第27話 思い出・お迎え・オムライス(中編)
前編からの続きです。
❄❄❄
「それで……お姉さんの容態は?」
「心配ありませんよ。今は普通に話せるまで元気になってます。ここのところ仕事詰めで、ろくに寝てなかったようで。過労が祟って倒れたみたいですね」
入院棟のリノリウム張りの廊下を、ゆっくりと進んでいく。
氷彗の前を歩くのは、先ほどエントランスで出会った二人だ。
指導教員の飯塚桜とその友人(何故か飯塚はその部分を強調した)、塔山のどか。
氷彗の予想通り、のどかはうららの親戚で彼女の叔母に当たるらしい。
二人はつい先ほどまで、うららの母親のお見舞いに行っていたそうだ。
飯塚からしてみれば、友人の姉の見舞いに県外まで付き添っていることになる。
恐らく、ずいぶんと仲の良い関係なのだろう。
プライベートで指導教員と出会うとは思っていなかった氷彗は、この偶然の出会いに驚きを隠せなかった。
「あの、塔山さんは」
「のどかと呼んで下さいな。うららと混じってややこしいでしょう」
物腰柔らかな口調で、のどかはにこりと微笑む。
三日月を思わせる眉と柔和な唇。それらはうららを思わせるが、笑顔から醸し出される雰囲気は全くの別物だった。
「……では、のどかさん。どうして、私なんかに協力して下さるんですか? 初対面で素性も知らない私なんかに」
「あら、素性なら桜が保証してくれましたよ。あなた、彼女の研究室の学生なんでしょ?」
「は、はい」
「そして、うららの親友で……あの子の事が心配になってじっとしていられず、勢いでここまでやってきた」
「…………はい」
受け答えをしていると、徐々に視線が下がっていく。
第三者目線から改めて説明されると、自分の行動は何と恥ずかしいものなのだろう。まるで、愛が重すぎる恋人のそれではないか。
むずむずと全身が痒くなって、氷彗は思わず腕をさすった。
「なら、理由は十分じゃないですか?」
「十分、でしょうか?」
「えぇ、私にとっては……実は私も昔、好きな人を追いかけて海外まで飛んだことがありまして」
ごほっ、と。
のどかの隣で唐突に飯塚がせき込んだ。風邪気味なのだろうか。
そんな彼女をほほえましく見つめ、のどかは続ける。
「だから、あなたみたいな子を見ると、つい応援したくなっちゃうんです」
廊下の突き当たり近くで、彼女の足が止まる。
どうやら目的の病室までたどり着いたようだ。
銀のドアノブは窓から射し込む西日を跳ね返し、ギラギラと輝いていた。
「任せておいて下さい。姉の方には、私からも話を通してみますから」
❄❄❄
そんな思わぬ協力もあり、うららと母親の間にあった過去を氷彗は知ることになった。
語られたのは、うららの父親についてだった。
うららの父親は、十年ほど前からずっと物忘れに悩まされていたらしい。
言いたかったことが頭から抜けるのは日常茶飯事で、その他にも約束を忘れたり、日時が飛んでしまうこともしばしばあったようだ。
「忘れっぽいなぁ、お父さんは」
うららはそんな父親をからかうだけで、責めたことなど一度もなかった。
忘れっぽいというのは可愛らしい個性の一つで、家族の誰もがその欠点を受け入れていた。
だが、うららが高校三年生の時。
それだけでは片付けられない事件が起こった。
二十年以上通い慣れた職場までの道のりで、うららの父親は数時間迷ってしまったのである。
まるで、突然見知らぬ異国に飛ばされてしまったかのように。
自分が今どこにいるのか、完全に分からなくなってしまったのだ。
さすがに異常を感じた彼は、うららの母親と共に病院へ向かった。
そこで言い渡された病名は【若年性アルツハイマー】だった。
一般のアルツハイマーより二十年以上早く発症するこの病気は、後に家族性の遺伝子異常によるものと判明した。
それはつまり、この病気が娘であるうららにも50%の確率で遺伝しているという事を意味していた。
うららの両親は、この事実を彼女に伝えることが出来なかった。
せめて娘が成人するまで、いや受験が終わるまでは待とう。
そう言って問題を秘密にし、引き延ばしにしてしまった。
幸か不幸か、受験勉強に集中していた時期であったため、うららに何かを悟られることはなかったらしい。
だが、そうしている間にも父親の病状は着々と進行していった。
彼には、やはり同じ病気を患っていた祖父がいたらしい。
末期には病状がひどくなり、その介護を巡って彼の家族は取り返しがつかないほど不仲になってしまった。
そんな悲しい過去があったのだ。
そのことをトラウマに感じていた彼は、愛する家族に同じ思いをさせたくないと離婚を申し出ていた。
うららの母親は、当然受け入れることが出来なかった。
彼が失踪したのは、その翌月のこと。
律儀に残された離婚届は、病名が判明した日に書かれたものだった。
どうやらその時から、こうすることを覚悟していたらしい。
センター試験が近づく肌寒い冬の日。
吹雪に飲まれるようにして、うららの父親は姿を消してしまった。
どうして!? 答えてよ!——
そう問い詰められても、うららの母親は何も言わなかった。
言えるはずもなかった。
真実を明かすのは彼女にとって重すぎる選択だったし、明かして得られるものはうららの悲しみだけだったからだ。
それならいっそ、何も言わずに嫌われてしまった方がいい。
病気のことについては、いずれ話すべき時に話そう。
そう思っているうちに、一年、二年と時間は瞬く間に流れていき——
気付けば錆び付いた鉄のように、二人の関係は軋んでしまっていた。
☀☀☀
「……私が聞いた話は、これで全部です」
最後にそう言って、氷彗は口を結んだ。
終始淡々とした語りだったのは、感情に流されずにありのままの事実を伝えようとしてのことだろう。
しかし、話し終えた彼女の表情には、悲しみの色が滲んでいた。
「ばっかみたい。私のこと、子供扱いしてさ。一人で全部抱え込んで……本当、バカだよ。大バカ」
強がろうとして吐き出した言葉は、弱々しく震えている。
途中、喉で嗚咽と絡まって、言い終える頃にはほとんど泣き声に形を変えていた。
顎も舌も唇も、うまく言うことを聞いてくれない。
それでも、うららは溢れ出ようとする何かを必死にせき止めて続ける。
「私、どこかで分かってたんだ。お母さんがお父さんのこと隠してる理由って、きっと私にあるんだって。私のせいで、お母さんは苦しんでるんだって……でも、違ったんだね」
無理矢理蓋をしていた家族の記憶。
それをゆっくりと紐解いていく。
今までずっと思い出さないように、距離を置こうと心がけてきた。
だって、過去を振り返ればまざまざと分かってしまう。
母が、どれだけ自分のことを大切にしてくれていたのか。愛してくれていたのか。
そうなれば、母のことを嫌いになることなんて出来ない。
しかし、もう今はそんなあまのじゃくを貫く必要もないのだ。
乱雑に目をこすり、息を吸う。
うららは言いたくて言えなかった想いを、ようやく吐き出した。
「全部、私のためだったんだ……理屈っぽい私が理不尽を受け入れられないの、お母さん知ってたから。だから、下手に悪役を買って出て……私はまんまとそれに乗せられちゃってさ。私もバカだ。親子揃って大バカだよ!」
目の前がカッと熱くなり、視界が涙で満たされていった。
何も見えなくなったうららがバランスを崩しかけると、氷彗が寄り添いそっと肩を抱く。
その手が震える背中に回り、優しく撫でつけた途端、うららはタガが外れたように泣き出した。
想いはとっくに感情の閾値を振り切っていた。
「ごめんね、氷彗。面倒なことさせちゃって」
氷彗にすがりついた手を離したのは、涙が収まった頃だった。
改めて間近で彼女を見つめると、その顔は真っ赤に染まっていた。
「い、いえ! 今回の件は全部、私が勝手にやって事ですから。それより、お母さんとは」
「うん、ちゃんと仲直りしてくるよ。無事退院したら実家にも帰って、じっくり話そうと思う……でも、」
そこで、うららは口をつぐんだ。
心は決まったが、いざ実行するとなると躊躇を覚えてしまうものだ。
どうしても過去の軋轢が頭の隅をよぎってしまう。
「やっぱり、ちょっと気まずいかも……ここ五年くらい、まともに顔も会わせてないし」
ばつが悪くなり、うららは首筋を掻いた。
そんなこちらをうかがい胸の内を察したのだろうか、氷彗はにこりと口元を緩める。
彼女は右手で握り拳を作ると、それをマイクに見立ててインタビューのように尋ねてきた。
「うららさん。おうちの料理で一番好きなメニューは何ですか?」
「……どうしたの、急に?」
「私がお母さんと喧嘩した時は、好きなものを一緒に料理して仲直りしていたんです」
そういうことか、とうららは合点が行った。
遠い遠い過去。
母親と一緒に作った料理を思い出す。
事あるごとに「どうして?」と食らいつき、母を困らせたのはあの頃からだった。
色々作った中で一番好きなのは、シンプルだけど美味しい、幸せの黄色い料理。
「……オムライス、かな」
「いいですね。それなら、今から作りましょう」
「え!? 今から?」
驚いているこちらをよそに、氷彗はやる気満々だった。
うららの右手はたちまち彼女の左手に絡め取られる。
「仲直りの予行演習です」
そのまま手を引かれ、二つの影は階段を上っていった。
向かう先は二人のとっておきの場所。
研究棟のキッチンだ。
後編へ続きます。




