習作長篇①
永遠の時と夜とを、彼は経めぐってきた。同類のない彼は孤独を感じられぬほどに孤独である。彼は鬱屈していた。漆黒の闇のなかに鏤められた彩とりどりの景色は、彼の心をみたしはしなかった。いや。心などという人間のちっぽけな物差で、彼を計ることはできない。「彼」と呼んでいるが、「彼女」でもかまわない。男でも女でもなく、生殖する同類もない。単性生殖によって同類を殖やす必要もない。彼は永遠を生きつづける。朽ちる肉皮を持たず、意識としてのみ存在している。彼に、距離と時間の概念はない。生物を超越した、高位の生命体である。
極彩色の夜を抜けて、彼は青い星にたどりついた。広大無辺の夜のなかで、ここまでまっさおな星は稀であった。その美しさに憑かれ、少しだけ立ちよることにした。
そこには生命が芽吹いていた。生命の存在は、めづらしいものではない。いくつかの星に、いくつかの下等な生命を見てきた。同じようなそれらよりも高等な生命がその星にはあって、彼の興味を惹いた。彼がこれまで見てきた生命のほとんどは、不定形のどろどろとした半固体である。思惟もなく、分裂と増殖と死をくりかえしている。それより高等なものは、外殻と骨格を持っている。その六本肢八本肢の姿態は多種多様で、彼をたのしませた。だが、それもやがて見あきた。変容はしていくが、彼には無限の時間がある。どの星に降りてもそれらはだいたい、同じことのくりかえしでしかない。
けれど、この星の高等な生命は少しちがっていた。ひじょうにしっかりとした骨格を有し、頭部と胴部と四肢で構成されている。その大きさは、大きくも小さくもない。この星に収まるにはちょうどいいサイズではなかろうかと、彼は思う。彼の興味を惹いたのは、四肢のうちの二肢のみで移動する点である。ほかの星の、六肢や八肢を持った生命にはまるで見られなかった特徴である。基本は全肢を移動に用い、止まって獲物を捕食するときに二肢をつかう。この星にも似たような下等な生命もいるが、肢をあまらせるような生きかたをしない。それらよりも高等な四肢の生命も、この星には多種多様に存在している。二肢のみで立つのは、えらばれたその種のみである。あまった二肢で、さまざまな「創造」をなす。道具をつくり、火をおこす。二肢に道具を持って群れをなしたそれらは、自分たちよりも強力な生命を狩る。二肢のあまりはその非力さを補い、それらは食物連鎖の頂点に立った。
この星の支配者として君臨するそれらのようすを、彼は興味ぶかく鑑賞していた。個々に家を建て、村を構成する。村と村とが争い、併呑をくりかえした一個の村が国を建設する。いくつもの国が勃興しては滅亡する。その興亡のさまは、彼を飽きさせることがない。彼はすっかり、この星が気に入ってしまった。
彼は造物主などではなく、ただの見者である。「人間」を称するこの星の支配者に、彼から干渉することはない。それでも、彼の存在を感じとることのできる人間が何人かいるようである。それが錯覚に基づくものであると彼が断ずるのは、その人間らが彼以外の彼のような存在を感じとっているからである。彼に同類がいたのなら、彼は鬱屈せずに済んでいたはずである。
人間らは、彼のために無人の家を建てた。実体を持たぬ彼にとってそれはまったく無意味なものであったが、彼はそれをおもしろがった。せっかくつくってくれたものならと、彼はそこに居つくようになる。八百万の神の一、「隠似大神命」。彼は人間らにそう名づけられ、「隠似さま」と愛称される。彼の在所は曼殊島嵯貫郡寳雷山隠似神社、山間の森のまんなかにある。人間らの村は山の下の平地にあるが、人間らは足繁くここを訪れる。手を叩いて頭を垂れ、彼に祈りを捧げる。彼はそのようすを興味ぶかげに眺めるだけである。人間らの事情に干渉するつもりはないし、その存在を安堵してやろうとも思わない。
『隠似神社縁起絵詞』なるものが、隠似神社に奉納される。絵を描いた紙をくるくると巻いて木箱に収められた(こういった道具をうみだすあたりも、彼を飽きさせない)それの中味は、彼についてのまったくでたらめな履歴であった。太陽神・日盈大神と月の王・白銀大君の末子として誕生するも、隠形のために気づかれず打ちすてられる。気づかれぬことを嘆き、絵巻のなかの彼はおいおいと泣く。その涙が内海に落ちて固まり、曼殊島となる。「わが姿は見えぬのに、わが涙は形をなすか」と嘆息し、うみだしたこの島の祭神となった......でたらめの出生を否定も肯定もせず、ただただ彼は受けいれた。人間らが彼をどう捉えようと、彼にはなんの障りもない。誤解されている現状はむしろ、彼をおもしろがらせる。彼はおのれが隠似であることを受容する。
タイトルは決まっているのですが、ここでは明かしません。
公募しようと決めたとき、削除します。