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ゲット・アウェイ・ガールズ  作者: 中條利昭
第二部 〈狂獣〉篇
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第二章 5、任務

 冬の終わりが近づいてきたが、まだ春の気配は見えない。目を凝らして虫を探しても見つからない。この日は曇り空だったため昼でも少し薄暗く、厚着をしていても寒い。頰や耳が冷たい。手袋をした手で時折押さえて温める。

 森の景色も枯れ木が多いせいか、どこかセピア色に見えた。緑色のフェンスの向こうには、どこまでも森が広がっている。

 ユリアとシオリは境界の森のフェンスのそばにいた。

 狂った獣たちがフェンスを越えて町を襲うようになり、警備兵の動員は増えたが、数に限界はある。そのため動物がフェンスを越えたことを感知するセンサーが国の補助金によって少しずつ導入されてきていた。センサーが反応すると〈神の新砦(シン・オウガンツ)〉や警察にその情報が届くのだ。狂った獣たちの中には木々を伝ってやってくる猿などもいるし、動物を足止めすることもないとはいえ、一定の効果はあった。

 センサーが設置される箇所が増えるにつれ、警備兵たちが守る領域も減り、一箇所を守る人員も平均して増やすことが可能になった。

 ユリアたちは警備兵やセンサーの知らせを受けて出動する〈神の新砦(シン・オウガンツ)〉というよりは、警備兵として働いていた。〈神の新砦(シン・オウガンツ)〉として動くと警備兵の目にさらされて〈魔力(マ・ラギ)〉を使えないからだ。


「暇だね」

「うん。メアリたちはどうしてるだろう」


 メアリとフミは少し離れた場所にいた。普通の人が走れば二分ほどの位置だ。なんとか目視ができる距離だった。


「英語の勉強でもしてるんじゃないかな」


 メアリの夢は海外の貧しい人々と友達になり、心を救うこと。

 この二年半の間、彼女はよく英語の本を読んでいた。フミもそれを手伝っていた。シオリたちもときどき勉強をしている。時間は有り余るほどあり、その時間の多くを読書で潰したものだった。


「本を持ってきちゃダメだろうけど。獣たち見逃しちゃったらいけないし」

「それがこの仕事のつらいところだね」


 シオリがあくびをすると、ユリアもつられて口を開けた。それがおかしくて、涙を流しながら笑いあった。

 この任務をするようになって一週間が経過していた。本部で体を休めたり訓練する日もあったため、この仕事はこれで五日目だった。

 まだ獣には出会っていない。ゼン曰く「同じ場所に数日に一回ペースで来られたら、かなわんわ。ふつーふつー。とはいえ、狂った獣の出没頻度は日に日に上がっとるから、油断はできへんで」とのこと。

 腰に取り付けた無線からノイズが鳴ると、ユリアたちはそれをすばやく顔の前に持ってくる。


〔そっちはどうだ、異変はないか〕


 時々こうしてメアリらとやりとりをすることはあった。でも、彼女の声色はいつもより低い。


「こっちはだいじょうぶ。そっちは、なにかあったの」

〔初の狩りになりそうだ。来てくれ〕

「わかった。行くよ、ユリア」

「うん」


 心臓がキュッと引き締まるのを、ユリアは感じる。内陸にいるときもそうだったけど、狂った獣が近くにいると思うだけでつらくなる。つらくなって、どこかに逃げたくなる。初めて彼らと遭遇したとき、ユリアはジャネルを思い出した。ジャネルやその他の子どもたち。ユリアの目の前で命を落とした子どもたち。

 左手のブレスレットを見つめる。勿忘草を模した桃色のブレスレット。


(護ってくれるよね、ジャネル)


 シオリはしゃがみ、ユリアへ背中を開けた。


「乗って」


 シオリの首に手をかけ、自身の胸をシオリの背中につけると、シオリの腕が脚の間から回り込み、固定される。ユリアの足が地面から離れると、シオリは走り出した。


「こうして移動するの久しぶりだね、ユリア」

「うん。いつぶりだろ。ちょっと恥ずかしいや」


 体が上下に揺らされる。駆け足の速さが、かけっこの速さになり、スポーツ選手のような速さになり、ついに常識の速さを超えていく。


(速い)


 世界が後方へ流れていく。まるで車に乗っているようだ。違うのは頰に風が当たること。その風を発生させているのが自分だと思うと、わくわくした。顔が冷たくて、痛くて、目を瞑ってしまう。

 戦う時のシオリはきっと、もっと速い。自分を背中に乗せている分だけゆっくり走っているはず。全力を出したシオリの視る世界は、どんなものなのだろう。

 シオリの背中が温かい。もしシオリが手に絡めた腕を離したり、首に回したユリアの腕がほどけたりしたら大怪我するかもしれないというのに、安心感があった。まるで母や父の背中に抱きついてるみたいに。

 駆ける音が弱くなり始めた。メアリたちの姿が見えたのだ。

 風が静かになり、おそるおそる目を開ける。揺れる視界に大きな体と小さな体が映った。歳の離れた姉妹のように見える。ふたりとも手を振ることもしない。メアリはともかく普段のフミなら跳ねながら手を振りそうなものだけど。獣の姿が見えて不安なせいか、それとも内陸を出てからずっと元気がないせいか。

 靴裏が擦れ削れる音が体を振動させると、体が前へ引っ張られた。音がやみ、風がやみ、流れる世界が動きを止める。


「どう、メアリ」

「まだ来てねえが、唸り声や足音はゆっくり近づいて来てる。無線したときに遠くでちらっと見えただけだが、結構デカそうだ。今は茂みに隠れて見えねえが、向こうは確実にオレたちの姿を認識している」

「こちらの人数が増えたから下がってくれればいいけど」

「やつらにそんな脳はねえよ。むしろ餌が増えたと認識するだろうな」


 その時。

 地面を踏み潰すような音が立て続けに響いた。


「来たぞ」

「ユリア、フミ、下がってて」


 ユリアは後退しながらフミの手を軽く握る。手袋ごしに緊張感が伝わると、その手を強く握り返された。

 フミは劣等感を覚えていると、ユリアは思っていた。戦いが苦手だから、このような仕事をすることに怯えているのだと。ユリアも戦いは苦手だけど、運動神経は悪くない。体を動かすのは好きだし、シオリたちのサポートをできることを嬉しくも思っている。シオリがもし暴走したら、ユリアの〈魔力(マ・ラギ)〉――温度を下げること――で抑えるという使命感もある。でもフミは〈魔力(マ・ラギ)〉を使いたくないと思っている。メアリも使わせないようにしている節がある。それが何を意味するのかはわからないけど、フミはきっと、能力を持っていることにも、能力使えずメアリたちの役に立てずにいることにも後ろめたさを覚えている。

 〈魔力(マ・ラギ)〉を使えるようになる前のユリアもそうだった。役に立たない自分のことに、ずっとシオリが護ってくれていることに、罪の意識さえあった。迷惑をかけているんじゃないかと。あの時はつらかった。

 フミは誰にも迷惑はかけていない。むしろ一緒にいるだけで楽しく思える。シオリもメアリもきっとそうだろう。聡いフミは、そのことにも薄々気づいているのかもしれない。でも、罪悪感がそれを抑えている。

 フミが元気を取り戻すには、なにかのきっかけが必要なのだろう。単なる前向きな声かけじゃない、なにかが。ユリアにとっての、ユメとの出会いのような、温かいものが。

 ユリアには、そのきっかけの訪れを願うことしかできない。


「きっと――ううん、絶対にだいじょうぶだからね、フミちゃん」

「……はい、きっと」


 フミは繋いでいないほうの手を胸に当て、祈るようにその手を見下ろした。髪が顔を隠し、ユリアからは表情が見えない。

 足音と獰猛な吐息が近づいてくる。もう、すぐそこだ。見えない唾が頰をねっとり濡らすような感覚。

 茂みから飛び出した狼は、顔面からフェンスへぶつかった。針金を編み込んだ構造のそれが、衝撃で大きく音を立てて揺れる。フェンスが倒れるかと思うほどの勢いだったが、へこみが生まれ、わずかに傾く程度だった。とはいえ、これが繰り返されれば、どうなるか。

 普通の獣であればぶつかった衝撃に身をよじりそうなものだが、狂った狼は一切止まることなくフェンスを登っていく。血肉を求めて力ずくで這い上がっていく。たとえ爪が剥がれようとも、彼らは止まらないだろう。

 ついに頂上までたどり着いた狼は、その景色を堪能することなくこちらへ落ちてくる。

 狼は地に足をつけるより先に、蒼い炎に包まれた。






 火だるまにした程度で仕留められるとは思っていなかったが、燃えたままメアリへ突進するとも思ってもいなかった。


「まじかよ」


 メアリは閃光を放ち、狼の視界を奪う。体を歪ませ、雄叫びをあげる。自らの体を振り回すように乱れ踊り、ようやく火が消えた。まだ目はやられたままなのだろう、わめき散らし、不規則な動きであちらこちらに頭から突っ込んでいく。

 このような場面は何度も経験している。シオリたちは音を立てないことに気を張った。目を奪われた獣は音を頼りに攻撃してくるからだ。しかし、彼らは人間よりも聴力がいい。じっとしているだけで長時間耐えることはできない。

 シオリはあえて足裏で地面をこすった。

 獲物を察知した狼はシオリへ牙を向ける。体は大きいのに、その動きは俊敏だった。

 しかし、シオリよりは遅い。

 眼前に迫った狼の下顎を、拳で下から振り上げる。下の牙が上顎へ刺さり、身体が宙を舞う。シオリは体を回転させて勢いをつけ、腹へ回し蹴りを入れた。狼は吹き飛び、フェンスへ体を打ちつけた。

 普通の人間や獣であればしばらく動けなくなるほどの衝撃を与えられただろう。だが彼らは違う。すぐさま体勢を立て直し、威嚇で喉を鳴らす。

 シオリたちの〈魔力(マ・ラギ)〉には弱点があった。ゼンの剣のように、相手へ致命傷を与えられないことだ。


 〈蒼い火炎(ヴァル・ファルコ)〉にしろ〈(レイラ)〉にしろ、弱点を突いて相手を一撃で仕留めるような芸当はできない。地道にダメージを蓄積させ、疲労で仕留めるのが関の山だ。そのため、彼らの戦闘は時間がかかってしまう。


(短刀を振れば)


 しかし、剣の訓練はまだあまり受けておらず、逆に隙を作ってしまう可能性もある。ゼンからも「できるだけ〈魔力(マ・ラギ)〉で戦ってくれると嬉しい」と言われていた。

 狼は再びシオリへ向かう。その横腹を、メアリの光線が穿つ。


「いまは時間がかかってでも確実に仕留めるぞ、シオリ」

「う、うん」


 唾をひとつ飲み、ひるむ狼へ飛び跳ねる。






 シオリたちの戦闘をゼンは離れて見ていた。車の窓を開け、音や空気を感じる。


「あの子らの能力は、痛みを感じひん相手にはあんまり向いてないんやな。剣の訓練も進めんとあかんのか」


 下手に武器を使うと、武器に使われてしまう。

 〈魔力(マ・ラギ)〉があるからあまり心配はないと思っていたが、〈魔力(マ・ラギ)〉を軸にして武器を補助的に使うのであれば、武器に使われることもないかもしれない。

 〈魔力(マ・ラギ)〉はひとりひとり種類が違う。そのため、武器の適性や使い方も個人で大きく変わるだろう。


「いろいろ考えんといかんな」


 そのためにも実戦でどのように能力を使っているのかを観察しなければならない。

 メアリやシオリはシンプルでいい。問題はユリアとフミだ。

 ユリアの能力は、触れたものの温度を下げるというもの。戦闘よりはサポートに向いている能力だろう。

 問題はフミだ。


 ――フミには戦わせないでやってくれませんか。


 メアリの悲痛な声が脳裏をよぎる。

 最初の授業の前だ。グラウンドでトレーニングをし終え、彼女たちの待つ中庭へ向かおうとしていた時。メアリがゼンを待ち伏せていたのだ。


「どうしたん? ひとりで訪ねてくるなんて」

「すみません。あいつらのいないところで頼みたかったので」


 深々と頭を下げるメアリ。


「この場所でオレたちは戦う訓練をすることになると思いますが、フミには戦わせないでやってくれませんか」


 ゼンは(いぶか)しみ、あえて冷淡な態度をとる。


「その心は」

「オレやシオリは戦いに慣れてます。ユリアも、あまり戦うことはしないですが運動神経はいいほうです。でもフミはそうじゃない。箱の中で大切に育てられたような子なんです。しかも、あいつは〈魔力(マ・ラギ)〉を使えない。そのことに劣等感も覚えている。その劣等感を槍で突くようなことは、させてやりたくないんです」


 ゼンはメアリの後頭部を見つめる。

 一見素行が悪そうに見えるし、実際にそうなのだろうが、そのぶん仲間想いなのだろう。だから本人のいないところでこうして頭を下げているのだ。


「仲間想いなのはええけど、ちょっと甘ちゃんやな」


 メアリは頭を下げたままだった。


「残念ながらここにおる限り戦うのが仕事や。事務仕事や世話係はマーラさんで足りとるし、戦う要員として君らはここに来たんやからなあ。それができへんねやったら、出て行ってもらうことになるかもしれんで」

「最低限の訓練は受けさせます。足手まといにはさせません。だからせめて、シオリやオレのサポート、怪我人の救護要員として数えていただけませんか。できればユリアも一緒に」

「それは、ひとりだけサポートやと、より劣等感を強くさせてしまうからユリアも一緒に、ってことか?」

「はい。どの道オレたちは〈魔力(マ・ラギ)〉を使って戦う前提でここにいるはずです。ユリアの能力は戦いに向いていません。怪我を癒すことに向いていると思います。フミのためにユリアをサポートに回らせるのではなく、ユリア自身のためにオレはそれを提案します」


 メアリは頭を上げ、ゼンと視線を合わせた。

 力強い双眸だ。大自然の中で子を守る母ライオンのような眼差し。


「ただ頭下げて頼むだけやなくて、提案までするとはなかなかやるやんか」

「昨晩ずっとそのことを考えていて、ほとんど眠れませんでした」


 その言葉に、ゼンは口許を緩ませる。


「実はな、昨晩ウチも同じこと考えとったんや。サルコウさんからみんなの特徴聞いとったし、フミが乗り気じゃないことも聞いとった。せやから戦闘に関してユリアとフミには護身術の訓練だけさせて、あとはサポートに回そうか、ってな」

「では」

「メアリの熱さに免じてそういう布陣にしよか。にしても、立派なリーダーやな、キミは」

「ありがとうございます」


 メアリはもう一度頭を下げた。先ほどよりも勢いが強く、毛量の多い髪が激しく舞う。


「ひとつだけ聞かせてくれへんか?」

「はい」

「さっき、フミは〈魔力(マ・ラギ)〉を使えないって言うたな。それは、能力を持ってないってことか? それとも持っとるけど、なにか事情があるってことか?」

「後者です。シオリもユリアも、きっとフミの能力を知らないはず」

「せめてその事情は知りたいな。せやないと、いざというときの対処法もわからん」


 メアリは右下に目線を逸らし、目を細めた。言いたくないのだろう。

 ゼンは腕を組み、メアリの言葉を待つ。しばしの沈黙ののち、彼女はためらいがちに口を開いた。


「あいつの〈魔力(マ・ラギ)〉は、危険すぎます。だから、絶対に使わないように約束しています。使うことがあるとすれば、オレと出会ったときのように、とっさに発動してしまったときだけだと思います」


 声が震えていた。強く握られた拳からは恐怖が感じられる。


「フミの〈魔力(マ・ラギ)〉が発動したら最後、獣はおろか、その場にいる全員が生き残られるとは限りません」






 ゼンの回想が風船を割るように途絶えた。爆発音が鳴ったのだ。

 どうやらシオリが起こしたものらしい。蒼い爆発が獣の体を包んでいた。ゼンのもとまで風がやってくる。

 吹きとんだ獣へメアリが拳を落とし、地面に叩きつける。

 もうすぐ勝負がつきそうだ。

 そのとき、ゼンは違和感を捉えた。長年の経験で培われた勘が、なにかの警告を鳴らしている。だがその正体をすぐには掴めない。回想にふけていなければもっと早く判ったかもしれない。

 そして気づく。爆風で揺れる木々の中で、かすかだが揺れが鈍い枝があることに。なにかが木の上にいるのだ。


「しもた!」


 即座にサイドブレーキを上げ、アクセルを踏み込む。

 猿だ。ユリアとフミの頭上近くに狂った猿がいる。


「もう一匹おるぞ! 上や! フミ!」


 シオリとメアリはすばやく反応するも、助けに行くには遠すぎる。フミとユリアの反応は一瞬遅かった。

 命取りの一瞬だ。

 猿が飛びかかる。

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