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ゲット・アウェイ・ガールズ  作者: 中條利昭
第一部 〈あの光〉篇
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第五章 12、〈魔に愛された男〉

 外を歩きたくなったらいつでも声をかけてくれ、とリザに言い残し、ルーインは帰っていった。

 また賑やかになったな、とマヤ。

 また窮屈になったけど楽しいわね、とマユ。

 部屋は大きかった。天井も高く、ユリアの実家が丸々入りそうなほどである。五人いてもあまり狭苦しくはなかった。


「ユリアちゃんユリアちゃん! ちょっと背伸びた?」

「そうかな。ん? でも、前会ってから一ヶ月も経ってないよね。わかるほど伸びてるはずないよ」

「さすがー! 偉いねユリアちゃん!」

「あ、ありがとう……?」


 苦笑しながらマユは腰を上げ、リザへ歩み寄る。


「リザ、いまユリアたちはご飯食べてるの。そっとしてあげなさい」

「はーい。じゃあ、早くユリアちゃんがごちそうさまできるように、リザも一緒に食べるよ!」

「それはだーめ」


 マユはリザを捕まえて抱き上げる。立ち上がったシルエットは女性的で美しく、ユリアは一時見惚れてしまう。

 そのままマユは座り、リザを抱いたまま膝に座らせた。

 ユリアは訊いた。


「ねえ、マユさん。この腕輪ってなんですか」

「ご飯を口に入れながら話さないの。せめて手で口を隠しなさい」

「ご、ごめんなさい」


 ふふ、と微笑んでマユは話し始めた。


「ルーインから説明はなかったかしら。これをつけていると〈魔力(マ・ラギ)〉が使えなくなるって」


 説明はあった。でも、ユリアはシオリの暴走を止めた一件以来〈魔力(マ・ラギ)〉を使っていない。発動のさせ方もよくわかっていなかった。そのため実感がないのだ。

 そんなこと、できるんですか? と訊いたのはフミだった。上品に口元を手で隠している。


「こんな腕輪ひとつで」

「できちゃってるから、すごいのよね」


 自分の左腕をユリアは見下ろす。そこに巻かれている腕輪がまるで得体の知れない生き物で、自分の栄養や寿命を吸い取っているような感覚がよぎる。


(そうだ、ここは〈あの光〉が作られた場所)


 この世で一番、得体の知れない場所。


「気持ちが悪いか?」


 顔を上げると、マヤが眼を向けていた。マユと同じ顔だが、鋭利な空気感はマユのものとは違う。


「は、はい」

「そうか。そのうち慣れるだろう。私も最初は腕をちぎりたいほどだったが、今ではなんとも思わない。なんとも、な」


 彼女の語気に、少しずつ空虚な風が含まれていく。


「ここにいると、自分の立場がわからなくなる。ルーインの言っていたとおり衣食住は保証されている。朝昼晩の食事は出るし、布団だって用意されている。基本的にこの部屋に閉じ込められてはいるが、外へ出ることも許されている」

「そうなの?」

「この腕輪のせいで〈魔力(マ・ラギ)〉は使えないが。研究所の周囲は――ルーインたちはここを『研究所』と呼んでいる――何もない更地なんだ。研究所を中心にだだっ広い更地が円形に広がっている。その奥には森があるが、そこまで自力で逃げようとすれば確実に見つかる。外へ出るときは、ルーインか所長の男に監視される。ルーインの〈魔力(マ・ラギ)〉はスピードを活かせるものだから、〈魔力(マ・ラギ)〉の使えない私たちが逃げられるはずはない」


 語り役がマユに移る。


「そもそもね、外で暮らしに困っていた頃より、ここでの暮らしは恵まれてて。少しずつ、どうにかして逃げようという気も失せてしまうの。お日様に浴びたいときにいつでも浴びられるわけではないけどね」


 この部屋には窓がない。外よりも恵まれた環境かもしれないけど、ここにずっといるのは息苦しそうだ。

 マユが口を閉じると、誰も話さなくなった。

 お肉を口に含む。味噌で味付けられたらしいそれは柔らかくて、口の中で芳醇な香りを放ちながら溶けていく。とてもおいしいはずなのに、あまり味が感じられなかった。

 ごちそうさま、と先に言ったのはフミだった。


「ひとつ、質問よろしいでしょうか」

「どうぞ」

「ルーインは外に出かけていることも多いですよね。わたしたちを捕獲するために」

「うん」

「そのときは、外に出るときの監視や、ごはんの用意は誰が」

「ここの主人の男よ。わたしの知る限り、回収された子たちを除くと、ここにはその男とルーインしかいない。ルーインがいるときは、さっきみたいにルーインがごはんを持ってくる。彼女がいないときは、その男よ。銀色の瞳の〈魔に愛された男(マ・ゾメト・ラン)〉」

「まぞめとらん?」

「男性の〈魔の穢れ(マ・ゾルミ)〉のこと」

「そんな人いるの!?」


 口に入れていたものが、唾と一緒に飛び散った。


「あ、ごめんなさい」


 ユリアちゃんきたなーい、とリザ。

 ごめんね、と言っておぼんに載せられていたお手拭きを持って立ち上がる。フミも同じようにして床を拭き始めた。


「ありがと、フミちゃん」

「どういたしまして」


 そんな光景を見て、ふふ、とマユは微笑む。大人びた表情だった。


「〈魔に愛された男(マ・ゾメト・ラン)〉はかなり珍しいみたい。それも、ほとんどありえないくらい」


 フミが尋ねる。


「その男の人の〈魔力(マ・ラギ)〉も、スピードを活かせるものなんですか?」

「外に出たときにわたしたちが逃げられないため、ってことよね」

「はい」

「わからないわ」


 マヤとマユが交互に答えていく。


「朝に外へ出るときは他の部屋の数人も一緒で、ときどき情報を交換したりするのだが、誰も男の能力は見たことがないと言う」

「見たことはないけど、なにかを持っていることは間違いない」

「だから、余計に逃げられない」

「ある種の催眠のようなものなのかもしれないわね」

「たとえ彼が〈魔力(マ・ラギ)〉を持っていなかったとしても、私たちは逃げられない」

「ずっと無表情だし、言葉に抑揚もない。ルーインよりもはるかに怖いわ」

「監視がルーインのときは運が良いと思えるくらいだ」

「あの男のことのほうが多いし」

「ルーインは〈魔の穢れ(マ・ゾルミ)〉を探し回ってるからな」


 息のあった言葉のキャッチボールに、ユリアは「すごい……」と感嘆する他なかった。


「ありがと。リザは何か知ってる?」

「知らなーい」


 外に出ることはできる。外に塀はない。でも、逃げることはできない。それどころか、逃げる気さえも消されていく……。

 胸に、何かが滞り、気持ちが沈んでいく。ごはんはまだ数口残っていたが、もう喉を通る気がしなかった。


「マユさんたちは、ここから出たいですか?」

「出たいわ」

「私も出たいとは思っている」

「リザはどっちでもいいよー」


 フミへ目を向ける。彼女もユリアを向いていた。そして、ふたりは同時に頷いた。

 フミはマヤたちへ語りかけた。ゆっくりと、力強く。


「きっとメアリさんたちが助けに来てくれます。そうしたら、協力して、ここを逃げましょう」

「そのメアリって人は、あなたのお仲間かしら」

「はい。わたしたちの、大事なボスです。髪がボサボサで、乱暴で、無鉄砲な、泥棒です」

「突然その人を信頼するのが怖くなってきたわ」


 悪い人じゃないから、とユリアは苦笑して諭した。


「悪そうな人ではあるけど、悪い人じゃないんで安心してください。盗みで臨海部の人たちを傷つけたのは、あれだけど」


 ユリアがメアリのことをフォローすると、フミは「そのことなのですが……」と一度うつむき、覚悟を決めた強い眼差しをユリアに向けた。


「確かに、わたしたちは盗みをはたらきました。でも、人を傷つけたりなんか、していません」

「そうなの?」

「はい。わたしたちがあの行為をしたのは、目立つためです。〈あの光〉の裏にいる人は、きっとわたしたちを内陸部に閉じ込めたがっています。そこでわたしたちが外に出てアピールをする、ということが一番の目的です」


 そんなこと、ユリアは考えもしなかった。

 そして、その『〈あの光〉の裏にいる人』は、この建物の中にいる。

 身震いした。

 フミはそんなユリアの様子に気づいた様子などなく、続けた。


「そのやり方に、わたしは反対でした。でもメアリさんは言いました。絶対に第三者を傷つけない、傷つけるな、って。こっそり盗むんじゃ意味はないから目立つように、派手に。でも、けっして誰も傷つけるな、って。被害は最低限にしよう、って。だから、わたしたちは賞味期限がそう遠くないような――つまり、近いうちに廃棄処分になる可能性のあるものだけを狙いました。それでも泥棒に違いはないですが」

「でも、怪我をした人もいるって聞いたよ」

「そんなはずはありません」

「でも」

「わたしたちは車に乗って狙った場所に行き、狙ったものだけをいただいて、車でフェンスまでまっすぐ帰ります」

「車?」


 臨海部で出会ったおじいさんの話が思い出される。

 ――ただの泥棒集団なら、すでにひとりやふたり捕まっていてもおかしくはないじゃろうが、不思議な力を持つ〈魔の穢れ(マ・ゾルミ)〉じゃからな。勇敢な一般市民でもなかなか手出しができんし、止めようとしたものの反撃を食らって怪我をしたと話す者もおる。逃げ足が早く、なかなか追いかけることもできんらしい。坂を登って逃げるらしいからの。


 そのことをフミに話すと、彼女は首を横に振った。


「不用意に人を攻撃することは、ボスに誓って――ゲット・アウェイ・ガールズの信念に誓って、絶対にありません。ましてや帰り道で人を襲うような隙間は一瞬たりともありません」

「じゃあなんでそんな話が」

「詳しいことは知らないが」


 マヤが静かに言葉を挟んだ。


「事件現場に怪我人がいた可能性は、充分に考えうる。だが、多分だが、話を聞くところ、フミたちの盗賊行為とは関係がないだろう。自己中心的な喧嘩の末の怪我だとか、つまずいてこけただけだとか。それを〈魔の穢れ(マ・ゾルミ)〉だと言って誤魔化したり、あるいは『果敢に立ち向かった』と言って、自らの矜持(きょうじ)を保とうとしているだけなのではないか?」


 悪寒が走った。悪く言ったり気味悪がるだけならともかく、それを利用して自分を持ち上げようなんて。


「そんな、ひどい」

「〈魔の穢れ(マ・ゾルミ)〉というのはそういうものさ」

「なにも悪いことをしなくても、なにか悪いことをしたように言われる」

「濡れ衣をかぶせるための存在、と形容してもいいかもしれない」

「かくいうわたしも、」

「私も、」

「〈魔の穢れ(マ・ゾルミ)〉に対してそのような酷い行為をしたことがある」

「自らが〈魔の穢れ(マ・ゾルミ)〉となって初めて、その醜さに気づいた」


(濡れ衣をかぶせるための……)


 何度かヘンデ村で空き巣騒ぎが起きたことがあった。その度になぜか、シオリの母ラソンが犯人じゃないか、と話に上がっていたのだ。空き巣の起きた家がシオリの家とは程遠い場所であっても。

 あの村では村長を含めラソンを敵視しない常識人も一定数いたため、罪に問われることまではなかったらしいが、キールたちがシオリをいじめる理由にはなっていた。

 マヤは「自らが〈魔の穢れ(マ・ゾルミ)〉となって初めて、その醜さに気づいた」と言ったが、もしも、キールたちが〈魔の穢れ(マ・ゾルミ)〉に――〈魔に愛された男(マ・ゾメト・ラン)〉になったとしたら、反省しただろうか。


「ごめんなさい」


 フミが頭を下げていた。


「メアリさんが、いえ、わたしたちが誤解を与えるようなことをしてしまって」

「ううん、フミちゃんが謝ることじゃないよ。でも、なんでメアリさんは最初からそう言わなかったんだろう。人を傷つけないように注意していた、って言っていたら、シオリと喧嘩することもなかったかもしれないのに」

「ほんとうにそうですよ」


 吐き捨てるような言い方だった。でも、その言葉尻に失望の色はなかった。むしろその逆で、信頼の裏返しが感じられた。


「きっと、メアリさんも盗みに罪の意識を持ってたんだと思います」

「え?」

「後ろめたさはあったんだと思います。でも、これくらいしないと、アピールにはならない。だから、仕方なく盗みを決行して。でも、『仕方なく』とは思われたくない。リーダーとして堂々といたい。だから、自分たちの行為を正当化するようなわたしの発言を制したんだと思います。汚れ役を引き受けて、ユリアさんたちの糾弾をしっかりと受け止めたかったんだと思います。ただのカッコつけですよ、あの人は」


 その瞳は、きらきらと輝いていた。


「そっか。慕われてるんだね、メアリさん」

「わたしたちのボスですから。本人は『オレたちの間に上下関係はない。全員ダチだ』って言って、ボスとかリーダーって言われるのを嫌ってますけど。それでも、間違いなくメアリさんはわたしたちのかけがえないボスです。わたしたちを助けてくれた――いえ、助けてくれる、かっこいいヒロインです」


 ユリアは大きく頷いた。

 わかるよ、と。


「シオリも、ユリアの大好きなヒロインだから」

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