第五章 8、乱舞
離れて立つシオリにまで聞こえるほど、メアリは強く歯ぎしりした。
「不意打ちとは卑怯な真似しやがるじゃねえか……!」
「おやおや。少々お邪魔してしまったようだな」
いかにも芝居掛かった言い方だった。
「少々どころじゃねえよ。今日という今日こそはオレたちの仲間全員返してもらう」
屋根に立つルーインを見上げ、メアリは髪を逆立たせる。
シオリは理解した。彼女たちの仲間はもっと大勢いたのだと。そして、その多くをルーインがあの玉で奪ったのだと。
「せいぜい頑張るといい。そういえばこの間と比べて人数が減っているようだが、仲間割れでもしたか?」
「てめえが奪ったんだろうが!」
ルーインへ光線を放つ。夜を真っ二つに引き裂くような白い直線だった。
シオリでも避けるのに必死だったそれを、ルーインは軽やかに躱し、空へ舞う。
獣のような叫びと共に、メアリは光線を戟のようにして薙ぎ払った。目で追えないほどの速さだ。なのに、宙に舞いながら光へ手のひらを向けるルーインの動きは、見とれるほどに軽やかで、なだらかに見える。
その手に触れた瞬間、光線は途絶えた。まるで手に吸い込まれるように。
光線は放たれ続ける。メアリは激しく腕を振って光線を乱舞させるが、すべてルーインの手に吸い込まれていく。ルーインの手の動きに合わせてメアリの腕が動いているかのような光景は、まるで人形劇のよう。
シオリはそれを黙って眺めているだけではない。ルーインの舞う隣の屋根に登り、跳ぶ。
「なかなか乱暴だな。どこかの盗賊無勢に似てきたのか」
ルーインは余裕の笑みを浮かべたまま空へ跳ねた。ユリアたちのいる地面へ舞い降りていく。
「宙にいたら動けねえだろ」
メアリの仲間のひとりが、ルーインへ腕を振るった。見えない何かが放たれたのを、シオリは感じる。
だが、その何かさえも、ルーインの手に吸収される。
その仕草に、シオリは異変を感じた。メアリの光線を受け止めていたときとはどこか動きが違う。
ルーインが手首を捻ったとき、その違いに気づいた。彼女は手の甲で見えない攻撃を受け止めたのだ。
なぜわざわざ手の甲なのか――手に何かを持っているからだ。手首を捻ったということは、いまルーインの手のひらははメアリの仲間へ向いている。
彼女にはルーインの手にあるものが見えていない――満月が逆光になっているから。
「避けろ!」
メアリが叫ぶが、遅かった。
ルーインの手にあるボールが輝き、そこから触手のように伸びた手が、恐怖に怯える声ともども、少女を包みこむ。
ルーインが着地する頃には、まるで最初からいなかったかのように消えてなくなっていた。
残りは四人。
「おかしいな。あたしがそこから飛び降りる前までは、もうひとりいた気がしたが、気のせいだったか」
「てめえ……!」
ルーインはすました様子でボールをポーチにしまう。
「貴様らがいくつか奪っていった〈玉〉は、盗みに役立ってるか?」
「ああん?」
「返してもらおうか」
「オレたちの姉妹を全員返すのが先だろうが」
ちょっと、と地面へ降りたシオリはメアリに声をかける。
「やっぱりあなたたち、あの気色の悪いボールを使ってたの?」
「文句あるか?」
「ある」
「悪いが、その文句を聞くのは、こいつぶっ飛ばすまでのお預けだ。文句あるか?」
もちろん、
「ない」
シオリはメアリの隣へ並ぶ。こうして並んでみると、彼女の背中が広く感じた。けっして大きいのではない。広いのだ。
二人は構える。
「フミ、下がってろ」
「ユリアも下がってて」
離れゆく足音が背後に聞こえる。
正面の女は不敵に微笑んだ。
「二対一でいいのか? 四対一でもあたしの圧勝は目に見えているが」
「その高飛車な物言い、二度とできなくさせてやるぜ」
「せいぜい頑張るんだな。応援してやろう」
風がうねる音を放ち、ルーインは全身に炎を纏った。まるで龍を飼うように、彼女は炎の鞭をしなやかな身躯に沿って泳がせる。
「行くぜ、チビ助」
「シオリって言ってるでしょ」
二人は、同時に地面を蹴った。
シオリがルーインの腰めがけて脚を振ると、ルーインは地を爆発させて宙へ昇った。そこへメアリが光線を放つも、ルーインの手に触れた瞬間消されてしまう。しかしメアリの光線は断続的に放たれる。つまりそれはルーインの片手を封じたに等しい。
そこへ、シオリが地を蹴り、勢いそのままに突進していく。
脚を掴めると思ったとき、ルーインは消えた。遅れて、光線へかざした手から炎を出現させ、その勢いでシオリの攻撃を後方へ避けたのだと気づく。
「あっ」
その一瞬の出来事に、シオリもメアリも対応できなかった。
シオリの〈肉体強化〉では宙高く飛ぶことはできても、物理的に触れるものがなければ方向転換はできない。
彼女はメアリの光線へぶつかってしまった。
光線に物理的な力はない。肌をただれさせる熱だけがある。
短い叫びが体内に響いた。
メアリはすぐに光線を止めるも、ルーインの炎柱が眼前へ迫っていた。シオリに気を取られていたため反応が遅れたのだ。避けきることはできず、脇腹を炎に食いちぎられる。
転がりながら炎を消し、土を殴って立ち上がった。ルーインの炎がまだ途絶えてないことに気づく。薙ぎ払われる、と構えたが、違った。炎の軌道上へシオリが頭から落ちてきているのだ。
「クソッ」
メアリはシオリへ駆け寄るが、間に合わないだろう。それでも、彼女は走り続ける。
そこでメアリにとって予想外のことが起きた。
シオリの体に蒼い炎が宿ったのだ。手から火球を放ち、ルーインの炎柱にぶつけ、爆風により着地点を転換させる。
その出来事に驚いている隙を、ルーインは逃さない。左手からも炎柱を射出させ、体を駒のように回転させながら姿勢を低くし、二本の戟を薙ぎ払う。
メアリは大地に滑り込み、炎の柱を避けた。だが、もう片方の薙は地面すれすれを狙っている。
避ける術はなかった。
(炎は一瞬だと、さほど熱くないはずだ)
体が炎に包まれる。一瞬だと考えていたその熱は、一瞬では通り過ぎなかった。体を回転させるルーインが、メアリへ向けた手を宙で固定させたのだ。メアリへ背中を向けるまで、右手は動かなかった。
「メアリ!」
シオリは叫ぶが、全身を這う痛痒にくるまれて悶える彼女には届かない。
シオリもそれに気を取られている暇はなかった。盾を炎で作る。不恰好で薄いものだったが、一瞬だけの炎であれば凌ぐことができた。
冷や汗をかいて立つシオリと、倒れるメアリ。その間でルーインの回転は止まった。長い髪が彼女の体を巻きつけるが、立ち上がりながら小さな爆発を発生させると、その柔らかな黒髪がふわりと舞い、乱れなく大地を向いて整列した。
「まるで連携が取れてないな。脚を引っ張り合っているようにさえ見える」
シオリもメアリも、そう感じていた。片方がもう片方に気を奪われ、行動が制限されてしまっているのだ。
「うるせえよ……」
膝を立ててメアリは立ち上がる。髪が乱れ、湿った砂で汚れてしまっている。
「それよりもだ、おいクソガキ。おめえも〈双頭の穢魔〉かよ」
「なに、それ」
答えたのはルーインだ。
「〈魔力〉を二つ持つ〈魔の穢れ〉のことだ」
「珍しいの?」
「あたしを含め、数人しか存在しないだろうな。歴史上にもそうそういないはずだ。しかも、同じ〈蒼い火炎〉を持った者どうしがこうして向かい合ってるなんて、笑える話だろ。〈魔力〉の種類だって数十はあるというのに」
ってことはおめえ、とメアリはシオリへ蔑視を向ける。
「オレとの決闘で本気出してなかったのか」
「あなたも途中まで能力使わなかったじゃない。おあいこよ」
「気に食わねえガキめ。覚えてろよ。こいつをぶっ飛ばすまで」
「ええ」
再び二人は地面を蹴った。
ルーインは余裕の表情を崩さずに颯爽と避ける。
動作のひとつひとつが、見とれてしまうほどに美しい。
(不謹慎かもしれないけど)
ユリアはそう思っていた。
ルーインの残像へシオリが突っ込み、メアリとぶつかりそうになる。そこへルーインが巨大な炎の塊を打ち込み、地が爆破した。シオリたちはガムシャラに攻撃を避け、受け止めているが、ルーインはシオリたちがいくら攻撃しようと、演武のように躱すだけだった。
「だいじょうぶ……でしょうか」
フミという名前の女の子が、壁を掴む手を震わせていた。
ユリアよりも体がひとまわり小さい。リザよりも少し小柄だろうか。姿勢が良く、言葉遣いも丁寧で、顔つきも端正なため、大人びて見えた。肩甲骨まで伸びる髪は整っていて、メアリとお揃いの、カリサに似た衣装はあまり似合っていない。ゲット・アウェイ・ガールズと言っていた彼女たちは色は違えど、みんなこの服を着ていた。カリサに比べれば頑丈そうだが、決して都会的ではない服だ。この村の伝統衣装なのかもしれない。
「きっと、だいじょうぶだよ」
その言葉の頭が、震えてしまった。
フミは目尻を下げ、黄色い瞳を潤わせた。ユリアの不安を感じとってしまったらしい。
「ユリアはね、戦うのが苦手なの。怖いの」
強がることを諦め、正直な心を打ち明ける。
「シオリは強い。でも、ユリアは弱い。だからね、信じるしかないの」
「はい、わかります」
自分が弱いことが、かと思い、ドキリとする。
フミは続ける。
「わたしも戦うのが苦手で、怖いです。メアリさんとは違って、弱いんです」
「じゃあ、ふたりを信じよう。ユリアの知る限り、シオリは一度もユリアの期待を裏切ったことはないから、きっとだいじょうぶだよ」
笑ってみせる。ひょっとすると怯えが混じっていたかもしれないが、フミは安堵の微笑みを見せてくれた。
「そうですね。メアリさんも、わたしの期待を……いえ、わたしたちの期待を裏切ったことはありません。最後まで、信じます。信じて、応援します」
か細い声だったが、力強さが秘められている。
メアリのことを心から信頼しているのだろう。そして、いざとなったら自らの体を投げ打ってでもメアリを助ける覚悟だって持っている。
「うん。いざというときの心の準備をして、いまは見守ろう。ふたりがピンチになったら、一緒に助けに行こうね、フミちゃん」
「……はい!」
頰を紅潮させるフミにひとつ笑いかけ、戦場へ目をやった。両手を握り合わせて祈ろうとすると、自身の左手首にブレスレットが見えた。ジャネルのために作ったブレスレットだ。片方をユリアが、片方をシオリが持っている。ユメとシオリとユリアと、ジャネル。四人の気持ちのこもった、大切な宝物。
(ジャネル。ユメお姉ちゃん。シオリに、力を貸してあげて)
ごお、という音とともに、ユリアの肌が熱を受け取った。一瞬遅れて、メアリの悲鳴が響く。
「メアリさん……!」
今にも泣きだしそうなフミに、胸が強く締められる。
泣き虫な自分にはまったく涙が込み上がってないのに、と思うと、「どうして自分は泣いてないんだろう」と気づいた。
場を見て、わかった。
シオリはほとんど傷ついていないのだ。
それは、けっしてシオリが優れていてメアリが劣っているからではない。
ルーインがメアリを集中して攻撃しているからだ。
シオリもそれに気づいているようだった。
「さっきから、どうしてメアリばかり攻撃するの」
「大人数と戦うときの鉄則は、ひとりずつ狩ることだ。ひとりを徹底的に痛みつければ、他の連中の脚が震えるだろ?」
弄ぶような笑みが、メアリの怒りを焚きつける。
「ふざけたことぬかしやがって……! ぶっ殺す」
「威勢がいいのは構わないが、そろそろあたしを焦らせてごらんよ」
「望みに答えてやらあ!」
ルーインを挟み込む形で、ふたりは同時に突進した。ふたりともが拳を突き出すが、華麗にかわされてしまう。
すでに疲弊している彼女たちは、お互いを避けることができなかった。
おでこ同士がぶつかり、星が弾ける。
「痛ってえ……気ぃつけろクソガキ石頭!」
「あなたこそ余計なことしないで」
「てめえさえいなければ遠慮なくあいつに攻撃できるんだよ!」
「私だって!」
まるで息が合っていないのは明白だった。それどころか、ルーインのすました態度や当たらない攻撃の影響で苛立ちが溜まってしまっている。
「仲間割れしている場合か?」
炎の蛇が二人へ牙を剥いていた。
互いに跳ね避けると、それは地面に衝突し、爆風を引き起こす。
メアリはルーインの声の方角へ向き直した。
しかし、誰もいない。
「あたしなら、ここだ」
後ろから肩を掴まれた。
脂汗が目に入った途端、空気が唸った。自身の体が炎に包まれたのだと、メアリは痛みの後に気づかされる。
痛みというよりは痺れに近い。少しでも体を動かすと、その部分から体が崩れるような予感があり、虫の息のような声を出すのが精一杯だった。
「哀れなものだな」
足元にルーインが立っている。いつの間にか倒れていたらしい。蹴り飛ばしてやりたいが、そんな力も残っていない。
右手でシオリを牽制したまま、ルーインは左手で〈玉〉を取り出し、メアリへ向けた。
(これまでか……)
諦めかけたときだった。
「やめて!」
幼い声が、メアリの脳へ刺さる。
首を動かせず、目線だけを向ける。
フミがルーインへ両手を向けていた。
(まずい……!)
「やめろフミ! それを使うんじゃねえ!」
そんな大声が出ることに、自分が驚いた。
残響が消えぬうちにルーインは跳び、フミの足元へ炎を放つ。
「きゃっ」
「フミ!」
砂煙が飛び散るように上がる。それらが消えかかると、きょろきょろと辺りを見回す影が見えた。
「上だ!」
メアリが叫ぶと、フミはようやくルーインが自らの頭上で〈玉〉を掲げていることに気づく。
〈玉〉から光が溢れ出たその瞬間、ルーインの手を蒼炎が貫いた。
シオリだ。
「逃げて!」
黒焦げの〈玉〉がぽとりと地面に落ち、割れた。
「は、はい!」
「逃しはしない」
低く、よく通る声。
途端、フミが光に包まれた。
「え……」
フミの残像を踏み潰すようにルーインが降り立つ。
「危ないところだった。ポーチを半分開けたままにしていて正解だったな」
ルーインはあの一瞬の間に、もうひとつ〈玉〉を用意していたのだ。
「〈玉〉はあとひとつだ。誰が入れられたい? 立候補制にしてやろう」
場にはルーインを除いて三人残っている。
メアリ。シオリ。フミに続いて飛び出して来たユリア。
ルーインはひとりひとりへ一瞥していく。
「ふざけやがって……!」
もはや立てるはずなんてなかった。声だって出せるはずもなかった。
(だが、さっき出たじゃねか)
それはなぜか。
メアリ自身のための声ではなく、フミのための声だったから。
「ふざけやがって……ざけやがって!」
体を宙に叩きつけるようにして立ち上がる。
痛みなんて、かゆみなんて、痺れなんて知らない。
(この体なんて、知らねえ)
「おめえら目ぇつぶってろ!」
右手で閃光を放つ。シオリたちが目をかばうのが見えた途端、左手で光線を放った。両手で別の攻撃を放つのは、今まで一度も成功したことのない技だった。閃光から目を守ろうとガードしてできた隙に光線を打ち込む、メアリの秘技。
しかし。
「いい攻撃だが、相手が悪かったな」
閃光が消えた。ルーインに向かって放った光線も、彼女の手中で無効化されている。
炎の柱が顎を殴りあげた。
「メアリ!」
シオリの声がずいぶん遠くに聞こえる。
もう力は残っていなかった。受け身する力も、立ち上がる力も。
目を開ける力すらも消えかかっている。
最後に見えたのは、〈玉〉を向けるルーインの姿だった。
メアリの目が閉じられたとき、シオリは影を縫われたように動けないでいた。ルーインに手を向けられて制されていたのも原因だが、それ以上に、諦めの気持ちが勝っていた。もう勝てやしないという気持ち。
いや、本当にそうだろうか。
やられたのが自分やユリアではなく、フミやメアリだということに、ほっとしてるんじゃないか。
そう気づいたとき、シオリは自分のすべきことがわからなくなった。
メアリとシオリが勝利を諦め、この戦いは終わったかのように思われた。ルーインもこの戦いの結末が決定したと思っていただろう。
「チェックメイト」
だから、油断してしまった。
もしもそれが自身へ向けられた攻撃であれば気づいたかもしれない。だが、彼女の動きはそうではなかった。
〈玉〉が開き、光が放出されたとき、照らされるメアリに陰が被さった。
ルーインとメアリの間に、なにかが割り込んだのだ。
(……どうして)
ユリアが、体を大の字に広げていた。ルーインへ向かい合い、メアリをかばうようにして。




