5.
トゥールの街から出て、わずか数分で広がるサコラス平原。そこには様々な野生動物が棲息しており、魔物を含めた生態系が確立されている。平原熊とはサコラス平原に棲まう熊であり、性格は非常に凶暴だ。
「探せば見つかるはずだ。行くぞー」
「ん!」
ふんすっ、と気合を入れるハク。サコラス平原は平坦で見通しの良い場所であり、辺りを見渡せば冒険者が散見される。だが、どの冒険者も駆け出しで、装備も布や革などの安価で防御力が低めのものしか装備されていなかった。
「お、あれは……」
ふいにレイシェドがつぶやく。視線の先には大木があった。大きさにして約7メートルほどの大木はゆっくりと動き出しす。よく見ればそれは大木ではなく、大木のような魔物だった。
「ジャイアントツリーだな。あれの皮は加工すれば軽く丈夫な防具にもできるぜ」
「ん……たおす?」
「防具とかは……いらねえだろ。ま、腕試しにはちょうどいい。ぶっ倒すぞ」
「ん!」
サッとレイシェドが木刀を構え、ハクが閃刃を抜いた。
「好きに動け、合わせる」
「ん……!」
目にも留まらぬ速度でジャイアントツリーの後ろへと回り込むハク。そのまま切り上げた。
「GUOOOOO!!」
「うっわ、めちゃくちゃはえーわ」
大きく仰け反ったジャイアントツリーの正面に飛び上がるレイシェド。そのまま木刀を振り抜いた。ボグッと潰れるような打撃音とともにジャイアントツリーが後ろへ吹き飛んだ。
「あ、ハク大丈夫か!?」
吹き飛ばしてから、すぐ真後ろにいたことを思い出した。
「……むう」
「お、無事か」
「納得、いかない」
無事だった。無事ではあったが、ジャイアントツリーに捕まっているままだった。そのまま同時に吹き飛ばされていた。
「GUOOOOOO!!!」
「うるさい」
ジャイアントツリーが腕を振り回し、頭の上にいるハクを叩き落とそうとする。しかし攻撃を掻い潜ったハクは降りながらも何度も斬りつけていった。
「ん!」
そしてそのまま一気に飛び降りた。
「元気なやつだなおい!」
レイシェドが一気に駆けて抱きかかえた。直後、すぐに復活したジャイアントツリーが腕を叩きつける。
「……いやほんと冷や汗かくぜ。ハク、なんとも……あれ?」
木刀一本で叩きつけられた巨木の腕を塞いだレイシェド。しかし片手で抱いていたハクは消えていた。いつのまにか腕から抜け出し、ジャイアントツリー腕に張り付いていた。そのまま腕を伝って走り、一気に引き裂いていく。
「ええええ!?アグレッシブすぎない!?」
「……ん!」
腕、肩とたどり着き、飛び上がってから頭部に突き刺した。
「これで……」
「まだだから戻ってこい!魔物の仕留め方違うから!」
「え?」
ドガッ、と巨木の腕がハクを弾いた。吹き飛ばされて地面に激突する……直前でレイシェドが抱きかかえる。
「……っぶねぇ……。いいか、野生動物とかだったらあれでいい。けど魔物種は違うんだ」
「……痛い」
「俺は回復魔法使えないからちょっと我慢してろ。んで魔物種なんだけどな、あいつらは体内にあるコアをどうにかしなきゃ大抵は復活する。他にも復活できなくなるまで傷をつけるとかな。まあお前の武器じゃ相性が悪い。あの木偶の坊のコアを抜き取ることを考えた方がいいぞ」
「……どこ」
「あれは心臓の部分だ。結構奥にあるから一苦労するぞ」
「場所がわかるなら……やる……痛っ……」
「ほんっとに威勢がいいことだ。回復薬なら持ってるから使え」
レイシェドは腰のあたりに備えてある魔法鞄から回復薬を一つ取り出す。ハクはそれを受け取ると、一気に飲み干した。
「……ん、イケる」
「若いっていいな。こいつは前座なんだ、さっさと倒して熊退治に行くぞ」
「ん!」
「GUOOOOOO!!」
ナメるなと言わんばかりに咆哮を放つジャイアントツリー。ハクはその叫びを聞いても、微塵も怯まずに駆け出した。空いていた距離を一瞬で縮め、ジャイアントツリーの足に一太刀入れる。
「GUOOO!」
次に反対側の足を斬りつけ、さらに反対側の足の外側へと回って斬る。
何度も繰り返し、同じ場所にはいないように素早く移動しながら斬りつけて行く。やがて捉えきれずに腹を立てたジャイアントツリーが片足を振り上げた。
「むっ……」
今までとは違う動きに若干、怯んでしまう。その僅かな隙に振り上げていた足を地面へと叩きつけた。
「ハク!」
土煙が舞う。ほとんどの視界が失われた。
静寂の中、やがて土煙が晴れると、ジャイアントツリーが足をあげる。そこにハクの姿はない。
「はああああっ!」
「GUOOOO!?」
閃刃をその巨体に奔らせながら駆け上る。ジャイアントツリーはすぐに体を反転させて振り落とそうとした。
「ふッ……!」
直前に蹴りつけ、距離を取るように宙を舞う。そして片手をジャイアントツリーの胸に向け、
「切り裂け!」
伸ばした掌から、魔力が迸る。風が薄い緑の光を灯しながら、ジャイアントツリーの胸元を抉った。
「GUOOO!?」
衝撃で大きく仰け反るジャイアントツリー。
「まだ……!」
地面に着地したハクは、すぐに走り出しジャイアントツリーを登りだす。怯んだままの巨木の胸元へたどり着いた彼女は、小さなその手で突き刺した。
「終わり……!」
「GUOOO!?」
バキンッ、とジャイアントツリーのコアが砕ける音が響いた。ハクが直接砕いたのだ。
ジャイアントツリーは糸が切れるように、崩れ落ちる。彼女は急いで飛び退いた。
「お、っとと……ナイスキャッチ」
再びハクを捕まえることに成功したレイシェドは安堵のため息を密かにこぼしていた。それと同時に、こんなに小さな身でも魔物の討伐をしてしまったことへ、恐怖心や畏怖……興奮も覚えていた。
「よくやったな。まさか単独で倒しちまうとは思ってもなかった」
「……やった」
「はは!喜ぶのはまだ熊を倒してから……と言いたいところだが十分すぎる成果だな。本当によくやったな!」
ガシガシと頭を撫でるレイシェド。少し撫で方が乱暴なのは、やはり興奮が堪えきれていないからなのだろう。ハクも満更ではない顔で受け入れていた。
「少し休憩しようか。回復薬だけじゃ微妙だろう」
「……ん」
とにかく二人は木陰に向かうことにした。
*
平原熊とは、文字通り平原に生息する野生種の熊のことを指す。性格は非常に獰猛で、肉食獣。数こそは少ないものの、商体などが出会ってしまえばかなりの被害が出ることだろう。
「……ぜんぜんいない」
「生息数は多くないからな。それに商隊とかがよく使う表の平原は普段から冒険者が熊狩りをするから出にくい」
「じゃあ……?」
「平原の奥へ行こうかな、と。平原を越えた先にあるグレトラ岩場に平原熊の棲家があるのはよく聞く話だ。その岩場から平原の方まで来ているのを倒す」
「ん……ほんとに、いる?」
「まあ絶対いるとは言わねえけど。けどこの辺りじゃもっと見つからないだろうからな」
「ん、わかった」
「よしよし……さっさと倒しに行こうか」
平原の奥地は、街道などから大きく外れ、人の出入りもかなり少ない場所のことを呼ぶ。商隊や冒険者も特に奥地へと行く必要性が無いので、手つかずのままの場所も少なくない。冒険者の手が加えられないぶん、魔物種も凶暴化している事例もあった。
二人はすぐに準備を終えて、出発することにした。
「そういえば、さらっと魔法使ってたよな」
「……昔、一度だけ見たことがあった。できてよかった」
「何の魔法を使ったのかわかるか?」
「ん……なにかが、ずばばって」
「要するにわかってないんだな。お前が使ったのは風魔法だ。特性は斬撃で……ジャイアントツリーには斬撃特化の風魔法をぶつけたわけだ」
「……風……」
「お前の武器、閃刃の固有能力のおかげであんなに威力の高い風魔法が使えたんだろうな。ほかにも雷属性の魔法も強化されるてると思うぞ」
「……レイシェドは、魔法つかう?」
「使うぞ。……というか、俺のことはシェドでいいぞ。あとは言い忘れてたけど、俺は魔剣士だ」
「魔……剣士……?」
「ああ。……この際だし、特異能力とかも説明しておくか。魔法ってどうやって使ってるか知ってるか?」
「しらない」
「即答かよ」
ガクッと肩を落とすレイシェド。
「いいか、魔法っていうのはな」
アステルトに生きる人間はみな、内側に魔力を持っている。魔力と呼ばれるそれは、魔法を行使する際に消費されるエネルギーだ。おおよそ16歳まで魔力量は増えると言われている。
この魔力を使うことによって、今度は外側、大気中の魔力が作動する。魔素と呼ばれ、空気と同じようにそこに存在する。
魔法を使う人間が、魔力を使い、魔素が反応して魔法が出来上がる。それが一般的な魔法だ。
しかし、魔法とは似て異なるものも存在し、魔術と呼ばれる。現象こそ魔法とほとんど変わらないが、その原理は魔力を外側に直接放出して発動することにある。身を削るにも等しい業でもあるため、魔物種以外は使うことすら難しい。
「ま、つまりは体の中からこう……グッ、とやったらボンッ、と出てくるみたいなものだな」
「なるほど」
「……俺の説明でわからねえって人多いんだけど、ホントに大丈夫か?」
「ん。グッ、ボンッ。……雷、どん」
バチィッと近くの木に雷が迸った。
「……あ、うん。できてるけどむやみに使うなよ。あの木だって生きてるんだからな」
「……ん」
*
「……特異能力って?」
「ん?」
「焔、言ってた……シェドに聞いた方が、早いって……」
「あ、すっかり忘れてたな。ここ最近増えてきたやつでな。突然変異とも、神の御業とも……まあよくわかってないのがあるんだよ。ハクは魔法にもちょっとした適性があるのを知ってるか?」
「しらない」
「そうか。魔法にも様々な属性があるだろ?属性には使う人によって適性ってものがあるんだ。といっても威力とかが2割増減するくらいなんだが……最近増えてきた特異能力者の一番多いやつは、《一点魔法》と呼ばれるやつだな」
《一点魔法》。本来ならアステルトの住人は、魔力が許す量の魔法なら何でも使用できる。適性が存在するものの、消費する魔力が増減するくらいで気にして使う人は多くない。しかし《一点魔法》はその例には含まれなかった。適性属性以外の魔法を使うことができない。正確にはすべての魔力を使うほどに消費が大きくなる。だがその逆、適性属性は魔力を消費することなく使い続けることができるのだ。
「便利なんだか不便なんだかわからない話だけどな」
「シェドも……《一点魔法》?」
「いや、俺は別……《魔法装備》ってやつだ」
「《魔法装備》……?」
「世にも珍しいって話だったが……俺以外にいないらしい。名前も俺と……まあ付き合いのあるやつで決めたからな」
《魔法装備》。レイシェドが持つ特異能力であり、他に目撃例が上がっていない。能力としては名前の通り、魔法を装備することができ、様々な効果を得ることができる……が、魔法は同時に装備できない。
「魔法と剣、どちらも使うからこそ魔剣士を名乗ってるんだ。ま、この辺りじゃあ木刀一本で十分だけどな」
*
平原からしばらく歩き続け、地面に所々石が転がり始めた。順調に岩場の方へ近づけていることがわかったと同時に、熊の棲家に足を突っ込み始めていることは2人も気がついていた。
奇襲を受けないように警戒を強める2人。歩き続ければ、やがて大きな岩が散見するようになった。
「……ここいらで進むのはやめておくか」
歩みを止めて、呟く。横を歩いていたハクも倣って立ち止まった。
「気配がしたら気をつけろ。今は……何もないが」
周りを見渡しても岩。小さな虫や鳥たちは見えても、熊の姿はどこにもなかった。
恐らくは巣穴の中に身を隠しているのだろうか、と考え、平原熊よりもその巣穴を探すことにした。自然にできた洞穴の中に棲む平原熊。5つほどの丁度よさげな洞穴を確認したレイシェドは、そのうちの一つへ近づいた。
「……いなさそうか?」
少しだけ中に乗り出してみるが、光も通らぬ暗闇には、気配はなかった。他の洞穴も同様に探索をしてみるが、どれももぬけの殻となっていた。
「おかしいな……大体この辺りにはいると思ったんだけどな」
顎に手を当てて少し思案する。ここに居ないとなれば、もう少し離れた場所にある巣穴にいる可能性がある。平原熊のことはまだ探せばいいことだと思うが、ここに一匹も居ない状況というのがレイシェドに違和感を与えていた。
「……考えても仕方ないか」
今は平原熊を倒すことが目的だと、考えを振り払った。
「ハク、もうちょい先に進むぞ」
「……ん」
先ほどまでの警戒をせずに、さらに奥へと進む2人。レイシェドは気にしている様子はなかったが、ハクの尻尾は逆立ったままだった。
草木がほとんど無くなるような岩場で、大きな音が響いた。なにかが砕かれるような音だった。
「……!?」
「お、今回はいたか」
人一倍に五感に優れるハクは、突然の音に驚いて体を固まらせていた。レイシェドは特に驚く様子もなく周囲を警戒する。
「あっちだろうな。行くぞ」
「ん……」
音の鳴る方へと進む2人。その先には茶色い体毛の熊が一匹、壁に向かって爪を振るい続けていた。
「さっきからの音はあれだな。巣穴を掘ってる」
「……すごい、ちから」
「そういうことだ。平原熊の攻撃はどれも強力。一度喰らえばひとたまりもないと思え」
「ん……」
「とりあえずもう少しだけ接近してみよう。あとは不意をついて……ぶっ倒す。いいな?」
レイシェドの問いかけに、ハクは静かに親指を立てた。
「よーし。ならあっちの方だな。なるべく静かに行くぞ」
平原熊の死角となる方へ静かに動く。岩壁を掘り続けている平原熊は、一心不乱にその剛腕を使っていた。その腕から放たられる一撃は、尋常ではないだろうということはハクでも理解できる。だからこそ不意打ちという手段には反対の意思はなかった。
――――コツッ
「っ……やっべ。小石蹴っちまった」
小さな石が、コツコツと音を立てながら転がっていった。すぐに平原熊へと視線を戻すと、そこには変わらずに岩壁を掘り続ける姿があった。幸いにして気づかれていなかった。
「ふう……流石に焦ったぜ……」
安堵に岩へと寄りかかった。だがそれが悪かった。岩と岩の間に絶妙なバランスで立っていたそれは、大きな音を立てて転がった。
「……シェド」
「本当に申し訳ないと思っている。けどこんなことになるなんて思いもしないだろ」
「……言ってる場合じゃない」
「GAAAAAAAAA!」
レイシェド達に気がついた平原熊は、猛スピードで接近し、牙を剥いて飛びかかってきた。
「あぶね!」
バックステップで回避。しかし平原熊はその巨体に似合わず素早かった。次の瞬間には、鋭い爪を露わにして殴りかかっている。
「このォッ!」
レイシェドが背中の木刀を抜いて、腕を受け止めた。一瞬の拮抗。だが彼の腕力は敵わず、吹き飛ばされた。
「ぐっ……!」
そのまま岩に叩きつけられる――直前に体をひねり着地を決めた。
「GAAAAAAA!」
今度は全力の突進攻撃。だがレイシェドもやられてばかりはない。平原熊の上を転がるようにして受け流した。
「ハク!こいつは野生種だ!わかったな!?」
「ん……!」
レイシェドは木刀を構えて平原熊を警戒し、ハクは閃刃を抜いていつでも飛び出せるように構えた。
「さて、俺のせいとは言え、真っ向勝負だ。油断したら一瞬で狩られる……分かってるな?」
「ん……いける」
「よし、いくぞ!」
平原熊が吼える。空気の振動すら感じる咆哮だが、2人は物ともせずに駆け出した。
「《魔装》――炎属性!」
レイシェドと、木刀の周りを紅い炎が渦巻いた。炎の明かりを灯した木刀を振り下ろす。
「GAAAAAAAA!」
「っとぉ……耐えるか」
ガツンッと音を響かせ、平原熊がレイシェドの一撃を防いだ。しかし《魔法装備》によって渦巻いていた炎が、平原熊の腕を焼いた。
「GAAAAA!?」
熱さと痛みに大きく仰け反った平原熊。その隙をハクは見逃すことはなかった。
「そこ」
一閃。ハクの一撃が平原熊の胴を切り裂く。
「オマケだ!」
さらに追撃。レイシェドが炎を纏ったまま、平原熊の腹を打つ。くの字に折れ曲がったところ、顎へと更に強烈な一撃を叩き込んだ。その一撃は平原熊の脳を揺らした。一瞬だけ立ち上がった平原熊は、バランスを崩して倒れる。
「終わり」
再び立ち上がることも叶わず、飛び上がったハクが、閃刃を頭蓋へと突き刺した。ビクンッと痙攣を起こし、平原熊は動かなくなる。
「……ぶい」
無表情のまま閃刃を引き抜いて、小さな手でVサインを作るハク。レイシェドは苦笑いをしつつ木刀を収めて、サムズアップしたのだった。