第五章 7、喧嘩
「ここは決闘場だ」
ユリアの隣でバンダナの女が言った。
「〈あの光〉の後の騒動で生き残った連中は、もともと喧嘩慣れしてるような、血の気の強い奴らが多いんだよ。意見がぶつかることもよくある。そんなときに志と志をぶつけ合って勝敗を分かつのが、ここだ」
ユリアは倉庫の屋根の上にいた。この女に促されて登ったのだ。
「そういや自己紹介がまだだったね。あっしはエリカ」
「わたしはユリア」
「改まって言われなくたって覚えてるさ」
ゲット・アウェイ・ガールズの他の面々も周囲の屋根や車の上に登って座っていた。それぞれを線で結ぶと、手書きの不器用な円のようになるだろう。直径二十歩ほどの円。その中はただの砂地だった。芝生も大きな石もない。いるのは、シオリとメアリのみ。円から外に出る道を塞ぐように松明が置かれ、二人を照らしている。
ユリアたちは、いわゆる観客だった。
シオリから預かったカバンを、ユリアはぎゅっと抱え込んだ。
「観客としてのルールを説明するぜ。ひとつ。決闘する者たちに手を出してはならない」
エリカはひとつずつ指を広げていく。
「ふたつ。観客はどちらの味方であっても、敵であってもならない」
「どういうこと?」
「本来あんたはシオリの味方だろ? あっしらはボスの味方。でも戦いの火蓋が切られたら、そうじゃなくなる。応援はしてもいい。むしろどんどんすべきだが、応援する相手はシオリでもボスでもない。己の魂をぶつけ合う戦いを、応援するのさ」
やさぐれた香りのするエリカだが、その笑顔のまぶしさに、ユリアは安心感を覚えていた。
「みっつ。終わった後は両者をねぎらうこと。賞賛すること。決着がついたら、その場に対立は存在しない」
多くの子どもたちと同時に戦ったことはあれど、こうして多くの人に眺められながら戦うのは、初めてだった。
戦うことになる可能性は森の中を歩いているときから考えていた。考えていたが、まさか一騎打ちになるとは。
ユリアへ顔を向ける。「がんばって」と口が動いた。
ユリアまで戦うことにならなくて、シオリはホッとしていた。彼女の能力はまだ全容が掴めていない。暴走して熱くなっていたシオリを冷ましたらしいが、シオリ自身はそれを覚えていないし、それ以降(シオリの知る範囲では)ユリアは能力を使っていない。
「来いよ。お前が動いたら、試合開始だ」
メアリは構える。力むのでなく、力を抜いて、薄く構えている。隙がない。戦うことに慣れているのは一目瞭然だった。
彼女の能力が何なのかはわからない。真正面から突っ込んでいくのは勇気が必要だった。
だが、それは向こうも同じはずだ。メアリだってシオリの能力を知らない。
さきほどメアリは脅しでシオリへ手を向けた。彼女には多くの仲間がいて、多くの能力を知っているだろう。シオリの〈蒼い火炎〉もそうだが、あのように手から発する能力は多いのかもしれない。
(あの動作は手慣れたものだった)
メアリの能力もそのような類のものである確率は高い。
それならば、肉体を強化する〈肉体強化〉のような能力は、彼女にとって意外なのではないだろうか。
(一撃で、仕留める)
覚悟を決め、構える。できるかぎり小さな動作で、強く地面を踏み込めるように。
身体中に力を入れる。
筋肉が熱くなる。
ゆっくりと息を吐き、止める。
息を止めると、心臓の音がよく聞こえた。観客たちもシオリの初手に注目しているらしい。
そして、踏みこむ。
全身で空気を引き裂くような感覚。
メアリの顔が眼前に来た。
勢いそのまま、腹へ拳を突き出す。
「そういうやつか!」
拳が肉をえぐる感覚がした、と思ったが、それはメアリの両手だった。シオリの右手がメアリに掴まれたのだ。
「痛ってえな」
素手で受け止められるとは思わなかったが、シオリはうろたえない。メアリは両手で受け止めたため、隙ができていた。空いた左手を突き出す。
その時、メアリの広角が吊り上がった。
「!」
悪寒が走り、後方へ跳ねる。
やるなーあいつ、と歓声が聞こえた。
「やるじゃねえか、クソガキ」
離れてからあの嫌な予感の正体に気づいた。メアリの〈魔力〉はおそらく手から何かを発生させるものなのだろう。もし手を掴まれた状態でその能力を使われていたら。
「私はクソガキじゃなくてシオリ。さっき自己紹介したばかりなのに、もう忘れちゃったのかしら、小脳さん」
「覚えられたければ、まず名を覚える価値を示すことだ。能力は〈肉体強化〉か」
「正解」
「お前ほどではないだろうが、オレだって力には自信がある」
メアリが飛び出した。その拳をシオリは腕一本で受け止める。だが、
(重たい……!)
驚かされている隙に、メアリの脚が腹部へ薙ぎ払われる。ノーガードで受け止めると、鈍い痛みが走った。シオリも体を回して蹴りを見舞うが、届かない。リーチの差が大きかった。
蹴りの後は隙が大きくなる。メアリが舞い、逆回転の回し蹴りをシオリの背中へ与える。
体勢を崩し、シオリは地へ伏せた。すぐに飛び跳ねて起きると、さっきまで倒れていたところをメアリが踏み潰していた。
歓声が上がる。
「いいぞいいぞー」「やるじゃんちっこいの!」「頑張れー!」
ユリアの声はない。ふとそちらに目をやると、両手で口を覆ってパチパチとまばたきをしていた。隣の女は楽しそうにはしゃいでいる。よそ見してる場合じゃないぞー、と。
反射的にしゃがむ。メアリの腕が髪先をこすった。
「よそ見とは、ずいぶんと余裕綽々だなあ、ちっこいの」
「さっき名前を言ったのに、もう忘れたの? 顔に似合って頭が悪いのね」
「少々口は悪いが、その目は嫌いじゃないぜ」
シオリは再びメアリへ踏み出す。
殴り、避けられ、蹴られ、かわし、体当たり。
しばらく互角の攻防が続いた。
だがメアリはまだ〈魔力〉を使っていない。
本来持つの力の差やリーチの差、なによりメアリの優れた反射神経により、シオリの攻撃は未だに一撃も直撃していなかった。初手で手にダメージを与えた以降は防御による軽減されたダメージのみだった。それでもシオリの攻撃は充分に重たいはずだが、メアリの表情から余裕が消える瞬間はなかった。
シオリだってまだ大きな攻撃は食らっていないが、小さなダメージが確実に蓄積されてはいる。
現状は互角か。
メアリが能力を隠していることを思うと、どうだろう。
でも、
(どうしてだろう、楽しい)
誰かと戦っていて、楽しいと思ったのは初めてだった。
歓声はどんどん大きくなっていく。みんなメアリの味方だというのに、応援してくれている。これだけの人数に応援されたのは初めてだった。火と火が重なって大きくなるみたいに気持ちが高揚し、受けた痛みさえも心を熱くする原動力になった。
「頰が緩んでるぜ。楽しいか?」
「……うん。不思議な気分」
「そいつはよかった」
さらに攻防は続き、ついに戦況が動いた。
メアリの拳を手のひらで受け止めたシオリは、力いっぱい手を握る。
骨が軋む音がすると、初めてメアリの顔がゆがんだ。
手を掴まれたままメアリが脚を薙ぎ払う。それを避け、ふたりは距離を置いた。メアリの赤紫の瞳が、かすかに潤んでいる。
「痛ってえなコノヤロウ……」
「残念だけど、私は野郎じゃない。あなたのほうが野郎に近いでしょ」
「うるせえよ。ほんと口悪いなお前。オレの知る限り、二番目に悪い」
「一番が気になるところね」
すると、ギャラリーが笑い声で湧いた。その理由がわからず、うろたえてしまうが、メアリから目を離す余裕はない。
「そろそろ、お遊びは終わりにしようか。オレも〈魔力〉を使わせてもらう」
シオリは一歩退き、改めて集中した。神経を研ぎ澄まし、空気の揺れを掴もうとする。
どんな能力なのだろう。やはり手から何かを出すようなものなのだろうか。そうだとすれば、今までどおり短距離戦に持ち込み、地道に攻めたほうが有利なんじゃないか。どのみち〈肉体強化〉は短距離に特化した能力だ。
シオリは正面から飛びかかる。相手の攻撃を避けられるよう、スピードは出しすぎない。まばたきを禁じ、メアリの動きに注視する。
彼女の口角が上がった。
「予想通りの動きだ」
メアリの拳が開き、シオリへ向けられた。
地面を蹴り、正面を避ける。
「それも予想通りだ」
メアリの手が輝いた。シオリは視界を防がぬよう腕を盾にして構え、メアリの手へ注目する。
しかしそれが逆効果だった。
腕を盾にしたことが、ではない。
メアリの動きに注目しすぎたことが、だ。
メアリの手の輝きが、音もなく爆発した。
それは光の爆発。
視界すべてを白く染める閃光。
まばたきを惜しんでいたシオリの目に、強烈な光が襲いかかる。
目を瞑るが、遅すぎた。
視覚が完全に奪われる。
目の奥がじんじんと熱を帯びていく。まるで眼球が肥大したみたいだった。
自分がどこを向いていて、どこに立ったいるのかも見失ってしまう。
しかし耳は生きている。
メアリの動きを、音で聞き取ればいい。
そう思っていた。
だがメアリの足音は聞こえない。
なぜ動かないのだろう。
違和感に気づいたとき。
「シオリ!」
ユリアの叫びだ。
シオリは考える前に横へ飛んだ。
脇腹に、熱いものがかすった。
ジリジリとした熱が、服を貫通する。
「やるな。だが、まだまだオレのターンだ」
腕を振る乾いた音とともに、なにかがシオリの胴体を切断した。
焼けるような熱。熱だが、炎ではない。
シオリの体は力なく地面に落ち、砂地の表面を削る。
ゆっくり目を開ける。目を開けるが、視界は真っ白に塗りつぶされたままだった。まばたきをしたとき、焼き切られた跡の残ったフェンスが、まぶたの裏に写った。
少しずつ疼痛が薄れ、色が戻ってくる。メアリの脚、松明、屋根の上から見下ろす女の子たち。
「どうだ? 驚いたか?」
熱い。おなかがじんじんと熱い。
熱が尾を引くが、痛みはそこまで強くなかった。シオリは立ち上がる。
「驚いた。最初の閃光は、届く範囲が広いのかしら」
「そうだな。人間の視野くらいはある」
あれをまともに食らうと、しばらく視界を封じられてしまう。
「あれが発生する前に、手が小さく輝いていた。それが合図ね」
「たった一度で見抜くとは、やるな。ガキンチョ」
「そろそろ名前を覚えてくれない?」
「オレに勝ったら考えてやろう」
おなかに手を当てる。服がやぶれ、おなかが剥き出しになっていたが、血は流れていない。脇腹から脇腹へ、真一文字に薄く腫れていた。
あれはなんだろう。
ルーインの火の柱を思い浮かべる。あれがもっと鋭くなったようなものだろうか。
ふと松明に目を向ける。夜を照らす炎。
夜を照らす、光――。
「……そっか。目が見えなくてよくわからなかったけど、最後に私の胴を横切った熱は、光かしら。熱を持つ光。最初の閃光を踏まえると、あなたの能力は、光を放つもの。違う?」
メアリは口角を鋭く上げる。
「正解だ。オレの〈魔力〉は〈光〉。光を放出する力だ。指向性を広げれば視界を奪う閃光となり、狭めれば全てを焼き切る刃となる」
「それでフェンスを切った」
「ご名答」
メアリがシオリに手を向ける。その手をかわした途端、白い直線が放射された。刹那、頰から紙一重のところを貫いていく。
(早い……!)
光線の頭が見えなかった。あまりにも早いそれは、まるで光そのもの。
顔にじんわりと熱を感じる。それが先ほどシオリが受けたものの正体だろう。
「避けた気になってるなら、学習能力不足だぜ、クソガキ」
メアリが手をひねる。その意味を、考えるより先に感覚で理解した。
顔を腕でかばう。左腕で頰の向きを、右腕でメアリの向きを。
ギリギリだった。光線がシオリの上腕をなぞるように引き裂き、鋭い熱が植えられる。
だが、シオリは止まらない。すぐさまメアリへ突っ込む。
「なっ!」
メアリは両腕を交差させて盾にした。シオリはかまわず拳をぶち込む。盾を破壊すべく。
骨と骨がぶつかる感覚。
そして、メアリは吹き飛んだ。
歓声が湧く。興奮の渦が巻き起こる。
地面に落ちたメアリは受け身を取り、その勢いで跳ねるようにして立ち上がった。
「おいおい、もろにオレの光線を受けたくせにノーリアクションで突っ込んでくるかよ」
「体だけは頑丈なの。すごく痛いし熱いけど、この程度じゃ私からは一瞬だって奪えやしない」
「言ってくれるねえ」
言葉とともにメアリが踏み込んだ。
シオリも正面から体当たりしようとしたところ、メアリの手が光った。
視線をずらし、目を閉じる。
「よそ見してる場合か?」
(しまった)
目を開け、対峙する。閃光に見せかけて光線を放ってくると思ったから。
しかし彼女はそのまま閃光を発した。
視界が奪われた途端、メアリの脚がおなかをえぐる。
胃酸を喉で感じたとき、熱が両肩に噛みついた。
上下感覚が消え、後頭部に鈍い衝撃。
視界が戻りかけた途端、おなかを踏まれてしまう。
酸っぱいものが口から噴き出し、顔にかかった。
「これでチェックメイトだ」
メアリが顔へ手を向ける影が見えた。
シオリの目はまだ光と影しか写すことができない。
その不完全な視界の隅で、松明に照らされた影がひとつ、消えた。
(え……?)
「ちょ、ちょっと待って!」
「待たねえよ」
少しずつ視界に色が戻っていく。
消えた影の隣にいた仲間が、驚いたように消えた影へ目を向けた。その瞬間、彼女も光に包まれ、消えた。
「あっち! あなたたちの仲間が!」
「ああん?」
シオリの指差す方向にメアリは目を向ける。ざわざわとした不穏な喧騒が流れ始めた。
「クロマとネルがいなくなった!」
仲間のひとりがそちらを指す。メアリとシオリは声をあげた子へ振り向く。
そして、その子も消えた。
「なっ……!」
メアリはシオリの上から退き、辺りを見回す。
うろたえる群集。震える空気。
(そうだ、ユリアは)
ユリアを探す。
いた。左足の方角。屋根の上。不安そうにきょろきょろと首を動かしている。
その隣にいた女が「どういうことだ?」と立ち上がった。
「こういうことだ」
低い声とともに、彼女も光に包まれた。
「エリカ!」
メアリは手を伸ばすも、消える友まではまるで届かない。
「エリカ……おい! ガキ! そこから飛び降りろ! 早く!」
「え?」
その疾呼が、むしろユリアの怯えを強くする。
「早く!」
シオリも動こうとするが、メアリが駆け出したのが先だった。
「ユリアー!」
ためらっていた様子のユリアだったが、シオリが叫ぶと、決意を固めたように口を結び、屋根から飛び降りた。まるで転がり落ちているみたいに不恰好だったが、地面に衝突するすんでのところでメアリが受け止めた。
「だいじょうぶか!」
「う、うん」
また視界の端が発光し、誰かが消される。
「お前らもこっちに降りてこい!」
メアリの一声で全員が広場へ飛び降り、円の中心に集合した。
八人いたはずのゲット・アウェイ・ガールズは、四人になっていた。
「最悪のタイミングで来やがったな……」
「ええ。あなたたちも、あいつに会ったことがあるみたいね」
「てめえもあんのか。どうりで戦い甲斐があるわけだ」
六人で背中を合わせ、全方向へ目を光らせる。
沈黙が訪れ、空間が凪ぐ。
松明の炎。虫の声。森の唸り声。自身の息切れ。
集中して音を聞き分けようとするも、どこかにいるはずの違和感は聞きとれない。
「くっ……! 出てこいクソアマ! こそこそ隠れてんじゃねえよ!」
「了解」
その声に振り向くと、眼前には巨大な炎の塊。
各々が散り散りになり、逃げる。さっきまでシオリがいたところを中心に濃い砂煙が広がった。
「だいじょうぶか!」
煙がやむと、シオリは場にいる人数を数えた。
シオリを含め、五人。
ひとり居なくなっている。
その代わり、さっきまでユリアたちがいた屋根に、黒衣の女が立っていた。
「ルーイン……!」
「ごきげんよう、小汚い盗人たち。そして、スペシャルゲストのおふたりさん」
満月を背景に、ルーインは妖艶な所作でお辞儀した。




