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ゲット・アウェイ・ガールズ  作者: 中條利昭
第一部 〈あの光〉篇
33/76

第五章 3、噂

 白いご飯。味噌と魚介のスープ。卵焼きとサラダ。小皿に乗った大根の漬物。

 ランフ国での伝統的な朝食だった。この国は周囲を海に囲まれ、山も多い。そのため雪解け水が豊富で、水はけのよい平らな土地も多いため、臨海部はお米が育ちやすいのだ。

 口いっぱいにご飯を運んだユリアは目を輝かせる。


「おいしい……! おいしいよおばさん!」

「おばさんは水っ気がなくて不味いけどね。ありがとさん」


 内陸には大きな水田がほとんどないため、お米はあまり食べられない。主食はファサと呼ばれる雑穀で作られたパンだった。ファサにはあまり味はなく、主にシチューやスープの引き立たせ役となることが多かった。保存があまり効かないため、長らく食べていない。

 シオリたちはお米も他の引き立たせ役のイメージがあったが、粒が立ち、ほんのりと甘いそれは、単品でも美味だった。噛めば噛むほどに口角が緩んでしまう。


「ホッとする味だね、ユリア」

「うん! 興奮するよ!」


 それはホッとしてないんじゃないかな、という指摘は笑顔に免じて許すとして。


「そんなに喜んでくれるんなら、愛情を込めて作った甲斐があるってものだよ」


 ステナは嬉しそうだった。「ありがと。たんと召し上がれ」と顔にシワを寄せ、厨房へ戻る。


「ありがとおばさん!」


 サングラスで目が隠れていても、ユリアの笑顔はいっぱいに弾けていた。

 昨晩もだが、サングラスをかけたまま食堂へやってきたときは、さすがに驚かれた。「目元に怪我があって」と部屋で考えた言い訳を使ってごまかし、ステナが眉尻を下げて心配してくれると、逆に申し訳なくもなった。


(それにしても)


 ユリアのお盆のごはんや味噌汁、卵焼きはみるみる消えていくが、サラダはまだたくさん残っている。一口か二口しか食べてないのだろう。

 ユリアにも多少の好き嫌いはあるが、野菜は苦手じゃなかったはずだ。かくいうシオリもまだ二口しか口をつけられていない。

 ステナが厨房へ入って姿が見えなくなったのを確認し、ユリアが顔を近づけてきた。口に手を当て、ぼそぼそとした声で言う。


「野菜はあんまりおいしくないね」

「うん。甘味がないというか、苦いというか」


 この国の野菜の品質は高いと聞いたことがあった。そのほとんどが内陸のものだとも。

 ユメが言っていた。


 ――内陸部から獲れる農作物はこの国の大事な資源だし、現に都市部でも食糧難に陥りかけている。外国からの輸入に頼っていて、国としてはかなりの損失になってるの。


(〈あの光〉の影響が、こんなところにまで)


 耳にしただけのあのときと、実際に口にした現在では実感がまるで違った。

 改めてサラダを口に入れる。繊維が千切れるような歯ごたえはあったが、どこか元気がない。ドレッシングは野菜の旨味を引き出すのではなく、苦味をごまかしているだけだった。

 苦いものほど体にいいとは言うが、むしろ体に悪そうだ。

 咀嚼(そしゃく)するのに飽き、口の中をお茶で胃に押し込んだときだった。


「お嬢さんたち、相席構わぬか?」


 見知らぬおじいさんがユリアの隣元に立っていた。「いいかい?」と聞きながらも、すでにお盆をテーブルへ置いている。


「はい、いいですけど……」


 席は他にも空いていた。どうしてわざわざ。


「他にも席空いてるだろ、って思ったじゃろ?」

「あ、いや、その、」

「隠さんくてもいい、その通りじゃからな」


 老人は快活そうに笑う。シオリもユリアも身構えていたが、悪い人ではなさそうだ、とも感じていた。

 老人はそのまま席に座る。まだ許可を取っていないのに。

 背は低かった。シオリたちよりも少し高いくらいだろうか。歳は六十くらいに見える。

 髪は白い。眉毛も白く、目尻を隠してしまうほど長かった。


「ところで、」


 シオリの目線上に、老人の眼光が重なった。眉毛から覗くその左目は、不気味とも言える光を放っていた。思わず、背筋に虫が走る。


「おぬしとは初見な気がせんのう。どこかで会ったことがあるかな?」

「え?」


 記憶にはなかった。

 こんな個性的な老人だったら、一度会ったら忘れないだろう。


「ないと思いますが」

「そうか、ワシの思い違いか。それで話しかけたんじゃがな」


 老人はしばらくシオリを見つめ続けた。目力が強く、シオリは固まってしまう。すると、ふっ、と老人が表情を緩めた。その瞬間、シオリの緊張も解けた。


「怖がらせてしまったみたいじゃの、すまんな」

「あ、いえ」

「誰かに似とる気はするが……、歳には勝てんな、思い出せんわ」

(もしかして)


 ユリアと目があった。同じことを考えているらしい。


「あの、ラソンって名前に覚えはないですか」

「ラソン……はて。わからんの。すまん」

「いいえ、こちらこそすみません」

「女性の名じゃな。お袋さんか?」

「はい」

「もし思い出せたらまた連絡するとしよう。それにしても、さっきから気になっておったんだが、屋内でサングラスとは、珍しいな」

「目元に怪我があって」

「ふたりともかい?」


 ふたりは硬直する。言われてみると、怪我を隠しているという理由では、ふたりともサングラスをかけていることの説明には弱かった。


「は、はい。ぶつかっちゃって……」


 とっさに出たわりには、よくできた言い訳だったと思う。


「そうかそうか、早く治るとよいな」


 嬉々とした声だった。そのまま味噌汁のお椀を口に運ぶ。表情がほとんど見えなくなった。


「ありがとうございます」


 そこでステナがやってきた。手にしたお盆にはカットされたりんごが乗っていた。


「じいさん、若い子にちょっこいかけるんじゃないよ」

「ちょっかいじゃのうて、ナンパじゃ、ナンパ」

「結婚しましょう、って? この子らが大人になる前に寿命尽きるくせに」


 わっはっは! とふたりは大口を開けて笑う。シオリたちは彼らの勢いについていけず、苦笑いするだけだった。お皿に残ったサラダを口に入れる。苦い。


「ごめんなさいね、じいさんとばあさんがしょうもなくて。はい、りんごよ。お食べ」

「ありがとうございます」

「ありがとおばさん!」


 ステナが去る。

 お皿に残ったサラダを全部口に入れてしまい、りんごに手を伸ばしてみた。

 りんごはあまり食べたことがなかった。この国の中心やや南に位置するヘンデ村は温暖で果物は育ちやすいが、りんごの栽培には向いていなかったらしい。

 口に入れ、歯を立てると、みずみずしい果汁が口の中で弾けた。次に、蜜の香りがほのかに彩りを加える。おいしかった。

 そんなとき、隣のテーブルからこんな会話が聞こえた。


「まだ捕まってないんだってな、〈魔の穢れ(マ・ゾルミ)〉の盗人集団」


 口内の甘味が途絶えた。反射的にそちらに目を向けてしまう。


「怖いね。怪我人も出てるっていうじゃない」


 若い男女だった。夫婦というよりは、その一歩手前くらいに見える。


「物騒だなあ。でも、ちょっと見てみたい気もする」

「なんで?」

「〈魔の穢れ(マ・ゾルミ)〉見たことないんだよ」

「見てもいいことないよ、気色悪い。〈魔の穢れ(マ・ゾルミ)〉が近くにいると病気になりやすいとも聞くし」


 気色悪い。

 村でキールたちから度々向けられた視線を思い出した。母と歩いていたのを見られたときのことを。かすかに聞こえた冷たい言葉を。

 いまは自分自身もその蔑視(べっし)を直接向けられる存在になっている。これまで周囲がみんな〈魔の穢れ(マ・ゾルミ)〉だったので強く意識したことはなかったが、ここでひとたびサングラスを外せば。


「おぬしらは知っとるか、〈魔の穢れ(マ・ゾルミ)〉の盗人集団」


 老人は声を落とした。

 シオリは首を振る。ユリアも怯えるようにして首を振った。


「ここ一ヶ月か、半月くらいかのう。〈魔の穢れ(マ・ゾルミ)〉の女の子たちがこのあたり、ホルン西部の店から盗賊行為をはたらくようになったらしくてな」

「盗み、ですか」

「うむ。しかも盗むのは金目のものじゃなくて、食べ物なのじゃ。主に食料品店が狙われているが、最近は食堂や屋台も標的にされておる」


 シオリは食堂全体を見渡す。嬉々とした雰囲気で満たされた、暖かい空間。そこに大きな爪痕が刻まれ、人々が怯え悲しむ姿を思い浮かべてしまう。


「ただの泥棒集団なら、すでにひとりやふたり捕まっていてもおかしくはないじゃろうが、不思議な力を持つ〈魔の穢れ(マ・ゾルミ)〉じゃからな。勇敢な一般市民でもなかなか手出しができんし、止めようとしたものの反撃を食らって怪我をしたと話す者もおる。逃げ足が早く、なかなか追いかけることもできんらしい。坂を登って逃げるらしいからの」


 食べ物を盗むということは、食料に困っているということ。

 坂を登るということは、内陸方面へ向かっているということ。

 そして、穴の空いたフェンス。

 シオリとユリアは顔を合わせる。言葉は交わさずとも、お互いの意見を確認することはできた。

 おそらく自分たちと同じ、〈あの光〉によって〈魔の穢れ(マ・ゾルミ)〉になってしまった少女たちだ。

 盗賊行為をはたらくという見知らぬその子たちには少し同情する。

 だが、許せなくもある。


(そんなやり方、絶対に間違っている)


 気がつくと、箸を持つ手に力が入ってしまっていた。慌てて力を抜く。箸を折ってしまうところだった。


「そういえば、こんな話も聞いた」


 そこで、老人の左目が再び見開かれた。


「彼女らの中に、お前さんたちくらいの年齢の子もいると」


 眼光に、肌の裏側が震える。いままでその眼光は輝いているように見えていたが、この瞬間は逆に見えた。一切の光を吸い込む、闇のような眼光。


「ち、違いますよ。私たちは違います」

「疑ってはおらんよ」


(しまった)


 いまの発言は、自分たちが〈魔の穢れ(マ・ゾルミ)〉だと明かしたようなものだった。

 老人は微笑む。


「ワシはしばらくの間この近くにおるから、困ったことがあれば声をかけてくれ。達者でな」


 老人はお盆を持ち、立ち上がった。厨房へお盆を返し、「ごちそうさま」と厨房の奥まで聞こえるように感謝を述べ、去って行った。

 あの人は何者なのだろう。

 ユリアは目をパチパチとさせている。


「あのおじいさん、食べるの早かったね」

「最初の感想それなの」


 指摘するものの、言われてみるとそうだった。あの老人がやってきたのはシオリたちが半分ほど食事を終えてからだ。だというのに、食事を終えたのはほぼ同時。


 ――おぬしとは初見な気がせんのう。どこかで会ったことあるかな?


 あの言葉は本当だったのだろうか。サングラスをかけるシオリたちを怪しみ、適当な理由をつけて接触してきただけなのでは。

 ふと、そんな可能性を思う。母の名前を出して、本当によかったのか、と。

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