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ゲット・アウェイ・ガールズ  作者: 中條利昭
第二部 〈狂獣〉篇
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第四章 4、振り出し

「あれが、〈(ライル)〉」


 マヤの目尻に冷や汗が伝う。


「想像以上に凄まじい力だったね」


 これまで余裕の表情を崩さなかったマユも声を低くした。

 フミが現れたとき、もしもマユがマヤの近くにいて〈(ヴァリ)〉の瞬間移動で遠くへ逃げられなかったら、危なかったかもしれない。マヤは数秒〈(ライル)〉を耐え忍んだものの、数秒が限界だった。即座にマユの元へ飛び、難を逃れたのだ。


「剣を地面に突き刺せば耐えきれたかもしれないが……」


 初見でそんな余裕などあるはずがなかった。


「無理は禁物ね」


 先ほどの〈(ライル)〉は暴走気味だったように思える。意識を失っていたようだし、実際にそうなのだろう。しかし彼女はその力を自らの手で封じ込めた。次からは自らの意思で〈(ライル)〉を使うはずだ。威力は暴走時のものほど強くはならないかもしれないが、あれに吸い込まれれば二度と陽を目にすることができなくなるに違いない。


「メアリ、なんか復活してるわね」


 フミが姿を表す前のメアリはボロボロだった。とても〈(ライル)〉へ近づいていく体力などなかったはず。しかし現在の立ち姿からは、寛解とはいえないもののあきらかな体力の回復がうかがえる。


「ひょっとすると、ふたつめの〈(ミディ)〉を噛み砕いて半分隠し持っていたのかもしれない」

「なるほど。どうりで〈(ミディ)〉使ったわりに元気が少なかったわけ」

「油断しきった私たちを出し抜こうとしていたのだろう」

「でもフミちゃんの登場で止むを得ず先に使っちゃった、と」


 そして、メアリの奇策以上の脅威が現れた。


「気分はどう、マヤ」

「ゾクゾクしている。これほどまでに血が躍るのは初めてかもしれない」

「冷静なあなたのそんな表現、初めて聞いたわ」


 そう笑うマユも、犬歯を輝かせている。


「あのふたりの絆を試させてもらおう」

「わたしたちの絆に、匹敵するのかを」






 メアリの手を握ったまま、フミは離さなかった。その手をメアリは強く握る。


「痛いです」


 フミは握り返す。


「痛くないな」

「仕方ないじゃないですか。メアリさんが馬鹿力な――いたっ」


 フミの脳天へ手刀が落とされる。


「てめえがひ弱だと言え」

「うう……メアリさんがいじめてくる」


 ようやくフミが手を離すと、メアリはその手で彼女の頭を撫でた。不貞腐れたようなフミの顔がほどけていく。

 前にこうして頭を撫でたのはいつだったか――メアリは思う。手が覚えているフミの頭の位置と実際の高さが違う。背が伸びているのだ。そして、自分の背は止まっている。

 ババくさいこと考えちまったな、と一笑し、表情を落とした。


「フミ。念のために聞くが、覚悟はできているか」

「愚問ですね。剣は忘れましたけど」

「奇遇だな。オレの剣は今しがたどこかに消えちまったよ」

「すみません」

「いや、いい。扱い慣れない剣を握るより、拳の方がオレには似合う」


 そう言ってメアリはマヤたちへ向き合う。

 その背中はボロボロに染まっている。その色は、燃えたぎるような赤だった。

 フミはその隣へ立つ。

 マヤたちも横並びでこちらを眺めていた。先手は譲る、ということだろう。


「わたしは、どちらの動きを止めればいいですか」

「どっちがいいんだろうな。情けねえが、なにも浮かばない」


 双子の動きを同時に止めない限り、彼らは互いの元へ――あるいはまったく別の座標へ瞬間移動して束縛を免れるだろう。

 たとえマユの動きを止めたとしても、マヤとの一騎打ちに勝てるだろうか。

 マヤの動きを止めるとしても、マユへ打撃を与えられるところまで近づけるのか。

 手の打ちようがない。フミが自らの闇に勝って参戦してくれたところで。

 そこまでが脳裏によぎり、メアリは笑う。知ったこっちゃねえな、と。

 打てる手がなかろうが、がむしゃらに戦うだけだ。


「吸い込まなければどちらでもいい。いや、片方だけなら最悪吸い込んでもいいと思って戦え」

「はい」


 マヤたちとは目の色が分からないくらい離れている。しかしその立ち姿に、フミは懐古を覚えた。

 二年半前、ルーインに連れ去られて右も左も分からなかった自分に、優しく接してくれた。不安をごまかしてくれた。まさかルーインたちの仲間だったなんて、微塵も疑いはしなかった。


(どうして――)


 フミは疑問を振り払う。何はともあれ、いま彼らは敵なのだ。大切な人を傷つけた、許しを請われてもそう簡単には許せない敵。


「フミ」


 メアリが呟いた。彼女には珍しい掠れた響き。堂々と立っているが、本当はもう限界が近いのかもしれない。


「今からあいつらの能力について教える。だから、なにか策を考えてくれねえか」




     ×     ×     ×




「何匹おんねんコイツら」


 狼の首を切り落とし、ゼンはその血飛沫を躱す。

 次々と襲い掛かる獣を、ゼンだけで十匹は倒しただろう。しかしまだ尽きない。


(さすがに疲れてきたで……)


 汗が全身に張りついている。集中力も時折切れるようになってきた。

 すると残った動物たちが一斉に遠吠えを上げた。突然の音圧にゼンの動きが止まる。

 同時に彼女は条件反射で周囲数メートルに気を張り巡らせる。幼い頃から訓練を繰り返していた彼女は、相手の思わぬ行動に驚愕してしまう瞬間が最も危険だと骨に叩き込まれていた。そのため、この瞬間に彼女の瞬発力がピークに達する。

 周囲を動く気配はない。

 この音に何かの接近を紛らわせるつもりだとゼンは踏んでいた。ゼンに近づく者がいないのであれば、シオリかユリア――おそらくは、


「ユリア!」


 勘は当たっていた。

 ユリアへ猪が接近していた。

 そして、ユリアは猪へ銃を向けていた。






(やっときた――)


 ユリアは緊張で不安定に鼓動する心臓へ左手を当て、右手に握った拳銃を猪へ向ける。

 数多くの猿や狼、猪がユリアたちに襲いかかっていたが、その全員をゼンとシオリが仕留めていた。ユリアのそばに来る前に。

 戦いに慣れておらず瞬発力も低いユリアにはありがたかったが、情けなくもあった。しかし自分から攻める勇気もないし、そもそもユリアの〈魔力(マ・ラギ)〉はそれに向いていない。だからせめて、一歩離れたところから冷静に戦況を観察、考察することにしていた。

 これまで出会った獣たちは、ただ餌を求めて猪突猛進していた。群れることもない。

 しかし、今回の彼らは群れを作り、互いに意思を取り合いながら――あるいは誰かに操られてるみたいに、頭脳的な戦いを繰り広げていた。

 その中で、ユリアは感じていた。シオリとゼンが少しずつユリアから離れていっていることに。きっと、シオリたちに察せさせないよう緩やかに誘導しているのだ。

 となれば、きっとどこかで意表をついてユリアを狙ってくるはず。

 だからユリアは一斉の雄叫びに動じなかった。来るぞ、と自らに言い聞かせ、ゼンとシオリにとって死角になる方角へ銃口を向けた。

 予想通り猪が猛進しているのを見て、手汗でグリップが滑りそうになる。殺傷能力のない銃だとはいえ、実戦で使うのは初めてだった。

 失敗すれば助からない。

 グリップを強く握り、ユリアは引き金を引く。

 そこから飛び出したのは鉛の塊――ではなく、水だった。

 すなわちそれは、ただの水鉄砲。薬品が入っているならともかく、装填されているのは文字通りの水。子供が遊びで使うものより勢いは強いが、人の肌でさえ傷つけることはできぬ代物。

 走る猪は急ブレーキをかけて速度を落とす。普通の狂った獣であればするはずのない躊躇い。

 自分に視線が集中するのを感じる。シオリやゼンと対峙する動物たちの目さえ、実際にユリアは引きつけていた。

 ユリアへ向かう猪はきっと、彼女の背後で仲間たちが火だるまにされ、血飛沫を上げるのを目にしているだろう。

 呆気にとられていた猪は我に帰ったのか、再び助走をつけた。ユリアとの距離は十数歩。速度が頂点に達していなくとも、体の弱い女子供を吹き飛ばし、踏みつけ絶命させることは容易いだろう。

 相手がユリアでさえなければ。

 彼女は再び水を放つ。猪は止まらない。今度こそ足を止めるべきタイミングだとは露知らず。

 ユリアは唱える。


(冷たくなって!)


 彼女から放射状に伸びる水が、瞬時に氷へ変わる。ユリアと猪をつないでいた液体が固体に変わると、顔を濡らされていた猪の視界は完全に奪われる。

 眼球ごと凍らされた猪は平衡感覚をも失い、足を躓かせる。氷の柱の強度は強くないため、それは瞬時に弾け飛ぶ。地面に体を滑らせる猪をユリアは躱す。

 みっともなく仰向けに倒れ足をばたつかせる猪の腹に、ゼンの剣が刺さる。


「ナイスやで、ユリア」

「緊張しました……!」

「ユリアがあいつらの気を一斉に引きつけてくれたおかげで、一気に仕留めることができた。あとは、」


 シオリの元にいる一匹のみ。

 彼女もユリアの作った数秒の隙に多くの獣を仕留めていたが、一匹だけ取り逃がしていたようだ。


「あの一匹はシオリに任せるか――ん?」


 シオリの動きは、ユリアにはいつも通りの俊敏なものに見えた。しかし、直感と目の肥えたゼンはかすかな異変を見逃さない。


「あいつ、怪我しとるな」

「え」

「しかも、よりによって右足」


 狼の牙を飛び避けた後の着地時、シオリは左足に重心を乗せていた。右足をかばっているのだ。

 彼女は人間離れした脚力で退き、距離を取る。左足から地面を踏むが、その後に後方の右足で勢いを殺し、右手に力を溜めるのがシオリの癖だ。着地の瞬間に自身の癖を気づいたのだろう、もたついた動きが見られた。右足の負担をできるかぎり左足へ逃がす訓練はしていたが、実戦でいきなりうまくできるものではない。体を支えきれずに倒れてしまった。


「しもた!」


 血に飢えた牙が、ふくらはぎへ迫る。






 足首を捻ったのは、狂った獣たちが一斉に鳴いた時。彼らの息のあった動きには何度もゾッとさせられていたが、あの瞬間は最高潮に気味が悪かった。気を取られ、背後への着地の際に足を挫いてしまったのだ。

 ユリアが作ってくれたチャンスに多くの敵を葬ることはできたが、その一瞬に全霊をかけたことが怪我に拍車をかける結果になってしまった。

 取り残した一匹から距離を取ろうと飛んだ時、無意識に体が右へ開かれた。普段から身に染み込ませていた動き。足を挫いた時と同じ動き。

 しまった――と着地寸前に思うも遅すぎた。訓練通りの動きができず、半身をひどく地面に打ち付ける形になる。

 皮膚を引き裂かれるような疼痛に視野が細まる。

 まぶたの隙間からは、襲いかかる狼がスローモーションで見えた。


(もう駄目だ)


 鋭利な牙が自らの脚を食らうのを覚悟した刹那。

 先ほど自分が足を躓かせたあたりで、狼の体が傾いた。


(え)


 狼の足元から、濃い桃色の物体が宙へ浮かび上がった。

 ハムだ。狂った獣をおびき寄せるためにゼンが撒いたハム。

 狼はそれに運悪く足を取られたらしく、シオリの足先の左側へ体を引きずらせて倒れた。

 ただの狂った獣であれば考えるまでもなく即座に体を起き上がらせるだろうが、この狼は戸惑っているのか起き上がるのに数秒かかっていた。それだけの時間があれば、ゼンが彼の体を引き裂くのに充分だった。


「シオリ!」


 狼の血がかかったシオリの顔を拭い、ゼンはシオリから靴を脱がせる。


「ユリア!」

「はい!」


 ユリアは水鉄砲でシオリの足首を濡らし、温度を下げた。沁みるような氷水に一瞬だけ痺れるが、次の瞬間からは熱く膨れ上がるような痛みが弱まった。


「ありがとうございます。ゼンさん、ユリア。噛まれたとかじゃなくて、ちょっと捻っただけなので」

「それならよかった。よし、肩貸せシオリ」


 ゼンがシオリの右腕を自らの方にかけると、ユリアも「手伝います!」と左側を支えてくれた。


「すみません」

「いやいや、あそこまでの危機的状況に追い込ませてしもうたのはウチの監督不手際や。謝るべきなのはこっち。ごめんな」

「いえ、ゼンさんは何も悪く」

「さ、戻るで。左足は動かせるか?」

「あ、はい」


 左足を浮かせ、ふたりの肩に支えられながら歩いていく。ふたりがゆっくり歩いてくれるのが、心地よかった。


「にしても、こんなこともあろうかと設置しといたハムが役に立ったな」

「絶対嘘だ」

「そんなこと言うなって」


 ゼンが冗談を飛ばして笑うと、上がりっぱなしだった横隔膜が下がる安堵を覚えた。

 辺りには獣たちの死骸や血だまり、肉片が散らばっている。一旦ゼンの車まで戻って休んだ後、片付けに来なければならないだろう。


(それにしても――)


 彼らの動きは異常だった。狂った獣としても、そうでない野生の獣としても、あれほどまでに統率のとれた攻め方ができるものなのだろうか。あれは、獣の思考というよりは、人間の思考のよう。


(何らかの手段で彼らを操っている者がいるのかもしれない……)


 操っているとしたら、誰が。

 シオリの脳裏に真っ先によぎったのは、〈あの光〉を作り、内陸部を殺戮と混沌に貶めたあの男。

 狂った獣は〈魔の穢れ(マ・ゾルミ)〉を生産した際の副産物のようなものだと、シオリは思っていた。つまり彼らの存在自体には意味がない、と。しかし、獣たちが操られているとなると話は違う。彼らは立派な手駒なのだ。

 サドの目的は何だろう。国民を大量虐殺したいのだろうか。あるいは国を乗っ取るようなことを。


(いや、)


 シオリは否定する。彼らの裏には政府がいるのだから。

 思考は振り出しに戻る。この数年、ずっとそれを繰り返すばかりだった。

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