【本物って誰のこと?】前編
私の前を歩く侍女のクレー。
私の隣を歩くイスマエル。
その後ろを、トボトボとついてくるマクシム。
マクシムの非礼の土下座詫びをノエミに入れた直後、侍女見習いの姿のまま、ようやく西の聖女の領域から抜け出した
「あ、イスマエル、ごめん」
私は足をゆるりと止めた。
「なんです? ミリアン・・・」
「倒れる」
電池が切れたかのように私の体は、くたりとその場にくずれ落ちた。
地べたに体が触れる前に、私の両足は重力から解放され、真っ白で大きなタオルに頭から包まれた。
多分、クレーの持つタオルの魔法だろう。
(一体どこからいつも出すのだろう?)
お姫様抱っこしてくれたは多分イスマエルだろう。
きっと、ノエミの部屋から出て来た私が、イスマエルに運ばれている事が城内で知られては都合が悪いのだろう。
(長距離マラソンした後みたいに、マジで体が動かんし!)
「今日のヒロコ様は泣きすぎて、お疲れになったのでしょう」
「先ほどだけではなかったのか?」
「ええ・・・温室でも、ノエミ様の為に泣き通しでした」
「うちの聖女は、よく泣くな・・・」
「涙と一緒にそこら中を浄化しまくりで、誤魔化すのが大変でした」
「ご苦労、いつも其方の空間魔法に助けられているな・・・」
(なるほど・・・タオル専用の収納魔法ではなかったのか・・・)
「恐れいります」
「これは魔力切れだな、ヒロコの世界には魔法がないと言うから、産まれながら魔法を知っている者としては・・・ゼロから教えるのは骨が折れそうだ」
「ヒロコ様は自ら温室の噴水で練習をしているのですが・・・」
「ただ放出しているだけだろう」
「それでも、きちんと練習を重ねています」
「最近、温室内だけでなく・・・バラ園まで影響が出はじめている」
「あら、大変」
「バラの狂い咲きだ」
「あらあらあらあらあら・・・既に“浄化の才”の領域を超えているのでは?」
「解らない・・・違う種類の“才”かも知れんな」
安心感からか、私は脱力して、うつらうつらと、夢と現実の狭間を行き来していた。
とある年の、
とある夏に、
私の恋は凍りついた。
とある年の、
とある秋に、
私の体は欠けてしまった。
とある年の、
とある冬に 、
私の心は壊れてしまった。
とある年の、
とある春に、
無邪気な子供に殺された。
きっとこれは罰なのだ、
ひとつの命を犠牲にした私の・・・
ベッドで横たわる私の髪を、優しく指ですく大きな手。
心地好い・・・誰だろう?
マクシム? ちがう。
ナトン? 手が大きすぎる。
イスマエル? こんな触り方はしない。
彼なら、がっ!ときて、ポスンだ・・・。
「先生・・・?」
私は瞼を開いて、真横でベッドに頬杖を付きながらこちらを見下ろしていた人物の顔を視界に入れた。
「ヒロコ?」
不安気なソラルさまの顔が見えた。
「ソラルさま、またここに忍び込んだんですか?」
私の質問に、ソラルさまは安心した様子で口角を上げた。
「・・・ああ、君が心配でな」
「イスマエルにまた怒られますよ?」
「そうだな」
極甘な笑顔を浮かべて、すっと立ち上がり、彼は足早にベランダから姿を消した。
「・・・なんで?」
体をよじり、左胸に手を添えて、私は生きている事を確認した。
心臓が壊れるかと思った――――。
(これが噂の萌え死にか!?)
って言うか・・・せっかくのお触りチャンスを逃してしまったヲ!
この世界では、病気の私を誰も責めない。
「なんでこんな事も出来ないんだ!」
「体が怠い? 気持ちの問題もあるんじゃない?」
「サボり癖、治したら?」
「なんで早く言わないの!」
私はうつ病になり、まともな思考ができなくなった。
同じことを何度も確認してしまい、上司に嫌な顔をされる。
不安で不安で不安で・・・自分の記憶と能力にどんどん自信がなくなっていった。
薬を飲めば良くなると、心療内科の医師に言われた。
でも、頭の中の霧はいつまでも晴れない。
薬を飲めばハイになったが、自分が狂っていくのが堪らなく嫌だった。
それは限りない罪悪感と、心の枯渇だった。
何も満たされない日々、ただ膨大な仕事を機械の様にこなしていく・・・。
初恋の先生と同じぐらいの年上の男性に癒しを求めた。
そして私は・・・堕ちるところまで落ちたのだ。
誰も不幸にしたくなかったのに、結局、死に際にあの子供とその家族に傷跡を残してしまった。
私がもっとしっかりしていれば・・・。
「ここは、私にとって優しい世界かも知れない」
キングサイズのベッドに横たわりながら、天蓋を見つめ独り言ちる。
ベッドサイドに置いてある呼び鈴を手に持ち、揺らした。
チリーン・・・。
甲高く響く鐘の音の直後に、寝室にノックが響いた。
「ヒロコ様、クレーです。お加減はいかかがですか?」
「今、起きました。大丈夫よ」
クレーは扉を開き、上品で静かな足取りで私の傍に近寄った。
「左様ですか・・・重湯をすぐに準備いたします。その後にお身体を清め、着替えを準備いたしますね」
寝不足のような眼をしながら、クレーはベッドのレースカーテンを開き、ベッドサイドで留め具を付け、私の顔色を確認し、重湯の準備の為にその場から離れた。
「・・・え? 重湯? なんで?」
と、ポカンとした数秒後にノックも無しに扉が勢いよく開き、ドカドカと大きな足音が寝室に響いた。
「大丈夫か! ヒロコぉ!」
イスマエルがボスンと、ベッドの上で起き上がっていた私の上にのしかかった。
「い、イスマエル! 近い近い近いぃっ!!」
(ドン、されている! しかもベッドの上で!?)
20センチ先にイスマエルの顔があり、その額には薄っすらと汗が滲んでいた。
「そんな・・・ちょっと寝てただけじゃない」
はっとしたイスマエルが、近づき過ぎたことに気が付き、私の上から退いた。
そのまま数歩後退り、姿勢を正し、いつもの冷静さを取り戻したかのように見えた。
「ちょっと・・・?」
何故か室内がひんやりとしてきた。
ベランダからの景色を見ると、夕日の光が見えた。
「なんだ、夕方じゃん・・・二時間ぐらい寝てた?」
「ちょっとか?」
イスマエルのこめかみに青筋が見えた。
「え・・・?」
(ああ、なんかイスマエル先生の態度がスリーエルになってきたよ?)
「丸二日が・・・ちょっとか?」
「まる・・・ふつ・か・・・?」
その後、私は重湯を啜りつつ、食後のフルーツを頂きつつの、イスマエルの説教を約一時間聞くことになった。
(食べながらの説教は、消化に悪いよ!)
「イスマエル様、いい加減になさいませ!」
そのイスマエルの後頭部を、クレーがタオルで叩いた。
延々と続きそうな説教を止めてくれたのは大いに感謝である――――。
イスマエルは二晩、私の部屋の隣室で過ごしたらしい。
今夜も泊まり込みをするつもりらしかったが、クレーが「これ以上、ヒロコ様にプレッシャーとストレスをかけてはなりません!」と、城から叩き出したらしい・・・。
なんだか日に日に、イスマエルよりもクレーの方が立場が上位になっている気がするのは、気のせいだろうか?
夜が更け、ラベンダー色の満月が明るすぎて、私は少し目が冴えてしまった。
「きれい・・・」
広いベランダに備え付けてある木のベンチに座り、しばらく自然のプラレタリウムに浸っていた。
「夜風は、病み上がりにはよくないぞ」
はっとして、暗闇の中で目を凝らしていると、少年の様にベランダの手すりに腰かけているソラルさまがいた。
(今日はソラルさまサービスデーかしら?)
不思議な色の月明かりに照らされて、ソラルさまの煤けた金髪が、何故か薄紫に輝いていた。
「病み上がりも何も・・・常に病んでいますから、問題ないです」
予想外の私の切り返しに、ソラルさまはポカンとした後に、ウケたらしく笑っていた。
「ヤバっ・・・ブフッ! ツボった!」
いつもの余裕の、渋い落ち着きも良いが、少年のような顔をするソラルさまも良い目の保養だ。
「ソラルさま、笑いすぎです」
「はははっ・・・はぁ・・・、済まない。キミは本当に面白い人物だ」
なんだかいつもより若々しく見えるソラルさまに、私は照れてしまう。
「こんな夜更けに忍び込むと、奥様に叱られてしまいますよ?」
私がそう注意を促すと、彼は寂しげな表情をし、私を真っ直ぐ見詰めた。
「そうだと良いのだけれど・・・」
ベランダの長い木製のベンチに座っていた私の方に向かって、猫のように静かな足音で近づいて来た。
「私は・・・彼女にとって代用品に過ぎない・・・」
「だい・・・ようひん?」
私とソラル様の距離は、長いベンチの端と端となった。
お互いに眼を合わさず、ただ、ラベンダー色の満月を見上げた。
「きっと彼女には、心から愛する男がいるのだろう・・・」
「奥様の事ですか?」
ベンチに座りながら、長い脚を組む美中年は絵になるなあ・・・。
「奥様・・・ねえ?」
「ごめんなさい・・・私も、知らない間にソラルさまを代用品にしていたのですね」
「ん? 誰の代わりになっているのかな?」
「初恋の人です」
またもや、ソラルさまは噴き出した。
(そんな面白いか?)
「そりゃ・・・光栄だねえ・・・どんな男だい?」
私は、胸の奥にしまっていた思い出を蘇らせた。
「ソラルさまとは、姿は似ていても、中身は正反対な人でしたよ」
「正反対?」
「ええ、彼は教師をしながら・・・本業は画家でした」
「素敵だね」
「・・・私の憧れ、そして目標でした」
「おや、絵を嗜むのかい?」
「その人の影響で・・・まあ、絵の才能がなかったので早々と諦めて、経済学の方に進んだのですけど」
月を眺めていたソラルさまの視線が、私に興味あり気に刺さった。
「経済学?」
「お、そこ喰いつきますか?」
「いや、意外だと思って・・・で、初恋の終わりを聞いても?」
「・・・・・・彼と音信不通になって試合終了です」
「音信不通ねえ・・・」
「ええ、その後は噂でお見合い結婚したとか聞いたぐらいで」
「彼とはどんな関係だったんだ?」
「教師と生徒」
「王道だね」
「小学校を・・・12歳で彼が教師をしている学校を卒業した後も、個展とか追っかけてたんですけど」
(そう、あの頃は・・・銀座や上野に行ったりして先生の姿を追っかけていたな)
「おやまあ・・・熱烈なファン心理かな?」
「私は幼過ぎて、その頃は自分の立場が良くわかっていませんでした」
「立場・・・ねえ・・・、なんか進展でもあったのかい?」
「ある日、先生のアトリエに行ったときに、絵を頂く約束をしました」
「そりゃ・・・実ったって言うのでは?」
「いえ、私は幼過ぎて理解できなかったんで、そんな立派な物は頂けないとお断りをしました」
「も・・・もったいない!」
「そうですね」
「キミは、告白をしてきた彼を振った事になるんだぞ?」
「大人の恋は・・・難し過ぎます。14歳の小娘に、画家が自分の描いた絵をプレゼントする意味なんて理解できません」
「うわっ・・・相手が気の毒に思えてきたよ!」
「20歳も年上の男性の考える事なんてわかりませんでしたよ」
「それは・・・まるで、詩の世界のようで、うん・・・理解できなくても仕方がないか」
「あ、今、“ロリコン”とか思いました?」
「うん」
私は自嘲気味にため息をつく。
「ありがとうございます」
「何故だい?」
「例えあなたが、彼に似た、彼の身代わり役だとしても・・・今の私の心は少しだけ救われました」
「“救われた”?」
「ええ・・・だって、私はあちらの世界の死に際で・・・」
私はじっと彼を見詰めた。
じわりと視界が涙で歪んだ・・・。
「あなたに会いたいと願ってしまった」
「ヒロコ・・・」
「私の罪を、懺悔します・・・先生・・・」
長いベンチの両端にいた私達の体は、いつの間にか触れそうで触れない距離まで近づいていた。
「死に際の想い人か・・・切ないな・・・」
その大きな白い手は、私の頬をなぞった。
私が双眸に溜めた零れそうな涙を、彼はその唇に含んだ――――。
「ヒロコ様ぁ!!」
突然のクレーの声に、私は正気を取り戻してベンチから立ち上がった。
「クレー? どうしたの?」
ホウキを抱えたクレーが勢いよく私の居るベランダに飛び出してきた。
「ご無事ですか、ヒロコ様!」
オリーブ色の髪を振り乱し、息を切らしたクレーが、必死の形相で私の前に姿を現した。
「え! えっと・・・これはその・・・」
慌てて言い訳しようとベンチに振り返ったが、彼の姿は既になかった。
(・・・あれ? 相変わらず初動動作が超人的だな!)
「危険ですから、早くお部屋の中に!」
「危険?」
「護りの魔法結界が効かない賊が忍び込んだようです!」
「結界? 賊?」
「・・・もしや、お忘れでは?」
「なんだっけ?」
「ああん! もうっ! ヒロコ様は‟最高級の生贄”として各国に狙われている御身なのですよ!」
(いっけねぇ! すっかり忘れてたワ・・・)
こんにちは、もりしたです!
次回の更新は来週を予定しています。
それと、ヒロコが先生から絵画を貰う話は・・・実際にもりしたが喰らった事なので、ネタにしました。
現実にそんな事あるんかい? とお疑い・・・まあ、基本フィクションですからね。誰も気にしないか!
それではまた来週~('ω')ノ