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ゲット・アウェイ・ガールズ  作者: 中條利昭
第二部 〈狂獣〉篇
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第四章 3、熱

 マーラは車を止める。メアリたちがいると思われる場所までまだ少し距離はあるが、これ以上近づくと気付かれる可能性があった。


「気付かれてもいいんじゃないかい」


 マーラはそう主張した。しかしフミは首を横に振った。


「奇襲をかけますから」

「秘策はあるのか?」

「もちろんです」


 もちろん――ない。しかしあたかも「ある」かのように頷く。そもそもメアリたちの状況さえわからないのだ。まだそこにいるとも限らない。策などあるはずもない。

 フミとしては、マーラを危険に晒したくなかったのだ。しかしその理由だとマーラが納得して引き下がってくれるとは思えなかった。


「そっか、気をつけてな、フミちゃん」

「はい」


 シートベルトを外し、外へ出る。サイドミラーが捥がれ、泥だらけ凹みだらけの車体は、乗った時とは同じと思えぬ無残な姿だった。

 ドアを閉めようとした時、マーラが歯を見せた。


「わたしもこっそり近づく。ふたりの状況がやばそうだったら、参戦するぜ」


(参戦ってどうやって……)


 嫌な予感しかしない。

 フミは考えないようにし、不安を押し隠しながら無理やりに口角を上げた。


「はい。いざという時は、わたしたちを連れ帰っていただければ嬉しいです」




     ×     ×     ×




 腹を蹴られたと思ったら、腰に痛みが走った。木へぶつかったのだと理解した途端、勢いのまま頭をぶつけてしまう。メアリは力なく木にもたれかかりながら倒れた。

 あちこちがジンジンする。身体のどこが悲鳴を上げているのかわからなかった。吐き気がする。吐くものはない。砂と汗の味だけがある。


「二対一にしてはよくやった方なんじゃない?」


 既に勝った気でいるマユの言葉に、もはや怒りすら湧かない。


「そうだな。ここまで粘ったのなら賞賛に値するだろう」

「さあ、お家に帰りましょうねー」


 しかし。


「まだだ……」


 上体を支えるだけで限界なはずの両腕を地面に押し付け、小石を手のひらへ食い込ませ、震える体を無理やり起こす。


「まだ立ち上がるか」

「データ収集も充分やったし、わたしたちとしてはもうこれ以上続けなくてもいいんだけど」

「〈(ミディ)〉はもう尽きたから、回復させてやることもできないぞ」


 双子がひとつずつ持っていた得体の知れない薬。すでに二度、メアリは死に迫り、両方を使っている――と双子は思っているだろう。

 しかしメアリはふたつめの〈(ミディ)〉を使った際に錠剤をふたつに砕き、片方だけを摂取してもう片方を懐へ忍ばせていた。いざというときに、一矢報いてやろう、と。たとえ勝てる見込みがなかろうと。


「ちゃんと本部まで送っていくよ?」

「うるせえよ……」


 これ以上続けるメリットは、メアリ自身も見出せていない。

 それでも。


「立ち上がる気力はまだ残ってる……残ってるのに諦めるような情けないツラを、フミに見せるわけにはいかねえんだよ……」


 五歩ほどの距離にマヤ。その二十歩後ろにマユ。

 ずいぶん距離があるというのに、耳が感じた距離差はほどんどなかった。聴覚まで狂ってきているらしい。視界も薄い膜を張ったみたいだった。瞼は重たい。

 一歩踏み出し、マヤへ光線を放つ。そこにマヤの姿はなかった。


「反応速度さえ死にかけているようだな」


 背中に衝撃が走る。声が先だったのか、衝撃が先だったのかの判別さえつかぬまま、メアリは地面に叩きつけられ、丸太のように転がる。


「まだ、だ……」


 いくらみっともない姿だろうと。

 いくら勝ち目が見えなかろうと。

 いくら無様な負け方になろうと。


「瞼の裏に大切なものが映る限り、オレは起き上がり続ける」


 かすれた声は誰にも届かない。

 薬を飲みたくてたまらない。でも、まだだ。


「声もボロボロね。なに言ってるか分かんないわ。あー情けない情けない」

「まったくだ。尊敬に値する情けなさだと言えよう。戦士としての敬意を評し、次の一撃で楽にさせてやる」


 さきほどメアリがいたところにマヤがおり、メアリは双子のちょうど中間にいる。ずいぶん転がり続けたな、とメアリは自嘲し、砂と血の混じった唾を吐いた。

 マヤがレイピアを構える。

 あれが、自分のどこに刺さるのだろうか。

 もう一度フミの顔を見ることができるのだろうか。

 あの無垢な笑みを、もう一度。


「来やがれ……」

「メアリよ、眠るがいい」


 パキッ、と乾いた音が響いたのは、その時だった。

 マヤは足を止め、振り返る。その動作に、メアリは音の方角が彼女の背後――メアリが一度ぶつかった木のそばだと気付かされた。

 そこにいたのは、マヤよりもひと回り小さな影。


「……フミ?」


 視界がぼやけ、はっきりと見えない。しかし見間違えるはずもない。少女がマヤへ腕を伸ばしたことも、目より先に第六感が理解した。

 少女は声を張り上げる。


「これでも……くらえ!」


 どうしてフミがここにいるのか。ここに来るまでに何が起きたのか。

 メアリには何もわからなかった。

 しかし、フミがこれから何をしようとしているのかは、鮮明に解る。


「フミ!」


 メアリの叫びが、暴れ狂う闇に飲み込まれる。




     ×     ×     ×




 フミに迷いはなかった。傷つくメアリを前に、この力を人に向けることの危険性など考えてはいられない。

 自分の意思で力を使ったことはなかった。だから、いざ手を向けても、力が放たれることはなく、空振りに終わるかもしれないとは思っていた。

 しかし、放出された重量感は暴発した時と変わらなかった。自らの手に引っ張られる感覚。地に足がついてるのかも判らなくなると、視覚が、聴覚が、消えていく。

 残されたのは、真っ黒な虚無。光すらも吸い込む、非現実な黒。そこへ、濁った靄が浮かび上がってくる。黒いのに、周りが黒すぎて明るく見える、黒色だった。

 それは、自らの感情。

 暗色の記憶。

 最初に聞こえたのは、鞭の音。


 ――この出来損ないが!


 背中に走る激痛。脳を萎縮させる痺れ。

 それを合図に、一時は堰き止めていた濁流が罅を広げ、遂に崩落する。

 あのとき、欲に負けず屋敷へ戻っていたら、どうなっていただろう。


 ――フミお嬢様のおかげで、私まで鞭に打たれることになりました。


 冷淡な使用人の声。

 実際に彼女が口にしたわけではない、妄想の言葉だった。


 ――あなたを甘やかした私が馬鹿でしたた。お嬢様のような馬鹿を信頼した私が馬鹿でした。


 仮面のようなサキの表情を見るたび、フミは彼女の仮面の裏を想像していた。考えたくもないのに勝手に脳が動き、自身の耳許へ囁くのだ。


 ――あなたが鞭に打たれたのは、せいぜい身体でしょう。腕で顔を庇い、その上品な顔は死守したのでしょう。さすがはお嬢様です。


 やめて、と耳を塞いでも、歯擦音すら防ぐことはできない。


 ――しかし私は自らの罪を受け止め、鞭を食らいました。馬鹿正直だったが故に、顔へ永久に残るかもしれない傷を刻んでしまったのです。同じ女なら、この屈辱はお分かりでしょう。


 やめて!

 耳を殴り、目を覚ました深夜。右耳が膨れ上がっているみたいに痺れ、烈しい耳鳴りが脳を周回する。


 ――たとえあなたが耳を削ぎ落としたとしても、私の傷は治らない。


 夢から醒めたのに、サキの声は耳の奥にこびりついたまま剥がれない。


 ――あなたは一生、苦しみ続けなければならない。それなのに、あなたは私が死んだ後、群れを作って楽しんでいる。

 ――許せない。

 ――庶民から肉を奪うのは楽しいか?

 ――大勢が死んだところで火を囲むのは楽しいか?

 ――私たちのことを忘れ、衣食住の整ったところに拾われて暮らすのは、楽しいか?

 ――その上、民を救うために働いてるなんて、さぞかし充実していることでしょう。お爺様もきっと喜んでくださるでしょうね。

 ――羨ましいです。あなたが嫌っているお母様や、あなたを恨んでいる私が死んだなんて。しかもあなたは、気に入らない人間を簡単に殺すことができる力を手に入れた。ああ、なんて楽しい人生なのでしょう。そうは思いませんか。


 ――思う。


 その三音が誰の声なのか、すぐには判らなかった。


 ――羨ましいなあ。そうやって自分が殺した人間さえ忘れることができるなんて。あたしもその図々しさが欲しいよ。


 ロロ?


 ――やっと思い出してくれた? さすがは綺麗なお屋敷に住むお嬢様。あたしらみたいな庶民とは違って頭がいいんだね。


 そんなこと……。


 ――あたしはお前の中にいる。お前があたしを忘れようと、あたしはお前を内側から苦しませ続けてやる。


 〈あの光〉の朝が思い出される。

 朝ごはんを食べていたとき、突然光に飲まれ、気がつくと母も父も、サキも倒れていた。

 なにもわからず慌てていると、呼び鈴が鳴った。母やサキがいるときに来客へ応えたことはなかった。でも、あの場で出ることができるのは自分だけだった。助けを呼びに行く思いで玄関へ降り、扉を開ける。門の向こうに立って鉄柵から顔を出していたのは、ロロだった。


「あ! フミ! よかった!」


 ――死んでいればよかったのに。


 あの時は聞こえなかった彼女の声が聞こえる。

 また、「よかった」と思っていたのはフミもだった。あの一件以来彼女を見かけることも、声が聞こえたこともなかったから。


「どうしたの、ロロ」


 フミの問いかけには答えず、ロロは何かに怯えるように振り返ったと思うと、震えた声で門を叩いた。


「早く開けて! いいから!」

「え?」

「早く!」


 戸惑いつつも門へ走り、(かんぬき)を外す。すると、飛び込むようにしてロロが入ってきた。


「ロロ?」

「閉めて!」


 ロロは投げるように門扉を閉じ、閂を挿すように促す。

 フミは鉄柵の隙間から外を見た。その目に映ったのは、少女だった。餌に飢えた獣のように走ってくる少女。


「早く!」


 ロロの叫びに、フミは思考を取り戻す。本能的に閂を挿したのと、扉へ少女がぶつかったのは、ほぼ同時だった。


「な、なに」

「わかんない。その目……やっぱりフミもなんだ」

「目?」


 ロロの瞳が黄色く見える、とは思っていた。見間違いか光の加減かと思っていたが、お互い顔を合わせてようやく本当に黄色くなっているのだと知らされた。


「同じ色だね」

「みんな違うの?」

「わからないけど、何人か会った中で黄色はあたしとフミだけ。会ったって言ってもみんな……」


 門扉が激しく音を立てて揺れ、ふたりの肩はびくりと震える。


「お屋敷の中はどうなってる?」

「どうって……あっ。みんな倒れてる。お母さんも、使用人のサキも」

「それなら良かった」


 なにが良かったのか、フミには理解できない。


「お屋敷に避難しよう」


 扉の向こうから奇声が上がり、再び門が揺れた。音を立てて軋む扉に不安を掻き立てられる。


「う、うん」


 逃げるように屋敷に戻り、ロロから話を聞いた。原因はわからないが、大人たちが息絶え、多くの女の子が暴れている、と。

 この屋敷に残るか、隣の村を訪ねるか。ふたりは話し合った。

 ここの鉄柵は滑りやすく高さもあるため簡単に侵入することはできない。それに対して門は木製のため、何度もぶつかられたりしたら壊されるかもしれない。食料の備蓄だって豊富とは言えない。

 そして何より、他の集落のことが気にかかる。

 彼女たちは屋敷の裏から森へ出ることにした。ちょうどその方向を歩き進めたところに隣の村があるのだ。歩いて行くには少し遠いが、暗くなるまでには到着できるだろう。


「こんなわけのわかんない世界、全部消してしまいたい」


 ロロがそう言ったのは、陽が頂点に達したあたり、もう村までもう少しだろうというときだった。

 突然の強い言葉に、フミは混乱した。しかし、ロロはそんなフミへ笑いかけた。


「フミがいなかったら、きっとあたしはそう願ってた。ありがとう、あたしと友達になってくれて」


 ロロは手を差し出した。フミはその手を掴む。

 冷たく、震えた手。

 笑顔と温度のギャップに、フミは言葉を失った。

 その手がぎゅっと握られる。その手を握り返すことはできなかった。

 直後、ロロが吹き飛んだ。握られた手によりフミの体も引っ張られ、倒れた。ロロに覆いかぶさるような姿勢だった。

 なにが起きたのかわからず混乱するフミの目に、木の枝に立つ少女が映る。少女は木から落ちるように降りた。一度地に伏せたが、痛みを感じる様子もなく起き上がる。その身体は、フミたちよりも一回り大きい。

 暴走している子なのか正気な子なのか。それを考えることもできず、フミはただ彼女の腕の動きを見るだけだった。見えない卵を撫でるようなゆったりした仕草。その手がこちらを向くと、フミの足元で砂が弾けた。


「わっ」


 乾いた砂が目に入り、なにも見えなくなった。

 まつげの根元から涙が分泌されるのがくっきりと分かる。

 もう嫌だ。

 そのただ一言だけをフミは感じた。


「フミ!」


 耳許で誰かが叫んだと思うと、フミの体が投げられた。わけも分からず後頭部を打ち付けてしまう。耳に入る周波数すべてが急降下したような感覚の隅で、液体が弾ける音がした。

 涙が零れ落ちる。砂の痒さが和らぎ、目を開ける。霞む視界に、赤黒い色と、黄色の瞳が見えた。


「フミ! 逃げて!」


 初めてできた同年代の友達。

 一緒にいて楽しいと思える数少ない存在。

 そんなロロが、ボロボロになりながら叫んでいる。

 嫌だ。

 もう嫌だ。


「フミ! 早く!」


 影に剣を刺されたみたいに足が動かない。

 攻撃を続ける少女との距離は刻一刻と縮んでいく。

 彼女の手の平と視線が合った。瞬間、ロロが飛び込み、血飛沫を上げて伏せた。


「早く……」


 それでも足は震えるばかりで動いてくれない。

 脳ばかりが動く。

 こんな臆病な自分さえいなければ、ロロはこんなにボロボロになることもなかった。

 自分さえいなければ。

 時間も守れないような自分さえいなければ、サキもロロも傷つくことはなかった。

 再び手が向けられる。

 ロロは苦痛の浮かべながら起き上がろうとする。

 やめて。

 もう動かないで。

 言葉は閉ざされた喉から出ることができない。

 嫌だ。

 嫌だ。嫌だ。

 ぜんぶ嫌だ。


 ――すべて消し去ってしまえ。


 闇が生まれた瞬間だった。

 無理やり閉めていた蓋が破壊したように、喉から悲鳴が溢れ出し、響く。

 なにかが腕を引っ張り、少女へ向けられた。

 プツリと、フミの記憶が途切れる。


 ――あたしはフミを信頼していたのに。フミはあたしを消し去る機会を虎視眈々と狙っていた。

 ――ひょっとすると、あのとき動かなくてあたしを盾に使ったのも、わざと?

 ――あたしが踏み寄ろうとしても、フミはどこか距離を取っていたね。きっと、あたしみたいな小汚い庶民なんかと一緒にいたくなんてなかったんでしょ。


 そんなことはない、と否定する力さえ、闇に飲み込まれたフミにはなかった。それどころか肯定さえしていた。ロロの口から直接その雑言を聞いたわけではない。つまり、この言葉はフミが心のどこかで感じていたことなのだから。


 ――あんたなんて、誰も必要としてない。


 そうだ――。

 このまま自分は沈んでいく。

 次第に自分という概念すら忘れ、沈んでいく。

 沈むという感覚すらも失くなり、どこでもない場所を浮遊するのだろう。

 ここは底のない暗闇。

 漏れた光すらも届かぬ闇。

 だというのに。


 ――聞こえるか、フミ。


 それは、目には見えぬ、仄かな光。


 ――オレの熱が、わかるか?


 『熱』ってなんだろう。

 わからない。でも、気持ちがいい……暖かい。


 ――フミ。前にも言ったと思うが、もう一度言うぜ。お前はきっと、死んでしまった人や過去に傷つけてしまった人のぶんまで、自分が傷つかないといけない、とか思っているだろ。


 水の中みたいな音。それでも、その声ははっきりと届く。

 心へ。


 ――逆だ。お前は、そいつらのぶんまで、楽しまなきゃならないんだ。


 声が、少しずつ確かな輪郭を帯びていく。


「確かに、お前はロロを殺してしまっただろう。だが、そのロロは今もお前の中で生きている。お前が忘れない限り。お前が前を向いている限り。ロロがお前を憎むのは、お前がロロを忘れたときだけだ。そうでない限りお前が誰かに憎まれることはない。オレが保証してやる。証拠はないが、命を賭けて保証してやる」


 目を開けているのか閉じているのかも分からない。でも、先ほどまでの闇は、なかった。

 そこにあるのは、大好きな光だけ。


「だからさ、見せてくれよ。お前の笑ってる顔を。オレの大好きな笑顔を」

「……はい」


 ポツリと零れた音。

 耳許で笑顔が溢れる。


「なんだ、聞こえてるんじゃねえか。独り言だと思って恥ずかしいこと言ったのに」


 心へ伝わった声が、耳たぶで感じられた。

 暖かくて、こしょぐったい。


「オレはお前の手首を掴んでいる。わかるか?」

「……はい」

「そこからお前自身の手が生えているのが、わかるか? 手の甲があって、五本の指が伸びている」

「……はい」

「よし。いま、お前の手が開いているのも、わかるだろ」

「……はい」

「その手を、閉じるんだ」


 手を、閉じる。

 それだけのことが、ずいぶん久しく感じる。

 手を握ろうとする。しかし同極の磁石を近づけるような反発力があり、うまくいかない。


「だいじょうぶ。オレがついている。お前を固定している。絶対に離しはしない。お前はどこにも飛ばされない。闇に飲まれることもない。安心して手を閉じろ。自分の力で、闇を閉じるんだ」


 力を入れる。弾かれる。

 もっと力を込める。徐々に手のひらが握られていく。中心に近づけば近づくほど固くなっていく。反発する力も強くなる。

 それでも。


(わたしはひとりじゃない)


 支えてくれる人がいる。

 だから、負けない。

 踏ん張る。

 骨が折れようと、指が引きちぎられようと、負けはしない。

 勝つんだ。

 自らの闇に、自らの力で。

 大好きな人と共に。

 パチン、と。

 親指が感情線に食い込んだ。

 その親指を残り四本の指が包む。

 吸い込まれる力がなくなり、反作用で背後へ飛ばされてしまう。

 しかし大きな衝撃は響かなかった。

 支えてくれる人がいるから。

 フミは目を開ける。涙でびしょびしょに歪んだ視界に、陽の光が輝いた。

 フミの頰をメアリの指が撫でる。乾いた手が涙を拭った。


「見えるか、オレの顔が」


 見上げる形で見える。尻餅をつくメアリの胸を枕にするような姿勢だった。


「はい……見えます。わたしの大好きな、メアリさんが見えます」

「恥ずかしいこと言ってくれるじゃねえか」

「メアリさんだって」


 温めてくれていた腕が解かれる。もう少しメアリの柔らかい体を感じていたかったが、決意を固めてフミは立ち上がり、メアリと向かい合う。


「これ以上、オレに恥ずかしいこと言わせるんじゃねえぞ」

「それは、ちょっと嫌です」

「なんでだよ」

「楽しいからです。わたしは、みんなのぶんまで楽しまないといけないので。だから、次からは正面からかっこいいメアリさんを見続けることにします」

「お前の努力次第だな」

「はい」


 自分の脚で立つ地面は堅かった。突然崩れ去るような不安は微塵も感じられない。

 胸に手を当てる。

 暖かい。

 ここには今までの出会った人たちとの記憶が生きている。感情が生きている。

 苦しかったことも楽しかったことも。

 吸い込んでしまった木々や獣、ロロも。

 自らの持つ闇も。

 すべて受け入れる。

 目を逸らさない。

 腰を抜かしたメアリに手を差し伸べる。メアリは目をそらしてはにかみ、ゆっくりフミの手を掴んだ。

 その手を引っ張り、メアリの腰を上げさせる。


「わたしはもう、闇には負けません」

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