第五章 16、闘争-逃走
正面から向かう二人へ、ルーインが炎を放つ。それぞれ左右に避け、壁に向かう。跳ね上がって体を回転させ、二人は壁に着地。ルーインを挟みこむ形になった。
壁を蹴る。
勢いそのままに、ルーインへ拳を打ち込んだ。ルーインは二つの拳を片手と片手で受け止める。
掴まれた途端、シオリもメアリも、その手に力が抜けたのを感じた。それどころか、自らの体重さえも消えた気がした。
手を掴んだまま、ルーインは軽々と二人の体を、ぶつけんと振るう。
シオリは掴まれた拳を爆発させた。自らの手にも鈍い痛みが走ったが、ルーインも同じらしい。顔が歪み、掴んだ手が開かれた。爆発の勢いを利用し、飛んでくるメアリの体を飛び越える。二人は宙で十字を描き、再びルーインを挟みこんだ。
同時に体を翻らせた二人は、まるで鏡で写したよう。シオリは右手で頭を突き、メアリは右脚を回し蹴る。ルーインは身体の側方へL字に曲げた腕を出し、盾にする。二人の攻撃が、あっけなく片手で弾かれた。二人はその反動を利用し、片足を軸に回転する。シオリは蹴りを、メアリは拳を向けるが、ルーインは一瞥もくれず、最低限のモーションだけを行い、手首でのあたりで受け止めた。
手を弾かれる前に、メアリは拳を広げ、光線を放つ。薄く仰け反ってルーインは躱す。その光は、シオリの耳の横を通り抜けた。
二人の目線が、合致する。
シオリは体を回しながら地面に伏せ、ルーインの太ももに脚を薙ごうとする。同時に、メアリは光線で首を薙ぎ払う。物理的に避けきれるはずのない攻撃だった。
ルーインは仰け反った。光線が鼻先をかすめる。それは、シオリの攻撃を受けることを意味していた。
ルーインの脚を蹴る実感を、シオリが得ようとしたその瞬間、ルーインの足元が爆発した。眼前の衝撃に吹き飛ばされ、シオリは背中を壁に打ちつける。
ルーインは爆風の勢いで宙返りをし、静かに着地した。まばたきにも満たぬ一瞬の隙を、彼女は鮮やかにくぐり抜けたのだ。
「今回は、息が合ってるじゃないか」
パン、パン、とルーインはくぐもった拍手をする。
「だが、あたしひとりにも、満たない」
「うるせえよ」
「ところで、お前の〈光〉は共闘だと半分しか活かせないんじゃないか?」
「閃光のことか?」
これまでメアリは一度も閃光を使用していない。あの能力は、共闘の際には使い勝手が悪いのだ。
「確かに、仲間の目も塞いじまうもんな。だが、オレはそこまで仲間想いじゃないぜ」
シオリは小さく頷く。
階段を登る前――サドと会った後に「ルーインが現れたら、私が止める。だから、あなたはみんなを引き連れて逃げて」と無理やり約束させた後の、メアリの言葉。
――オレからもひとつ約束だ。オレはお前のことなんて構わず閃光を放つ。自分の目は、自分で守れ。いいな。
メアリの閃光をルーインは無効化する。
ルーインが消滅させられるのは、自らに触れたものだけだ。たとえば、火の玉のようなものであれば、触れれば球体ごと消すことができる。しかしメアリの〈光〉のように断続的に放ち続けるものは消し切ることができない。自らへの被害をなくすのみだった。
そのため目が眩むことはないが、視野はかなり狭められる。メアリもシオリも見えない。しかし立っていた場所は覚えている。
ルーインは地面に爆発を与え、天井へ飛んだ。爆発の音や光を消し、それを誰にも悟られないようにする。
記憶にあるシオリの位置へ、炎の弾丸を五月雨のように打ちこんだ。
だが、弾丸が床で弾かれる音が聞こえても、シオリの悲鳴は聞こえない。
(何故)
突如、鼻の先に拳が現れた。
そのスピードに対応できるはずもなく、目と目の間に衝撃が走る。脳が揺れ、平衡感覚を失い、吸い込まれるようにして地面に叩きつけられた。
閃光が消えても脳が痙攣している。すぐには立ち上がれない。
仰向けで倒れるルーインに、影が被さった。シオリだ。しかし彼女の青い瞳は見えなかった。
サングラスをかけていたから。
「今のは、ユメお姉ちゃんのぶん」
シオリの拳が、振り下ろされる。
「そんなもん持ってたのかよ」
メアリはつぶやく。ルーインがギリギリでシオリの拳を避けたのを眺めがら。
「似合わねえな」
「うるさい」
地味なカリサと派手なサングラスの相性は、笑えるほどに悪い。だが、メアリの能力との相性は、笑ってしまうほど良かった。
「これでもう、遠慮はいらねえな」
メアリは再び閃光を放った。
光に包まれたルーインやシオリの動きを、メアリは見ることができない。警戒の糸を強く張り、意識を集中させた。
その頃、光の中でシオリとルーインは格闘を繰り広げていた。
ルーインの二つ目の〈魔力〉は触れた情報を消すものだ。それは体のどこに触れたとしても可能だが、手で消すのがもっとも精度が高い。先ほど顔へ受けた一撃に対処できなかったのはこの精度が低いせいでもある。
物理的な衝撃のない閃光なら手でなくても――眼球でも消すことができる。しかし〈魔力〉を使う意識を向ける必要がある。
それに比べ、サングラスをかけているシオリは、閃光に何ひとつ意識を削がれることはない。
ルーインはできる限り距離を取りながら戦おうとするが、処理が一瞬遅れるせいか、シオリをうまく引き剥がすことができない。
とうとう、シオリの拳が耳にかすった。
「追い詰められる側の気持ちは、どう?」
シオリの挑発に、ルーインは答えない。答える余裕がないのだ。〈光〉への防御の処理と、もうひとつの処理に集中していたために。
ルーインは、指を鳴らした。
シオリがその意味を悟ったのと、細やかな爆発に包まれ吹き飛んだのは同時だった。
シオリを引き剥がしたルーインは即座にメアリへ向かう。
メアリはそのことに気づくも、スピードでは敵わない。
腕を掴まれ、宙へ投げられる。ルーインから現れた炎が細やかな糸となり、メアリを四方八方に囲む。それらは鎖となり、彼女を縛り上げた。
叫びながら、腕を振ることもできず、メアリは墜落した。そこへ、爆発が連撃をかける。
シオリが背後から襲いかかって来るのを感じ、ルーインはメアリの鎖をほどいた。炎の鎖は幾重もの矢へと変化し、背後のシオリへ射撃される。短い悲鳴が響いた。シオリを貫いた矢は繊維となってルーインの元へ舞い降り、炎の衣となった。憎悪色の、美しくて禍々しい着物。
鼻の上に痣をつくった眉目秀麗の女の目は、冷たく燃えていた。
「あたしの顔に傷をつけた罪は、重いぞ」
ルーインは、シオリへ近づいていく。その歩調と鼓動が同期し、シオリは心が支配されたような感覚に陥った。
一度、ルーインは足を止めた。その足元にはシオリのサングラスが落ちていた。先の粉塵爆発で外れてしまったのだ。
ルーインはそれを見下す。
そして、宝物が、卵を落として割れたみたいな音を立てて、踏み潰された。
頭の中に描かれたユメの笑顔が、紙のように破れた。
「……!」
シオリは、走り出していた。怒りに身を任せ、炎を赤く燃え上がらせ、ぶつかった。
しかし、ルーインの炎の衣は、それを許さなかった。刃物のように薄く鋭いそれは、彼女のリーチを倍に広げていた。それ以上近づこうにも、弾き飛ばされてしまう。肉を切らせて骨を断とうにも、爆発で引き剥がされてしまう。充分に距離をとって対策を練ろうにも、頭に血が上ってうまく思考がはたらかない。その上、一定の距離を保ってルーインが食らいつき、断続的に炎の刃を繰り出している。また、煙が空間に満ちて息苦しさが増していた。
すでにシオリはボロボロだった。持久戦に持ち込む余裕などあるわけがない。
(私の炎では、ルーインには勝てない)
同じ能力でも、あまりに経験値が違った。
それならば、なんとしても〈肉体強化〉で、――母と同じ力で、仕留めなければ。
炎の刃をしゃがみこんで避け、深く息を吸った。すべての力を賭け、地面を蹴る。どんな盾をも、壁をも貫かん、と。
瞬時、爆発。
そこへシオリはより大きな爆発を自身の背中にぶちあてた。
ついに、手が届くところまで来た。頭で突こうと、そのままぶつかっていく。
そのとき、ルーインは笑った。狂気の笑みだった。
炎の手が、シオリの頭に向けられる。鷲掴みにせんとする、黒く巨大な炎だった。
とっさに、シオリは右腕でかばった。腕が掴まれる。
その瞬間、腕の力が消された。その腕が、手が、肩が、茨のような黒い炎に包まれる。
煙たい空間に、断末魔が響いた。
肩から先に鋭い痺れが走り、その何倍もの太さに腕が膨れ上がり、幾多もの槍が突き刺さり、血飛沫があがる。その飛沫さえも、地面に落ちる前に炎で乾いてしまう。
まぶたの裏に、そんな景色が広がり、縮んだ。
地へ落ちていくのを感じながら、薄ら目を開ける。吊り上がった口元が、まどろむような視界の中で、鈍く光った。
刹那。暗く狭い視野を、まっすぐな光が切り裂いた。
肉が焦げるようなにおい。その正体を考えることもできず、シオリは落ちていく。だが、硬い地面に落ちる衝撃は、こなかった。その代わりに、温かいものに包まれた。その後で、墜落の鈍い衝撃が走った。痛みはなかった。何かに緩衝されたのだ。
「ったく、なんでこうも落ちるガキを受け止める役割になるんだよ、オレは」
ゆっくりと、目を開ける。何も見えなかった。顔が何かやわらかいものに覆われているのだ。
背中に回されていた腕が離れ、体がころんと床に転がったとき、メアリの胸に顔がうずくまっていたことに気がついた。
「ちょっとま気を失っちまってすまなかったな。だから、早く立て。立てねえなら、手を貸せ。オレが起こしてやる」
手を掴まれ、引っ張られる。消えてなくなったと思っていた右腕が、そこにはあった。水が布に吸い上げられるように、握られていた手から感覚が戻ってくる。
立ち上がると、体がふらついた。その肩が、強く掴まれる。
「あと一撃、炎出せるか?」
「たぶん」
「じゃあ、そいつで仕留めるぞ」
「ざけやがって……」
かすれた声だった。
メアリの光線で吹き飛ばされていたルーインが、壁に体を預けながら立ち上がる。赤い痣の目立つ真っ青な顔からは、生気が感じられなかった。体に吸い付くような細身の衣服もあちらこちらに穴が空き、赤く火ぶくれした肌が露出していた。
いつのまに、あれほどまで傷ついていたのだろう。先ほどのメアリの一撃で、あそこまでなるものなのか。
(もしかすると)
ルーインの黒い炎の衣は、自らをも傷つけるのだろうか。
「あと一撃で仕留められるのは……貴様らだ」
巨大な黒煙が湧き上がった。おぞましいまでに造形の崩れた炎は、まるで、泣き叫ぶ女人の顔のよう。
禍々しい火炎が、この広い廊下を覆いつくすほどに膨れ上がり、シオリたちへ放たれた。地鳴りのような低周波とともに、赤子の悲鳴のような甲高い音が耳を覆う。
その間となる中域を、メアリのささやきが埋める。
「行くぜ、シオリ」
「ええ」
メアリらを想う。
ユリアを想う。
ユメを想う。
母を想う。
(みんな、力を貸して)
胸に手を当てて、息を吸う。
撃つべき敵を、双眸で見据える。
温かいものが、体の奥に染み込んだ。
それが火種となり、蒼い炎が噴き上がる。
(こんなところで、負けるわけにはいかない!)
シオリは決意の一撃をその手に込め、炎を放った。
メアリは、神々しいまでの光の筋を、蒼い炎に絡ませる。
黒と、白と蒼が衝突した。
すべてを飲み込む、惨禍の黒。
不条理な闇を貫く、正義の白。
大切なものを想う、誓いの蒼。
黒は酸素を喰らい、肥大していく。
床を、壁を、天井を焦がし、ついに蒼を覆い尽くす。
物理的な力のない白は、蒼に温度を与えていく。
蒼は輝きを増し、闇を浄化していく。
そして、爆ぜた。
大地が揺れ、巨大な旋風が吹き荒れ、隙間なき音が空間を支配する。
シオリもメアリも、その衝撃の前で立っていられるはずはなかった。吹き飛ばされ、背中を床に引きずらせる。
あまりの熱に、目を開けると眼球が焼かれてしまいそうだった。
じっと床に伏せ、混沌の慟哭が途絶えるのを、待つことしかできない。
音が薄れ、風が止まり、揺れが収斂する。焦げ茶色に濁った煙だけが残り、シオリたちは目を開ける。
「やったか……?」
シオリは口を結び、薄れゆく煙を見据える。二度と消えることがないのでは、と思えるほどの濃い煙も、少しずつ色を薄めていく。視界が穏やかに広がっていく。ゆっくりと、ゆっくりと。着実に。
とうとう廊下の果てが見えるようになった。そこに、ルーインの姿はなかった。
「え……?」
ボウッと、マッチのに火がつくような音。視界の外――斜め上からだった。
見上げる。
炎の塊が眼前に迫っていた。
避けられるはずもなく、二人は頭から被弾し、引き剥がされるようにして吹き飛ばされる。
壁に背中を打ちつけられたとき、ルーインが、天井の配管にしがみついていたのが見えた。そして、彼女はその手を離し、落ちる。着地もできず、鈍い音を鳴らして地に伏せた。
シオリもメアリも体を動かせない。
しかしルーインは這いあがるようにして立ち上がった。
「ざけやがって……。二人がかりとはいえ、よくもあたしの炎を相殺してくれたな」
壁に半身を預け、足を引きずりながらシオリへ踏み寄る。
シオリの体はもう限界だった。逃げようという意思すらも、まるで起こらず、薄れかける意識の中でルーインを見つめることしかできなかった。
「あの記者みたいに、知力を消してやろうか? それとも、そのむかつく頭を、骸骨になるまで燃やしてやろうか?」
「させるか!」
メアリ。
ルーインが小さな炎の玉を放つ。弱々しくて速度の遅い塊だったが、メアリにはそれを防ぐ力はなかった。胸に喰らい、再び倒れた。
「シオリ……」
かすれたメアリの息の音が、かすかに聞こえた。
万事休す、だった。
ゆっくりと息を吸いながら、シオリは階段に登る前の会話を思い出していた。
――ふたつ、約束してほしいことがあるの。
ひとつは、ルーインが現れたらシオリを犠牲にして皆を逃すこと。
もうひとつは。
――これは、もし私たちがやられそうになったとき。最後の最後、もうどうしようもない、ってときのことなんだけど。ひょっとすると、ほとんど体が動かせないくらいボロボロになってるかもしれないけど、最後の力を振り絞って、やってほしいことがあるの。
そこで記憶の景色が途切れ、現実に引き戻される。ルーインの脚が、掴むことのできるほど近くにあった。
「あの女みたいになるか、それとも骸骨になるか。選ばせてやろう」
ルーインはシオリの髪を掴み、引っ張った。皮膚が伸びる痛み。憎悪と憤懣の吐息。
「どちらがいい? ほら、言ってみろよ。顔を近づけてやるから、かすれた声でも聞き取ってやるから、言ってみろよ」
視界いっぱいに暗い藍色の瞳が映った。濁った瞳だった。
ルーインの言葉を聞きながら、シオリは〈肉体強化〉の力を、体のとある一箇所に集中させていた。
「ほら、どうした? 早く言えよ。五秒待ってやるから、その間に考えるんだな。五、四、」
腕や脚だと、もうボロボロすぎて、力を入れても動かすのがやっとだろう。でも、とある一箇所 ―― そこならば、まだ余裕はあった。
「三、」
同時に、腕にも少しずつ力を入れていた。手を、引きずりながら、口元へ運んでいく。
「二、」
そして、その指を、咥える。
「一、」
――私が指を咥えたら、耳を塞いでほしい。
ゆっくりと吸い上げ続けた息を、とある一箇所―― 肺に集中させた力を使い、一気に吹き出した。
耳をつんざく甲高い指笛が、建物中の空気を震わせる。シオリの特技である指笛は、反響物の少ない外であっても、近くにいる人は耳を塞がるを得ないほどだった。
その爆音が、〈肉体強化〉で強化され、金属製のよく響く廊下を執拗に反響し、爆散する。
倍音の少ないそれは、鼓膜を、皮膚を、脳を、引き裂くようにして貫いていく。
遠く、遠く、研究所中に。爆音をも通さない分厚い扉すらをも、暴力的に。
その音をもっとも近くで、かつ不意打ちで受けたルーインは目を見開いていた。何が起きているのか、反射神経ですら理解が追いついていない。
耳小骨が熱を帯びるほどに震え、蝸牛が警報を鳴らし、脳をしばらく揺らし続けると、ようやくシオリの髪を掴んだ手が離れ、自身の耳を覆った。
彼女がいくら叫ぼうと、シオリの指笛に飲み込まれ、救難信号は誰にも届かない。
シオリの息が切れた頃には、ルーインは身体をうずくまらせ、痙攣する他なかった。
「……とんでもねえ音だな」
痛そうに片目を瞑ったメアリがシオリへ近寄る。
「事前に耳を塞げって言われてなかったら、オレもお陀仏だったぜ」
「……あはは」
「とどめはさせていないし、オレの仲間たちも取り返せてないが、帰るぞ。こいつのポーチを漁ってる間に目が覚められたら、今度こそお終いだ」
悔しいが、その通りだった。ユリアやフミ、リザらを奪還できたのが幸いだった。
メアリの手がシオリの手を掴む。男勝りなメアリとは思えぬほど、か弱い力だった。
「ありがとう、メアリ」
腕がメアリの首の後ろへ回される。シオリは持ち上げられた。
メアリは右肩でシオリを支えながら、左手を壁に添える。足を引きずらせ、歩き出した。
× × ×
「とてつもない音だったな」
サドの声でルーインは意識を取り戻した。
耳鳴りがひどい。地面がぐるぐると回っているような感覚さえある。
この廊下は音がよく響く。歩いてきたはずのサドの足音で目覚めない自分に、溜息した。
「君のこれほど無様な寝姿も珍しい。見る人が見れば高い価値がつくのかもしれないな」
「うるせえよ……。ああ、頭がギンギンする……」
「仕方がない。廊下に仕掛けていたカメラのマイクがお釈迦になってしまったほどの音だったのだから。スピーカーまで壊れなかったのが幸いだ。きっと、部屋の中にいる他の子たちもさぞ驚いただろう」
ルーインはうつむき倒れたまま応答しなかった。
「一応私の声が聞こえてはいるんだろう」
「ものすごく、遠くに聞こえる」
薄く目を開け、声の方へ目をやる。思っていたよりサドは側に立っていた。
「よくやった。上出来だ」
「あんたも参戦してたらもっといい出来だっただろうに」
「すまない。戦闘には不慣れだから」
「あたしだって〈あの光〉の前は戦闘経験なんてない。あたしが言いたいのはそんなことじゃなくて、あの指笛の後に来てたら、赤ん坊でもあいつらを捕獲できただろってことだ」
後半の言葉には、サドは答えない。
「そうか。これからは善処しよう。場所の確保もできたことだからな」
「場所? ……ああ、準備ができたのか」
ようやく、ルーインは腕と足を動かす。まだ平衡感覚は不安定だが、ふらつきながら起き上がることには成功できた。
サドは手を貸すこともしなければ、物珍しそうな目を向けている気配もない。起き上がろうとする人の手を引くという思考もないのだろう。
「つい今しがた連絡があってな」
「嘘つけ。どうせあいつらがここに来るより前だろ」
「明日にはここを出ようと思う」
ルーインは息をつき、肩を壁に預けた。肩の布は破れていて、肌がむき出しになっている。壁はまだ熱を帯びていた。
「はいはい。しばらくここで滞在していたが、驚くほど名残惜しくないな」
「私は名残惜しいよ」
「嘘くさい」
「では、最後の仕事を頼む」
「ということは、そんなに長いこと意識を失ってたわけではないのか」
「数分だ」
「それなら、保険適用内だな」
ルーインは〈玉〉をひとつ取り出し、開いた。
× × ×
「なんとか、ここまで来られたな」
シオリ、メアリ、ユリア、フミ、リザ、マヤの六人はメアリの車までたどり着いていた。まだ夕方にもなっていないとは信じられないほど、戦っていた時間が長く感じられる。
他のメンバーに両肩を預けていたメアリは「もうだいじょうぶだ」と言い、車にもたれかかった。
「それにしても、あの音すごかったですね」
フミがシオリへ目を輝かせていた。シオリがこの距離でフミを見たのは初めてだった。幼いながらも都会の人のように、品性のある顔立ちだと感じた。
「ほんと! リザ怒りそうになったよ!」
ぷんぷん! と頬を膨らませるリザ。
あのとき、シオリとメアリ以外は一階にいたが、二手に分かれていた。マヤとリザはすぐ出られるように入り口へ、フミとユリアは念のために階段すぐ下でシオリたちを待っていたのだ。
比較的近くにいたフミやユリアはともかく、それなりに離れていたリザたちのところまで指笛が痛いほど聞こえていたというのだから、我ながら恐ろしい技だとシオリは思う。笑おうとすると、体のあちこちが痛んだ。
「だいじょうぶ⁉︎ シオリ!」
「ちょっとだいじょうぶじゃないかも……」
シオリは、笑顔を歪める。
「でも、ユリアを守ることができてよかった」
「シオリ……」
その甘い光景を見ていたフミの頭を、メアリの大きな手のひらが包んだ。くしゃくしゃと髪を乱れさせる。
「オレがいなくて、寂しさで泣いてなかったか?」
「な、泣いてないです! ユリアさんもマヤさんもリザちゃんもいましたし、メアリさんがいなくてもまったく心細くなかったです! メアリさんなんて不要です!」
「……それはそれで傷つくな」
「ご、ごめんなさい! そんなつもりじゃ」
そのやりとりに、どっと笑いが起こった。
こうして大人数で笑っていられることが、シオリには夢のようで、どこか浮遊感があった。
その笑いが収まった後、メアリがつぶやく。
「たった四人しか奪還できなかったな」
シオリはそれぞれ目を配らせる。ユリア、フミ、リザ、マヤ。
「もうひとり、います」
そう言ったのは、フミだった。
フミに注目が集まると、彼女の顔が紅潮し始めた。「あ、いや、その」と慌てた後、「ですよね、マヤさん」と言葉を投げた。
マヤは仄かに微笑む。
「そうだな。私の〈魔力〉を使えば、マユをここに連れてこられる」
「え?」
「私の――正確にはマユと私の〈魔力〉は、〈絆〉。離れていても互いの座標が解り、瞬間移動ができる力」
「瞬間移動?」
首を傾かせるシオリ。対して、メアリは「瞬時に別の場所に移動するってことだ」と説明した。
「だろ? マヤとやら」
「その通り。私たちの力は、この距離でも問題なく届く。マユが〈玉〉から出されれば、即座にここへ瞬間移動できるだろう。他の誰かに触れていれば、一緒に私の元へ移動することもできる」
そんなことが、とシオリはつぶやく。
ユリアは笑った。
「ユリアも初めて聞いたときは信じられなかったよ。って言っても、まだ見てないから信じられてないんだけど」
そこで、メアリは指摘した。
「でも、あの腕輪つけてるなら、できないんじゃねえのか? あれつけてたら〈魔力〉使えねえんだろ? いまオレがお前の腕輪を外したところで、向こうにいるほうは腕輪つけてるだろ」
言われてみればそうだった。皆が少しずつうつむき、閉口する。フミに至っては「ごめんなさい」と頭を下げていた。
しかし、マヤだけは、うつむいていなかった。
「問題はない」
全員の視線がマヤに集まる。マヤは、研究所へ首を向けていた。ずいぶん遠くにあるのに、まだあまり離れていないような気がしてしまうほどの、巨大な建物だった。
「問題ない、っていうのは?」
シオリが尋ねる。
マヤはその問いかけにはすぐに答えず、歩き出した。彼女の歩く方向には、リザがいた。
「どしたの?」
疑問符を浮かべて見上げるリザの肩を、腕輪をつけたほうの手で、マヤは掴んだ。
「こういうことだ」
すると、マヤとリザが、消えた。
「……え?」
突然の出来事に、誰もが思考を失った。鳥のさえずりと、虫の声、そして沈黙が残される。
取り残された四人の間を、冷たい律の風が吹き抜けた。
ルーインのテーマ楽曲「Ruin」公開しました。
下のリンクからぜひお聴きください。




