第四章 2、失踪 -疾走
マヤのレイピアが左肩を抉る。
背中を地面に打ち付けたのは、何度目だろうか。
起き上がろうとするメアリの顎へ、マヤはレイピアの先をコンコンと当てる。
「私たちがその気になれば、お前は何度死んだことになるだろうな」
「数えちゃいねえよ」
「私もだ。数え飽きてしまった」
メアリの体はもうボロボロだった。耐久性に優れた防寒着はあちらこちらが裂けてしまい、赤く滲んでいる。髪は汗と土、血で黒く汚れてしまった。バカにするように顎を叩く剣先を振り払う余裕もなく、膝が笑っている。
「もう終わりか?」
「まだだ」
深く息を吸い込み、震える横隔膜を落ち着かせる。左肩をかばうため、右手で地面を押してゆっくり体を起こした。
「それでいい」
レイピアを弄びながら見下すマヤ。その態度に感情を逆撫でされながらも、メアリは考える。
先ほどマユは倒れたメアリへ「こんなに早く倒れられちゃデータが取られないもの」と言った。その言葉が、歯茎に挟まった食べかすのようにずっと頭の端に引っかかっていたのだ。
「きっとお前はいま、データとはなんのことだ、と考えただろう」
わかりやすい奴だ、とでも言いたげな微笑だった。
「データとは、文字通りデータだ。これくらいの英単語くらいわかるな」
「わかるに決まってんだろ」
「お前の戦い方。思考回路。〈光〉という能力。その幅。組み合わせ。可能性。そのようなものだな」
「なんのために」
「敵の情報は、少しでも多く知っておいて損はないだろう?」
「だからフミちゃんにも来てほしかったの」
いつの間にかマヤの隣にマユが立っていた。ついさっきまではメアリの背後にいたはずだが、瞬間移動したのだろうか。
「彼女の〈魔力〉について私たちはほとんど知らない」
「どちらかというと」
「そちらのデータの方が」
「わたしたちとしては望んでいるの」
オレはおまけってか、とメアリは吐き捨てた。左肩は痛むし、目も霞んでいるが、まだまだ力は残っている。拳を振り上げ、構えた。
「フミは来ねえよ。意地でも、てめえらに教えてたまるかってんだ」
光線を放つと、ふたりは反発するように避けた。左右対称の動きには優雅な余裕さえも見受けられる。光線を放った右手を外側へ振る。光がマヤを薙ぐと思った矢先、彼女は消えた。何事もなかったかのように、マユの隣で顎に手を当てる。
「さしずめフミは最終兵器ってところか」
「それともまた別のなにかかしら」
「どっちにせよ、〈闇〉という力の強大さには興味があるな」
次の手を出そうとしたメアリの手が止まる。目が見開き、白目の面積が増えていた。
(なぜ、フミの〈魔力〉を知っている……?)
「あら、なにその鳩みたいな顔。ひょっとして忘れてるのかしら」
「私たちの側に、お前のかつての仲間がいることを」
私たちの側に。
その言葉のニュアンスに、違和感を覚える。
「びっくりしたわ。フミちゃんの能力を、あなたとエリカしか知らないだなんて」
「危険な力だから隠しているのだろうが、危険だからこそ打ち明けるべきだったかもしれないと、エリカが言っていたな」
プチンと。
頭の中で何かが切れる音がした。
「エリカに何をした!」
閃光を放つ。しかし痛みを庇いながらのモーションには無駄が多く、マヤたちは腕で光をたやすく防いだ。
「まるで拷問でもしたのかと疑ってるみたいな言い方ね。あー怖い怖い」
「安心しろ。エリカ含め、お前の昔の仲間は元気だ。うるさすぎるくらいに」
「賑やかで楽しいわ、わたしたちの仲間は」
眉間にシワを寄せるメアリへ、マユは舌の上で甘い蜜を味わうような表情を浮かべる。
「エリカたちはね、もうとっくにわたしたちの仲間になってるのよ」
「嘘だ」
「うふふ、かわいいわね。でも、残念ながら嘘じゃないの」
「彼らは私たちと共に戦うと誓ったのだ」
どこまでが本当でどこからが嘘なのか、判別できない。〈薬〉と呼ばれている怪しい薬を使う連中だ。変なものでも飲ませて洗脳させた可能性も否めない。
「お喋りはこの辺りにしようか」
「わたしたちのために、せいぜい頑張ってね」
レイピアを顔の近くで構えるマヤと、背中を向けて離れていくマユ。二人を結んだ線の延長上にメアリがいる形になった。すなわちメアリからはマヤが影になってマユがほとんど見えない。
一見、ボウガンのマユがメアリに攻撃をしづらく、マヤたちにとって都合の悪い陣形に見えるが、これこそ彼女たちの〈魔力〉の真骨頂なのだと、何度も地に伏せているメアリは身に染みていた。
互いの近くへ移動する力。互いの位置を入れ替える力。そして、もうひとつの力。
勝てる気がしなかった。「戦う必要があるのか?」と問いかけてくる自分もいる。
だが、
「こいつらをぶん殴らなきゃ、気が済まねえんだよな」
自らの単純な思考回路に嘲笑すると、彼女はボロボロのコートを脱いだ。寒気がするほどに体が熱い。
腰につけた無線を手に取る。自分が連れ去られたとき、または動けなくなったときに居場所を知らせるために持ってきたものだったが、もういい。
(こんなもの、ただの重りだ)
無線を地面に放り、踏みつけた。
× × ×
「あ! む、無線の反応が消えました!」
内陸部の一本道を爆走する車内で、フミは声をあげる。車のカーナビには無線の発信機に反応するセンサーが備わっていた。それを元にここまでやってきたが、まだ距離があるというのに反応が消えてしまったのだ。
相手が相手だから、どこかへ瞬間移動した可能性も考えられる。画面をズームアウトさせていくが、見当たらない。つまり、発信機を使える範囲をメアリが出てしまったか、無線が壊れたか。
「こりゃ急がねえとまずいな」
「だからあなた誰ですか」
「マーラに決まってんだろ? わたしのこと忘れちまったのかい? わたしはフミちゃんのこと、髪の匂いからパンツの色まで覚えてるってのに」
ジト目を禁じ得ない。正面からひとつひとつツッコミを入れるのは、境界の門に差し掛かったときから諦めることにしていた。その時のことを思い出す。
サイレンを鳴らしながら走るも、〈神の新砦〉が門を抜ける予定はなかったのだ。当然門番に止められてしまう。
「緊急事態だ! 通しやがれ!」
乱暴な言葉を浴びせられるも、警備の男性はきっちり仕事をこなしていた。
「本日〈神の新砦〉の方々が内陸に入るとは伺っておりますが、こちら方面ではないような……」
「うるせえ! 信号ばかりの都市部走るよりこっち使った方が早いんだよ! いいから開けろ! このサイレンが聞こえねえのか!」
完全に口から出任せだが、勢いがあるためか謎の説得力がある。
ごめんなさい、ごめんなさい、とフミは頭を下げることしかできなかった。
確実に怪しまれてはいるが、サイレンもこの車も〈神の新砦〉のものだ。警備兵はしぶしぶ門を開けてくれた。
「サンキュー。ちなみにいま本部はもぬけの殻だから、電話しても誰も出ないんでヨロシク。セリュウに連絡する場合は『マーラと名乗る女があなたの車で内陸部に入っていった』とでも言えば何かしら伝わると思う」
そうして今に至る。
「急ぐといっても、この道はミルサスタの方面に向かって一本道ですよね。無線の場所はこの道からずいぶん逸れてると思いますが」
この先にある集落まで行き、そこから別の道を辿っていくしかない。全速力で飛ばしたとしてもかなり時間がかかってしまうはずだ。
「関係ねえよ」
マーラはハンドルを回した。一本道だというのに。
車体は六十度ほど回転し、森林へ鼻先を向ける。
「道ってのはな、通るもんじゃない。己の足で作るもんだぜ」
「足もなにも自動車ですよこれ!」
スピードを落とすことなく車は森へ突っ込んでいく。
無造作に生え並ぶ木々。その隙間をくぐり抜けていく。右へ左へタイヤを滑らせ、細かくハンドルを切っていく。車体は揺れるが、ほとんど速度を保ったまま無傷で進んでいく。ぶつかる! と思ってもサイドミラーすれすれで当たらない。
(すごい運転技術――って感心してる場合じゃない!)
「メアリさんでもこんな乱暴な運転はしませんよ!」
「はっはっは、五人乗りくらいの車なら仕方ねえな」
「この車は八人乗りです! もっとダメ!」
「今はふたりしか乗ってねえだろ。実質車幅はバイクと同じだ」
「なんてムチャクチャ理論⁉︎」
「ごちゃごちゃ小難しいこというのは構わんが、舌噛んでも知らねえぞ」
「どこが小難しいんですか! ――わっ!」
勢いよくハンドルが回され、フミの頭はパワーウインドウへ打ちつけられそうになる。なんとか手で頭を守ったが、手がジンジンと痛んだ。
前方を見るとしばらく道(というべきかは疑問だが)がまっすぐ進んでいた。しかしその奥には行き止まりを作るように木々が狭い間隔で並んでいる。この大きな車がギリギリ通られるか通られないか。
「マーラさん、あれ」
「大丈夫」
車幅間隔を完全に理解しているであろうマーラが大丈夫だというのなら。
フミは胸を撫で下ろした。
そこでマーラがニヤリと笑う。
「サイドミラーちゃんたちには犠牲になってもらう」
「……ちょ! それって⁉︎ え⁉︎」
マーラはアクセルを踏み込むと、巨大な獣の雄叫びのような地鳴りがフミの全身を震わせた。
「どっかに捕まってろよ」
「きゃああああああああ!」
右と左。両方のサイドミラーへ木の幹が、寸分狂わぬタイミングで激突した。
衝撃がフミの平衡感覚を狂わせる。激しく揺れる耳の奥に、バキリとサイドミラーの骨組みが折れる音が響いた。
気を失ったような感覚に陥ったが、なんとか生きている。ぼーっとする思考の中で、車が走り続けていることだけが理解できた。
隣でマーラが歓喜に叫ぶ。
「力こそ、正義! パワー・イズ・ジャスティス!」
助手席で座っているだけなのに、フミの体はすでにぐったりしていた。




