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【本物って誰のこと?】後編

 それは、とっても大事な事だった。

 そう、憧れのおじさま、ソラルさまは既婚者であって、イスマエルのお父様である・・・と、ゆーことは・・・言わずもがな。

 ソラルさまの奥様、つまりイスマエルのお母様と言う存在を、私はすっかり忘れていた。


 その女性はモデルのようにスラリと背が高く、氷を砕いたような乱反射する素晴らしい銀髪と、雪のような白い肌を持ち。

 老若男女問わず惹きつける紫水晶のような瞳をしていた。

 瞳から下を白いレースの扇で隠し、背の高い上からの視線は、私を品定めをするかのようであった。

 父親のソラルさまの代わりに、美しいお母様をエスコートするイスマエル。

 そして、私の横には・・・自称“婚約者”のマクシムがいる。

「ヒロコ様・・・ご挨拶のできる機会がなかなか定まらず、大変失礼しました。父も呼んだのですが、急な討伐依頼が入ってしまい、取り急ぎ私から母の紹介をさせて頂く事となりました・・・・」

 (これイスマエル先生のお母さん? マジでキレイ系!)

 とりあえず、同じ女性として恥ずかしくなってきて、私はすごく緊張してきた。

「・・・イスマエル、聖女様はどちらに?」

 少し首を傾げながら。隣に立つイスマエルの服を指でつまんだ。

 (うん、仕草も何故かかわいい・・・)

「えーと・・・母上? こちらが聖女のヒロコ様です」

「あら? あらあらあらあらあらあら・・・」

(何か不服でも・・・あるよね? やっぱり)

「初めまして、現在、聖女(見習い)の職務に(たずさ)わっております。ヒロコと申します、以後お見知りおきを・・・」

 私はスカートの両端をちょこんとつまみ、淑女らしく身を屈め挨拶をした。

「まあ、まあ、まあ、まあ、まあ、まあぁあああ・・・」

「母上、落ち着いて!」

「愛しい夫と、大事な息子を夢中にさせる聖女とやらが現れたと言うから、どのような魔性な女性かと思っていたのですが・・・」

「母上、彼女はまだ右も左も分からない少女ですよ? そんな“魔性”だなんて・・・ぷふっ・・・」

 (あ・・今、笑ったね?)

 隣のマクシムも、口元を押さえながら肩を震わせているのが、私の視界の端に入った。

 むう、と、口をとがらせて下からイスマエルをひと睨みしておいた。

 彼女は咳払いをし、扇をたたみ、後ろにいるお付きの侍女にそれを渡した。

「・・・大変失礼をいたしました。わたくし、ソラルの正妻であり、イスマエルの母・・・フォスティンヌと申します」

 美しい銀髪の奥様は、私と同じ姿勢でスカートの両端をつまみ、私の背丈よりも深く屈もうとした。

「ストーップ!! 屈まなくていいですぅ! そんな無理な姿勢、おなかに影響が・・・赤ちゃんが、赤ちゃんがあ~~~っ!! ほ、ほ、ほら、クレー、今すぐソファーにクッションを準備して!」

 私が言い終わらないうちに、クレーは目にも止まらぬ素早さで、身重のフォスティンヌを一人掛けのソファーに座らせた。

「まあ、そんな・・・わたくしごときが、上座に座るなど!」

 直ぐにソファーから身を起こそうとしたフォスティンヌを、私は掌を前にかかげて止めた。

「そんな姿勢でお腹に力を入れちゃダメ! 今はまだ安定期じゃないんだから、楽な姿勢でどーぞっ!」

「はあ・・・はい・・・恐れ入ります・・・」

 フォスティンヌはソファーの手すりを握り締めながら、姿勢を楽にする。

「クレー、ノンカフェインのハーブティーと、常温のお水をたっぷり用意して」

「かしこまりました・・・そして、ヒロコ様がまずは落ち着いて下さい」

「はい・・・すみません・・・」

 がっくりと肩を落とし、ソファーの背もたれに片手を置き、私は反省のポーズをした。


 私の後ろにはクレーが控え、横にはマクシムが堂々と座り、正面にはイスマエルが座り、お誕生席の一人用ソファーにフォスティンヌが座り、その後ろには専属の侍女が背筋を伸ばしていた・・・我ながら少し反省した。

 これではまるで、フォスティンヌがこの場で一番偉いような配置である。

 そして、再び反省のポーズを座りながら取る私である。

 (座席指定、ミスった!)

「その、改めまして・・・わたくし、ソラルの妻であり、イスマエルの母・・・フォスティンヌと申します」

 フォスティンヌと名乗る、真っ白な百合が後ろに群生しそうな彼女は、頬を赤らめて視線を少し逸らしている。

 美魔女も裸足で逃げ出しそうな可憐な姿、女性として、まず根本的に違い過ぎて敵わない、張り合えない、世界が違う、どうしよう?

(実はアナタ様が聖女では?)

「恐れ入ります、ただのヒロコです」

「いや・・・ちょっとヒロコ・・・そこは堂々としようよ?」

 マクシムの正しいツッコミが入る。

「フォスティンヌの息子のイスマエルです」

 イスマエルが座ったまま深々と頭を下げた。

 (いや、知ってるから!)

「聖女ヒロコの婚約者のマクシムです」

「いや、それは認めてないから」

「ええ! それ今言っちゃうの!?」

 マクシムが本気で驚いている。

「あ、ごめん、つい・・・心の声が出ちゃったよ」

 少女の様に頬を赤らめて、フォスティンヌはクスクスと笑う。

 私の頭の片隅にある、ソラルさまとイスマエルの・・・彼女についての以前の会話が引っかかった。

 “愛人”、“飛んで行ってしまう”、、“どうしろと?”・・・。

 今、目の前にいる花のような夫人から想像もできない夫と息子の会話・・・ハテナが脳内に飛び交っていた。

 「これはもう、どうしようもなく異性を引き付けてしまうカリスマ悪女体質なのでは?」と、ひとつの結論に達した。

 きっと、これは男性には理解しがたいのだろうな、と、私は勝手に解釈したのだ。

 美しい女性には、大きく分けて二種類ある。

 努力して“美女”をようやく手に入れた女性と、天然の“美女”だ。

 天然の“美女”には敵わない、本当に・・・「立てば芍薬、歩けば牡丹、歩く姿は百合の花」とは、このような女性を言うのだろう。

 会話する言葉の端々に夫を立てる言葉、息子を思う母心・・・まず、人として敵わない事を私は早々に悟った。

 忙しく地方を飛び回る夫、育ち切った息子、そりゃあ・・・どう見たって若いし、遊びたい年齢だろうし、同じ女性として、私はオッケーの範囲だと思った。


「・・・あらあらあら・・・ヒロコ様は、やはり見た目では判断できないほど頭脳明晰でいらっしゃるのね」

「そうですか? 私は、この世界の一般常識がまだ、わかりかねます」

「うふふふ・・・お手伝いしますわ・・・わたくしの夫や息子は、ヒロコ様のお好きなようにお使い下さいませ」

 彼女の眼が光り、女性同士ならではの意思の疎通が完了した。

 (ありゃ・・・同類だったか・・・)

 きっと、殿方には分かり得ない、女性同士だけで感じる“了承”と言うヤツだ。

 わかるかなあ・・・わっかんねえだろうな(笑)

「この国の貴族の風習と、宗教上での“この星の意思”と、崇める神々は全くの別物ですのよ?」

「別なのですか?」

「貴族は養えるならば愛人や妾は何人でもオッケー」

「えええ!」

「あら、知りませんでした?」

「えっと、私の場合は世話係が三人って言うのは・・・・・・」

「ええ、聖女様なら世話係以外でも殿方を準備してもよろしくてよ?」

「えええっ!?」

 (これは、乱れているのか?)

「基本この国は一夫一妻制ですけど、貴族は経済的理由で認められていますのよ」

「それって・・・お家の跡継ぎ問題とか・・・」

「そこは全ては()()()()()()ですもの・・・オホホホ!」

 よくわからないが、貴族の不都合は「“この星の意思”だから」の一言で終了らしい。

 自然や才能を司る神様はいるけれど、その神々の存在さえも“この星の意思”というのには及ばないそうだ。

 “この星の意思”と言うのは、全てのお母さんみたいで、誰も逆らえない存在という事だ。

「そうですね、星がなくなっちゃたら・・・神も貴族も関係なくなっちゃいますもんね・・・・・・」

「よーく、ご理解してらっしゃるじゃない? だからこその聖女様なのですよ!」

「え?」

「あらあらあら、イスマエル、聖女様にちゃんとお役目の説明はしているの?」

「いや・・・その・・・おいおい詳しく話します」

「お役目って・・・?」

「なに言ってるの、大丈夫だよ! だってヒロコは召喚時に既に宣言しているもの!」

「え? 宣言?」

「ヒロコ、私の父、ソラルの前で何て言ったか、まさか覚えていないとでも?」

「あれ・・・・・・え? なんだっけ?」

「ああ、それ今は言わなくていいからね? アレはアレでトップシークレットだから」

「ヒロコ・・・・・・後でちょっと話し合おうか?」

「へ?」

 何故か夏なのに、とても涼しい風が室内を冷やしていた。


 フォスティンヌとの挨拶は一通り終了したので、来客室にてイスマエルのいつものお小言が始まった。

「ヒロコ、わかっているとは思うが」

「はい・・・・・・」

 何故か私は、イスマエルの向かい側のソファーで正座をしていた。

「母上の言うことは鵜呑みにしないように」

「・・・デスヨネ」

「あの通り自由奔放なのだ」

「・・・ナルホド」

「父も私も母の事は大切に思っている」

「はい、とても魅力的な方ですよね?」

「ああ・・・そこがかなり問題でな」

「・・・母親が美しく自由奔放なので、まさかとは思いますが、あくまで私の想像なのですが」

「と、言うと?」

「もしかして、その後処理に振り回されている・・・・・・とか?」

「そこを理解してもらえるとは・・・私は救われた気がするよ」

 イスマエルは老け込んだ表情で、眉間に指を当てた。

 (図星か!)

 両親があんなだと、息子はこんなに真面目に育つのだろうか。

「まあ、あの様子だとお腹の子供の父親は確実にソラル様だから安心しなよ」

 半分存在を忘れていたマクシスが口を開いた。

「マクシス、人の家庭に踏み込み過ぎだ!」

「付き合い長いからね、嫌でも分かるよ」

 マクシスは光魔法の持ち主で、更に音を聞き分ける才があるので、そう言う事はすぐにわかるらしい。

 (声のトーンとかで嘘を見抜けるのかな?)

「うん・・・女はそういうの、勘でわかるし、フォスティンヌ様はちゃんと判断できる人だと思う」

 まさか初対面の女性に対して、あそこまでお互いに思っていることを見透かせるとは思わなかった。

「よくわからんな・・・」

 魅力的な人ほど、墓場まで持って行く秘密は数多く存在するのだ。

 ソラルさまなんか、その典型的パターンだと思う。

 (なんてったって、ソコがいい!! 魅力的なおじ様は影があってナンボなのだ)


 フォスティンヌとの顔合わせの数日後、私の希望したトリュフチョコレートの材料が届けられた。

 キレイな木箱に収められた材料を、私とクレーとイスマエルで開封した。

「わお! うれしいなあ・・・」

 ブラックチョコレート、ココアパウダー、ナッツ類に、調味料、洋酒の瓶が入手できた。

「え~と、これが領収書と明細書だ。ちゃんと、言われた通りに業者と直接取引きをしたぞ、これでいいな?」

 しゃがみながら、領収書の束と明細書を私に手渡してから、木箱の中の材料の確認をイスマエルはし始めた・・・そのスキに、イスマエルの頭を撫でておいた。

「よしよし、偉い偉い!」

「なっ・・・」

 (うんうん、そのびっくりした顔が見たかったんだよ)

「あれ? 作法でやっちゃダメだった?」

 私は、普段からはるか上から見下ろすイスマエルに、仕返しをしたかっただけなのだ。

 こんなチャンスはなかなかない。

「だ・・・だめではない・・・」

「ふうん? で? この国の庶民の平均収入は分かった?」

「ああ、・・・だいたい、家族四人の共稼ぎ家庭で30万Bだ、父親などが25万Bを稼ぎ、母親が内職などで5万B、10歳ぐらいまでの子供二人で困らない程度の生活ができる。また、その両親などが共に暮らし、働きに出ていると僅かに上がるが・・・せいぜい45万Bで、6人家族での生活は少し苦しいらしい。子供が多いとなおさらだ」

「おお、勉強になる! 偉い偉い」

 イスマエルが、ちらりと私を見たが、もう撫でてやらん。

 そんな感じでふざけていた私を、とてもなまぬる~い眼で、クレーが後方から見守っていた。

「あ・・・コホン、やっぱり領収書の読み上げはクレーがして」

 私はクレーに紙の束を渡す、実はまだ文字があまり読めない。

「はい、かしこまりました。前に言っていた“検品”ですね?」

「“検品”?」

 私は木箱とイスマエルの前にしゃがみ込み、商品の確認の姿勢を取った。

「うん、伝票と商品が合っているか、答え合わせをするんだよ」

「答え合わせ・・・」

「クレー、一緒に単価も読み上げてね。大事なことだから」

「はい、かしこまりました。では・・・ココアパウダー、3千B」

「これだ」

 イスマエルは小さめの紙袋を指さす。

「やっぱりこれは高級品だね」

「え? たった3千Bだろう?」

「まあ、まあ、その辺は後で一緒に確認しようよ。クレー、続きを」

「チョコレート・・・砂糖・・・塩・・・乾燥果実・・・」

 (ふんふん、だいたい予想通りの価格帯だな・・・)

「そんなに安いのか?」

「そこの貴族の坊ちゃん、ちょっと黙っとけや・・・クレー、続き・・・」

「ヒロコ様・・・言葉遣い・・・」

「済みません・・・」

「白ワイン・・・赤ワイン・・・ブランデー・・・・ウイスキー・・・ラムダーク・・・オレンジキュラソー・・・グランマニエ・・・」

「おい・・・ちょっと待て? 酒が多いぞ?」

「お菓子の材料です」

「いや、多いぞ・・・」

「お菓子を美味しく頂く材料です」

「ん? 酒と菓子だぞ?」

 どうやらこちらの世界では、甘いものをツマミに酒を(あおる)る習慣は根付いてないらしい。

 (ドライフルーツと酒は合うんだが?)

「いやいや・・・私の世界ではこのような(たしな)みは、上流階級では当たり前でしたけど?」

「そうなのか?」

「そうなんです!」

 (こちとら禁酒で気が滅入ってんだよ。飲ませろよ、本当はビールが飲みたいんじゃ!)

 ・・・と、言うのが本心であって、素直に「酒を飲ませろ」とは言えないただの小心者なのであった。

「・・・以上です」

「うん、全部そろってるね。ありがとう、イスマエル、これで美味しいお菓子を作るね!」

「ヒロコが・・・作るのか?」

 イスマエルがポカンとして質問した。

「うん、ミリアンとして厨房に入れるように手配もよろしくね」

「・・・国の宝と呼ばれる聖女が厨房に入るのか?」

「は? なにそれ? んじゃ、聖女命令! 私に料理をさせなさい、イスマエル」

「そこで権限を使用するのか!?」

「うん」

 よ~し! 日持ちするツマミを作るぞう!・・・と言う目的もあるのです。


「詰まるところですね、イスマエル先生」

 私はいつものご立派な勉強机の上で、領収書の束と、真っ白な紙を準備してペンを構えた。

「なんなのだ?」

「塩の値段って知ってました?」

「うぐっ・・・」

「ナッツの値段、知ってました?」

「・・・知らなかった・・・ぞ」

「ちなみにお酒の値段は?」

「何となくでしか・・・きちんとした価格を眼にしたのは初めてだ」

「やはり貴族のボンボンか・・・」

「それと、これとどういう因果関係が!」

「あるよ」

「なに!?」

 私とイスマエルは、聖女に掛かる経費の帳簿を指差した。

「食費が高い」

「そ・・・ソレは、調理師の手数料が入っていると聞いている」

「ここの調理師は、私の食事を作る度に手数料を取るのかね?」

「そう聞いている」

「誰に?」

「食堂総括の会計係だ」

「調理師って日雇い? 月給? 年棒制? 手数料制?」

「な・・・曲がりなりにも城内の調理師だ! 日雇いの訳がなかろう」

「なのに手数料が毎回取られているの? 貴族のイスマエルが気にするほどの質素な出来で?」

「あ・・・」

「おかしいよね? 城のきちんとした雇用形態で手数料を毎食個別に取る? ここは宿屋なのかな?」

「ああああっ!」

「落ち着いて、イスマエル? 私もこの城の会計システムはよく知らないけど、第三者から見て・・・おかしいと思ったの、今はそれだけ」

「どういう・・・」

「うん、あのね、食事が毎食高額だと・・・人間の生活は破綻するの」

「食事で破綻?」

「月収が30万Bの家族が、食事に掛けられる金額は限られているの。食費が29万Bだったら・・・どう?」

「む、無理だな、衣食住が回らない」

「だから、この帳簿の食費の金額をどう思う? 簡単に計算すると、1食6千B・・・おやつも合わせていくら?」

「2万4千B・・・」

「エンゲル係数が高すぎて、ドレス代が貯まんないよ! あと、このお茶葉代! さっきのお酒より高いじゃん! どーゆー事?」

「これは・・・貴族の嗜みで・・・」

「却下」

「え!」

「お茶のストックは3種類ほどで結構、購入する時は私と相談して、もしくは一緒に買いに行こうよ」

「なっ!」

「聖女命令」

「えええ!?」

「・・・なんか、ヤバイ人に高級茶葉とか押し売りされてない?」

「私の判断ミスだ・・・申し訳ない・・・」

「では、この件は反省して、経験として活かしましょう!」

「それだけ?」

「ん? それだけって?」

「私の失敗を責めないのか?」

「なんで? 失敗なんて、できる時にやっとかないと、損するわよ」

「できる時に失敗をするのか?」

「そうよ、取り返せる小さな失敗を繰り返して未来に生かすのよ、でないと・・・」

「でないと?」

「失敗どころじゃない・・・大事故を起こして、ジ・エンド・・・人生の幕切れよ」

「そうなのか?」

「・・・失敗に気が付かずに、坂を転げ落ちる人生なんて、愚の骨頂だよ」

 (うん、我ながらブーメランでズタズタだ!)

「ヒロコ・・・其方は本当に・・・随分と大人なのだな」

 (だから・・・前からそう言ってるじゃんかあ・・・)


 現状把握と今後について相談しよう!

 1・食費が高い

 →高級茶葉の買い過ぎ・・・買い足す時はせめて一言、飲む本人の私に相談する。

 →請求されている食費の金額が高すぎる・・・材料費とその他経費の正確な明細を付けるように、会計係によお~く言っておく事。

 →ミリアンの菓子作り・・・食材の一般価格の確認と、調理場にて状況調査をする為。

 2・聖女見習いの報酬について

 →ノエミとヒロコは、働いて報酬を受ける制度の世界から来た・・・対価をくれないと頑張れないぞ!


 私は、総世帯収入や、食費の参考になる数字、そして、現状把握をまとめて紙に書き記した。

 まずは日本語で、そして、この国の言葉をイスマエルに確認してもらいながら、もう1枚にまとめて彼に渡しておいた。

「これ・・・会議資料みたいで分かり易いな、いや、資料より見やすいな」

「でしょう! やっぱり、紙1枚が頭にすっと入りやすいのよ」

「・・・で? この“聖女見習いの報酬”とは?」

「陛下の前に出る為のドレス! 頑張っていいヤツ買いたい!」

 私は目の前に座っているイスマエルの顔を覗き込みながら、笑顔でそう言った。

「報酬はドレスがいいのか?」

「今回は! だけどね?」

 照れ隠しに“でへへ!”と首を傾げて見せた。

 やはりクレーが後ろで、なまぬる~い視線で見守っている・・・。


 本日は・・・侍女見習いのミリアンに変身して、厨房への潜入捜査・・・もとい、大好きなチョコレート菓子を作る!

 何故って、それは日持ちをするから。

 クッキーでも良かったんだけど、この世界のオーブンを使う自信がないし、しけってしまう。

 そして、私が直接厨房で材料から作れば、例の会計係を通さずにお菓子が沢山作れるのだ。

 厨房でのボディーガードは、侍女仲間設定のクレー先輩と、教育係に扮したイスマエル先生・・・執事姿も良いんですが、背が高いので、厨房内での威圧感が・・・とか思ったら魔法で“地味の才”を全開にしていた。

 すごい、背景とほぼ同化している存在の薄さだ!

 今度、ぜひ教えて貰おう・・・。

 背景と化しているイスマエル先生は放置して・・・いや、彼には大事な役目があるのだ。

 この厨房内の温度設定をしていただく“人間エアコン”という大事な役目が!

 (だって季節は夏だもの、あ~、背中が涼しい・・・)

 火を使う熱い厨房内の片隅で、銀色のボールを使い、丁寧に丁寧にテンパリングをこなす私と、それを不思議そうに見つめる補助の二人・・・。

「ミリアンは不思議な技を使いますねぇ・・・」

 と、クレーが感心した声を上げた。

「そう? ボールを重ねて、お湯を入れて、チョコレートを溶かして滑らかにしているだけなんだけどな」

「なぜそんな作業が必要なんのですか?」

「え? だって空気が入ったり、チョコレート全体の温度が均一にならないと、固まるときに形が崩れたり、白くなったりして、味が落ちるもの」

「へええええ~~~!」

「ん?」

 なんだか可愛らしい声が聞こえたので、振り向くと・・・赤紫の髪に、大きな金色の瞳をキラキラさせた少年が私のすぐ右手の後ろから覗き込んでいた。

 身長は私の肩ぐらいだろうか、ぱっと顔を上げた少年と目があった。

 (か、かわゆす!!)

「これ、()()()! ミリアンは聖女様のおやつを作っているのだから邪魔してはいけません」

 めっ、とクレーがそう言った。

「ねれぼう?」

「うんにゃ、オイラはネレだぁ」

 (めっちゃ(なま)っとる・・・)

「最近雇った厨房の下働きの子ですよ、掃除をしたり、野菜を運んだりするのが仕事です」

 私は先に作っておいた、試作品の小さなトリュフチョコを少年の口に突っ込んだ。

「うぐ?」

 少年は頭を左右に揺らしながら、ゆっくりチョコレートを食んでいた。

「溶けた・・・なくなっちまっただぁ!」

 面白い反応だったので、もう一つ目の前に出してみた。

 少年は迷いなく私の掌のチョコに口を付けた。

「餌付け・・・?」

「餌付けしてしまいましたね・・・」

 クレーがため息と共に答えた。

「おいしいなぁあああん!」

 少年は私の腕に頭をこすり付けてきた。

(なつ)いた・・・?」

「懐いてしまいましたね・・・」

 厨房の端っこで、ネレと言う少年とチョコレートについて説明していると、少しづつ作業中の調理師達が後ろ向きで近づいて来た。

 (なんだろうか・・・、聞きたい事があればこっち向けばいいのに?)

「んだあ、ごめんなあ。ミリアン様ぁ、みんな手伝いたいんだけどな、調理場のえらい人が人件費がどうのこうの言っててな、手伝っちゃいかんと言うとるんだ」

 (なるほど、そういう事ですか・・・)

「そうかあ・・・みんな、お仕事忙しいですものね。大丈夫ですよ、全部自分達で出来ますから」

「ミリアン様はすごいなあ~、こんなおいしくて、キレイな食べ物、パパっと作っちまうんだもんなあ! ミリアン様が聖女様みたいだなあ・・・」

「え?」

 そのネレの一言で、騒めいていた厨房が一瞬静まり返った。

「そんなワケあるか!」

 という、男性の一言で厨房内で笑い声が上がった。

「聖女様といえば、深層の令嬢だろうが? こんなチビ・・・コホン、こんな幼いワケが・・・」

「いいや、うわさでは幼い少女だって言ってたよ」

「でも、ミリアンさんみたいなちんまりでは・・・」

 (すみません。ちんまりです。本人です)

 イスマエル先生とクレー先輩が、顔では平静を装っているが・・・腹筋が震えていて、かなりヤバそうだった。

「イスマエル様ぁ~、コレ、できたので冷やしてもらえますぅ?」

「ああ、わかった・・・ぶふっ・・・」

 厨房内は熱気が充満しているのに、イスマエルの周りは程よく涼しい・・・助かる。

「ネレ坊、そろそろお仕事に戻りなさいな」

 クレーは母親の様に優しく言った。

「ああ! いっけねぇ・・・すぐ薪を運ばなきゃならんかった!」

 慌ててネレは厨房から走り出していった。

 立ち去るネレが何度も振り向き、可愛く手を振るので、私もほやんとした感じで、手を振り返した。

 (おねーさん・・・新しい扉を開きそうだよ・・・)

 ネレ坊の存在は、美少年とか言う緊張するものではなく、“癒される”の一言だった。

 そのネレの後ろ姿が、何となくキラキラした金粉を落としているようにも見えた。

 クレーが一言、耳元に囁いた。

「あ、やっちゃいましたね」

「え?何を?」

「・・・あの、聖女の力をお菓子に込めて、直接食べさせたって事は・・・祝福をネレ坊に与えちゃってます」

「え? 直接がヤバイの?」

「ええ・・・直接食べさせたのが、ヤバイです」

 (あちゃー・・・やっちまったのかあ・・・)

「ミリアン・・・君の魔力はいつも駄々洩れだ・・・何とか対策を練ろうか」

 どうやら、常にクレーが傍にいてくれているのは、私の駄々洩れの魔力を、彼女の空間魔法でうまくコントロールしてくれているらしい。

「クレー先輩、イスマエル先生、頑張りますんで、よろしくお願いいたします。」

 厨房内では、チョコレートの香りが充満し、みな、チラチラとこちらを気にしている。

 気取ったって仕方がない、とりあえず目の合ってしまった人に手招きをしてみた。

「て・・・手伝いはできないぞ・・・」

「そう、残念だわ? 味見の手伝いもしてくれないのね」

「そ、それぐらいならいいぞ!」

 プライドが高そうな、金髪の若い調理師が近づいてきた。

 今まで出して貰っていたおやつはとても美味しかったが、デコレーションは微妙だった。

 だから今回は、このトリュフチョコレートで繊細な超かわいいキラキラチョコを作製したかったのだ。

 材料費の高いトリュフチョコレートは執事姿のイスマエルに見守って貰っているので、残ったチョコレートを適当にナッツに掛けて、ココアパウダーをかけていた。

 (いいねえ、アーモンドチョコ! ウイスキーやブランデーのつまみに最高だよ)

 一人呼んだら、わらわらと数人が連なって来た。

 (え・・・そちらの方々は呼んでないけど?)

「もう、休憩時間取るから、こいつらも一緒に味見させて貰っていいか?」

「どーぞ、どーぞ、ヒロコ様にはトリュフチョコレートをちゃんと作ったので、後は私の自由にできる許可は受けてます。このままお茶会でもしますか?」

 口の端を引きつらせながら、必死で愛想笑いをキープした。

 (た・・・足りるかな?)

「おお! お嬢ちゃん、話わかるねえ!」

 ちろりと、イスマエルと視線を合わすと、静かに頷いた。

 これも作戦の一部である。

 イスマエルは“地味の才”を全開中の為、誰も彼の存在にツッコミを入れない。

 (スゲー・・・マジであの技、教えて欲しい!)

「お嬢ちゃん、聖女様の侍女見習いなんだって?」

「うん、ど田舎から来たから、何が何だか分かんなくって勉強中なの」

「え? どこ出身?」

「ごめんなさい、言えないの。下手すると家族まとめて人質にされちゃうから」

「うお・・・そんな理由が・・・苦労してんだな!」

「なんつーかまあ、長い物には巻かれないとな、生活できないもんな」

「ごめんな、手伝えなくてさ」

 (同情するなら、情報よこせ!)

「いえいえ・・・最初からクレー先輩と二人で作る予定でしたし、お忙しい中、この場所をお借りできてとても助かりました」

「でも、これ・・・チョコレートそのものをきれいに加工するなんて初めて見たよ」

「そうなんですか?」

「普通この辺じゃ、ケーキとかクッキーに入れたり、削って飾りとかにしか使わないんだよな」

「ふーん? そういう文化なんですね」

「このチョコ本当に食べていいのか?」

「どーぞ、どーぞ、早いもん勝ちです」

「早い者勝ち!?」

「夏ですからね、どうせ溶けちゃいますもん!」

 (後ろにいる、人間冷却器がいなければ作れないしね・・・)

 ナッツチョコの争奪戦が厨房内で繰り広げられた・・・のではなく、私があみだくじを作り、参加者の名前を聞き、書き込んで、当たった順番で皿に分けて行くルールにした。

「その‟あみだくじって”面白いゲームだな?」

「まあ、順番や力の差なんか関係なく、()のみで恨みっこなしですから、結構、平和的な解決ができて便利なんですよ。平等や公平、実力なんて無視です、無視!」

 笑い声が響く、和やかなムードの厨房内・・・これもまた作戦である。

 お分かり頂けたろうか?

 私はこの数分の間で、厨房内の人間の名前を聞き出し、堂々と紙に書き記したのだ。

 しかも、あっという間にこのグループに打ち解けた・・・。

 (まあ、私のこんな腹の中はクレーにもイスマエルにも秘密なのだが)

 他人に侮られると言うのは、心地好く、楽である。

 期待される重荷など・・・私には苦痛以外の何物でもないのだから。

 期待の重圧・・・人々の期待に応えようと120%の力で挑んでいたが、体がついて行かなかったのが現実である・・・それが私の人生の失敗だった。

「なんか、聖女様が2人もいると、扱いに困りません?」

「え~? ミリアンちゃん、それを言ったらお終いでしょう!」

「う~ん、私は今の上司がヒロコ様一人ですけど、もう一人上司が増えちゃったら体一つじゃ足らない仕事量になっちゃうかな~って、すごく心配なんです」

「おお・・・確かにあるよねえ、偉い人が2人で、一体どっちの話を聞けばいいのか? っての」

「そうなんですよ、私の前の職場では本来は一人の人間に、多数の上役を付けることが禁止されてたのに・・・」

 係長・課長・次長・部長・・・みんな言ってる事違うし、おいおい、それ労働基準法とか守ってないから! リテールマーケティングの試験問題にも思いっきり間違いだって出題されているからっ!!

 よくある、よくある・・・。メンヘル試験にも出てるってばよ・・・。

「どちらかが偽物って路線の話しか?」

 ピシッと、空気が張り詰めた。

 ずずん、と、体格の良いシブい中年のおじ様が、白い調理師の制服を着て仁王立ちをしていた。

 (ヤダ! かっ・・・かっこいいっ!!)

 顔に刻まれた深いシワ、白髪混じりの揃えられた短髪、大鍋を振るう為の太い腕、鋭い眼光。

 (ス・テ・キ!)

「りょ・・・料理長! いま、こちらに席をっ! ささっ!」

 どすん、と、質素な丸椅子に腰を置いた料理長が落ち着いた瞬間に、私は飛び上がった。

「初めまして、侍女見習いのミリアンと申します。あの、いつも聖女様のお食事を作っていただいている方でしょうか?」

「ああ・・・そうだ」

 料理長は不機嫌そうに、眉間にシワを寄せたまま腕を組んで座っている。

「お会い出来て光栄です。いつも美味しい食事をありがとうございます」

「そうか・・・聖女様はたくさん召し上がるので、あの予算では10人前がやっとなのだがな」

「・・・はあ?」

 と、私は思わずイスマエルの方に振り向いた。

 そのイスマエルもさすがに目が点になっている。

「ん? どうした? 聖女様は膨大な魔力を維持するために沢山召し上がるのだろう?」

「え? 食べてないよ? なんで? いつも、パンは二つだし、スープとサラダは一皿だし、お茶で空腹満たしていますし、おやつは確かに二人分食べますけど・・・」

「んん? そんなばかな・・・」

 私は再びイスマエルの方に振り向く、彼は左右に首を振っていた。

「知らん!」と・・・。

 誰かと一緒に食事を取るとき以外は、他のメンバーは貴族にお呼ばれしているか、貴族専用の食堂を利用しているはずだし、聖女のスペースで食事なんかしない・・・おかしい・・・。

 例え、イスマエルが執務室で同じメニューを取るとしても、そんなに食べないだろう?

「それって・・・誰のおなかに入っているんですかね」

「聖女様本人は何人前召し上がるのだ?」

「たくさん食べても二人前が精一杯ですけど・・・」

 (確かに大盛ごはんは食べますけど、おかずは一人前で十分ですよ?)

「おかしいな・・・注文票と違うぞ?」

「あの、ちなみに毎回請求される手数料が1千Bなのですが・・・それは何故でしょうか? 料理長様の指名料が発生するのでしょうか?」

「はあ? そんなもん取る訳がないだろう! どこの宿屋のルームサービスだ?」

 私はその言葉を聞いて、胃の下の方がふつふつと煮えたぎるように感じた・・・イラっとしたのだ。

 (誰だい? こんなバカバカしい、ケチ臭い事をする大馬鹿野郎は・・・)

 私は振り向き、再びイスマエルと眼を合わせた。

 彼の眼が怒りに冷たく燃えている。

「料理長様、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「なぜだ?」

「いえ、さっきのナッツチョコ争奪戦のあみだくじで名前を頂いてないので、どうしよっかな~? と」

「ナッツチョコだと!」

 料理長の視線がちくちくと周囲に刺さる中、その場にいた調理師達は頬にチョコを付けながら、目を逸らしていた。

「早い者勝ちだったもので・・・」

 ムグムグと、先ほどから一番のおしゃべりの金髪の調理師が自分の分を全て口に入れていた。

 私はイスマエルの見張っていたアルミ製の冷えたトレイの上のトリュフチョコレートを、トングで二つほど皿に移し、料理長の前に出した。

「どうぞ、まだまだ未熟な私のお菓子ですが・・・聖女様の御心が入っております」

「聖女様の・・・?」

「私は聖女様の侍女見習いのミリアン、陰日向となり、あの方を支える役目を担っております」

 クレーはすっと立ち上がり、頭を垂れる私の横で同じく料理長に頭を下げた。

「私は聖女様の直属の侍女クレーでございます。この、幼いミリアンを・・・立派な淑女に育てる指名を仰せつかっております。以後、お見知りおきを・・・」

 眉間にシワを寄せながら、何の疑いもなくトリュフチョコレートを料理長は口にした。

「・・・これは・・・素晴らしいな、チョコレートとコニャックの香り、そして主張しすぎないナッツが入っている。見事だ・・・」

 何事もなかったかのように、眉間のシワを消し去り、料理長はトリュフチョコレートを胸のポケットに入れようとしたが。

「あ、それすぐに溶けちゃいます」

「・・・そうか」

 私の忠告を素直に聞いて、もう一つ口に含んだ。

 料理長の周りに、薄っすらと金色の光が滲む――――。

 (あれ? ヤバイ、私また祝福しちゃったか?)

「俺の名前はギヨム、ここの料理長をしている・・・以後、お見知りおきを・・・で? 今夜の夕食は何人前で予算はいかほど? 手数料は今後とも存在しないので、犯人の心当たりを確認しようか?」

「いえ、正式な注文書を料理長ギヨム殿にお渡しします。調査は後日、証拠を集めますのでご協力頂けると助かります」

 執事姿の真面目眼鏡イスマエルが、そう言いながら一枚の紙を出した。

 それはまごうことなき、夕食の正式な注文書だ。

 今までイスマエルは口頭で指示を出していただけだったのだろう。

 ギヨムはその注文書を静かに受け取った。

「坊ちゃん・・・相変わらず姿を消すのが得意なようだ・・・」

「まあな、かくれんぼで練習したからな・・・」

 どうやら二人は知り合いらしい。

「本日と明日も二人前ですね、きちんと証明印も入ってますね。やはり、いつものメモ書き程度の注文書は偽物でしたか・・・」

 そう言って、ギヨムは渋くも爽やかな笑顔でイスマエルを見つめた。

「この()がどうやら“本物”を運んで来てくれたようですね」


 ちょっと立ち止まって、状況を確認しよう!

 その1・・・厨房に随時、注文されている食事が10人前である。そして、その料金がそのまま請求され、聖女の予算から支払い続けてしまっていた。

 (なんだって? 私が10人前食べてるって? そんなワケがないだろうっ!)

 その2・・・何故か手数料が毎回加算されている。

 (ふざけんな! 個人経営の高級レストランじゃないんだよ?)

 その3・・・料理長が聖女の為に作った大量の食事がどこかに消えている。

 (おかわりすると、イスマエルが愚痴るのに・・・)


 私は、いつもより豪華な夕食でイスマエルとミーティングしながら、美味しく頂いた。

「すごい、グレードアップしている・・・」

「そうだな、これでやっと貴族レベルだな」

 そう言いながら、イスマエルは昼間に納品された白ワインを冷やしながら、チビチビ飲んでいた。

「イスマエルさんや? その白ワイン・・・」

「うんうん、今テイスティングした所だぞ? クレー、ヒロコにもグラスを頼む」

「・・・・・・まあ、いっか、ふふふっ!」

 (誰かとお酒を飲むなんて、久しぶりで嬉しいなぁ・・・)

 一番最初の自己紹介で、イスマエルは酒が好きだと言っていたのを思い出した。

 (もしかして、酒に関しては図々しい?)

 今頃、厨房担当の会計係はお粗末なニセの注文書を前に、みんなに無視されている頃だろうか。

 それとも、いい格好をして食事を奢っていた舎弟や、手を出していた下働きの女の子達に軽蔑の眼差しを受けている頃だろうか。

 自滅コースまっしぐら・・・しかしながら、なかった事にされるのも腹が立つので、今まで誤魔化されていた“横領した食事代の全額返金、および聖女を語った名誉棄損による慰謝料の請求”の書類を正式に作成する事にしたのだ。

 私はイスマエルと一緒に、ワイングラスをかかげ、悪い顔をしながら微笑んだ。


 昨夜の軽い晩餐のおかげで、ぐっすり眠れたし、何だか体がすっきりしていた。

「ん~、何だか体調がいいなぁ~!」

 ベッドから私は起き上がり、思いっきり伸びをした。

 室内用のスリッパを履き、大きなカーテンを開いた。

 外は爽やかな青空だ、今日はノエミちゃんとのお茶会が午後に控えているので、ご機嫌なのである。

 すると、寝室の扉に、軽いノックが響いた。

「クレーでございます」

「起きています。どうぞ」

 クレーが寝室内に入り、私の身支度を手伝ってくれた。

 今日の朝食のトースト・サラダ・スープと、ダージリンティーとオレンジジュースと水がダイニングテーブルに並べられている。

 その準備をしてくれていたのは・・・なんとギヨムさん本人だった。

「おはようございます。ヒロコ様」

 優雅な物腰で、熱々のベーコンエッグを目の前で焼いてくれていた。

「お、おはようございます! ギヨムさん・・・て、あれ? ヒロコで会ったのは初めてだよね?」

 クレーにエスコートされるまま、私は席に着いた。

「あのチョコは・・・ミリアンちゃんが丁寧に丁寧に、中身のガナッシュをこねていたね」

「あ・・・はい・・・」

「あのトリュフチョコレートは、休みなく働き続ける俺にある事を気がつかせてくれた」

「え~と、はい?」

「あのチョコを口にした途端、頭の中がクリアになり、疲れが取れ、(みなぎ)る体力が復活した」

「私・・・やっちまいました?」

 横でクレーが静かに頷いた。

「まあ、後ろにイスマエル坊ちゃまが護衛についているんだから、こりゃ只者じゃないな? とは、思ったけどね」

「あの程度の変装では、知り合いには効きませんよねぇ・・・」

「しかもそんな奇特なものを作れる女性なんて・・・ねえ? 今のこの城内じゃ、聖女様ぐらいです」

「そうですか・・・」

「俺はね、もうこんな年だし、あんなガヤガヤしたご立派な厨房は好きじゃないんですよ」

「ひゃう?」

「自分のペースで、生きて行きたいと気が付きました」

 湯気の立つベーコンエッグの皿を私の前に、出してくれた。

 私はその時気が付かなかった、その言葉に、どんな含みがあったかなど・・・。


 ニセの注文書を出していた会計係は、証拠隠滅の為に書類を隠そうと自分の机に走り戻った。

 元々、高位の文官職を希望していたメタボな男だった為、体力が若い頃の様に全回復していたギヨムの速さには敵わず、証拠品の帳簿と領収書などは処分される前に押収された。

 逃亡を防ぐために、犯人は城内の牢屋に叩き込まれた。

 その騒ぎを聞きつけたネレが、急にその帳簿と領収書と偽の注文書を見比べて、計算を始めたのだと言う。

 「何事か?」と、様子を見に来た他の事務員に、聖女の為に食事を準備してきた期間の合計損失を提出したというのだ。

 その金額は・・・ギヨムの給与の倍額を越えていた。


「ああ~、ネレ坊にも試作品のトリュフチョコレート・・・あげたな?」

 熱々のベーコンエッグを、私はトーストと一緒に頬張り始めた。

「ヒロコ様・・・やっちまいましたね・・・」

 クレーが青ざめてながらそう言った。

「ナッツチョコの方はどうでした?」

 シャキシャキのサラダが、体に染み渡るようだった。

「とりあえず、厨房の調理師達はすごく元気でした」

「じゃあ大した効果は・・・」

「ええ、二夜連続で夜会のピンチヒッターを務めて、朝食係も兼ねてボロボロだった調理師達が、とても爽やかに仕事をこなしていました」

「あったね・・・効果・・・」

 とりあえず、チョコレート効果にいち早く気が付いたギヨムが、秘密を守ってくれると約束してくれた。

 その辺はクレーが色々と根回しをしてくれていたらしい。

 (さすがはクレー先輩! 頭が下がる・・・)

 私は、ギヨムに節約して陛下にご挨拶するドレスを購入したい旨を、素直に告げた。

 彼はネレと協力して、自分の目の届く範囲でなら「聖女の予算を無駄遣いしそうな輩は締め上げておく」と、快く約束してくれた。

 (締め上げておくってなんだい?)


 事の顛末(てんまつ)は、出勤したイスマエルにクレーより報告された。

 本日の午前はこの国の経済状況についての勉強をさせて貰う約束だったので、昨日の事件と関連して、教材はたくさん準備されていたのだ。

 さすがは、真面目眼鏡のイスマエル先生・・・仕事が早い。

「ところで・・・ヒロコ、ノエミ様とのお茶会についてなのだが」

「うんうん、トリュフチョコレートをご挨拶に持って行こうと思って!」

「延期になった」

「ええ! なんで? どーして? だってマテオ様が・・・」

「大騒ぎになってる」

「何が?」

「他国の諜報部員に、内密で既に二人の聖女が会合した事が広まってしまっている」

「え? こないだは、そりゃ、ノエミちゃんは庭から突撃してきたけどさ、そんなマズい事しちゃったっけ?」

「マズかった、かなり・・・特にマクシムが扉を開けていた瞬間を切り取られて大騒ぎだ」

「・・・え? あれ? なんで?」

「それがな、他国では二人の聖女の対立が噂されていてな」

「対立なんて、してないし!」

「まあ、噂好きの貴族共の事だ、面白おかしくどちらが本物の聖女か? などと賭け事まがいの事をしていたらしい」

「本物? って、両方本物でしょう!」

「・・・どちらが勝者か揉めているそうだ」

「どうしてそうなった!」

「あの時、ノエミ様は何と言った?」

「神・・・とか?」

「聖女ノエミが、聖女ヒロコを、自分より高位の者だと大声で宣言してしまったのだ」

「あ・・・あ~・・・なるほど、私達の意味する“神”が、こちらでは本物の“神様”になっちゃったと?」

「つまりヒロコは・・・我が国の陛下より上の地位であり、神の代理人の皇帝陛下より・・・高位の存在という事になってしまう」

「いや、ちょ・・・違う! 違うから! その噂の訂正を今すぐお願いします!!」

「早くドレスを作らんとな・・・陛下にちゃんとご挨拶をする場を作らねば・・・」

「陛下にちゃんと土下座するからああああ!」


 そして私は、すっかり忘れていた・・・月夜の晩に、ソラルさまが私の涙を飲んでしまっていた事を――――。


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