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ゲット・アウェイ・ガールズ  作者: 中條利昭
第一部 〈あの光〉篇
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第五章 2、ホルン西円形広場

 こんな派手なサングラスが本当に流行っているのか、とずっと疑問に思っていたが、本当だった。

 この日が快晴で眩しいのも理由のひとつだろう、サングラスをかけている人は珍しくなかった。若い女性の多くはシオリたちと同じものを装着している。それでもシオリたちほど幼い子は他に歩いていなかったため、少し目立ってはいたが。


「そういえば、子どもは学校にいる時間だよね」


 いまは昼下がりだった。臨海部の学校のことはわからないが、ヘンデ村と変わらないのであれば、じきに下校の時間だろう。

 シオリたちは道路の右側を歩いていた。すぐ左手には車がたくさん走っている。黒、白、赤、青、カラフルだった。車はミルサスタにもあったため遠足のときに走っているのを見たことがあったが、こんなたくさん、しかも速く走ってるのは圧巻だった。若い大人が全力で走っても到底追いつかないだろう。その上、シオリたちとすれ違う方向に走っているため、車道から離れていても通り過ぎる瞬間には背筋が跳ねてしまう。

 歩き進めるにつれて人が少しずつ増えていく。都心へと近づいてきているのだ。

 あちこちから美味しそうな匂いが香ってくるようになってきた。右にも左にも食べ物屋がある。香りが混じって気持ち悪い場所もあったが、みるみるシオリたちのお腹は空いていく。


「お腹空いたね」

「うん。でも、ユメさんが言ってた『ホルン西円形広場』ってところまでは我慢だよ」


 ユメが一度臨海部へ帰るとき、このようなことを言っていた。


 ――フェンスの穴は倉庫の裏にあるんだけど、その倉庫の前に出ると大きな通りがあるの。車もいっぱい走ってると思う。その通りをずっと下って行くと『ホルン西円形広場』っていうところが正面に見えるの。中心に噴水がある大きな円い広場。その円の外側にたくさんのお店があってね、ほとんどが安くて美味しくて。スイーツのお店もあって、若い女の子に人気なの。安い宿屋さんもあるわ。お値段通りの小さな宿なんだけど、そこのおばさんがすごくいい人でさ。学生時代、親とケンカして家出したときによくお世話になったなあ。


 どんな人なんだろう。期待で胸がいっぱいに膨らむ。胸元のフリルが柔らかく舞う。

 道路はほとんどデコボコなく整備されていたが、足の疲れが溜まるのは早かった。慣れない靴とコンクリートの硬さのせいだろう。

 すれ違う人が増えてくるようになると、なかなかまっすぐは歩けなくなった。人を避けるのに必死で、周囲のお店をじっくり見ることも叶わなくなってきた。


「こんなに人って居ていいんだね……」


 額を濡らすユリア。シオリは「ほんとにね」と頷く。気温はあまり高くないが、どこか蒸し暑く、薄ら汗をかいてきた。

 五分ほど歩き続けると、道が平らになり、『ホルン西円形広場』の看板が見えた。丁字路の向こう側にある。信号が赤だったため、立ち止まった。あれが緑色になれば、白い模様のシマシマを渡っていいらしい。

 正面に平行する道路の信号が黄色に、そして赤になり、人が渡る道を空けて自動車が止まった。自分たちが渡っている途中であれが動き出したら、と思うとゾッとした。歩行者側の信号が青になると、早足で渡る。

 ホルン西円形広場の入り口は二十歩ほどの幅で、その両脇には左右それぞれ五本ずつ木が植えられている。ところどころ秋めいた赤色が姿を見せ始めていた。

 広場はその名の通りの円い形をしていた。ゆっくりと一周歩けば五分ほど消費できるかもしれない。

 石造りの円周部分は五人横に並んで歩いても余裕がありそうだ。その道から円の中心へ伸びる道が、ほとんど等間隔に八本ある。それ以外は芝生だった。芝生では子どもたちが走り回ったり、ボール遊びをしたり。

 円の中心には噴水があった。喧騒の中、水の音がかすかに聞こえる。都会にあふれる固い音を和らげるクッションのような、柔らかい音だった。


「ねえねえ、噴水に行ってみようよ」

「うん」


 吸い寄せられるように噴水へ駆け寄る。日陰はなかったが、さっきまでの人混みよりずっと涼しく感じられた。

 いざ近寄ってみても水の音は決してうるさくなかった。噴水の近くにベンチがあり、腰掛ける。ようやく脚が運動から解放された。


「疲れたね、ユリア」

「もうへとへとだよ」

「でも、元気そうに見える」

「楽しいからね!」


 広場の中心にいると、全体をまんべんなく見渡すことができた。円周の外側には屋台がたくさん並んでいて、ところどころ少し大きな建物がある。ユメが言っていた宿屋はその中のどれかだろう。


「あれかな」


 先に発見し、指差したのはユリアだった。

 店名は聞いてなかったが、広場に『宿』と書かれた看板はひとつしかない。


「きっとあれだね」


 ちょっとだけ休憩してから行こうか、とシオリは目を瞑る。

 風が草を撫でる音。子どもたちのはしゃぐ声。ぽつぽつと減ってきたセミの声。

 こうして、その中心でゆったりと座る時間。

 もう内陸部には存在しないであろうものだった。

 そのゆったりとした景色に、自らの使命を忘れそうになってしまう。あんな悲惨なことは本当は起こってなかったんじゃないかとさえ思えてしまう。


(だめだ)


 シオリは首を振る。サングラスがずれてしまう。慌てて元に戻した。






 木製の扉を開けると、暖色の明かりに照らされたロビーに迎え入れられた。ややくすんだ赤い絨毯からは、高級感よりも親しみやすさを覚える。


「いらっしゃいませー!」


 カウンターの奥にいたのは、ふくよかな女性だった。五十代くらいだろうか。顔にシワは多いが、そのほとんどが笑顔によるものに見える。


「あらあら、これはこれは小さなお客さんね。こんにちは」

「こんにちは」


 女性の笑顔につられ、シオリたちも微笑む。彼女の胸には『ステナ』と書かれた名札があった。この宿の看板にもその文字があったため、きっとここの宿主なのだろう。


「どうしたの? 家出?」


(そうだ、ここに来た名目を考えてなかった)


 子どもふたりがこんなところに来るのは、どう考えても不自然だろう。


「え、あ、いや、その……」


 ユリアともども慌てふためいてしまう。

 すると、ステナは「嫌なら話さなくていいわ」と微笑んだ。


「それに、お客さまのプライバシーに首を突っ込んじゃいけなかったわね、ごめんなさい」


 謝られてしまうと、余計に申し訳なかった。


「えーっと、その、ごめんなさい、ありがとうございます」


 続いてユリアも「ごめんなさい」と頭を下げた。


「それにしても、派手なサングラスね」

「これは……」

「知ってるわよ」


 え?

 彼女たちは心臓を掴まれたように喫驚した。サングラスをしてるのにバレてしまった、と。

 逃げる準備をしようとするが、体が硬直して動かない。

 ステナがゆっくり口を開ける。


「そのサングラス、女の子はみんなつけてるもんね。あなたたちほど若い子では珍しいけど」


 ああ、そっちか。

 ユリアと顔を合わせ、安堵。


「ちょっとおしゃべりしすぎちゃったわね。ごめんなさいね、おばさんになると無駄話ばっかりしちゃうのよ。老い先短いっていうのにね。あっはっは!」


 苦笑いする。


「そろそろ仕事に戻らないとね。いつまでうちで泊まってく? 一泊? 二泊? それとも、もっと?」


 いつまで泊まるのだろう。

 そういえば考えてなかった。

 これからハイドを探すことになる。この近くにいなかったら場所を移動することになるだろう。それまで、どのくらいかかるだろうか。見当もつかない。こんなに人がいる中でたったひとりを探すと思うと、途方もなく感じる。でも、そのぶんハイドの情報を知っている人も多いかもしれない。

 どうなんだろう。


「いつまでかは、わかりません」


 正直に答え、頭を下げた。


「私たちはいま、人探しをしていて、その人が見つかるまでは、あるいはこのあたりにいないことがわかるまでは、ここにいたいです」


 言葉尻でステナを見上げると、視線が合った。優しい眼差しだった。笑顔ではない。でも、優しくて温かい包容力。ユメの面影が、重なる。


「そう」


 ふわりと息を吐いて微笑むステナ。


「一応、おひとりさま一泊三千円からなんだけど」


 財布には十万円ほど入っていた。前にいた集落の家々から少しずつ借りて来たのだ。罪悪感はあったが、背に腹は変えられない。

 十万円もあればそれなりに長い期間泊まることはできるが、それ以外にも食事や移動費などもかかる。そう思うと、そう何泊もできない気がした。

 もっと持ってくるべきだった。罪悪感に負けずに欲張るべきだった。

 シオリたちの気持ちを察したのだろう。ステナは微笑んだ。


「まあ、いいわ。三千円はあるかしら」


 ひとりぶんの一泊の値段だ。


「それくらいなら」

「だったら、それだけでいいわ。何泊でも泊まって行きなさい」


 えっ、と驚くと、ステナはゆっくりと頷いた。

 ユリアと顔を合わせる。鳩が豆鉄砲を、というような顔だ。ぱちぱち、と瞼を痙攣させている。


「いいんですか」

「ええ。子ども料金とかは本来はないんだけど、特別に半額にしてあげる。普通お子さんは来ないからね。それでひとり千五百円。ふたりで合計三千円。二泊目以降は、あなたたちが大人になって、懐に余裕ができたときにでも返してちょうだいな」


 長生きする目標ができたわ、とステナは笑顔を輝かせた。


「ありがとうございます」


 ふたりは深くお辞儀した。学び舎で先生に怒られてもこんなに頭は下げないだろう。感謝の気持ちでいっぱいになって頭を下げたのは、初めてかもしれない。

 感謝といえば。


「私たち、ユメさんの紹介でここに来たのですが」

「まあ! ユメの!」


 ステナは目を大きく開いて跳ねた。ふくよかな体でのその仕草は若々しくて、コミカルだった。


「こんな小さな子に宿屋を紹介するなんて、あの子はうちをなんだと思ってるのかしらね」


 苦笑するステラに、シオリたちも苦笑するほかなかった。全部吐き出したい気持ちになってしまうが、そこは飲み込まないといけない。


「ユメは元気?」


 骨が折れる音が耳の奥で鳴った。あまりにも軽い、死の音。

 シオリは応えられなかった。応え方がわからなかった。

 戸惑うシオリの代わりにユリアが口を開けた。


「お姉ちゃんは、ユメさんは……、はい。元気です」


 元気だと言ったのに、ステナはつらそうな顔になった。


「そう。あの子の仕事も大変そうだものね」


 ユリアの口が少し、への字にゆがんだ。涙が込み上げて、我慢しているときの表情だった。


「あなたたちはユメの妹さん、って感じではなさそうだね」

「うん。でも、ユメお姉ちゃんは、ユリアたちのお姉ちゃんなの」

「そうかい、あの子も慕われてるんだね。どうしてだろうねえ、あたしまで誇らしいよ。ユメだってただのお客なのに。ちょっとばかし、たくさんの迷惑をかけられただけで」


 ステナの目がほんのりと涙ぐんでいた。まるで子の成長を喜ぶ母のように。

 宿屋の主人とその客。そんな一見遠い関係がそこまで発展するなんて、シオリには想像できなかった。ユメは、ここでどんなことをしたのだろうか。

 ステナは目尻を丸い指でぬぐい、その指をシオリたちの顔の前に立て、ウインクした。


「ユメの紹介ってことなら、朝ご飯と夕ご飯もサービスしてあげるわ」

「本当に!」

「ええ。ユメから聞いてない? うちのご飯は安くておいしいって」


 聞いたっけ、とシオリが考えている間に、ユリアは答えていた。


「聞いてないです。あ、安いとは聞いてます」

「正直な子ね。味は期待しないでちょうだい」


 料金を支払い、改めてお礼をする。それから鍵を待たされ、部屋へ案内された。


(ここで、私たちの新生活が始まる)


 ハイドを見つけるまでどのくらいかかるだろう。ハイドは特徴が多いとはいえ、すぐには見つからないだろう。そもそも本当にホルンにいるのかもわからないのだ。

 それに、見つけたとしても、この旅はきっと終わりじゃない。

 ヘンデ村を出たときの誓いを思い出す。あのときは、ちっともワクワクしなかった。心が重たくてつらかった。でも今は、不思議と気持ちが軽い。いろんなことがあった。つらいことばかりだった。だというのに、ちょっとだけワクワクしている自分がいる。

 どうしてだろう。

 答えはわかっている。


(ありがとう、お姉ちゃん)

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