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ゲット・アウェイ・ガールズ  作者: 中條利昭
第二部 〈狂獣〉篇
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閑話 内陸部での食事情

 厳しい寒波が過ぎ去り、コート類を仕舞い始める時期となった。

 一日の訓練が終わると、シオリたちはヘトヘトの体を食堂へ運び、マーラの用意した食事を食べる。そのようなルーティンでしばらく暮らしていた。


「おいしい……ほっぺた落ちちゃう」


 サラダを頬張るユリアがとろけそうな顔をすると、みんなが苦笑する。


「ユリアって、ほんまにうまそうに食べるよな」

「作る側としては嬉しいわ」

「だっておいしいんだもん!」


 〈あの光〉以降、海外の安価な野菜が多く輸入されるようになったため、庶民の手から野菜が離れたということはなかった。しかし品質は下がった。

 内陸部以外で作られる野菜は変わらず生産されているが、需要が上がったため価格は高騰している。その結果、巷で販売される野菜は「安価でまずいもの」と「高価で美味しいもの」に二分されることになった。二年半前にシオリとユリアが食べたステナの宿屋の野菜は前者で、現在〈神の新砦(シン・オウガンツ)〉で食べられているのは後者だ。

 さすがは国の機関と言うべきか、このような贅沢ができるのはありがたいことだった。

 春野菜をふんだんに使った緑黄色野菜やレタスに、四等分に切られたミニトマトが散りばめられている。そこへ酸味と甘みの芳醇なドレッシングが覆いかぶさったサラダは、訓練後の口の中に唾を余分なほど分泌させる。また、この日はサラダの上に薄切りされた牛肉が乗っていた。それだけで食いしん坊なユリアとゼンが叫ぶのは無理もない。ふたりで大皿に盛られたそれを全部平らげてしまいそうな勢いだったが、マーラが全員分均等に取り分け、戦争が未然に防がれた。


「ユリアちゃんはともかく、ゼンはもっと大人になりなさい。シオリちゃんみたいに」

「じゃあ今からウチはシオリの妹になるわ。よろしくね! シオリお姉ちゃん!」

「え……なんかやだ」

「勘当された!」


 そんなこんなで賑やかなこの時間はあっという間に過ぎていく。テーブルの上のものをすべて平らげ、食器を片付けた後、ユリアは天に召されそうな顔でおなかをさすっていた。


「ユリア、幸せそうだね」

「幸せだよ! なんというか、こう、夢みたい」


 夢みたい。

 シオリは深く頷く。

 内陸で保存食を漁りながら暮らしていた頃こそ、実際に存在しなかった夢のように思えてしまう。


「そういえばみんなは内陸でずっと暮らしとったんよな」


 爪楊枝を咥えながらゼンが尋ねる。


「やっぱり、食べ物集めるだけで大変やった?」

「はい」


 答えたのはメアリ。


「飢えを凌ぐために彷徨い続けて腹が減って、やっと見つけて空腹感を満たせたと思ったら、また食料を求めて腹を空かせて。そんな、なんのために生きているのかさっぱり解らなくなるような時もありました」


 そんなこともありましたね、とフミ。

 シオリもユリアも頷く。

 終始そのような苦しい状況だったわけではない。ほんの数度だ。食べるものがあるだけで幸せなのだと、皆で頷きあったものだった。


「そっか。いまは心置きなくたっぷり食べや。ウチのぶんは米一粒譲らんけど」

「大人気ないこと言わないの」


 冗談や冗談、とゼンは笑い、シオリたちへ質問した。


「じゃあさ、狂った獣の肉を食べたりとかは、した?」






 狂った獣の肉を食べるか。

 時間を経るにつれて飢えに苦しむ頻度は増えていた上、彼らと戦うことで余計に食欲が邁進されていたシオリたちがぶつかった議題だった。

 シオリがそれを初めて思ったのは、「この獣はどうもおかしい気がする」という疑念が「絶対におかしい」へと変化し、「〈あの光〉の影響なんじゃないか」と考え始めた頃だった。それ以前に猪を食べたことは数度あったが、彼らが狂い始めてからは自然と食べることを避けていた。

 ある春の夜、まさしく狂った猪を狩った後。焚き火を囲みながらメアリが重たい口を開けた。


「こいつを、食べてみねえか?」


 シオリがそれまでその問いを口にできなかったように、ユリアやフミもきっと同じことを思って、同じように遠慮していたのだろう。全員が避けていた部分へ真っ先に足を踏み入れたのはメアリだった、ということは頻繁にあった。それも、何も考えず、空気を読まずに問うのではなく、しっかりと考え抜き、タイミングと言葉を選んで口を開けている。メアリは、たくましかった。


「はばかられるのは分かる。オレでさえも抵抗があるんだから。だが、こいつらの肉を前にして飢えるのもバカバカしいだろ。〈あの光〉で狂ったところで肉質に変化があるとは、俺には思えない」


 他の三人は何も言えない。メアリの言うことが正論だと思いつつも、そう簡単に頷くこともできないのだ。

 そこで道を切り拓くのは、やはりメアリだった。


「じゃあ、まずオレが食ってやる。それでなんともなければ、お前らも食え」


 きっと苦渋の決断であろうそ台詞を、いつもと変わらぬ口調で言い切る。


「ほんとに、いいの?」

「メアリさんが狂っちゃったらわたしたちどうすれば」

「狂わねえよ。もしそんなことがあれば、ためらわずに殺せ。変な肉を食べて狂った馬鹿な奴だとでも笑えばいい」


 一笑し、メアリは「さ、調理の時間だ」と猪を建物の裏へ引きずっていく。あまり大きくないとはいえ、大柄の大人ほどの体重はあるであろう遺体をロープで引きずるのは簡単な作業ではないだろう。その上、空腹なのだ。

 シオリは手伝おうと腰を上げようとするが、メアリに睨まれ、立ち上がるのを諦める。どうやらシオリの役割はフミたちに寄り添うことらしい。


「メアリさん……」

「だいじょうぶだよ、フミ」


 シオリは笑いかける。


「よくよく考えて。メアリがそう簡単にくたばると思う?」

「思わないです。致死量の毒を盛ってもビクともしなさそうですが、やはり〈あの光〉の影響は得体が知れませんし……」


 震えるフミの手を、ユリアが包む。


「ユリアたちも一度〈あの光〉を受けてるし、だいじょうぶだよ。ユリアならともかく、あのメアリさんなんだから」


 フミと苦楽を共にする中で彼女の育ちの良さを感じることは何度もあった。そんな彼女はおそらく、シオリたちのように田舎育ちで、過去に虫を食べたことがあるような者よりも、清潔でないものを食べることに抵抗があるのだろう。これまでも傷みかけた食べ物を前にして眉を曲げたことが何度かあった。それでもフミは何も言わずに食べた。できるだけシオリらへ嫌悪感を見せぬよう頑張っていた。

 今回は食用肉でない上、正体不明のリスクがあるのだ。フミの苦しみは、シオリやユリアのそれよりも大きいに違いない。そのリスクを身近な人に与えてしまう苦しみも、大きいのだろう。


(フミは、優しい子だ)


 シオリは純粋にそう思う。


「そ、そうですね」


 フミは顔を上げた。震えた声の芯には、メアリへの強い信頼が垣間見えた。


「メアリさんなら大丈夫ですよね。メアリさんの強さは、元から狂ってるみたいなものですし」

「そうそう。共食いみたいなものだもん」

「だね。メアリなら最悪一回焼き殺せば浄化されて元に戻る」






「黙って聞いてりゃてめえら、そんなこと話してたのか」


 ゼンやマーラに説明していると、メアリが首を突っ込んできた。


「シオリ、あとで覚えとけよ」

「なんで私だけ」

「てめえが一番ひどいじゃねえか。なにが焼き殺せば浄化されて元に戻るだ」

「そういうイメージあるから」

「ねえよ」

「あるよね、ユリア」

「うん、あるよ。ね、フミちゃん」

「もちろんです。わたしの、メアリさんへの自信は揺るがないです」

「前言撤回。全員シメる」






 刃物で肉を裂く音が建物の向こうからしばらく響き続けた後、メアリが戻ってきた。拳大の肉塊を串に刺して握っている。シオリたちの元へ再び腰をかけ、串を焚き火に刺した。

 肉の焼ける音、香り、肉汁。それらを眺めながら四人とも口を開けない。表面が完全に茶色く染まっても誰も動かない。焦げ目が目立ち始めた頃、ようやくメアリが「よし」と串を掴み上げた。

 どこから持ってきたのか胡椒を取り出し、肉へふりかける。風に粉塵が舞い、シオリたちの鼻を刺激した。


「いただきます」


 勢いよく肉を頬張る。

 噛み口を眺めながらもぐもぐと咀嚼し続ける。うまく噛みきれないのか、それともこの時間の緊張感が高かったからなのか、この時間が長く感じられた。

 とうとうメアリが喉を鳴らす。


「うまくはないが、食えないこともないぞ」


 噛み口に胡椒を再び一振りし、もう一口。

 食べた途端に倒れるような展開は最初から考えていないが、そうならなくてシオリは安心していた。とはいえ、油断は禁物だ。空腹のお腹をさすり、シオリは言う。


「一週間後、メアリが体調崩してなかったら私も食べるよ」


 すると、ユリアも「そうだね」と頷いた。


「ユリアも食べるよ」


 最後にフミがしぶしぶ手をあげる。


「は、はい。わたしも、食べます」






 一週間後。


「なんともねえぞ。ほら、食え」


 メアリは猪肉の刺さった串を三本、シオリたちへ向ける。

 望んでいた結果ではあったが、いざそれを前にすると腰が引けてしまうのも事実。冷や汗を掻きながら目配せをする。

 そんな中、フミが「で、でも、ほら!」と声をあげた。


「メアリさんって『獣に近い』みたいなところあるじゃないですか! だから――」

「ああん!?」

「ひぃいい!」


 いまのはフミが悪いね、と笑いながら、連帯責任を兼ねてシオリたちは猪肉を食べるのであった。






「あのときは失礼なことを言って本当にすみませんでした!」

「失礼なことは今もたまに言ってるけどな」


 顔を真っ赤にして言い訳を探すフミと、それを見て笑い合うシオリたち。

 そんな日が来ることは願ってはいたが、思ってもみなかった。

 自分たちを見つけてくれたサルコウや、優しくしてくれているゼンたちには頭が上がらない。


「こうやって生きとるってことは、なんもなかったんやな」

「そうですね。ただの猪肉でした。食用でないのでおいしくはないですが、あれはあれで独特の癖があって私は嫌いじゃなかったです」

「ユリアは苦手だったなあ……」


 狂った獣の肉が食べられること。あのときはそれが大きな発見であり、食生活の大きな改善にもなった。しかし、今やそんなことは雑学に過ぎなくなっている。

 そのことに感謝しつつも、昔のことを忘れてはならない。

 シオリは改めて自らに言い聞かせるのであった。

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