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ゲット・アウェイ・ガールズ  作者: 中條利昭
第一部 〈あの光〉篇
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第一章 2、化け物の娘

 小走りで森を抜けて村に出る。カンカン照りの青い空はじわりと暑いが、この村は夏でも湿度が高くない。あまり汗をかかないシオリの肌はまだ濡れてなかった。

 この村に道らしい道はない。黄色がかった白い砂の上にところどころ草が生え、ゆとりのある間隔でまばらに家が建っている。村は歩いて一周三十分ほどの狭さでしかないが、人口も少ないのでその間隔で充分だった。

 この村の家々のほとんどは木造で、砂壁だった。中には二階建ての家もあるが、大家族でない限り大半は一階建てである。母と二人暮らしのシオリの家はもちろん一階建てだ。

 家まであと少し。お母さん何してるかな、と思ったときだった。


「よお、化け物の娘」


 浮かれていた楽しい気分が、瞬時に足元まで沈む。その気分を蹴飛ばさないため、シオリは立ち止まり、頬を緊張させた。


「なに、キール」


 キールと呼ばれた男の子は他の四人の仲間と共にへへへと口を曲げた。

 キールはシオリよりもふたつ年上で、決して体格がいいわけではなかったが、シオリよりは一回り大きい。


「お前こそ何してるんだよ、化け物の娘」

「なんでもいいじゃない。それに、私にはシオリって名前があるのよ。そろそろ覚えてくれる?」

「犬に名前はあっても化け物に名前なんてねえよ。化け物の娘だって化け物なんだから、お前にも名前なんていらねえんだよ」


 キールに続き、彼の仲間のひとりの肥満児が罵倒する。


「たとえお前に名前があったとしても、覚える必要なんてねーしな」

「名前なんて覚えようとしなくても覚えられるでしょ。それとも、それがわからないほど、あなたはおバカさんなのかしら」

「なに!」

「親の顔が見てみたいわね」

「なっ、パパとママのことまで悪く言うなんて、最低な女だな!」

「どこの誰が言ってんのよ」


 口論の弱いデブはチッと舌を打って引き下がった。

 負けるなら出るなよ、とキールは彼の頭を(はた)く。


「とにかくだ。〈魔の穢れ(マ・ゾルミ)〉親子は早くこの村から出て行け。気味悪いんだよ」

「あなた、いつもそれね。もう少し言葉にバリエーションないのかしら」

「お前さえいなければもっと勉強に集中できてるんだけどな。被害者はこっちだよ」

「その言葉の後は暴力、っていういつものパターンもそろそろ変えてくれない?」

「お前ら『穢れ』さえいなくなればな」


 粘っこく笑いながら、キールたちは地を踏みにじって近づいてくる。シオリは歯を食いしばって構える。彼女の運動神経は同じ年の中ではかなり良いが、キールは二つも年上だ。逃げたってすぐに追いつかれてしまうだろう。


「はっきり言って、あなたたちに構ってる暇はないんだけど」

「お前の都合なんて知らねえよ。おれたち〈神の末裔(シン・トルファ)〉は〈魔の穢れ(マ・ゾルミ)〉を追い払わなきゃならねえからな」

「正義気取ってるつもりかもしれないけど、あなたのやってることはただの暴力よ」

「おれたちは正義気取ってるんじゃねえよ」


 キールは粘っこく声を張った。


「おれたちこそが、正真正銘の正義なんだよ」


 シオリは不快感を抑えながら一歩下がる。彼らとの距離はできるだけ狭めたくなかった。


「やれ」


 キールのその一言で下っ端の男児四人が一斉に走り出した。

 その表情はみんな狂喜に満ちていた。まるで道端にゴミを見つけたカラスだ。


「きたない顔見せないで」


 真っ先にシオリへ手を伸ばした男児の腹を、彼女は手が届く前に蹴り飛ばした。

 足を元に戻す前に次の拳が伸びてきたが、遅い。伸ばした足へと重心を落として攻撃を避け、手の甲を顎へヒットさせる。

 背中から蹴りが飛んできた。死角ではあったが、彼女はこのような場面を何度も経験している。音で背後の動きを察知し、しゃがみこんで避ける。

 その蹴りは、顎に拳を入れられて伸びている男児に留めを差す形になった。


「お前、頭の後ろに目でもついてるのかよ」

「あなたたちの戦闘訓練のたまものね。ありがとう」


 キールは舌打ちし、唾を吐いた。足元の小石をシオリ目がけて蹴り上げる。

 彼女はそれを避けながらも、周囲への緊張の糸を少しも緩めなかった。キールの挑発の隙に他の連中が死角から襲ってくるのが、彼らの常套(じょうとう)手段だ。

 やはり斜め後ろから脚が飛んでくる。シオリは耳元でその脚を掴んだ。


「そんなに脚が上がるなんて、股関節がやわらかいのね」


 掴んだ脚を頭上まで持ち上げると、少年の顔がゆがんだ。力の抜けたところで軸足を軽く払う。

 少年は後頭部から地面へ落ちた。

 空を向いた顔面に踵落としを食らわせ、チェックメイト。

 だが、シオリは忘れていた。

 一番足の遅いデブの存在を。

 脂ぎった腕に羽交い締めされ、初めて気がつく。


「しまっ――!」


 格闘技に強いシオリと言えど、筋力は男子に比べると圧倒的な弱さがあった。それに加え相手は体格が大きい。いくらもがいたところで、びくともしなかった。

 さらに肥満児は片手でシオリの顎を押さえ、もう片手で後頭部を押さえた。顎の手は、口を開けづらくさせ、叫ばれるのを防ぐためだろう。


「どうだ? これで自慢の石頭も発揮できないだろ」


 後頭部の手は、頭突きを防ぐため。以前、羽交い締めにされたときに頭突きをお見舞いしたことがあったのだ。


「どちらかというと、おでこの方が自信あるんだけどね」


 顎を固定されているとはいえ、喋れないことはなかった。


「毎度毎度だが、お前本当にメスかよ」


 キールは感心したように顎をさすりながら歩いてくる。


「女の子、って言いなさい」

「いや、メスだ。メスゴリラだよ。いや、ゴリラに失礼だったな、悪かった」

「女の子相手に男の子が団体で襲いかかってくるなんて、みっともないと思わない?」

「女の子相手なら思うが、残念ながらお前は怪物のメスだ。そこを間違えるな」


 ぺっ、とキールは身動きの取れないシオリに顔を近づけ、唾を吐いた。

 粘着性の生温い液体が目にかかり、シオリは目を瞑る。


「……きたない」

「そういえば、さっきファム汁(トウガラシなどの香辛料を使ったスープ)食べたところなんだよ」


 途端、ヒリヒリとした痛みが目の裏へと広がり始めた。

 目が開けられなくなる。

 逆転の手をひとつ封じられたのに等しかった。キールが近付いてきて油断したところでデブの足の甲に踵を入れてやろうと思っていたのだが、視界を奪われてしまっては空振りするのがオチだ。


「さあ、この〈魔の穢れ(マ・ゾルミ)〉を町の外まで放り出してやろうか」

「私は〈魔の穢れ(マ・ゾルミ)〉じゃない」

()()()()()()()んだから同じだろうが」


 チッ、と舌打ちが出た。あまりにも理不尽な理屈と、母親を罵倒するキールたちに自分一人で勝てない不甲斐なさに。

 できれば使いたくなかったが、シオリは最終手段を使おうと決める。


「おっと、指笛だけは鳴らさせるな」


 また舌打ちが出た。いや、正確にはわざと出したのだ。

 手の内がばれて悔しく思っていると錯覚させるために。

 デブがシオリの腕を一層固く締めた。


「口まで指が届かないだろ。オレはな、一度したミスは二度としねぇんだよ」


 ニヒヒ、と勝ち誇ったように笑うキールを見て、シオリは笑いをこらえる。


「お前の指笛はうるさいからな」


 指笛はシオリの特技だ。この村の誰よりも大きな音を出す自信がある。幼い頃に母から教えてもらい、散々練習した特技だった。

 その音を出せばよろず屋のタムユが駆けつけてくるはず。彼女はシオリの味方をしてくれる数少ない大人だった。

 前回窮地に陥ったときも、シオリは指笛でタムユを呼んで助けてもらったのだ。

 その指笛が封じられても、シオリにはもうひとつ手があった。


「人は成長する生き物なのね」

「〈魔の穢れ(マ・ゾルミ)〉は除いて、な」

「あらそう。そんな話初めて聞いた」

「この状況でえらく冷静だな。そこだけは誉めてやろう」

「簡単な話よ。私だって成長する。たったそれだけ」


 シオリは唇の隙間から大きく息を吸った。

 それを見てキールは少し驚いたように目を見開いた。


「おいおい、指笛は使えね――」


 ピー、と小鳥が叫ぶような()()が鳴った。

 つんざく高音を耳元で聞いたデブはひるみ、シオリの体が自由になる。

 すかさずシオリは振り返り、勢いそのままに耳へ裏拳を入れる。


「デブはいいわね。的が大きくて」


 大きな体が地面を(えぐ)る音が、シオリの耳に届いた。

 残すは、ひとり。


「これは驚いた。口笛までできるのか」

「練習の成果よ」


 シオリは以前指笛を使った後から、キールがこれに警戒してくるだろうと踏んで口笛も練習していたのだ。


「だが、音は指笛ほど大きくなかったな」

「タムユさんの店までなら充分に届くでしょ」

「店まで届いても、本人まで届いてるかは分からねえけどな」

「え?」


 そういえば、人が駆けつけて来るような足音は聞こえてこない。


「倉庫の奥にでもいるのかもな」


 もしそうだとすると、さっきの口笛では不十分だったかもしれない。


「やっぱり神はおれたち〈神の末裔(シン・トルファ)〉の味方なんだよ。さあ、おれの勝ちだ。でさ、お前が秘密兵器を持ってきてたみたいに、おれだって秘密兵器を用意してきたんだよ」


 キールがどんな顔で話しているのか、視界を封じられているシオリは想像した。

 夏の暑ささえも吹き飛ばすほどの、(みにく)い笑いを浮かべているに違いない。


「その切れ味を試さなくちゃな」

「切れ味?」


 シオリは目を開けようとする。だが、香辛料の痛みはそれを成功させてくれない。


「まさか、ナイフ? ぶっそうね」

「いや、ただの尖った石だ。人道的だろ?」


 人道的、という単語はまだ十歳のシオリには少し難しかったが、大体の意味は伝わった。


「人を傷つける道具に、人道的もクソもないわよ」

「メスのくせにきたない言葉使いやがって」

「あんたの不潔さに合わせて言葉使いを調整してやってんのよ。感謝なさい」

「てめえ! 言わせておけば!」


 そのとき、駆け寄る足音が聞こえた。タムユかと思ったが、違う。音の定位と人数感が違った。


「――シオリ!」

「……ユリア? ジャネル?」


 ふたりの声だった。


(なんで……?)


 砂を蹴るふたり――と一匹の足が、シオリのすぐ近くで止まる。


「嫌な予感がして戻ってきたのよ。そしたら指笛が聞こえて、まさかと思って」


 指笛ではなく口笛だったが、この際どうでもよかった。嬉しさから涙がこみ上げてきて、少しだけ目が潤った。


「シオリ! 目どうしたの!」


 水が容器の中で揺れる音がした。ジャネルの水筒だろう。


「待ってて、すぐ洗ってあげる」

「ありがとう」

「上向いて、痛いかもだけど、少しだけ目を開いて」


 言われたようにシオリは天を見上げ、精一杯目を開いた。紙一枚ほどのわずかな隙間だったが、ジャネルの水はその隙間に入りこんでくれた。

 目の痛みが少しずつ癒えていく。そんな中、キールの獰猛(どうもう)な声が聞こえた。


「化け物の仲間も化け物だ……。全員殺してやる!」


 彼の靴裏が砂埃を巻き上げる。おそらく尖った石を振りかざしているのだろう。ユリアとジャネルが叫ぶ。シオリの耳がふたりの悲鳴で飽和する。そのため、キールへ向かう力強い足音を捉えられなかった。


「アゥッ!」


 突然の鳴き声の後に聞こえたのは、肉を引き裂くような鈍い音。


「ぅああああ!」


 キールの叫び声だ。

 クウが彼に噛みついたのだとシオリは理解した。


「痛ってえな! このクソ犬がッ!」


 まだはっきりと目を開けることはできなかったが、その光景をかすかに捉えることはできた。

 最初に見えたのは、キールの左腕に懸命に噛みつくクウと、それを無理やりにでも引きはがそうとするキール。

 やはり痛くてまた目を閉じてしまう。次に開いたときにシオリの目が映したのは――、


「クウ!」


 腕を振りおろしたキールと、クウの頭から噴き上がる鮮血だった。

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