第一章 6、〈神の新砦〉
都市の外れに廃校があった。半年前までは人気もなく、時折テレビや雑誌の撮影で使われることもあったが、現在はそのように使われることはない。ここが、狂った獣から国民を護る使命を持った〈神の新砦〉の本部になったからだ。
「正気ですか」
声を震わせ、セリュウが訴える。
「あんな幼い子たちに、私たちのような血生臭い仕事をやらせるなど」
ゼンとマーラも表情を曇らせていた。当然だろう。なんの前触れもなく突如仲間が四人増えたことはまだしも、それが年端もいかない子どもばかりなのだから。年長者のメアリは十八歳の成人だが、フミはまだ十歳だ。
サルコウは全員の目を等しく見やる。
「あの子らもそうしたいと言っておる。それに、ワシらよりも獣と戦った経験も多いじゃろう。心配は要らん」
「しかし……」
「おぬしの気持ちはわかる。では、施設に預けて学校にでも通わせるか? 〈魔の穢れ〉を」
セリュウは閉口し、サルコウから目を逸らした。
シオリたちが〈神の末裔〉なのだとしたら、学校に行かせるべきだとサルコウも思っていた。〈魔の穢れ〉だとしても義務教育は受けさせるべきだろうが、学校はそのような綺麗事を言っていられる場所ではない。子どもの集団は大人よりもはるかに残酷だ。〈魔の穢れ〉の多くは多感な思春期に自殺するとも言われる。正常な環境で教育を受けることはできないだろう。
目に色のある者を差別の対象として見ぬワシらのもとで暮らすことが、彼女たちにとって、もっとも幸せであるはずだ。
「この中に〈魔の穢れ〉の面倒など見たくもないという者がいるのであれば、それも考えよう」
「そんなことは」
「では、異論はないな?」
渋々といった様子でセリュウは頷く。彼女たちにとってもこれが最善の選択肢なのだと感じてはいるだろうが、自らの仕事の残酷さを、あのような若い娘たちに押し付けてしまう後ろめたさから目を逸らすこともできないのだろう。
セリュウは立派な人間だ。ゼンも、マーラも。だからこそ――人の幸せを第一に考えるからこそ、この選択は慎重にならざるを得ないのだ。
「ワシはおぬしらを信じておる。戦闘は当然のこと、常識なども教えて行かねばならぬ。大変なことだとは思うが、頼むぞ。これからはワシも手が空いている限り狩りの回数を増やそう」
「はい」
全員が頷いた後、ゼンが小麦色の手を挙げた。
「政府にはどう説明するのです?」
「問題はそこなのじゃ。四人もいるわけじゃから政府に申請を出さぬわけにはいくまい。しかし、顔写真や経歴書が必要になる。経歴はどうにでもなるじゃろう。〈神の七砦〉の子孫とでも言っとればよい。まだ幼いからこれまではやらせなかったが、実力はあるから迎え入れることにしたということで問題はなかろう。問題は写真。どうしても〈魔の穢れ〉だとバレてしまう」
ゼンは薄く眉をしかめる。
「バレたらなにがアカンのですか。いちおう政府は差別をなくそうとしてますし。表向きは」
「ゼンよ。ワシが、あの子らをどこで拾ってきたと思っておる?」
「あ……」
「内陸部は誰ひとり生きておらぬことになっておる。〈あの光〉で全員が死に絶えたとな。しかし、あの子らは生きていた。あの子らによると、〈あの光〉はこれまでワシら外の人間が考えていたような殺戮兵器ではないのじゃよ。多くの民を殺してはいるが、目的は虐殺ではなく〈魔の穢れ〉を作り出すこと」
サルコウはシオリから聞いた話を掻い摘んで説明する。〈あの光〉により男と大人が即死し、少女だけが生き残ったこと。そして、〈魔の穢れ〉になっていたこと。
「〈あの光〉は政府の陰謀の可能性がある。我ら子孫に〈魔の穢れ〉がおらんとも限らんが、危険じゃろう」
わからないことが多すぎるため、慎重に慎重を重ねて行動せねばならない。
「あの子らの存在を、政府が認識している可能性も、ある。彼女らは二年半もの間内陸部に閉じ込められていた。これが政府の仕業である可能性も否めぬ。どちらにせよ、彼女らを〈魔の穢れ〉として政府に紹介することは危険すぎる。じゃから、知り合いのコンタクトレンズ製造業者に、黒のカラーコンタクトを作るように頼んだ」
「さらっと犯罪行為を過去形で……」
はあ、と溜息するセリュウ。ゼンは「さすがすぎるな爺さん」と笑っていた。
「一週間もすれば届くじゃろう。今回の調査の前金もあるし、資金的には特に問題もなかろう。料理を作るマーラへの負担は増えてしまうが、よいか」
マーラは柔和に微笑む。
「ええ。子どもは好きですから、むしろ楽しみですよ。わたしは戦わないので、昼間は暇を持て余してますし。勉強も教えましょうか?」
「今からそれを頼もうと思っとったところじゃ。察しが早くて助かる」
「うふふ、ありがとうございます」
マーラは〈神の新砦〉の世話係だ。メンバーの身の回りの世話や料理、その他事務作業を行なっている。
「戦闘の方はゼン、おぬしが教えてやってくれ」
「言うと思った」
「察しが早くて助かる」
「まだ了解はしてないですよ」
「了解してる顔じゃろうが」
「ま、戦闘とはいえ、むさ苦しい男衆に年頃の女の子の世話させるわけにゃいかんからね」
解散後、ゼンは自分の部屋へ戻り、ここに身を置いていないセリュウは自宅へと帰った。マーラはシオリらのいる部屋へ布団と余った食料を持っていった。
「人間関係は特に心配要らんじゃろう」
マーラもゼンも、気さくで優しい人柄だ。性格は真逆だが、そのぶん彼女らの悩みなども幅広く聞くことができるだろう。
四人の少女たちとホルンへ戻る途中にいくつか話をしていて、サルコウは「賑やかで面白い娘たちだ」と素直に感心していた。二年半も外界と接さずに生きていたとは思えぬほど。心の強い子たちなのだろう。
自室の椅子に座り、外を眺める。都市の外れの廃校をそのまま改築したこの建物は、このあたりでは最も高い建物だった。多少田舎ではあるが、ほどよい自然と温かい住民に囲まれた、住みやすい町だ。
「サド、か」
温かい茶を喉に流し、つぶやく。
――あんた、サドの仲間か?
メアリと向かいあったときに聞いたその言葉がずっと引っかかっていたため、サルコウは道中で尋ねていた。
「そういえば先ほど、ワシに誰々の仲間かと問うておったが」
「サドだな」
やはり聞き間違いではなかったか、とサルコウは思った。口にはしない。
「〈血の研究所〉にいたヒョロヒョロの男だよ。〈あの光〉を作った参謀格」
様々な思いや景色が脳の中を泳いでいく。走るように過ぎていくものもあれば、ゆらゆらと浮かぶように残像が残るものもある。
それらを無視し、サルコウは嗤う。
「〈血の研究所〉のサドか。なかなか洒落の聞いた偽名じゃの」
「偽名?」
メアリら四人が互いに目配せをするのを、横目で確認する。
少しかわいそうじゃな、と思う。敵の数少ない手がかりのひとつである『名前』が、偽りのものなのだから。
「サドという名前は知っておる」
「ほんとか爺さん」
「うむ。〈血の研究所〉の若き科学者じゃよ。多くの動物や人を無慈悲に殺した重犯罪者であり、この国で唯一の未成年死刑囚でもある」
「死刑囚?」
空気が凍りついたのが、冬のつむじ風の間から伝わった。
できる限り平静にサルコウは応える。
「十年近く前のことじゃな。彼奴は、とっくに処刑になっておる」
〈あの光〉がただの虐殺目的のものや、それを利用した何かのためのものではなく、〈魔の穢れ〉を作るものという事実だけで事はややこしいというのに、サドの名まで出てくるとは。
あの研究所が〈血の研究所〉と呼ばれるようになる前の研究内容を思えば、その名の出現は必然と言えるかもしれないが。
溜息をつく。
「死んだはずの男が生きている可能性など、考えたくもないな」




