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ゲット・アウェイ・ガールズ  作者: 中條利昭
第一部 〈あの光〉篇
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第五章 14、ふたつまみの餌

 二階の廊下はシオリとメアリが横に並んで腕を広げても少し余裕がある幅だった。天井はシオリとメアリの身長を足したくらいだろうか。かなり高いが、天井は不気味な配管が隙間なく張り巡らされていて、不思議な圧迫感がある。

 音がよく響くため、彼女たちはなるべく静かに歩いていた。


「自分がどこにいるか、よくわからなくなる通路だね」


 広い間隔でひとつずつ、建物内側に扉があった。入り口の扉とよく似ていて、横には九つのボタンのついたパネルがあった。唯一の違いは、メアリの目線あたりに長方形の小さな金具がついていたこと。部屋番号などを書かかれた紙か板をはめるためのものだろうが、いまは何も入っていなかった。

 現在、円形の廊下を右回りし、その扉を三つ素通りしたところだ。歩いた距離は少なくないが、このフロアへ登ったときとまるで景色が変わらない。


「あれが四つ目だな」


 メアリがそう言うと、シオリの鼓動が低い音を鳴らし始めた。緊張しているらしい。

 扉にはコの字を縦に伸ばしたような取っ手がついていた。その上に鍵穴がある。

 扉の金具に『1』と書かれた板がはめられていた。これまでにその板がなかったということは、ルーインに捕らえられた人たちがいるのは、ここから先なのだろう。

 シオリは『1』と書かれた鍵を手に取り、鍵穴に刺す。音は聞こえないが、扉の向こう側の空気に糸が張られたのが、伝わった。間違いなく、誰かがいる。

 カチャリ、と重たい音が響く。廊下に。そして、シオリたちの心に。

 一呼吸し、慎重に扉を横に引く。


「……シオリ?」


 五人の女の子がいた。その中のただ一人を、声の主を、シオリは一点の迷いなく見つめる。


「ユリア……ユリア!」


 ユリアは駆け寄る。

 シオリも走る。

 ふたりはぶつかるようにして抱き合った。


「ユリア……よかった。怪我はない?」

「うん、だいじょうぶ。ありがとう、シオリ……」


 泣きじゃくるユリア。シオリの肩が濡れていく。シオリは、ユリアの頭をやさしく撫でる。やわらかい髪だった。


「ったく、元気なやつらだな」


 メアリが部屋に入ると、ひとりの女の子が呆然とした様子で口を開けた。


「メアリさん……」

「よお、フミ。迎えにきたぜ」


 フミも泣きながら走り出した。メアリは立ち止まったまま、胸でフミを受け止める。


「怖くなかったか?」

「怖かったけど、信じていましたから……。メアリさんたちが、すぐに来てくれるって」


 フミの頭をポンポンと叩き、メアリはユリアへ歩み寄った。


「ユリア、元気か?」

「う、うん」

「この間は、サンキュー。助けてくれて」


 少しだけ顔を染めて、頰を掻くメアリ。視線もユリアと合っていない。

 そんなメアリを初めて見たシオリとユリアは、おかしくて、笑った。


「なに笑ってんだよ」

「別に?」

「やっほー、シオリちゃん」

「リザ?」

「久しぶりだね! 背伸びたー?」

「背が伸びるほど久しぶりでもない気がするんだけど」

「それもそだねー」


 そのほかに、もうふたりの少女がいた。短髪の子と、長髪の子。髪型は違うが、背丈や顔は同じだった。


「あなたたちが、メアリとシオリね」


 ふたりはマユとマヤと名乗った。ユリアとフミよりもずっと前からここにいるらしい。


「あなたたち、ここの所長とは会った?」

「はい」


 シオリが答える。


「銀色の目の人ですよね」


 戦ったりはしてないんですか、とフミ。


「うん。戦うつもりはなかったみたいで。鍵くれたし」

「罠じゃ、ないんですか?」


 シオリはメアリへ目配せした。メアリは、フンッと鼻を鳴らす。


「罠だとしても、罠ごとぶっ潰すだけだ。ほら、次行くぞ」






「その腕についてるやつ、なに?」


 部屋に出てから、シオリはそれに気がついた。ユリアたち全員の腕に、金属製の腕輪がついているのだ。

「ここに来てすぐのときにつけられたの。これをつけてると、〈魔力(マ・ラギ)〉を使えなくなるみたい」

「〈魔力(マ・ラギ)〉を?」


 なるほどな、とメアリ。


「そうやって閉じこめてるわけだ」

「ユリアは元から〈魔力(マ・ラギ)〉使わないから変わらないけど」


 フミが「わたしも」と答えると、リザも「リザもー」と挙手する。


「その腕輪は外せないの?」


 シオリはユリアのそれに触れる。硬かったが、見た目のわりには軽そうだった。


「あとで〈(レイラ)〉の熱で溶かしてやるよ。今は他の連中を助けるのが先決だ。鍵を貸せ、オレが開ける」


 次の扉の前に立ち、シオリから受け取った鍵を鍵穴へ入れる。迷いなく扉を開けた。

 シオリも顔を覗かせる。覚えのある顔がいくつも見受けられた。


「ボス!」

「迎えにきたぜ、おめえら」


 彼らの平均年齢はおそらくシオリよりもずっと上だが、目に涙を溜める者も複数いた。

 メアリがこうして慕われている理由を、シオリは言葉でなく、感情で理解していた。乱暴な性格ではあるが、誰よりも芯が強くて、たくましい。彼女は慕われるべくして慕われているのだ。

 フミのように抱きつく子はいなかったが、ゆっくりとメアリへ近づき正面で立ち止まった女はいた。エリカだ。


「よっ、ボス。急だったからちょっとびっくりしました」


 笑顔で、彼女は拳を突き出した。その拳に、メアリは拳をあてがう。


「元気そうだな、おまえは」

「あっしだけじゃなく、みんな元気っすよ。ずっと遊びまくってました」

「人が苦労してここまできたってのに、呑気なもんだな」


 ひとつ笑った後、メアリは声色を下げた。


「ここにいるのは、おまえらだけか?」

「はい。あっしたちよりも前に連れて行かれた連中は、この部屋には居ません。他の部屋にいるはずです。昨晩会ったから間違いないです」

「会ったのか」


 エリカは、朝と夜に一度ずつ外に出られることを話した。また、頼めばそれ以外の時間でも出してくれるらしい。外へ移動するときは〈(メロウ)〉に入れられたのだそうだ。

 マユが言った。


「少なくともまだ十人以上は閉じ込められてるはずよ。どうにか助け出せないかしら」


 マヤが続ける。


「今の私たちでは〈魔力(マ・ラギ)〉すらも使えないから、どうしようもないが」


 メアリは少しだけ悩んだそぶりを見せたが、すぐに「そうだな」と頷いた。


「仕方ねえ。〈(レイラ)〉で他の扉開けに行くか」


 シオリは嫌な予感を覚えた。

 メアリの気持ちはわかる。だが本当にこれほど簡単に救い出せていいのだろうか。どこか、不気味な香りがする。この現状が罠である可能性がある以上、あまり長居もしたくなかった。


「メアリ」

「わかってる。だが、このまま置いてけぼりにもできねえだろ」


 メアリの眼光に、慎重な色が見て取れた。彼女もわかっているのだ。それでも、この機会を見逃すわけにはいかない、と。


「……そうね。あの男は戦う気がなさそうだし、ルーインが出てきたところで、」

「ぶっ飛ばすだけだ」






 メアリとシオリが先頭に立ち、彼ら十三人はぞろぞろと廊下を進む。

 次の扉には『3』と書かれていた。

『1』の扉にはユリアたち五人が、『2』の扉にはメアリとフミ以外のゲット・アウェイ・ガールズ六人が入っていた。この『3』の扉にもそのくらいの人数がいるのだろうか。


「じゃあ、ぶっ壊すぜ」


 メアリは手の上に光の筋を召喚した。鉛筆のような細長い光だ。少し離れているシオリにも、その熱がかすかに感じられる。

 それを、扉へ向けたときだった。


〔聞き分けの悪いものには、ひとつまみの餌を与えてやれ〕


 扉から、女の声。

 この場にいた全員が硬直する。


〔ひとつまみの餌で満足せぬのなら、もうひとつまみ与えて様子を見ろ〕


 まるで、詩を詠むようなリズムだった。


「この声は……!」

「逃げましょう!」


 やはり罠だった、と皆が走り出した。大人数が走る音が廊下を響き渡るさまは、崖崩れを連想させる。

 そんな中、シオリは違和感を得ていた。


(ユリアが言ってた。この扉は外の音がほとんど聞こえないくらい分厚い、って)


 メアリも固まったまま、冷や汗を目尻に落としていた。なにかを考えているようだ。

 リザがぼんやりと彼女たちを見上げている他は、全員すでに逃げて始めていた。


〔ふたつまみの餌でも満足できぬなら、そやつに生きる価値はない〕


「……シオリ?」


 九歩ほど逃げたのち、ユリアは固まったままのシオリたちに気づき、立ち止まって振り返った。フミも足を止める。

 シオリは考えていた。


(どうしてこの中から音が)


 いや、違和感はそんなことじゃない。

 なぜ、この扉から声を出して、みすみす逃すような真似を ――。


「戻れ! 罠だ!」


 メアリが叫んだ時、すでに彼らの先頭は『2』の扉の前までたどり着いていた。

 開け放たれたままの、扉の前に。


〔餌を与えたその手で刃物を握り、殺してしまえ〕


 刹那、その扉いっぱいに光が飛び出した。

 シオリの脳裏に、最後に見た母の姿がよぎる。シオリへ手を伸ばし、叫びながら、光に飲み込まれる母の姿。

 瞬く間に大勢が飲み込まれてしまう。

 光に音はない。急いで立ち止まる群衆の音と、メアリの叫びの余韻だけが金属の筒の中で響いている。

 光が消えると、その場にはひとりの影すらも残らなかった。

 誰も身動きひとつできなくなった空間からすべての音が途絶えたとき、カツン、と硬い足音が響いた。

 カツン。カツン。

 鷹揚に、そして嬌態に、扉からひとりの女が姿を現す。

 腰までまっすぐに伸びる、漆黒の髪。美しい体の曲線に張り付く、闇色のドレス。端正な顔立ちの中心で燦然と輝く、藍色の双眸。

 鮮やかで音程の低い、尖鋭な声。


「ごきげんよう。強欲にまみれた盗人どもよ」

「てめえ……!」

「与えられた餌だけ持って帰れば、何も失うことはなかったのに。哀れなものだ」


 ルーインに近いエリカやマヤらが、構えたまま少しずつ後退していく。


「おそるおそる退かなくとも、走って逃げればいいのに。『ゲット・アウェイ(逃げる)』ガールズなんだろ?」


 ルーインが一歩踏み込むと、エリカたちが一歩下がった。

 ルーインはあざ笑い、聞こえよがしに言う。


「そういえば、あたしの後ろに逃げ道があるんだったな。そっかそっか、せいぜい頑張ってあたしを倒すことだ」


 シオリは残っている仲間の数を、ルーインに近い側から数える。


(エリカ。マヤ。フミ。ユリア。私。リザ。メアリ)


 光に吸い込まれたのは、ゲット・アウェイ・ガールズの四人とマユ。

 〈魔力(マ・ラギ)〉を使えるのは二人だけ。

 全員でここを出るのは、絶望的だった。

 ルーインは得意げに続ける。


「今ならまだ痛みつけれる前に 〈(メロウ)〉に入れてやってもいい。挙手制だ。痛い目に遭いたくなければ手を上げるがいい」


 誰も手を上げなかった。いや、上げられなかった。それどころか、近くにいる者と顔を見合わせること以外、なにもできずにいた。

 そのことをわかっているだろうに、ルーインは「ほう。見ものだな」と挑発するような物言いをする。


「〈魔力(マ・ラギ)〉も使えないくせに、あたしに反抗するか。では、お望み通り」


 熱風が廊下を走った。出現させた蒼炎を、ルーインはドレスのように纏う。


「聖なる業火で、心ゆくまで炙ってやろう」


 ルーインはシオリたちの側へ手をかざすと、ごお、という音と光を爆発させ、巨大な炎を創り出した。この広い廊下を覆い尽くす、巨大な炎の塊。

 逃げ道など存在しない。

 炎はゆっくりと廊下を喰らい潰していく。

 エリカたちが走りだした。巨大な炎は速度こそ低いが、人の走りよりは速い。

 皆が炎へ背中を向ける中、ただひとり、シオリは炎へ向かって駆け出していた。


「シオリ!」


 叫ぶユリアの脇を、突風の如く過ぎ去る。

 最後尾のエリカを追い抜くと、シオリは炎の盾を出現させた。ルーインの火炎に比べれば、かわいいほどに小さく不恰好だ。あっという間にシオリごと飲み込まれてしまう。

 シオリの全身を、自身のものとは違う熱が覆いかぶさったとき、シオリは爆発を起こした。内側から球を破壊せんと。

 まばゆい光と轟音、煙とともに、ふたつの炎は弾け飛ぶ。


「シオリ!」


 煙が薄くなっていくと、その姿が見え始める。体を大の字に広げ、カリサを焦がしたシオリが立っていた。

 そのシオリの姿に、ユリアは覚えがあった。あの時だ。ジャネルのかまいたちからユリアを守った、あの時。


「怪我はない? ユリア」


 ユリアの目から、涙が落ちた。

 シオリは振り返り、ユリアへ微笑んだ。あのときのように、ボロボロで、美しい笑顔だった。

 シオリは、メアリへよごれた顔を向ける。


「お願い」


 メアリはなにも言わない。

 するとシオリの目つきが鋭く、睨みつけるようになった。


「お願い、メアリ」

「……かっこつけやがって」


 メアリは舌打ちし、叫んだ。


「わかったよ ―― おいお前ら! オレについてこい!」


 メアリはルーインの背後にあるはずの出口とは逆の方向へ体を向けた。

 ユリアたちは戸惑う。


「この建物は円形だ! この廊下もリング状になっている! この建物には少なくとももうひとつ階段があるんだ! あっちだ! 来い!」


 ユリアも、エリカも、フミも。シオリとメアリへ交互に顔を向けた。


「行って! メアリのほうへ! ここは、私が食い止めるから、早く!」


 それでも困った様子の者がほとんどだった。

 そう、ほとんどだった。

 ただひとり、ユリアだけがコクッ、と頷いた。


「わかった。またね、シオリ」


 涙をぬぐい、ユリアはシオリへ背中を向けた。


「うん。またね」

「みんなも早くメアリさんのほうへ!」


 そこでようやくエリカが、フミが、動き出す。つられるようにマヤも駆け出した。

 リザは首を傾げて立ち止まっていた。

 その華奢な腕をユリアが掴む。


「行くよ、リザちゃん」

「はーい」


 これが、先ほどメアリと交わした約束だった。


 ―― ルーインが現れたら、私が止める。だから、あなたはみんなを引き連れて逃げて。

 ――はあ?

 ――光や熱だけのあなたより、速さと力のある私のほうが適役だと思うの。だから、お願い。


 メアリは首を縦には振らなかった。しかし横にも振らなかった。

 全員が走り出したのを見て、シオリはルーインへ改めて対峙する。


「茶番は済んだか?」

「ええ。待ってくれるなんて、案外優しいのね」

「自信があるだけだ。貴様ひとりに手こずるはずがないという、絶対的な自信が」

「言ってくれるじゃない」


 シオリは深く息を吸う。

 再び母の姿が思い出された。青い目を煌めかせる、偉大な母。多くの大人たちを怯ませた、強い母。

 深く、ゆっくりと息を吐いた。

 そして、構える。


「ここから先は、絶対に通さない」

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