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環楽園の殺人  作者: 凛野冥
第一章:環楽園の殺人
10/40

2/4「クローズド・サークルにて」

  2/4


 有寨さんと霧余さんはあれから杏味ちゃんの部屋をあちこち調べ回った。舞游は適当な客室のトイレを使って嘔吐し、それで少し落ち着いた。

 いまは四人全員でリビングに戻り、昨夜夕食の後に使った一角で、昨夜と同じようにソファーに腰掛けている。

「クローズド・サークルよ」

 霧余さんが煙草の煙を吐き出してから、満足そうに云った。満足そう……この表現は誇張でも婉曲(えんきょく)でもない。

「分かってるでしょうけれど、私達は誰に連絡することもできず、此処から出ることもできない」

「……携帯は、なかったんですか?」

「金庫の中に入れられたままだろう」

 有寨さんは霧余さんと違って不謹慎な笑みを浮かべてはいないものの、彼は彼で妙に冷静だった。努めて冷静に振る舞っている、というのではない。悲嘆というものが欠落してしまっているかのような、不気味な淡白さを感じさせるそれである。

「金庫を開けるには四桁の暗証番号が必要だ。これは杏味しか知らないし、その杏味が殺されてしまった以上、お手上げだよ。いちおう彼女の誕生日等から推測できる番号は試してみたが、駄目だった」

 昨日、此処に到着するなり行われたイニシエーションじみた一幕を思い返す。僕らは全員、携帯電話を杏味ちゃんに預けた。せっかく浮世離れした場所にやって来たのだから外界との繋がりを思わせるアイテムは滞在中封印しておこうと、有寨さんが提案したのだ。こんな山奥だけれど、電波は届いていた(僕の腕時計も正確な日付と時刻を受信している)。その提案に舞游なんかはうきうき顔で乗ったし、僕も携帯電話なんて普段でさえあまり使用しない人間なので構わなかった。どこに保管するかという話になり、杏味ちゃんが、彼女が使う客室の金庫に入れておくことに決まった。管理者というか、この屋敷のオーナーみたいな立場に最も近いのが彼女だったからだ。

 五人の携帯電話は金庫の中……。そしてこの屋敷には、固定電話がない。携帯電話で事足りる以上、こんな山奥の別荘にわざわざ電話線を引くことはしなかったらしい。電気も自家発電しているとのことだ。

 まさかこんな事態が訪れるとは予想もつかなかったので仕方ないと云えば仕方ないけれど、結果的に僕らは自分達で自分達の首を絞める間抜けなかたちになったわけである。

「固定電話は、本当にないんですよね? 北館にも」

 此処に来るまでの道に電柱の類が見当たらなかったのは確かだが、特殊な場所なので地下を通している可能性だってあるかも知れないと思い、(わら)(すが)るかのように訊ねてみた。

「ないよ。俺と霧余は下見に来たときに北館まで含めて屋敷の中を見させてもらった。固定電話がないという話も、じかに聞いたことだ」

「じゃあ金庫を開けるしか、ないじゃありませんか。なにか方法は……」

「小さいが、金庫だけあって頑丈だ。觜也くんも自分の部屋に同じものがあるから、見ているだろう? 破壊することもできないし、あれだけアナログだと裏技みたいなものは存在しない。と云っても、だからこそひとつだけ力技な方法はある。すべての番号を試すことだ。一万通りの番号を0000から順にひとつずつ……気の遠くなるような作業だけれどね」

「そ、それをするしかないんじゃないですか? だって僕らは、外には出られない……」

 外の吹雪はいまも勢いを緩める兆しはなく、殴りつけるような暴風が屋敷をわずかに揺らしている。二メートルほども雪で埋まった窓の外を見るに、車を使うのは(もっ)ての(ほか)だし、そもそも玄関の扉を開けることすら危険な状態だ。

 僕らは完全に閉じ込められている。

 クローズド・サークル。

「それは現実的な提案ではないね。あの重い金庫は移動させられない。つまり俺達は、杏味の死体の傍らで延々に作業をする羽目になる。さすがに俺も霧余もそれは御免だよ。舞游も、觜也くんだってそうだろう?」

 僕は答えに詰まった。有寨さんの言葉を認めるしかなかったからだ。

「この積雪だと、俺達が此処を出られるようになるより先に、救助の方が来るだろうね。予定していた帰宅日を過ぎても連絡がないとなれば、巻譲家の方で手配をしてくれるはずだ。昨日屋敷に到着した際に一報入れたから、こちらから連絡しない限り四日間のうちは雪が二メートル積もろうともそれは望めないが、音信不通がそれ以上続けば放っておくわけがない」

「でもあと四、五日は此処で過ごすしかないということですか?」

「そうなるね」

 僕はソファーに深く身体を沈めた。気が滅入りそうだった。

「それより、いまは他に考えることがあるわよ」

 霧余さんは煙草を灰皿に押し付けて火を消すと、身を乗り出した。

「誰が杏味ちゃんを殺したのか、ってことよ」

「……僕らの他に、この屋敷に誰かが潜んでいるんですね」

 空恐ろしい気分になり、自然、辺りをキョロキョロと見回してしまう。

「それか私達四人の中に犯人がいるとも考えられるわ」

「え……」

 僕は少なからず衝撃を受け、飄々とした様子の霧余さんを見た。冗談のつもりだろうか……。それにしても悪趣味すぎる。とても笑って流せはしない。

「有り得ないでしょう……誰にあんな真似をする理由があるんですか?」

 この四人の誰かが杏味ちゃんを殺した……しかもあんな残酷極まりないやり方で……いや、その可能性がゼロではないのは否定しない。あくまで可能性の話なら、それは排除できないだろう……しかし、そんな考えは……。

「はっきりさせておきたい」

 そこで有寨さんが、真面目な顔つきで云った。

「此処にいる皆は、犯人じゃないのかい?」

「ゆ、有寨さんまで疑ってるんですか? そんなの、どう考えたっておかしいでしょう?」

 しかし有寨さんの態度は揺るがない。

「俺達は理性的に考え、行動するべきだよ。俺だってこの中に杏味を殺した人間がいてほしくはない。しかし、なにか止むを得ない事情があったのかも知れないだろう? 殺人は意図的でない場合だって多いんだ。過失でああいったことを仕出かしてしまったのなら、いま、告白してもらいたい。そしてなにがあったのか、本当のことを話してもらいたい。それから皆でどうするか考えたいんだ。時間はたっぷりあるからね」

 過失……だが、それはないだろうと僕は思った。だって杏味ちゃんの身体は縦に二等分されていたのだ。あれが撲殺だったら不運な事故だったとも考えられるし、絞殺でも一時の間違いだったとは考えられたかも知れないけれど、あの死体は過失の結果としてはあまりに常軌(じょうき)(いっ)している。

「責めるつもりはない。そんな非生産的なことはしない。俺はこの中に邪悪な人間はいないと信じている。だからもし杏味を手に掛けてしまったのなら、酷い悲劇が起きてしまったに相違ないと思う。事情を聞いてみないことには対応の仕方も決めかねるが、どうか打ち明けてほしい。……まず、俺はやっていないよ」

「私も違うわ」

「僕も違います」

 それから舞游が俯いたまま「私もやってない」と告げ、僕は安堵(あんど)の溜息を吐いた。

 有寨さんはそれ以上固執することはなく「そうか」と頷いた。彼もまさか本気で疑っていたわけではなかったのだろう。

「なら俺らの他に、誰か別の人間がこの屋敷の中にいて、彼とも彼女とも知れないそいつが犯人と結論されるね」

 改めてそう云われると、背筋を悪寒が駆け抜けた。

「あらかじめ忍び込んでいた、ということでしょうか?」

「おそらくそうだろう。俺達が到着した後から雪はいっそう激しくなった。誰かが此処まで辿り着けたとは思えない。それに玄関にも他の窓にも錠がかかっていたはずだ。全部の窓の施錠までは確認してないが、俺達が来たときに既に中にいたのだと考えてまず間違いはないだろう。そしてそいつは、いまもこの屋敷の中……それもこの南館にいる」

 僕は北館へ続く廊下館に出るための扉に目を向ける。扉にはいまも閂が通されている。コの字型の金属製の突起が扉の両端についており、そこに木の板が通されているのだ。あれはこちら側からかける他に手段がない。何者かが北館へ逃げたなら、あれがあの状態であるのは有り得ない。

「確認したが、杏味はまず絞殺されたらしかった」

「え、そうなんですか?」

「首に細いワイヤーを巻き付けられた痕が残っていたよ。ワイヤーそのものは見当たらなかったけれどね」

 あの凄惨な有様の死体を前に茫然としていた僕は、そんな細かいところまで観察できていなかった。

「身体を真っ二つに切断したのに、流血があの程度だったのはそのためだろう。切断が開始されたときには、もう杏味の死後からしばらく時間が経過していたんだ。そうじゃなかったら吹き出す血が天井までべっとり赤色に染めていたはずだよ」

 たしかに死体の状態に比べ、血の流れ出た様子は大人しかった。……あれで大人しかったなんて云うのは感覚的に納得がいかないけれど、僕もここは冷静に思考するように努めるべきだろう。

「人の身体をあんなにするのは、決して短時間でできることじゃない。……と、ここで最後に生きている杏味が目撃された時間を確認してみよう」

「風呂上がりに、先に休むって私達に断ったあのときじゃないかしら。零時ごろだったと思うけれど」

「いいや、実は俺はあの後にも杏味に会っていた。……觜也くんは知っているね?」

「あ、はい」

 いままで忘れていたが、僕は昨晩自室に帰る途中、二階の廊下で有寨さんと顔を合わせたのだった。彼は西の方から来たから、杏味ちゃんの部屋にいたのだろうと推測した憶えもある。

「出たのは一時過ぎだったよ。俺は杏味に呼ばれていてね、風呂を上がった後に彼女の部屋に行ったんだ」

「なんの用だったの?」

 霧余さんが訊くと、有寨さんは珍しく返答に詰まった。だがしばし逡巡(しゅんじゅん)があった後に、意を決したように口を開く。

「事実を告げた方が良いだろう。昨晩、杏味は俺を誘惑したんだ」

「……ふうん」

 霧余さんは有寨さんを横目に見ながら、さして気にしているふうでもなくそんな返事をしたが、心の内で面白く思っていないのは明らかだった。彼女はまた煙草に火を点けた。

「もっとも俺は、杏味がそのつもりとは露知らずに部屋に行った。いちいち要件を訊く必要があるような間柄じゃないからね。すると事前に持ち出していたのか、部屋で酒を飲みながら待っていた彼女が、話しているうちにそういう気配を匂わせてきたんだ。俺はもちろんやめさせたよ。(さと)そうとしても少し酔った彼女は聞く耳を持たなかったから、半ば逃げ出すように俺は帰った。誓って云うが、それ以上のことはなにもなかったよ。時間的にもそれは分かってもらえるはずだ。俺が杏味の部屋にいたのは精々二十分に満たなかったし、霧余が部屋に帰ったときには俺は既に寝ていただろう?」

「そうね。それは分かってるわ」

 ただ杏味ちゃんが有寨さんを誘惑したというのは、ぞっとしない話だった。杏味ちゃんとはそう会話を多く交わしたわけでもなかったが、それでも彼女が有寨さんに過剰な心酔をしているとは窺えた。有寨さんに女として迫る杏味ちゃんを、僕は嫌でも想像できてしまう気がした。

「ともかく、杏味の姿が最後に目撃されたのは、その深夜一時ごろと見ていいね? なら杏味が殺されたのはその後であり、死体の切断に相応の時間を要した以上、犯人は少なくとも三時ごろまでは屋敷にいなければならないことになる。そしてその時間には既に、雪は相当な高さまで積もっていたはずだ。加えて視界さえまともに確保できない猛吹雪の中、極寒の中を逃げ出せるとは考えられない。……つまり犯人はまだこの南館のどこかに潜んでいると分かる」

 その時、いままで全然発言しなかった舞游が顔を上げた。

「じゃあ、今朝ピアノを弾いてたのは……」

 彼女が見ている先に、例のグランドピアノはある。僕は失念していた……杏味ちゃんが殺されたなんていう壮絶な出来事のせいで知らないうちに意識から外れていたが、その前にも奇妙な出来事はあったのだ。

「ああ、杏味の死体の様子、血の乾き方から推測するに、殺されたのは夜のうちに違いない。素人の俺でもそれは分かる。だからあのピアノを杏味が弾けたはずがない。もちろん、俺達も同様だ。ピアノが鳴っている間、俺達は誰もリビングにいなかった。そもそもピアノを習っていた人間は、俺達の中にいないだろう?」

 僕は身体が震えるのを止めようと躍起(やっき)になったが、駄目だった。どうしても身体が恐怖に対して正直に反応してしまうのを抑えられなかった。

 あのピアノを弾いていたのは、殺人犯だったのだ……。

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