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ゲット・アウェイ・ガールズ  作者: 中條利昭
第一部 〈あの光〉篇
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第四章 7、招かれざる客

 ユメが臨海部へ帰ってから一日が経った。

 この日は少し肌寒かった。空のほとんどを雲が覆っているが、ときどき太陽が顔を見せて暖かくなることもあった。

 ひなたの下、お昼休憩のおにぎりをひとつ食べ終わる。もう一個食べよっかな、とユリアはお弁当箱に手を伸ばす。もぐもぐと口を動かすシオリが目に入る。まだひとつめのおにぎりが半分残っていた。


「早いね、ユリア」

「シオリが遅いんじゃない?」

「そんなことないよ。むしろおなかが減ってるから、いつもより早いくらいだと思う」


 この日は、朝早く起きて作業を開始していた。すでに作業に慣れていたので、これ以上スピードが上がるとは思っていなかったけど、この三日間は驚くほど作業が進んだ。いつまで続くか目処が立ちそうになかった作業も、明日のお昼頃には終わりそうだった。ユメと出会い、いっぱいおしゃべりして、心が元気になったからだろうか。


(ありがとう、お姉ちゃん)


 そうこう考えているうちに、ユリアの二つ目のおにぎりがなくなっていた。


「ユメお姉ちゃん、そろそろ来るかな」

「それ、今日で三回目だよ」

「そうだっけ」


 あはは、と笑いあう。少し恥ずかしくて、ユリアは鼻歌で紛らわせる。足先が拍を刻み始めた。指が膝の上でリズムを鳴らす。体の揺らぎが歌に抑揚を付加する。

 こういう気持ち、なんて言うんだっけ。


「そわそわしてるね、ユリア」

「そう、それ!」

「なにが」


 シオリも楽しそうだった。いま思うと、この村に来てからのシオリはあまり元気がなかったような気がする。ユメが来てから少しずつ内側から光が漏れ出るようになってきた。ほぐれた笑顔が増えた。まだユメのことを『お姉ちゃん』と呼ぶことを遠慮しているけど、ユメのことが大好きなのは明白だった。

 素直になればいいのに、かわいいやつめ。


「もうすぐ来るかな」

「四回目。もうすぐじゃないかな。迎えに行ってあげたら?」


 私はまだご飯食べてるから、と言って最後の一口を頬張るシオリ。弁当箱へと手を伸ばす。


「いいの? シオリも早くお姉ちゃんに会いたいんじゃない? ひょっとするとまだ一時間くらいかかるかもしれないし」

「まあね。でも」


 シオリは次に作業に行く方角へ目を向けたが、すぐにユリアへ顔を戻した。


「朝張り切っちゃったからね。私は疲れた。ユメさんがユリアとここに来るまで休憩してるよ」

「そう?」


 ユリアは悩む。おとといユメとお別れしたところまで行きたい。走って行きたいくらいだ。ウキウキする。シオリもそうしていい、って言ってる。でも、本当にいいのかな、と考えてしまう。

 いってらっしゃい、とシオリが手を振る。その柔らかい微笑みが、ユリアの母のものと重なった。


「なんか、いまのシオリ、ユリアのお母ちゃんみたい」

「どういうこと」

「いってきまーす!」

「ちょっと、どういうこと!」


 そーゆーとこー! と大きな声を出し、逃げるように走り出す。

 背中を押すように風が吹いた。踏み出す一歩が大きくなる。風に乗ったみたいだった。

 ユリアはずっと不安だった。わけのわからない状況に包まれてることも、この先どうなるのかも不安だったけど、それ以上に、自分の〈魔力(マ・ラギ)〉がまだ発生していないことが不安だった。シオリがあの力を使って苦しい思いをいっぱいしてるのに。自分はなにもできていない。自分より小さな子どもを運んだり、燃えそうな木の枝や紙を探すくらいはしている。でも、それはシオリにもできる。誰にでもできる。自分じゃないとできないことが、なにもないのだ。

 鬱空とした罪悪感があった。自分みたいな役立たずは誰からも求められてないんじゃないか。自分は生き残るべきじゃなかったんじゃないか。誰かの代わりに死ぬべきだったんじゃないか。

 暴走した子とそうじゃない子の違いは何なんだろう。ユリアはただの子どもだ。シオリのように強くはない。〈魔の穢れ(マ・ゾルミ)〉の子どもでもない。

 つらかった。シオリと一緒にいるほど、作業をするほど、つらかった。苦しかった。自分が憎かった。

 本当につらいのは、持ちたくない力を持ってしまったシオリのほう。そんなことはわかっている。でも、劣等感を覚えずにはいられなかった。

 だから、ユメとの出会いはユリアを安心させた。


(お姉ちゃんとの暖い時間に夢中になってると、嫌なことを忘れられた。わけのわからない状況を共有できた。一緒に考えることができた。この先どうなるかはわからないけど、お姉ちゃんが一緒なら、きっと楽しく暮らすことができる)


「えへへ……」


 太陽が雲に隠れたと思ったら、村の淵まで到着していた。

 ユメが手を振り、森の中へ去って行く幻影が、目の前に薄らと映った。細い獣道があるだけの荒れた下り道だった。境界の森。ここを抜ければ臨海部。ユメの影が遠く消えて行き、耳の奥で鳴る足音が消えて行く。そして、ついに見えなくなる。と思ったら、砂が擦れる音が聞こえた。かすかだが聞こえる。少しずつ音がはっきりとしていく。


(お姉ちゃん……!)


 ユリアの頰が緩む。心なしかドキドキする。

 ずっと遠くのほうの木の陰から、人の姿が見えた。

 ユメではなかった。

 まっすぐ地面へと伸びる長い黒髪。その色よりも服の色は少し薄かった。紫色だろうか。黒に近いその色は、光を吸い込む夜闇を思わせた。胸や腰、脚にぴっちりと張り付くような細いローブを身につけている。足を踏み出すたびに揺れる裾はくるぶしの辺りまで伸びているだろう。脚側面にスリットが入っているらしく、ときどき黒いタイツが見えた。腰の右側には服に溶ける色の小さなポーチが添えられている。

 歩幅は小さい。荒れた坂を登っているのに、その姿は華麗だった。思わず見とれてしまう。

 その女性もユリアには気づいていたようだが、しばらくの間、お互いに声はかけなかった。双方ともが顔を認識し、声を張らなくても会話できる距離まで来たとき、女性が小さく手を挙げた。


「やあ」


 おしとやかで透き通るような声。でも、線はしっかりとしており、秋風にぶれることもない。

 背は高いが、ユメよりは少し小柄に見える。お腹は細く、胸はたわやかで大きい。ローブで隠れてはいるけど、きっと脚もすらっとして長いに違いない。見惚れてしまうほどに美しかった。


「こ、こんにちは」


 陶器のような白い肌。はっきりとした二重まぶた。かすかにつり上がった目尻と唇。唇は薄いが、やわらかそうだった。

 左分けされた前髪は左目を隠しかけている。衣装の印象も重なり、知的な雰囲気が漂う美人だった。

 至近距離で改めて目が合い、気づく。暗い色だからわかりづらいけど、瞳は藍色だった。


「君は誰かを待っているのかい?」

「う、うん……」

「緊張しているの? まあ、ゆっくりお話でもしようじゃないか」


 きっと都会の人なのだろう。

 ユリアはそう感じた。住む世界の違う、高嶺の花のようだった。体が硬直してしまう。ホルンではこのような人ばかりなのだろうか。

 でも、この人は〈魔の穢れ(マ・ゾルミ)〉だ。自分たちと同じ〈あの光〉の被害者なのか、それともユメと同じようにフェンスの穴から来た人 ―― 生まれつきの〈魔の穢れ(マ・ゾルミ)〉なのか。


「君、名前は?」

「えーっと、ユリア」

「いい名前だね」


 シオリの母も綺麗だけど、目が合うだけで緊張してしまうほど美しい人と話すのは初めてだった。

 そこでふと、ユリアは引っかかりを覚えた。

 都会から来た人なら、こんなに冷静に名前を聞いたりするだろうか。ユメのように、もっと驚いたりするんじゃないか。都会から来たわけではないのだとしても、もっと違う反応があるんじゃないか。

 そして。

 綺麗な女の人がリザを――。

 ミルサスタでシオリが話してくれた、リザを連れ去った人。その特徴は確か……。

 ユリアはおののき、跳ねた。女性から離れるように。


「どうしたの?」

「あなたもしかして、シオリが言ってた……」

「シオリ?」


 その三音は、今までとまるで違う、冷酷な色だった。睨むような鋭い目線。その変貌に、ユリアの足がすくむ。


「なぜ、そいつがあたしを知っている」

「あ、いや……」

「見られていたのか?」


 ユリアは後ずさる。脚が震え、思うように体が動いてくれない。


「まあいい。お前に危害を加えようという気はないから、警戒しなくていい。ついてきてほしいだけだ」


 ユリアは小さく一歩退く。

 女性は大きく一歩踏み込む。


「あなたはだれ? 〈あの光〉について、なにか知ってるの?」

「さあ、知らないね。あたしたちの仲間になる、って言うんだったら、そのうち教えてもらえるかもな」

「仲間?」

「お前には、あたしについてきてもらいたい。選択肢は『はい』か『イエス』か、だ」

「なに、それ」

「念のために言っておく。さっき、危害を加える気はないとは言ったが、手荒な真似は許されている」


 彼女はさらに大きく一歩踏み込む。手を伸ばせば肩を掴まれる距離だった。


「もう一度言う。ついてきてもらいたい」


 ――手荒な真似は許されている。


 手荒な真似ってなに?

 断ったら、どうなるの?

 きっと、ついていってはいけない。でも、反抗するのも怖い。反抗するための力もない。

 どうすればいいの?

 その時だった。


「ダメ! その人についていっちゃいけない!」


 強い声と、駆ける音。ユリアと女性を結ぶ直線を底辺とした、高さの長い二等辺三角形を作るような位置で、シオリは止まった。

 シオリ、どうして。

 声を出したつもりだったが、枯れて出なかったけど、シオリには気持ちが伝わったようだった。


「ユメさんが言ってたでしょ。ひとりになっちゃダメって。それを思い出して追いかけてきたの。私がひとりで待ってたら、きっと叱られるって思って」


 ユリアへ少し口元を緩め、すぐに締めた。

 女性を睨む。


「その人よ。リザを変なボールに入れてたのは」

「リザ? ああ、やはりあそこで見られてたのか。色々と計画通りにはいかないものだな」


 彼女はシオリへ体を向けた。視野から外れたユリアはゆっくりと引き下がっていく。女性はそれに一瞥くれただけだった。


「あなた、だれ?」

「あたしはルーイン。お前たちと同じ〈あの光〉の生き残りだ。つまりは仲間同士というわけさ」


 彼女から遠のくにつれ、足の震えが薄れていく。ついにシオリの元へ駆け寄ることができた。


「シオリ!」


 怖かった、と泣き声を出してシオリに抱きつく。ぎゅっと抱きかかえてくれた。恐怖が体温に浄化されていく。


「あたしについてこないか、お二方」

「イヤ」

「冷たいな。同じ被害者同士なんだから仲良くしようじゃないか」

「あなたはリザを連れ去った。仲間なんかじゃない」

「人聞きが悪いな。盗み見てたんならわかるだろ。あたしは連れ去ったんじゃない。ちゃんとあいつの合意を得て、ついてきてもらったんだ」


 そうなの?

 ユリアはシオリを見上げる。苦そうに眉をしかめていた。


「でも、あなたはあの変なボールにリザを」

「そうだな。確かに、あのボールは気味悪いよな。連れ去ったように見えたのも無理はない」


 しばらく睨み合いが続いた。お互い姿勢を変えずに牽制しあっている。ユリアもシオリの胸から動けないでした。


「その目は、合意する気はないってことでいいか?」

「もちろん」

「ユリアとやらには言ったが、手荒な真似は許されている」


 ルーインは静かに砂を踏んだ。瞬間、彼女の体から蒼炎が吹き上がり、空気が爆発した。シオリたちは腕で目を保護し、砂煙に耐える。


「力尽くで行かせてもらおう」


 その語尾の余韻が途絶え、ユリアが目を開けたとき、すぐ顔の上にルーインの拳があった。炎に包まれる拳が、シオリの顔へ飛んでいく。

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