第五章 9、追跡
どうしてこんなことをしたのか、自分でもよくわからなかった。
視界が真っ白に染め上げられるのを眺めながら、さまざまな景色の断片が、ユリアの頭の中を過ぎていく。
隣にいたエリカが消えたときに「そこから飛び降りろ!」と言って、飛び降りたユリアを受け止めてくれたメアリ。乱暴な人だけど、その体は、すごく温かかった。
戦闘に不慣れなユリアのことを心配して逃がしてくれたシオリ。単に自分が足手まといなだけかもしれないけど、あの後ろ姿はかっこよかった。
メアリがやられそうなときに、彼女のことを一心に思い、駆け寄っていったフミ。自分の安全を顧みずに飛び込んだ彼女に、目頭が熱くなった。
彼女のように勇敢な行動を取れなかった、臆病な自分。助けてられてばかりな自分。〈玉〉が残りひとつなら、そこに入るべきなのはメアリじゃなくてユリアだ、と感じた自分。
「メアリさん、さっきはありがとう。飛び落ちるユリアを受け止めてくれて」
清々しい気分だった。
(助けに来てね、シオリ)
また自分は助けを乞うている。でも不快じゃなかった。
光の奥のシオリと目があった。
ユリアは、笑った。
ユリアの微笑みに、シオリはなにも反応もできなかった。戸惑いだけが身体中をめぐる。
ユリアを包んだ光がひとつの線となり、〈玉〉へ吸い込まれた。とうとうこの場は、遠くから眺めるシオリと、〈玉〉を持つルーイン、倒れるメアリだけになる。
「ユリア……ユリア!」
「さて、お暇させていただこうか」
ルーインは一礼し、俊敏に背後の森の中へ翔んでいく。
「くっ……!」
シオリの周囲に、炎が吹き上がった。外側がところどころ赤くなった、青黒い炎だった。
その炎を爆発させ、シオリは駆ける。
しかし、
「待て」
声をかけられ、反射的に立ち止まらされる。
足元にメアリが倒れていた。自分はメアリを素通りしてルーインを追おうとしていたのだと、今更ながら気がついた。
「落ち着け」
虫の息のような細い声。それが、憤るシオリの神経を逆撫でする。
「こんなときに落ち着いてなんて……!」
「こんなときだからこそ落ち着けってんだ!」
シオリの炎が消える。
その叫びが嘘だったように、メアリは胸を上下させながら、苦しそうに口を開けた。
「ボロボロの怪我人を置いてくのか、なんて言う気はねえよ。でもな、今なんの準備もせずに行ったら、それこそ向こうの思う壺だろうが」
「でも」
「あいつのバイクに、あの気色悪いボールが、補充されてるかもしれねえしな」
「バイク?」
聞いたことはあった。臨海部で見たこともある。一人乗りの、二輪の車だ。自動車は内陸部でも見たことはあったが、バイクは臨海部で見たものが初見だった。
「あのアマ、生意気にバイクで移動してるからな。バイクっつったら普通うるせえもんだが、なぜかあいつのは静かなんだよ」
「それが、ルーインのもうひとつの〈魔力〉?」
「さあな。だが、戦ってみて思うのは、あいつの〈魔力〉は、なんかを消すタイプのものだ。触れた〈魔力〉を消したりするような。ひょっとすると音も消せるのかもしれねえな」
音もなくゲット・アウェイ・ガールズをひとりひとり奪っていったこと。
ユメの知能を消したこと――。
「心配すんな。急がなくたってフミたちはひどい目には合わねえよ、たぶん」
自らに言い聞かせるような言い草だった。
「でも早く追わないと見失って」
「あいつらのアジトならわかってる」
シオリは息を飲んだ。少しだけ目を細め、メアリを眺める。彼女は空を仰ぐだけだった。
「アジト?」
「ああ。気づいているだろうが、前にもあいつに姉妹たちを奪われたことがあってな。さっきのお前みたいに、ついて行こうとしたんだよ。そこでバイクに乗るあいつを見たわけだ。それで、オレたちは必死に探した。といっても、闇雲に動いたわけじゃない」
話を聞きながらシオリは地面に腰掛ける。
「まず地図を開き、あいつのアジトになりそうな場所を考えた。そこでポイントになるのは、〈あの光〉だ。あれは内陸のほとんど全域に及んだが、臨海部には一切及んでいない。つまり、内陸部の中心から放たれたと考えるのが、妥当だろ。この国も、内陸部も丸い形してるしな。あいつがバイクで向かった方角も、内陸の中心側だった」
「なるほどね」
「地図見たらさ、内陸の中心には、かの〈血の研究所〉があるじゃねえか」
「メ・サイコ?」
「血の研究所って呼ばれてる、胡散臭いところだよ。オレの育った村――ここだ――女は初等教育までしか受けられねえから、詳しいことは知らねえが、いかにも怪しいだろ。でかい建物らしいし、回収した〈魔の穢れ〉を閉じ込めておくにもちょうど良さそうだ」
初等教育までしか受けられない、という部分には皮肉や怨嗟の響きがあった。
「推論はそのくらいにして、実際に行ったのさ。そしたら、ビンゴだ。あの女の姿を確認できた。その後こっちに戻ってきて、あいつのアジトを見つけた祝いで、臨海から食料を貰ってきて、宴を開いて、今に至るってわけだ。理解したか?」
メアリは頭がいい。
シオリはそう感じた。この推理や、戦う前に「これからは英語の時代だ」という展望を語っていたこと、そして「女は初等教育までしか受けられない」と吐き捨てたこと。
彼女は、教育を受けたくても受けられなくて大人に反抗するようになり、素行の荒い口ぶりや身だしなみをするようになったんじゃないか、と。
「あいつのアジト、行きたいだろ?」
「もちろん」
「じゃあオレの車に乗せてやるよ。だから車を運転できる程度にオレが回復するのを待て」
「車? ここに置いてあるボロボロの?」
「こいつらは決闘場のインテリアだ。この外にオレの愛車がある。アジトに突っ込むための食料は積載済みだ」
自然と深い息が漏れる。すると、疲労感に軽く目眩がした。
「……わかった。今日は体を休めよう」
その後、メアリをおんぶして彼女の家に入った。生きている人を背負うのは初めてかもしれない、と気づくと嘲笑するほかなかった。
メアリの傷は深い。まともに動けるようになるまできっと時間がかかるだろうと思っていたが、翌朝、彼女は外で体を伸ばしていた。
「よし、行くか」
「戦うのはまだ厳しいんじゃない?」
「厳しいな。でも心配するな。とりあえず移動するだけだ。山道じゃあんまりスピード出せねえし、〈血の研究所〉までは車でも一日近くかかる。そこで運転に疲れ果ててたら意味ねえだろ。ちょっとずつ移動するんだよ」
運転できるくらいまでは回復してるぜ、と。
メアリの愛車は赤い車だった。車高は低く、けっして大きくはない。車体をどこかにぶつけたような跡がいくつも付いている。
「これ、決闘場にあったやつよりもボロボロなんじゃ……」
「気にすんな。助手席に乗れ」
助手席という言葉に耳なじみはなかったが、メアリの仕草と言葉のニュアンスから『運転者が乗らない側の、前の席だろう』と推察。取っ手に手をかけると、見た目のわりに軽く開いた。おそるおそる腰をかけると、反対側からメアリが乗り込んできた。
「シートベルトしろよ。危険だからな」
メアリが右肩の辺りから腰の左へベルトを伸ばして差したのを見て、左右反転で真似する。なにかが車にぶつかった時の衝撃は、車内にいても凄まじいものだと聞いたことがあった。その衝撃で吹き飛ばされるのを防ぐためのものなのだろう。
カチッ、とベルトが閉まる感触は小気味よかった。
「免許、持ってるの?」
車に乗るためには高いお金を払って学校に行き、訓練を受けなければならないと聞いたことがあった。その訓練を終えた証こそが免許と呼ばれるものであり、これを持っていないと自動車を運転してはいけないらしい。
「ああん? んなもん、決まってんだろ」
慣れた様子でメアリはエンジンをかける。キキキッ、と金高い音がしたと思うと、ぶおん、と低い音が返事した。まるで車に命が宿ったようだ。
右手でハンドルを握り、一瞥もくれることなく左手でなにかのレバーを操作する。
シオリは緊張しつつもメアリの慣れた動作に安堵した。
メアリは言う。
「免許を手に入れられるような歳の連中は、全員死んでんだろうが」
「……え、ちょ、それって」
「行くぜ! どっかに掴まってろ!」
「ちょっと!」
人生初のドライブが始まる。




