第一章 7、会議
子どもたちが眠りにつき、大人たちの目が冴える夜深く。
家族を寝かしつけた役人たちが、ぞろぞろと村役場にやってきた。
「では、始めよう」
数本の蠟燭で照らされた薄暗い部屋。
村長は老いた背中を丸め、座布団に腰を下ろす。
「今後、この村の安泰と発展のための案などはあるか?」
この質問はいつも同じだ。そして、いつも初めに応える人物とその内容も、また同じだ。
「〈魔の穢れ〉を追い払え」
苛立ったように肢の先を震えさせているのは、副村長だ。村長同様に高齢だが、その目はギラギラと野心が輝いている。
「いつも言っているが、それがベストだろう」
「じゃがな……」
村長は悩んでいた。彼は特に〈魔の穢れ〉を毛嫌いはしていない。罪を犯さない者を嫌う理由などないからだ。その上、娘のタムユはラソンたちと仲がよく、〈魔の穢れ〉の理解者だったため、なおさらだった。
しかし、村の意見は大方「〈魔の穢れ〉は不気味で気に入らない」という方向に傾いており、村民の支持を集めるには〈魔の穢れ〉を村から追い払った方が良いのは確かである。
そして、彼と相対する副村長――昼間シオリを襲ったキールの祖父――はかなりの〈魔の穢れ〉差別派である。
「我らは村民のために前へと進まなければならぬのだ。その為にはひとつ、縁起の悪い〈魔の穢れ〉を捨てるというのも賭けではないのか?」
「村民のために、か。〈魔の穢れ〉は村民ではないのか? 〈魔の穢れ〉だからどうこう、というのは、儂は気に食わぬ」
そう村長がいつものように渋ると、副村長は唾液が沸騰しそうなほどの大きな舌打ちを鳴らした。
「〈魔の穢れ〉がいるせいでこの村は貧しいのだ。雨だって滅多に降らない」
「それは昔からじゃ。ラソンがこの村に嫁いで来てからじゃな――」
「その名を呼ぶな!」
副村長はとうとう体中の血管を浮き上がらせて叫んだ。
「やつに名などない。〈魔の穢れ〉だ!」
「しかし……」
どうしてそこまで嫌う、と浮かぶが、その答えを自答する時間すら与えずに副村長は捲したてる。
「あの女が来てから一層雨は降らなくなった! 村の財政も悪くなった! すべてあいつが元凶なのだぞ! 間違いない!」
言いがかりにも程がある、と村長は思うものの、ここにいるほとんどの人間が村長へと怒りの拳を突き上げている。これまでタムユのために権力を使ってラソンたちをかばってきたが、この熱のある罵声は老体に堪えるというものだ。
この日の罵声はいつものそれよりも激しかった。副村長が会議前にこんなことを雄弁に語っていたからだろう。
「儂の孫キールが今日の昼間怪我を負った。犬に噛まれたのだ。誰の飼い犬か分かるか? あの憎たらしい〈魔の穢れ〉の家にいる犬だ。そうだ、あの禍々しい毛筋の、狂ったアホ犬だ。ついにあの〈魔の穢れ〉親子は我々神聖なる〈神の末裔〉に牙を向けてきたのだ! 何の罪もない、潔白の我らに! キールの怪我は当分癒えそうにない。生涯消えることのない痣が腕に残るかもしれない。そんな性根の腐った穢らわしい民族を許せるか? 今まで我慢してきたが、もう我慢ならん! 今こそ、この瞬間こそ、我々は村のために奴らを追い払う時ではないか!」
性格の悪いキールのことだがら、彼が先に襲いかかり、その正当防衛として犬に噛みついたということくらい、誰にでも察しがつくだろう。そもそもその犬が鋭い凶器によって流血したことは事実として村中に出回っているのだから、キールが凶器を持ってシオリを襲ったとみて間違いがない。この過保護な爺は最も重要な大前提をすっぽりと省略し、自分の都合のいいように語っているのだ。
村長は頭を抱えて呆れてしまいたい気持ちでいっぱいだった。昔はこんな男ではなかったのに、と。それはともかく、村長以外は彼の浅い熱弁に賛同し、ありもしない絆を強めたのだ。ここの役人は「昼間の件はキールの自業自得だ」なんて簡単な解答も判らぬ阿呆ではないはずなのだが。
さらに、この親馬鹿が副村長であるが故、後継ぎ制が主流なこの村の役場には息子のジョーもいた。当然、爺とガキがあれなのだから、その間もそうなのである。
だが、彼は父と息子とは違い、あまり感情的にはならない。故に幾分マシだと村長は思っていた。だが、感情の揺れが見えないぶん、副村長とは違う恐ろしさがあった。
「さっき、」
ジョーが低い声で話し始めると、部屋が途端に静かになった。あまり大きな声ではないが、よく脳にまで届く声だった。
「見知らぬ怪しい男があの女と話していました」
「怪しい男?」
「はい。この村にはない暗い色のローブを羽織っておりました。まるで夜闇に溶け込むように。不審に思って後をつけてみたところ、その男はあの〈魔の穢れ〉の家を訪ねていました。何よりも怪しかったのは、その男が夜だというのにサングラスをかけていたことです」
「それは怪しいな」
女性がサングラスをかけていると、目に色がある〈魔の穢れ〉かと疑われる。だが、男性でそれはない。何故なら〈魔の穢れ〉は女性にしかいないからだ。その理由は不明のままだった。
真剣に研究すれば解りそうなものなのに。
村長は何度も思ったことがある。だが、仕方がない。多くの民にとって〈魔の穢れ〉は研究する対象である以前に、差別して気味悪がる対象なのだ。
「きっと顔を見られてはいけないような疾しい人間なのだろう」
勝手に話を進めていく差別親子に、この場の中心であるはずの村長は取り残されていた。誰もが副村長とジョーしか視界に入れておらず、村長が二の次になってしまっている。
そんな状況に、村の長としては真っ先に怒りを覚えなければならないだろう。彼はそのことを判ってはいたものの、最初に覚えてしまった感情は『焦り』だった。
村長である自分の立場が完全に危うい。
そのような黒い焦りだ。
(この親子は、儂を村一番の席から追いやろうとしているのではないか)
そのような邪悪なやりかたの人間に、この席は譲りたくはない。
だが、世の中そういうものだということくらい、髪が白い村長は身に染みている解っている。
後継ぎ制に甘え、ろくに将来を考えもせずにこの立場に立ってしまった自分には、この席はふさわしくないのかもしれない。
そう卑下したことだって数えきれぬほどにある。
だが、それでも、決して譲りたくはない。
ジョーは村長の顔色を視界の端で伺いながら、続ける。
「聞き耳を立てていたことに途中で気づかれてしまったので、会話の内容はあまり判りませんでしたが、娘に向かって『明日、一緒に臨海部に行こう』と言っていたのは聞き取れました」
そして、副村長はいつものごとく芝居めいた声を荒らげる。
「きっと、明日あの女は〈魔力〉で村を襲うのだ! なんという非道な女よ……! その残虐な行為を娘に見せないため、娘を村から出すのだ……! そうだ、そうに決まってる!」
そうだそうだ! と部屋中の人間が腕を天に掲げた。これほどにまで役場の人間たちが力を合わせようとしたことが、過去にあっただろうか。
村長は眉をひそめる。
(この、人を憎む力で一致団結する醜い姿の、どこが『神の末裔』なのじゃろうか。しかし、)
村長は乾いた唇を舐める。
ラソンさえいなくなれば、この村から憎しみの渦が減るのは間違いない。ここは、心を鬼にすることが村のためなのではないか。
そして、自分の立場のため。
「そうじゃな……そうした方が良いのかもしれぬ」
場がどよめき、視線が集まる。久々に自分が注目の的になった安堵感、そしてこの優越感は、悪くない。
ここは、やむを得ない。
「仕方ない。ラ……あの女とその娘を追い出そう。あの娘は〈魔の穢れ〉ではないとはいえ、孤独に村に残るよりは、母と一緒にいるほうが幸せじゃろう」
自分の声に、他の者どもが湧きあがる。この皮膚の裏に走る痺れは、癖になる。
村長はジョーへ、ぎろりと強い眼差しを向けた。
「その謎の男はおそらく彼女たちの仲間じゃ。村の外の人間じゃろうから、外に出ても暮らすところはあるということ。その手段が最も平和的であろう」
この村の法では犯罪者でもないものを追い出すには村長の許可が必要となる。その許可が、たったいま降りた。
かくして、〈魔の穢れ〉の追放が決まった。
久々の気持ちいい意見の合致に役人たちは「あの〈魔の穢れ〉を追い出したら宴会じゃ!」「これは美味い酒が飲めるぞ!」などと騒いでいる。
そんな中、まだ一人渋い顔をした男がいた。
ジョーだ。
「しかし、〈魔の穢れ〉には不思議な力〈魔力〉があると言われる」
彼がそう言うと、しん、と宙に闇が宿る。
「追い出したところで反逆に遭うのがオチかと」
ふふん、と副村長は酒を飲む口で豪快に言い放つ。
「娘を人質にすればいい。それに、あいつが〈魔力〉を使っているのは見たことがない。見たことがあるやつ、いるか?」
〈魔力〉とは、〈魔の穢れ〉が使うと言われる不思議な力のことだ。何もないところから火を生み出したり、ものを自在に操ったり。その能力の存在が、〈魔の穢れ〉の差別を助長しているのだ。この力を無闇に使うとより一層気味悪がれ、避けられる。だから、〈魔の穢れ〉の多くはあまり積極的に〈魔力〉を使わないと言われる。ラソンの〈魔力〉を見たことがある人間は、この村にはいなかった。
「きっと使えないのだ。だが、一度村を出てしまったら取り戻してしまうかもしれない。そうなれば気の狂った〈魔の穢れ〉のことだ。逆恨みして村を襲うに違いない。タイミングは今だけだ」
果たして何のタイミングなのか。
村長の額に一筋の汗が浮かんだ。
そして息子のジョーは、台本を読むように続ける。最後の一刺しを、気障に、淡々と。
「娘はどうします? 子どもと言えど、この村に恨みを持てば何をしでかすか判りません。大人になってから、共に襲って来ないとも限らない」
そして、彼は村長へ卑しい目を向け、ほのかに嗤った。
この男が自分に何を言わせたいのか、村長は阿呆でないのだから判る。阿呆でないのだから、ここでその選択をしないことが、役場の人間たちの期待を裏切ってしまうことだって判る。その上、脳に血が昇ったこの者たちは、体の弱った最長老に手を出さないとも限らない。
(ここはひとつ腹を決めて、残酷にならねばならぬのかも知れぬな)
村のために。
「やむを得ん。明日、〈魔の穢れ〉を処刑しよう。親子共々じゃ」
その村長の決定に最初に上がった声は歓喜――ではなかった。
「なんだと!?」
役場の者たちは、一斉に振り向いた。村長の向かいにある部屋の入口へ。
若く逞しい女の声へ。
「タムユ……何故」
「申し訳ありません、盗み聞きさせてもらいました」
「なに!」
副村長が体中の青筋を浮き上がらせる。
彼が次の言葉を発するよりも、タムユが叫ぶのが早かった。
「盗み聞きしたことは悪かったと思います……ですが!」
彼女は引き戸を投げるよう開けた。戸は大きな音を立てて溝を抜け、部屋の外へ倒れた。
「処刑!? 親子共々!? ふざけるな! それが役場の意見として通っていいとでも思っているのか!」
「黙れ!」
「気の狂った〈魔の穢れ〉だ? 気が狂ってるのはどっちだ!」
女人とは思えぬその気迫に、役場の男たちはすごまれてしまう。
しかし、ただひとりだけが、村長を向いていた。全く違う感情を向けて。
村長は、その視線に気づいてしまう。
静かに、色のない顔を向けるジョー。彼の目の奥に宿る鬼の顔は、自分に何かしらの決断を指示しているようだった。
「……」
つくづく、恐ろしい男だ。人はここまで誰かを恨むことができるのか、と感心してしまうほどに。
「すまぬな、タムユ。全て、村のためじゃ」
「なに?」
ふう、と村長は深い息を吐いて立ち上がり、タムユと向かい合った。
ジョーのものとは違う、熱い眼光だった。タムユが男だったら今すぐにでも村長の座につくべき人間なのかもしれない。
村の長として、そして父として、目を逸らすわけにはいかない。
真正面から、向き合うのみ。
「邪魔をする者も、『穢れ』じゃ。取り押さえろ」
「なっ……!?」
その命令に悦び、十人もの男が一人の女に飛びかかる。
「ふざけるな父さん!」
男たちの乾いた喧騒は、役場を揺らすほどだった。
「父さんっ!」
その叫びを最後に、娘の声が途絶えた。
村長は一匙の後悔に目頭を押さえてうつむいた。副村長とジョーは腕を組み、勝ち誇った笑みで高みの見物をしていた。