留意するべきだ」

 僕は固唾(かたず)を飲んでから「分かりました」と答えた。

 とにかくいまは、霧余さん犯人説だとか有寨さんは僕を疑っているかもだとか、そういった一切は忘れよう。いざというときに、それが致命的な気の迷いに繋がってしまうのは避けなければならない。

 心配そうに僕と有寨さんを交互に見る舞游に「大丈夫だよ」と云ってみせたが、ほとんど有寨さんに頼るかたちの僕がそれを云っても格好悪いだけかも知れなかった。

 リビングを出る前に有寨さんは思い出したように反対側の扉へと振り向いた。北館へ行くための扉は、しっかりと閂で閉ざされている。

 それを確認した有寨さんは今度こそロビーとリビングとを隔てる扉を開いた。

 直後、僕達の視界が真っ先に捉えたのは、身体を縦に二等分された霧余さんの死体だった。


  3/5


 ロビーとリビングとを隔てる扉をリビング側から開けた場合、正面に現れるのは階段の裏側にあたる壁である。扉からそこまでの距離は五メートル強といったところだろうか。霧余さんの死体が置かれていたのは、まさにその間であった。

 杏味ちゃんと同じく、霧余さんは裸の状態で頭頂部から股にかけて真っ直ぐ切断されており、両者には三十センチくらいの隙間がある。さらに今回、霧余さんの頭の少し先には、もうひとつ別の死骸が置かれていた。

 それは霧余さんのペットである白蛇だった。頭部が醜く潰れて死んでいるその蛇は、自らの尻尾の先を自らの口で咥え、輪を形作っていた。

 位置的にそれは、二次元的に描かれた霧余さんの〈天使の輪〉のようであった。

 しかし、それが意味しているのはもっと別のものだろう。自らの尾を咥えて環状となった蛇――ウロボロスの蛇。

 霧余さんがつけたウロちゃんという呼び名の由来にもなった、〈永遠〉の象徴である。

「これは……酷いな」

 有寨さんは重い溜息を吐いた。

 杏味ちゃんの死体を見たときにも「酷い」とは云わなかった有寨さんだけれど、さすがに今回はそんな言葉が洩れてしまっても無理はない。なぜなら杏味ちゃんのときよりも、霧余さんの死体はさらに悲惨な目に遭っていたからだ。

 身体を二つに切り分けられた霧余さんはいま僕らの目の前に横たわっているが、それは最終的な位置がそうであったというだけだった。

 霧余さんの死体は、辺りを散々引きずり回された挙句に、いまのかたちで捨て置かれたのだ。

 有寨さんに続いて僕と舞游は、足元に散らばった肉片や臓物の欠片や血の跡を踏まないように注意しながら、階段を迂回する。

「うわっ……」

 隣で舞游が耐えきれないというふうに声をあげた。

 階段の上からロビー全体に渡って万遍(まんべん)なく、蛞蝓が這った痕のように、霧余さんの辿った道が血液と五臓六腑と細かな肉片とで続いていた。

 それを見てはっと息を呑むと同時に、散乱した霧余さんの中身が放つ悪臭が一気に肺に取り込まれ、僕は途端に吐き気を催した。壁に手をついて身を(かが)め、喉までせり上がっていたものを必死で飲み下す。すんでのところで吐くまでは至らなかったものの、しばらく呼吸困難に陥り、激しく噎せた。

「肉体の蔑視……」

 舞游が呟く声がする。彼女も僕と同じく壁の方を向き、吐き気を堪えているのか、肩を小刻みに震わせている。

〈肉体の蔑視〉とはグノーシス主義の特徴のひとつだったか。杏味ちゃんが身体を引き裂かれたのはそのためだったのではないかという話が出ていたが、この霧余さんの死体を見せつけられては、それは正しかったのだと認めるしかない。犯人は明らかに、霧余さんの肉体を蹂躙(じゅうりん)したのだ。身体を切断するだけでなく、その中身をぶちまけながらあちこち引きずり回す……これ以上に冒涜的な所業があるだろうか。

 これをやった犯人は……。

「ああ……」

 ……犯人は、霧余さんではなかったのだ。僕と舞游が導き出した推理は誤りだった。

 さらに、有寨さんでも有り得ない。

 僕と舞游がリビングにやって来てから有寨さんが現れるまで、そのタイムラグは一分かそこらだっただろう。一分で霧余さんの身体を縦に切断し、さらにこんなにも広範に渡って死体を引きずり回すなんて不可能だ。

 これで僕も舞游も、有寨さんだって(彼がそれまでは僕を疑っていたにしても)、僕ら以外に狂った殺人犯が潜んでいるということを否定できなくなった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ