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ゲット・アウェイ・ガールズ  作者: 中條利昭
第二部 〈狂獣〉篇
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第一章 1、残滓

 空虚な風が吹いた。(つば)の大きな帽子が飛ばされそうになり、頭を押さえる。

 周囲に生える枯れ木のような、色褪せた帽子だった。

 帽子を押さえる自らの腕が、サルコウの視界に入る。年老いて細くなったそれこそ、まるで枯れ木のようだった。

 サルコウは自虐的な笑みを浮かべる。白い息が靄となって消えた。






 内陸部を調査してほしい。

 そう政府の人間から指示を受けたのは十日前のことだった。


「内陸部の調査?」

「はい。先日、内陸部へ子どもが侵入したのです」


 政府の人間らしい堅苦しい口調で、彼は訥々(とつとつ)と話した。

 家出をした子どもが夜にフェンスを越えたのだという。少年は「死んでもいい、むしろ死んでやる」という思いで境界の森に入った。だが一時間ほど歩いたところで冷静になり、怖くなって引き返し、警備兵に発見されたという。


「つまり、学者を殺したという原因不明の現象が起こらなかったわけじゃな」


 男は黙って頷く。

 サルコウは「なるほどの」とため息する。


「政府としては、フェンスを越えられてしまったことには蓋をしたい。じゃが、内陸部のことは気になる。〈あの光〉から二年半。もう人が入ってもよいのかもしれぬ。調査をしたいが、そんな危険なことを自分たちはやりたくないし、第三者機関だってやりたがらない。情報漏洩にもつながってしまう。そこでこの老いぼれを利用しようという魂胆か」


 男はサルコウと目を合わせることも話を合わせることもせず「多額の報奨金は用意しております」とだけ言った。

 気に食わんな、とサルコウはつぶやく。少し考えたのち「まあ、いいじゃろう」と頷いた。


「ありがとうございます」

「その代わり、ひとつだけ質問しても構わぬか?」

「どうぞ」

「〈あの光〉の直後に死んだという学者の名前が公表されておらんのは、なぜじゃ」

「何度も発表していますが、本人や遺族の意思です」

「ワシは、おぬしよりも生きてる期間が長い。歩いている距離も長いじゃろう。多くの人々と知り合い、会話してきた。学者の知り合いも多い。言いたいことが、わかるか?」


 男は口ごもる。まっすぐ自身の眼球へ目を向けるサルコウから目を逸らしている。


「さっき話した少年とやらも、本当はどこにもおらぬのではないか?」

「私はこれで失礼いたします。後日、詳しい調査内容をお送りします」






 すでに内陸部の村々を何件か訪れていた。

 どこも空っぽだ。〈あの光〉で内陸部の人間は一斉に死を迎えたと言われているが、それならば白骨死体が多く転がっているはず。屋外はともかく屋内もだ。死んでいる人の姿すらもない。その代わりに多くの建物が崩壊している。異常な光景だった。

 〈あの光〉は人を溶かしたのだろうか。

 ふと、そんな仮説を立てたが、放り投げた。

 〈あの光〉から生き延びた者がいるはずだ、と。

 サルコウにはほとんど絶対的な自信があった。

 多くの村のいたるところで、土が掘り起こされた跡や焚火の跡が見つかっていた。素人目には判らぬよう痕跡を消してあったが、所詮は素人の隠滅法だ。サルコウの目は誤魔化せない。

 誰かが生きているに違いない。

 きっと、()()()()はまだ、内陸部のどこかで生きている。

 何年かかってでも、見つけだす。


 ――正気ですか。


 セリュウの憂慮の声が脳内に聞こえた。サルコウが出発する前日のことだった。


「いたって正気じゃよ。短い老い先が尽きるまで生存者を探してやるわい」

「そうではなくて、政府が、ですよ。子どもの足で一時間程度のところまでが大丈夫だったとしても、奥まで行ったらどうなるか」


 セリュウは頑強な男だった。背が高いゆえ体が細く見えるが、布の下には無駄のない筋肉が隙間なく埋めこまれている。頭もよく回るが、良くも悪くもまだ若い。


「心配せんでもよい。どうせ、とっくに安全だとわかっておる」


 眉尻を上げるセリュウへ、サルコウは唾棄するように言う。


「政府のことじゃ。もう安全だとわかっとるが、その理由が説明できんから形式的に頼んでおるだけじゃろう。――あるいは、最初から危険などなかったか」

「では、せめて私もついて――」

「駄目じゃ。ワシはともかく、おぬしには仕事や家族があるじゃろう。それに、ひとりでのんびり、のらりくらり旅をしたいと思っとったところじゃから、ちょうど良いわい」


 セリュウは浅い溜息を吐いた。


「もう、好きにしてください。あなたのことだから、あいつらにやられることもないでしょう」

「ほっほっほ。では好きにやらせていただこうかの。あやつらの本拠地に突入できるとは愉しみじゃ」


 一通り笑った後、サルコウは長い眉毛に隠された細い目を大きく開く。


「見かけ次第、思う存分狩ってやるわい」






 ランフ国は小さな島国であるため、南北での気温差はあまり大きくない。とはいえ北側のほうが空気は冷たい。南部で雪が降ることは珍しいが、北部では時折見受けられる。サルコウが内陸部へ赴く直前に降っていた雪は、木々の根元に残っていた。

 その雪に飛び散っていた赤いものを、サルコウは眺めていた。


「血じゃな」


 まだ真新しいようだ。

 人のものなのか動物のものなのかは判断がつかないが、この跡は、血抜きをした際に生じるもの。血の持ち主を殺したのは人間だ。

 サルコウは頭の中で地図を思い浮かべた。この路の先に村がある。四(かん)(約十分)も歩けば辿りつくだろう。


「思ったよりも早ように尻尾を捕らえられたようじゃな」


 暖をとるために南部へ向かうものだと思っていたが、予想は外れたようだ。冬らしい景色を見ようと旅行気分で北へ向かったのが功を奏したというべきか、不運だったというべきか。

 サルコウは冬の乾いた空気が好きだった。夏の空よりも澄み渡り、広く見渡せるそれが。

 背負ったカバンから水筒を取り出し、口元を隠す手ぬぐいをずらして水をひとくち含む。昨日、川で補給した水だった。心なしか都会の水よりも軟らかく感じる。

 村が見えてくると、サルコウの肌が、空気に漂うかすかな温もりを捉えた。人のいない集落にはない、人間の香りだ。

 間違いなく、いる。


「さて、彼女たちじゃろうか。それとも、あの子らじゃろうか」


 記憶の残滓(ざんし)にある、少女の面影が浮かび、ゆらゆらと揺れる。その像が、ぱちんと割れる。人の声だ。複数の女性の声。


「それとも、両方か」


 サルコウが村の門を通った瞬間、声が途絶えた。彼女たちも忍び寄る気配に気づいたらしい。

 小さな村だった。他の村々同様、多くの建物が崩壊している。或る日突然怪物に飲み込まれてしまったような印象さえも受ける。(とび)色の活気が、さびれた風景から滲み出ていた。

 あえて足音を消さずにサルコウは歩き続けた。一度聞こえた声から、おおよその方角や距離感は掴んでいる。物陰に隠れたような息を殺した足音までもサルコウは逃さない。しかし、あくまでも彼はただの老人として穏やかに杖をつきながら近づいていった。


(あの辺りかの)


 警戒の糸が空気に貼られているのが、見えた。


(これだけ息を殺し、警戒できているのはたいしたものじゃが、それが見えるようではまだまだ)


 四人いるようだ。強く警戒している者がふたり。息を殺し、震えている者がふたり。

 サルコウの存在に気づいた瞬間まで輪になっていたであろう座標で、サルコウは立ち止まる。八つの瞳が向けられているのが感じられる。


「隠れておるのは解っておる。出てきなさい」


 空間の色が変わった。向けられていた目線が一時的に消える。目配せで意思を取り合っているのだろう。

 ザッ、と靴底で砂を擦る音。斜め後ろから、ふたり。


「爺さん、何者だ?」


 二人の女がいた。ひとりは灰色のコートを着た大柄な女。睨みを効かせた目には獣じみた迫力があるが、まだ十代の後半か二十くらいに見える。

 その半歩後ろに、もうひとりの、群青色のジャンバーを着た子が立っていた。華奢だが力強い目をしている。

 いた。

 揺らぐ記憶と、その子の姿が重なる。


「何者か、と問われれば、そうじゃな。おぬしらを探しにきた、ただの老人じゃよ」

「ただの老人? そうは見えねえな」


 その女は大柄に見えていたが、よく見ると体はそれほど大きくない。獅子の(たてがみ)のような量の多い髪と高身長、鍛え上げられた肉体、獣のような迫力が、そう見せているのだ。

 そして、赤紫に輝く、獰猛な瞳。

 ほっほっほ、とサルコウは嗤う。


「ただの老人には見えぬか。まあよい。おぬしは、一昔前にホルンを襲った盗賊の一味じゃな」


 赤紫の瞳が、驚きの色に開かれた後、警戒の色に引き締まった。

 サルコウは隣の女の子に目を向ける。冬の海を思わせる青く鋭い瞳だった。表情にはまだ垢抜けていない幼さが残っているが、都会ではなかなか見かけぬ引き締まった顔立ちだった。十代前半くらいだろうか。


「おぬしは――」


 言葉を言い切る前にサルコウは飛び上がる。

 元いた場所を光の筋が貫いていたのだ。


「メアリ」


 青の子が赤紫の子を睨んだ。


「心配すんな。避けられるのをわかって攻撃してんだよ」


 サルコウは着地し、再び彼女たちと向き合う。


「なかなか良い攻撃じゃ。動きに無駄が少ない。だが少ないだけじゃな。まだまだ残っておる」

「ああん?」

「どうじゃ、ワシと一戦交えてみんかの」


 彼女たち二人の背後の建物の陰に、四つの瞳が見えた。そちらへ目をやると、その瞳たちは小動物のように首を引っ込めた。

 サルコウはメアリと呼ばれた赤紫の目の女へ視線を戻す。挑戦的な笑みだ。


「いいねえ。長らく他人と戦ってねえからな。受けて立とうじゃねえか」


 隣の子が「メアリ」と短く諭すが、当のメアリは「いいじゃねえか別に」と嗤った。


「その前に爺さん、ふたつ言っておきたいことがある。ひとつ。オレは盗賊の一味じゃねえ。盗賊の、ボスだ。そこを間違えるな。そして、ふたつ」


 メアリは、肩幅に足を広げて重心を落とした。


「あんた、サドの仲間か?」

「サド?」

「そうだったらぶっ潰す。そうじゃなかったら、ぶっ飛ばす」


 まばゆい閃光がサルコウを包み込む。

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