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ゲット・アウェイ・ガールズ  作者: 中條利昭
第一部 〈あの光〉篇
10/76

第一章 10、母

「はあ」

「なにを溜息など吐いておるのだ」


 村長と副村長は村役場の一室で向かい合っていた。

 ジョーが処刑の準備完了を告げに来るまで待機しているのだ。


「なにを……。そうじゃな、すべて、かもしれぬ」


 タムユやラソン、シオリの処刑など見たくはなかった。しかし、村長として見届けなければならない義務があった。


「穢れた民族の死を目の前で見られるのだぞ? 待ち遠しくて(たま)らないではないか」

「待ち遠しい、か。遠すぎてこのままずっと来なければよいのじゃが……。いっそのこと先に寿命を迎えればいい」

「それはいい冗談だ」

「変わったな、おぬしは」


 村長はぼそっと嘆く。


「なにか言ったか?」

「年寄りの戯言(ざれごと)じゃよ」


 当然ながら、ふたりは知らない。

 村長の願いが叶うことなど。




 ×     ×     ×




 体力には自信があった。かといって、村に入ってもまだ全力疾走を続けられるとは思いもしなかった。

 シオリは真っ先にタムユの店へ向かっていた。

 そこにはいつも通りタムユがいて、母の買い物を続けていた。――のだとしたらどれほど良かったことだろうか。

 誰もいなかった。


「な、なんで」


 いつもよりも荒廃して見えた。砂が商品のあちらこちらにかかっている。几帳面なタムユではありえない。

 シオリは見つけてしまう。


「この赤色、なに……?」


 それは、地面に散らばっている乾いた液体だった。

 もしかして――。

 シオリは短い髪を振り乱す。よくわからないけど「もう遅かった」と感じたのだ。

 でも、もし遅くなかったとしても、自分に何ができたのか。

 一緒に倒れるだけなのでは。


「でも、お母さんを見捨てるくらいなら……っ」


 その続きは口にせず、彼女はまた走り出した。自らの家へ。


(砂が商品にかかっているのは風が吹いたからで、今は家で一緒に出発の準備をしているかもしれない)


 ほとんどありえないと感じていながらも、そう言い聞かせずにはいられなかった。そうでないと、砂の城が朽ちるように、体と心がボロボロに砕けてしまいそうだったのだ。

 今頃になって息が苦しくなってきた。一度止まってしまうとおなかのものが逆流してしまいそうだった。


(走り続けるしかない)


 手のひらをぎゅっと握ったとき、犬の叫びが聞こえた。


「クウ?」

「――アウ! アウ!」


 その悲鳴のような鳴き声は、あきらかに穏やかではない。

 次の家屋の角を曲がると自宅が見えた。玄関前でクウがしきりに飛び跳ね、天に向かって叫んでいる。


「クウ! どうしたの!」


 クウは激しく吠えながら森のほうへ首を振った。まるで、シオリに「向こうへ!」と指示するように。


「お母さんは!?」

「アウアウ!」


 シオリがクウのもとへ近づいたとき、


「痛い!」


 クウはシオリの靴下に噛みついた。布を貫き、牙がシオリの足首に食いこむ。


「痛いよクウ! どうしたの!?」


 クウは慌ただしい音を立てて走り出した。

 冷静さを失って自暴自棄になっているように見える。


「そっちにお母さんいるの?」


 クウの疾走に負けまいとシオリは走り出す。内臓が全て口から出てしまうような嗚咽(おえつ)に襲われながらも、一心に走り続けた。

 しばらくクウについていっていると、村の端まで来てしまった。クウは走り続ける。


「クウ、どこに……」


 そこで、視界の端にぽつんと立つ建物が映った。村役場とその倉庫だ。


(もしかすると、お母さんはここに……)


 クウは村役場さえも見えていないようだった。ひたすら森へと突っ込んでいく。


「クウ……」


 もう体力の限界だった。ブレーキがゆっくりとかかり始め、立ち止まってしまう。


「はあ、はあ……」


 朝とはいえ、真夏の日差しの中でこれだけ走ったのだ。うつむく彼女の髪から汗が滴るのも当然だ。

 その汗は、彼女の足元にある赤色を(にじ)ませた。


「……赤、色?」


 その赤い滴りは、ほとんど等間隔にぽたぽたと線を作っていた。まだ乾いていない。その線を目で辿っていくと、終点は村役場の倉庫だった。


「あそこに、お母さんが……」


 ふと、クウの走っていった方向に目を向けたが、もう姿は見えなかった。

 棒になったような重たい足を必死に持ち上げる。息を切らせながら一歩一歩倉庫へと不安定に歩いていく。


「お母さん……お母さん……!」


 何度も倒れそうになりながらも歩み続ける。

 大好きな母に会うために。

 ついに倉庫の取手に手をかけた。


「おかあ、さん……っ!」


 木と木が擦れる乾いた音。その後に彼女の眼に映ったのは、地面に倒れている数人の男と、ボロボロになりながら戦う男と女。

 そして、


「お母さん!」

「――シオリ!?」


 ずっと奥で膝をついて座り込むラソン。その手には手錠がはめられていた。

 彼女の脇にはジョーが立ち、「ほお」と憎たらしく笑っている。

 戦っているタムユもシオリに気づいたようだった。


「シオリちゃん!?」


 この少し前のこと。男の肩に担がれながら目が覚めたタムユは、この倉庫に入った途端に舞いあがり、男たちへ驚かせる暇も与えず、五人を打ちのめしていた。そして今、ジョーを除く四人と対峙している。


「どうして!」


 叫ぶラソンの目は涙ぐんでいた。同時に、聞きわけの悪い子に対しての怒りが滲んでいるようにも見えた。


「どうしてここにいるの! ロウラさんは!」


 ロウラさん?

 誰?


「来ちゃダメ! 早く戻りなさい!」


 今にも喉が潰れそうな、耳に刺さる響きだった。そんな母の苦しい声は、生まれて初めて聞いた。

 シオリはようやく気づく。

 ここに来てはいけなかったのだと。

 自分がしたことは、闇の中で母が願った唯一の光を、影に帰してしまうことだったのだと。

 その刹那。


「殺せ」


 ジョーの声だった。


「女ひとり相手に四人も要らないだろう」


 ラソンの顔色がみるみる絶望の色に変わっていく。

 それは、子を失う親の心。

 蒼い瞳がくすみ、灰色になっていた。


「逃げるんだシオリちゃん!」


 タムユが叫ぶ。

 だが。

 シオリへ意識が向いた一瞬、構えに隙ができてしまった。そこを男のひとりが殴りかかり、タムユは地に落ちて引きずられてしまった。口から血が流れ、何度も砂利に引きずられた腕の皮膚は剥がれ、えぐれている。

 それでもなお、タムユはシオリへ叫ぶ。


「早く! 早く逃げるんだ……っ!」


 体を起こそうとするタムユの頭を、男のひとりが踏みつぶした。

 断末魔にもならぬ、あっけない声と共に、タムユは動かなくなった。

 十歳の少女にはあまりにも残酷な光景だった。


「……っ!」


(ごめんなさい……ごめんなさい! タムユさん、お母さん!)


 真っ赤な目を腕で擦り、走り出す。

 だが、すでに体力は使い果たしていた。たとえそうでなくても、追いかけて来る大人の男から逃げきれるはずなどなく。


「きゃっ」


 手首を掴まれ、シオリは脚を滑らせて背中から落ちた。

 仰向きに倒れるシオリ。その頭上にナイフがかざされる。血塗られてはいないが、無数の鈍い傷が白く光っていた。


「俺に子どもをいたぶり殺す趣味はないが、悪く思うなよ。一瞬で楽にさせてやるから」

「やめて……やめて……っ」

「すまないな」


 諦め、目を瞑りかけたその時。

 自分の上に立つ男が、消えた。


「えっ……」


 鈍い打撃音。

 一陣の風。

 男が、消えた。

 喧騒さえも消えた。

 シオリの視界には、青い空しか映ってない。


「――シオリ、怪我はない?」

「お、お母さん……?」


 すぐそばに母の声を感じ、上半身を起こす。手が届くほどの距離に母が立っていた。

 いつものように美しい姿。なのに、どこか別人のよう。


「お母……さん?」


 その姿は、陽炎(かげろう)のように、ぼやけて見えた。そして、影に立つような暗さがあった。

 ラソンは膝をつき、シオリの頬に手を当てる。

 その手は、熱いほどに温かかった。


「本当に……お母さん?」

「ええ。紛れもなく、あなたのお母さんよ」


 そうやっていつものように微笑むラソンの手には、鎖の切れた手錠があった。

 彼女のずっと後ろに、さっきの男が伸びている。

 さっきまで騒がしかったはずの倉庫は静まり返っていた。

 それもそのはずだ。手錠をかけられ座りこんでいた女が、その手錠を引きちぎり、まばたきひとつする間に、数十歩も離れていた男を吹き飛ばしていたのだから。


「マ、〈魔力(マ・ラギ)〉……!」


 ジョーの声が震える。冷静を装いつつも、動揺を隠せないでいる、おびえた声だった。


「とうとうそれを使ったか……。しかも娘の前で、そんな恐ろしい力を……化け物め」


 気丈ぶっているジョー以外の他の全員は、戦うことを忘れて唖然(あぜん)と立ち尽くしていた。

 シオリはその様子を見て、ぽかんとしている。

 そんな娘を、ラソンは掻き抱いた。

 すすり泣くような母の息が、耳にかかる。


「ごめんなさい、シオリ。あなたの前だけでは、絶対にこの力は使いたくなかった……」

「ちから……?」


 物惜しげにほどかれる腕。母の手が肩に置かれる。

 まっすぐな蒼い瞳は、暗く(きら)めいて見えた。


「早く逃げなさい。いいわね」


 シオリは下まぶたに溜まる涙をぬぐう。

 いつのまにか息切れが消えていた。足の重みがなくなっていた。


「……うん!」


 そして、走る。

 ジョーが叫んだ。


「なにをしているお前ら! とっとと娘を捕まえろ!」


 立ち尽くしていた他の男たちが、一斉に我に返る。彼らの足は怯えていた。それでも各々が大声を出して自らを奮い立たせ、親子へと駆け出す。

 その先に待つラソンは深く、ゆっくりと息を吐いた。

 そして、構える。


「ここから先は、絶対に通さない」


 彼女の輝く蒼い目に、男たちは圧倒されて脚を止めてしまう。そうでなくとも、ラソンの構えには隙がなく、攻撃を仕掛けられる猶予など、これっぽっちもないのだ。

 子を護る母。この世界に、それ以上の圧力がひとつとしてあるのだろうか。


「なにをしている! 貴様らはメスブタひとり殺せないのか!」


 ジョーが叫んだ刹那。

 金属的ながら、低く、柔らかい音が鳴った。場違いとも間抜けとも言える、ぬるい音。――八時の鐘だ。住民を起こし、一日の始まりを告げる鐘。

 だが、ラソンにとって、それはまったく違う意味を持っていた。


「しまった……っ!」


 終焉を告げる絶望の鐘。


「シオリーッ!」


 母の叫びに、シオリは振り返る。その目に飛び込んだのは、背景全てを覆い隠す光。

 またたく間に、森を、村を、倉庫を、男たちを、母を消し、少女の視界を白に包み込んだ。

 その光の前に影など存在しない。

 建物の中。

 引き出しの隙間。

 蟻の巣。

 光は全てを這い縫い、全てを塗りつぶす。

 絶望の白に。

 終焉の白に。

 すべての始まりを告げる白に――。

次回より第二章。月曜日更新です。

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