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EX-1 求愛・吸熱・シャーベット(後編)

前編からの続きです。

 ༄༄༄ 


「あの大岩さん、私の重要な役目って?」

「だから言っただろう? 企画会議の一時間ちょっとの間、あの子の相手をしてあげてくれ」

「いや、全然話が分からないんですけど……そもそも誰なんですか? あの子」

「雨晴教授のお孫さんだな」

「雨晴教授って、この企画展の協力者の?」


「そうそう。名知大学環境学部長にして、地質学会の東海支部長様ね。国内外問わず考古学や古生物学方面にも顔が広いから、展示資料集めの交渉にはあの人の協力が不可欠。で、これはその雨晴教授直々のお願いなわけ!」


 大岩はパンと両手を合わせると、懇願するように凪に頭を下げた。


「頼む新庄! これはお前にしかできないことだ。孫がこっちの手中にあれば、企画会議中こちらの要求も通りやすい」

「何ですかその誘拐犯の発想。それに、子供の相手なら米田さんや長原さんの方が慣れてるし、上手いでしょ?」

「しょーがないでしょ! あの子がお前を強くご指名したんだから!」

「……それって、どういう」

「そんじゃ、頼んだよ!」


 質問する間もなく、大岩はバンバンと凪の背中を叩いて貴賓室へと戻っていった。

 凪はため息をつき額に手を添えた。腑に落ちない点が多すぎる。


 しかし、いつまでもこうしてはいられなかった。

 凪は女の子を待たせている科学実験室に急いだ。ここは小学校の理科室のような構造になっていて、月に一度イベントで科学実験が行われる日以外は使われていない。


「お待たせ」

「先生! いえいえ、全然待っておりません」


 木造の直方体の椅子に座っていた女の子は、こちらに気付くとぴょんと立ち上がって、ぺこりとお辞儀をした。すると、小動物のしっぽのようにツインテールがくるりと揺れた。


 こんなに特徴的な仕草を連発する子なら、覚えているはずなんだけどな……と凪は首をかしげる。


「あの……気を悪くしたらごめんだけど、私と君ってどこかで会ってたっけ?」

「はい、先生は覚えていらっしゃらないかもしれませんが。先週、小学校の出張授業でお世話になりました」


「ということは君、豊名小学校の子?」

「はい! 豊名小学校五年二組、出席番号三番、雨晴暮葉です!」


 なるほど、例のイベントか。

 凪はだんだんと事態を掴んできた。


「暮葉ちゃんね……えぇっと、どうして今日はここに?」

「先生に会いに来たんです! 私、前の授業が忘れられなくて。牛乳の白さが雲の白さと同じなんだと教えてもらった時は、本当に感動したんです。まさにパラダイムシフトでした!」

「それは、ありがとう」


「あれから先生に会いたい一心で、こちらの科学館に通ってみたのですが、なかなか会えなくて」

「まぁ、大抵は裏で作業しているからね」

「なるほど、通りで……私は色々と考えた結果、おじいちゃんのコネクションを使うことを思いついたんです。そしたら、やっと会うことが出来ました!」


 小学生の時分に家族のコネクションを利用するとは……彼女は将来大物になるかもしれない。

 暮葉の声色は熱を帯びていて、まるで憧れのアイドルと対面したかのようだった。


「そこまでしてもらって、何と言うか……光栄だよ」


 しかし、会いに来たと言われても、これからどうするものか。

 握手して終わりというわけにもいかないし、アイドルのような披露できる歌もダンスも凪は持っていない。

 

 ふむ、と顎に手を添わせて考えていると、「きゅぅ〜」と暮葉のお腹が情けなく鳴った。


「す、すみません。たくさん話したらお腹が」

「夕飯前だしね。軽くお菓子でも食べる? ジュースとか……」


 言いかけて、凪はある事をひらめいた。企画会議が終わるまで退屈しない方法を。


「……暮葉ちゃん、前の授業の続きをしようか」


 ༄༄༄ 

 

 一階の休憩スペースに設置されている自販機でオレンジジュースを買ってから、凪は実験室で準備を始めた。

 耐熱性の黒い机の上に、給湯室から拝借したガラスボウルと、ステンレス製のボウル、そして大量の氷が入った袋を並べていく。


 準備が終わると、興味津々にこちらを見つめている暮葉の方に凪は向き直った。


「前回は牛乳を使ったけど、今回はこのオレンジジュースを使って、シャーベットを作ってみるよ」


 そのひんやりとした響きのスイーツの名前を聞くなり、暮葉はウサギみたいに飛び跳ねた。


「シャーベット!? ということは、またあのモクモク……液体窒素ですか」

「いやいや、そんなにホイホイ使えるもんじゃないからね、あれ。今回はシンプルに氷で作るよ」

「氷ですか? 冷凍庫とか、ドライアイスも使わずにできるんでしょうか?」

「うん、できるよ。といっても、氷の他にこれも使うんだけど」


 そう言って、凪は白い粉の入った袋を取り出した。「何か当ててごらん」と中身を取り皿に少しまぶして、暮葉に差し出す。その白い粉を指先につけてぺろりと舐めると、彼女はきゅっと顔を歪めた。


「しょっぱい……これ、お塩ですか?」

「そ、温度計見ててね」


 大きなガラスボウルいっぱいに氷を投入して、そこに温度計を突き刺してみる。当然、液晶の示す温度は0℃だ。


 次いで凪は、そのボウルに塩をふりかけて混ぜ合わせていった。ただそれだけ、氷に塩をまぶしただけなのに、温度計の示す数値は0℃を下回り、マイナスに突入した。


 −5℃……−10℃……−20℃と下がったところで、ようやく温度の降下は止まった。


「こ、これは何ですか!? 塩なんて、全然冷たくないのに……どんどん温度が下がってます! 一体どんな仕掛けが?」

「タネも仕掛けもないよ。氷はね、解けて水になると周りから熱を奪うんだ。そして、その水に塩が溶けるときも周りから熱を奪う。熱を吸うから吸熱反応っていうんだよ。その繰り返しで、このボウルの中はどんどん冷やされていくのさ」


 実際には浸透圧や半透膜など、もう少し突っ込んだ説明が必要だが、今はこれくらいで良いだろう。徹底した正確無比は、却ってつまらなくさせてしまう恐れもある。


 この温度まで下がれば、シャーベットを作ることができる。凪はすっかり冷えた氷の上にステンレス製の小さなボウルを乗せ、そこにオレンジジュースを注いだ。


 スプーンでかき混ぜていくと、やがて液体の滑らかさが無くなっていき、シャーベット特有のシャリシャリした感触に変わっていった。


「すっごいすごい! おもしろいです!」


 暮葉は目の当たりにした現象に驚き、喜び、ダイヤモンドのような双眸を輝かせている。凪はそんな彼女を見て安心する反面、どこか懐かしいような、それでいて寂しいような言い知れぬ感覚を味わった。


「よし、そろそろ完成かな」


 冷え固まった夕日色のシャーベットを、凪はガラスの皿に取り分けた。

 プラスチックのスプーンを暮葉に渡して、二人は手を合わせた。


「いただきます」


 凪はオレンジの氷の山の頂上をスプーンですくい、口の中に運んだ。途端に氷点下のヒンヤリとした感覚が広がる。咀嚼に合わせてシャリ、シャリと小気味好い食感が返ってきて、癖になりそうだ。


 一方で舌の上に乗せていると、シャーベットはジュワッと溶け出していき、オレンジの清涼感が口内から鼻腔へと駆け抜けていく。甘酸っぱい香りが喉を抜けていくと、体全体に広がっていくように思えた。


「おいしいです!! あんなに塩を使ったのに、全然しょっぱくなくて、オレンジの甘酸っぱさがシャリシャリと一緒にやってきます!」

「そりゃシャーベットには入れてないからね、お塩」


 材料はただの自販機のオレンジジュースに過ぎないが、やはり手作りというものはどこか格別で、最近ますます暑くなってきたことも相まって、シャーベットはよりおいしく感じられた。


「ごちそうさまでした!」


 凪は暮葉と一緒に再び両手を合わせた。

 時計を覗くと、いつの間にか分針が一周している。そろそろあちらの会議も終わる頃合いだろう。だが、目の前の暮葉はまだ全然話足りていない様子だった。


「とてもおいしかったです! それに、たくさんおもしろい話が聞けました」

「よかったのかな……こんな思い付きで」

「とんでもありません! 私、先生の話なら何度だって聞きたいです!」


 そこで彼女は言葉を切ると、いったん深呼吸をして胸に手を当てた。そして、こちらを窺い、慎重そうに尋ねた。


「あの……また、会いに来てもいいでしょうか?」


 甘い声と共に、上目遣いで潤んだ双眸がこちらを捉える。おねだりの仕草としては完璧だ。

 しかし、作為的にやっているようには感じられなかった。もし天然でやっているのならばある種の才能だ。


 なるほど、彼女の祖父が折れるわけである。


「別にいいよ。その時に手が空いてたらだけど。それに、ダメって言ったら君、またおじいちゃんのコネクション使いそうだし」

「そんなこと! ……あるかもしれませんけど」

「あるんだ」


 指摘してもプライドより実利を優先する辺り、やはり彼女は大物になりそうな予感がした。


 話がまとまると、暮葉はすぐにラインの連絡先をせがんできた。

 最近の小学生はハイテクだなと自分の頃とのギャップを感じつつ、特に断る理由もなかったので、凪はIDを教えてあげた。


「あ、届きました。今、確認のメッセージを送りますね」


 見知らぬ葉っぱマークのアカウントから、一通メッセージが飛んできた。

 確認してみると、それは凪の親友がよく使ってくる「大好き」のスタンプだった。


「先生、今日はありがとうございました。大好きです」


 まったく……この子も、うららも、どうしてそんな風にほいほいと好意を伝えられるのだろう。


 凪はあきれてため息を吐く。その行為とは裏腹に、唇の端は吊り上がっていた。

 理由は、自分でも分からないが。


「こらこら。女の子がむやみやたらにそういうことを言わないの。色々、周りの人を勘違いさせちゃうからね」


 まるで昔からの友人を諭すように、砕けた口調で凪は言った。


 こうして——

 ジリジリとセミが鳴き止まない、夏の日。

 沈みかけた夕日が、深いオレンジ色を落とす科学館で。


 彼女とお菓子を作って食べるという、奇妙な関係が始まった。


今回はここまでです。

次回もお楽しみに。

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