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ゲット・アウェイ・ガールズ  作者: 中條利昭
第一部 〈あの光〉篇
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第五章 4、混沌

 部屋に戻って休憩した後、聞き込みを開始した。この日は週末で学校が休みらしく、子どもの姿も多かった。


「平日の午前から聞き込みを始めると怪しまれるよね」

「しかもサングラスかけてるし」


 下校時間までは活動できないと思うと、作業の時間は少ない。ふたりの心配が大きくなる。しかし過酷な生活を続けてきた彼女たちがこの程度でへこたれるわけはなかった。


「ハイドっていう男の人知りませんか?」

「四十代くらいで、杖をついて歩いてるのですが」


 子どもからお年寄りまで幅広く声をかけた。しかし有力な情報はひとつだって得られない。それどころか、無視されて心が痛んだり、「わからなくてごめんね」と謝られて逆にこちらが申し訳なくなったり。体力はみるみる削られてしまう。

 服も買わなければならなかった。シオリたちの洋服はこれ一着しかない。しかも、派手なサングラスと釣り合わせられる、値の張った服だ。歩けば歩くほど、千円ですら大金だと思って十万円しか持ってこなかったことが悔やまれた。一度内陸に戻ってお金を取ってくるべきかもしれない。

 昼下がりになっても何ひとつ得られぬまま、彼女たちは広場に戻ってベンチに座り、休憩した。


「これを、ユリアたちはいつまで続けるんだろ」

「なかなかつらいね」

「うん。ま、ユリアは諦めないけど」

「私だって」


 ふたりは顔を合わせて笑いあう。体はぐったりだけど、幸せな時間だった。

 笛の音色が聞こえてきたのはそんなときだった。


「なんだろう、この音」


 音の方角へ目を向けると、広場の円周の外側で誰かが横笛を咥えていた。あれは、今朝の老人だ。透き通るような音色だった。素朴で、まっすぐ伸びる音。都会の慌ただしさを包み込むような優しい旋律。芝生や石畳に反響するその音は、森の中から見上げる青空のような美しい音だった。


「綺麗な音だね」

「うん。眠たくなる」


 老人の前に、ちらほらと人が集まってきた。同じくらいの数のスズメが近寄ってきてもいた。

 変わったおじいさんだと思っていたが、音楽家なのだろうか。

 しばらくゆったりしていると、シオリたちへひとりの男の子が近づいてきた。リザくらいの歳だろうか。


「ねえねえお姉ちゃんたち、どうしてサングラスをかけてるの? まだ小さいのに」


 きみよりは大きいけど、とシオリは苦笑する。


「目のところを怪我してて。見せたくないの」


 ふーん、と興味なさそうに頷く男の子。

 そこへ「あ、そうだ」とユリアが微笑んだ。


「わたしたちね、人探ししてるんだけど、ハイドって男の人知らないかな。三十代か四十代くらいで、杖をついてる人」

「知らないや。ちょっと待ってて、おばあちゃんに聞いてくるよ」


 少年は去っていく。彼が向かう先には、シオリたちが泊まっている宿屋があった。


「おばあちゃんってまさか」

「たぶん、そのまさかだよね」


 しっとりとしていた笛の音色に、少しずつ複雑な抑揚が付加されていく。息を呑むような展開が広場中の視線を掻っさらう。嵐の後に太陽が照るように、笛の音色が柔らかいものへ戻り、静かにやんだ。

 ぱちぱちと拍手が鳴る。シオリたちも小さく手を叩く。老人の隣に置いてあった壺に、人々が硬貨を、ときにお札を入れていく。老人はそれを一瞥すると、再び笛を咥えた。さっきの曲よりも明るくて速い曲だった。同じ笛のはずなのに、まるで違う音。ふわりと花弁が舞うような音色。リズム。その変化に、シオリは息を飲んだ。少しずつ楽しくなってきて、ふたりは顔をほころばせた。


「すごいね、あのおじいさん」


 ユリアの呟きに答えたのは、シオリではなかった。


「すごいわよね、変な人だけど」


 ステナだ。彼女の隣では少年が「連れてきたぜ」と鼻を高くしている。


「あっ、ステナさんこんにちは」

「人探ししてる人、って聞き覚えのあるフレーズだと思ったら、やっぱりあんたたちかい」

「すみません」


 なにを謝ってんだい、とステナは大笑いした。楽しげな笛のリズムパートのようでもあった。


「そういえばステナさんにはまだ伺ってなかったですね」


 この日何度もした質問をステナに話す。彼女の眼差しは真摯で、話していて気持ちよくて、今日一番に言葉数が多くなってしまった。それでも最後まで真剣に聞いてくれて、シオリは嬉しかった。


「私が会ったときはサングラスをかけていたのですが。夜でもかけていて」

「ごめんなさい、わからないわ。それだけ特徴のあるお客なら絶対に覚えてるんだけどね。ところで、その人はあなたたちと同じように顔を怪我してたのかしら」


 深い傷、という言葉がなんとなく頭の中に残っていたため「たぶんそうだと思います」と答えた。


(私たちと同じではないけれど)


 もしハイドが女性であればシオリたちと同じ理由で目を隠していたのかもしれないが、〈魔の穢れ(マ・ゾルミ)〉に男性はいない。


「お忙しい中ありがとうございました」

「いえいえ。どういたしまして。いまはさほど忙しくないしね。あと一時間くらいしたらチェックインで(せわ)しなくなるんだけど」


 自嘲する彼女に微笑むと、シオリはステナの隣の空間に気づいた。さっきまでいた少年がいなかったのだ。

 そのときだった。


「えい」


 シオリの視界が、突如眩しくなった。なにが起きたのかわからず、目を閉じてしまう。


「こら! そんなことしちゃダメでしょ!」

「どんな怪我なのか気になっちゃって。あれ? 怪我なんてないじゃん」


 目を開ける。男の子が顔へ指を差していた。逆の手には派手なサングラスが掴まれている。

 音のない時間がしばし流れた後、シオリはサングラスを取られたのだと気づいた。


「お姉ちゃん〈魔の穢れ(マ・ゾルミ)〉だ!」


 少年はシオリへサングラスを投げた。まるで、手に取ったパンから毛虫が出てきたみたいに。


(まずい……!)


 少年の声は大きく、あたりの人の注目が集まってしまう。

 漂う空気が変わった。灰色に濁り、重たくなる。悪意が地を這うような冷気。

 母と歩いているときに何度も感じた冷たい視線。群集の大きな小声。


「あ、あんたたち〈魔の穢れ(マ・ゾルミ)〉だったのね……!」


 その震える表情は、声は、シオリたちの知っているステナではなかった。


「私の視界から出て行きなさい! ああ、もう! 食器からシーツから全部捨てないといけないじゃない!」


 どうして――と思うシオリの脳裏に、ずっと昔に聞いたキールたちの陰口が応答した。


 ――あの〈魔の穢れ(マ・ゾルミ)〉親子ムカつくよな。

 ――あいつらが留守のときに侵入して家荒らしてやろうか。

 ――それ面白いな!

 ――面白くねえよ、きたない。〈魔の穢れ(マ・ゾルミ)〉が触れたものなんかに触れたら穢れるだろ。

 ――それもそうだな。臨海部だと給食のとき〈魔の穢れ(マ・ゾルミ)〉だけ食器が使い捨てだったりするらしいな。

 ――まじかよ、俺たちもそうしようぜ。

 ――あの小娘は一応〈魔の穢れ(マ・ゾルミ)〉じゃないから無理だろうな。


 足元に何かが落ちた音で、現実に戻る。うつむいて目をやる。石だった。また別の方向から石が飛んでくる。呆然としていたため、それを避けられなかった。シオリの顔に直撃する。


「穢れは出ていけ」

「死ね」


 ざわざわとした後ろ指が、巨大な棘となり、降りかかる。


「シオリ……」

「ユリア」


 ユリアは震えていた。シオリはともかく、ユリアはこの視線に慣れていない。

 再び石が飛んできた。それを、迷いなく掴む。

 怒りが湧いた。理不尽な怒りを向けられているのこと、そして、罪のないユリアに石が飛んできたことに。拳が振動している。石を投げ返したくなる。でも、そんなことをしても意味がないことはわかっている。やり場のない感情だった。怒りが虚しさに推移していく。

 野次馬たちはさらに騒ぐ。

 シオリは理解した。

 あの夜、母がハイドとシオリについていかず、ヘンデ村に残ると言ったのは、自分が一緒にいるとシオリがひどい目に遭ってしまうとわかっていたから。


 ――向こうは〈魔の穢れ(マ・ゾルミ)〉がまともに歩けるような場所じゃない。


 ユメがそう言っていたが、実はそんなことはないと思いこんでいた。他ならぬユメが優しかったから。ユメだけじゃなく、みんな優しかった。それなのに、手のひらを返すように豹変してしまった。ヘンデ村では、ここまでの落差はない。石を投げるような子どもじみたことをするのは、子どもだけだった。

 野次馬の罵声はさらに熱を帯びていく。

 そんな中、誰かが叫んだ。


「あいつらを捕まえろ! きっと盗賊の一味だ!」


 盗賊。

 今朝、食堂で聞いた言葉だった。この町から食料を盗むという、〈魔の穢れ(マ・ゾルミ)〉の少女たち。


「そうかい、あんたたちが噂の」

「ち、違います! それは私たちじゃ――」

「よくも私たちの町にあんな酷いことを!」


 ステナが腕を上げた。叩かれる、と思った瞬間。

 女性の悲鳴が響いた。シオリでもユリアでもない。ステナでもない。ずっと遠い音だ。

 直後、たくさんのものが一斉に崩れ落ちる音が広がった。

 群集の騒ぎが、一時止まる。


「と、盗賊団よ! 〈魔の穢れ(マ・ゾルミ)〉の盗賊団が!」


 振り向くと、七、八人の女の子が走っていた。もう大人に近いような子もいれば、シオリたちよりも小さな子もいる。あちらこちらに散らばり、屋台やお店にぶつかっていく。悲鳴や物が壊れる音がしたと思うと、その少女たちが店から走り出てきた。高揚に満ちた表情だった。店主らしき人が追いかけようとするが、まるでスピードが追いついていない。息を切らせ、「あいつらを捕まえろ!」と叫ぶのが関の山だった。そんな暴動が右から左から爆散していく。

 再び広場が喧騒にあふれかえる。埃臭くて赤い空気。もはやシオリたちは蚊帳の外だった。

 言葉にならない叫びを上げてひざまずき、盗賊たちへ手を伸ばす店の人々。涙を流す人も見受けられた。

 盗賊たちは風のように広場の外へ走り去っていく。

 喧騒と共に残されたのは、許せないという思い。


「ユリア、追いかけるよ」

「う、うん」


 サングラスを拾い、シオリたちは駆け出した。

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