幼いわたしたちへの言葉
すべては劇的な映画のようだ、海南子の死体を見つめている紗綾は思った。身体のあらゆる箇所から吐き出され沈んだ赤黒い血は現実的だった日々からかけ離れた映像であり、それを現実として捉えてみることは容易な作業ではない。
なにか異常だ、なにが崩れどこで壊れたのか、紗綾はそっと海南子の死体のそばに座り、生前の海南子の姿を見つめ始めた。
ものうく、死んだ、春陽の明かりに照りつけられ2人は真っ白いベッドに横たわり互いの裸体をじっと見つめあう。
自分たちは他人だが、まったくの他人とは断言できないんだ、だってこんなにも互いの身体を見て恍惚を得ているのだから、ねっそうでしょ海南子。紗綾は思いを口にすることなく、ただ彼女の頬に触れて伝えようと試みた。海南子は伝わったか、伝わらなかったかははっきりとはさせず、仄かな微笑を溢して応答する。
いつもこの笑顔だ、紗綾は知っていた、なにかわからないとき、もしくは困ったときなどには微笑を見せて相手を海南子の持つ曖昧模糊の明るい光の中へと誘おうすることを。
紗綾は微笑ではなくはっきりと意思と音を持った声で確証できる形態として、たった一言、そうね、が欲しい。
けれどもそれは危険を伴っている、必ずしも応答がそうねの『YES』とは限らないのだから、もし別のイヤであったり『NO』の答えが返って来たとしたら、紗綾は考えれば考えるほどよくない方向へと傾いていき、最終的な自らの答えとして、微笑の曖昧性の中に返答を覆い隠してしまえばいいんだ、とし続けて、いいだ、それでいいだ、何も気にすることないんだ、と自分へ送り続けた。
陽射しは力なく微動していき、2人の上を通る。
通るのは力なくても、活動している物事態は烈しく2人の身体を焦がしている。足りない、海南子は微笑を紗綾に称えながら内心呟いた。紗綾の頬に触れる行為があまりに漠然としていて、その意味を読み取ることができないから。彼女は、海南子は生きた言葉が欲しかった。生きた音を持ち合わせた言葉という言葉が。なぜ言葉を使わないのだろう…使わなければ、通じない、通じることがない、はっきりと言ってもらわなくてはならない、頬に触れるだけのこの行為に……これになんの意味があるのだろう?
2人の中には少しずつズレが生じはじめ、紗綾も海南子もただ自分だけの中だけを見ていた。
死者へは花束か…いや、愛だろう叶えられなかった愛を海南子に、紗綾は長い間、回想の中を見つめて帰れない時間から獲得できる時間を見いだした。
血に濡れた服の前ボタンを外し、白い身体が赤く染まった部分を丹念に舐めあげると、白い肌がふたたび現れる。
「海南子、愛してる」
海南子の固まった乳房を触りながら、彼女の顔を見て呟くと、そっと冷えた脣にキスを贈った。