政治家とボールペン
とある日の夕刻、総理官邸に於いて記者会見が行われようとしていた。
会見場に立つ総理大臣は柔和な表情を保ちつつも、「決して言質を取られてはならぬ」という言葉を、頭の中で巡らせていた。
「では、ご質問のある方は挙手をお願いします」
司会者のその言葉に、記者達は一斉に手を上げた。司会者がその中の1人を指名すると、指名された記者はスッと立ちあがった。
「総理が御手に持っておられる物は何でしょうか?」
「これは紙等に文字を書く為に使用する物です」
総理大臣は記者をまっすぐに見つめつつ、真顔で答えた。
「それは『ボールペン』ではないのですか?」
「人によってこれが『ボールペン』であると、仰られる方もいると思います」
「しかしペン先に小さいボールがついていて、そのボールを介して、柄の中に入っているインクが紙へと付着する事で字が書ける道具と言えば、それは『ボールペン』だと思うのですが?」
「あなたの意見として、それがボールペンだというなら、それはそれで良いのではないでしょうか」
「では総理はそれが『ボールペンでは無い』と言われるのですか?」
「いえ、そうは言っておりません。あくまで個人、それぞれが判断する物だという事です」
「それがボールペンか、ボールペンで無いのか、『イエス』か『ノー』でお答え頂けませんでしょうか?」
「繰り返しになりますが、あなたの意見として、それがボールペンだというなら、それはそれで良いのではないでしょうか」
「こちらも繰り返しになりますが、『イエス』か『ノー』でお答え頂けませんでしょうか?」
「そういった質問にはコメントを差し控えたいと思います。では次の質問をどうぞ」
記者はその答えに憮然としながらも従い、大人しく席に座った。
「では、ご質問のある方は挙手をお願いします」
司会者のその言葉に、記者達は一斉に手を上げた。司会者が先程とは別の記者を指名すると、指名された記者はスッと立ちあがった。
「では総理、その『ボールペン』の様な道具のインクの色は何色でしょうか?」
「『黒』と言われる色に限りなく近い色です」
総理大臣は記者をまっすぐに見つめつつ、真顔で答えた。
「それは『黒』ではないのですか?」
「『黒』と言われる色に限りなく近い色です。では次の質問をどうぞ」
記者はその答えに憮然としながらも従い、大人しく席に座った。そしてまた別の記者が指名された。
「総理。もしも○○が、○○としたら、どうなさいますか?」
「『もしも』という、仮定のご質問には、コメントを差し控えたいと思います」
総理大臣は記者をまっすぐに見つめつつ、真顔で答えた。
「では、○○が○○を訴える事を決めましたが、どうなさいますか?」
「個別の事案についての質問は、コメントを差し控えたいと思います。では次の質問をどうぞ」
会見は尚も続く。総理大臣は「決して言質を取られてはならぬ」という言葉を、頭の中で巡らせ続ける。
ま、色々と大変だな、ということで。
2020年08月19日 4版 誤字訂正他
2020年05月01日 3版 ちょっと改稿
2019年08月03日 2版 諸々改稿
2019年04月11日 初版