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ゲット・アウェイ・ガールズ  作者: 中條利昭
第一部 〈あの光〉篇
1/76

第一章 1、少女たち

10話まで毎日更新(初日のみ3話更新)。

その後は月曜日更新です。

 首の後ろが赤く焼けそうな暑い日だった。だが、突き刺さるような日差しも、森の中では木々に緩和されてしまい、淡い緑の風となって泳いでいる。そのため、森を歩くシオリの白い肌には、ほとんど汗が滲んでいなかった。

 肩の上でばっさりと切られた黒髪を小さく揺らし、十歳のシオリは友だちふたりと犬一匹と、森を歩いていた。


「あー! カフォだ!」


 おてんばで純朴な声を上げるのはユリア。その大きな瞳は、木の幹の高いところにすがりつく虫を一心に捕え、輝いている。

 彼女とは対照的に、シオリとジャネルは苦い顔でユリアから一歩後ずさっていた。

 カフォとは、少女たちの掌ほどの大きさの甲虫のこと。茶色く、やや光沢のある鎧を持っている。ごく小さな角が遠慮がちに乗っているのは一見かわいらしくもあるが、頼りがないといってしまえばそれまでだった。


「カフォなんて何も珍しくないじゃない」


 そう口を尖らせるのはジャネル。ウェーブのかかった長い髪からは、気の強いところが垣間見える。この村の住民は、特に夏場、カリサと呼ばれる田舎くさい無地の服を着る習慣があるのだが、彼女のそれはシオリとユリアの物よりも飾り付けが多い。

 彼女の言うように、カフォはこの辺りの森でよく見かける虫だった。


「確かにそうだけど、あんなに大きいのは初めて見たよ! ここからじゃよく分からないけど、私の手より絶対に大きいって!」

「小さくても嫌なのに、大きな虫なんて何がいいのよ」

「ねえ、あれ取ってきていい?」


 そうユリアが二つ結びの髪を楽しそうに揺らすと、シオリとジャネルは苦しげに顔を合わせた。

 シオリは一般的な女の子同様、虫があまり好きでなかった。ジャネルに関しては「害虫? そんなの、この世の虫とエロ親父すべてよ」と言い放つほどに虫が苦手だった。

 対してユリアは、小さな体で広い世界を必死に生きる虫の姿が大好きだった。その好きさは「まるで男の子だ」「きっと虫の少ない都会の男の子より男の子ね」と言われるほど。暇なときはいつも図鑑を読み漁っているのだとか。


「取ってくるね!」


 質問を投げかけておいてその答えを待たないのはユリアの悪い癖。すぐさまわらじを脱いで木にしがみついた。


「いってらっしゃい」


 ほとんど棒読みでシオリは手を振る。


「うん! いってきます!」


 ユリアは足の内側で幹を挟み、器用に木登りを始めた。

 みるみるうちにシオリたちの体三つ分、四つ分の高さへと上がっていく。陸に残されたシオリは苦笑気味に「カフォなんか取ってどうするんだろうね」とつぶやいた。


「虫カゴ持ってきてないしね。しばらく観察して戻ってくるんじゃない? ね、クウ」


 ジャネルはシオリの足元にいる犬――クウへ話しかけた。クウは不思議そうに首を傾げる。

 クウはシオリの膝辺りまでの高さと、シオリの脚くらいの全長を持つ小さな犬だ。毛並みは白いが、ところどころ赤い毛が筋のように生えている。


「あっ、カフォが逃げた」


 迫りくる少女の影に気付いたのか、カフォはせっせと木の幹を登り始めた。


「待てー!」


 あと一歩、というところまで来ていたユリアは急いで手を伸ばすが、惜しくも届かない。

 そんな様子がおかしくて、シオリとジャネルは噴き出した。

 カフォはあまり飛翔能力が高くない。飛べるのは飛べるのだが、隣の木へと移ったり木から飛び降りて地面に着地するくらいしかできない。また、そのせいかあまり羽を広げようとはしないらしい。


「よくわからない鬼ごっこだね」


 飛翔能力が高くないぶんの埋め合わせなのか、カフォは普通のカブトムシよりもずっと歩くのが早い。木登りに慣れているユリアとの距離を一切詰めさせないほどのすばしっこさだった。

 くそー! と声を上げながらユリアはさらに登っていく。他の子なら落ちないか心配になるが、ユリアの安定感はシオリたちに全くそれを感じさせない。彼女の登っている木は周囲の木たちよりも頭ひとつ抜けて高かったが、シオリたちは安心して見ていられた。少しずつ木の頂上に近づいていき、ついに追いかけっこも終盤に差しかかってきた。


「ここで会ったが百年目! ざまあみろ! とっととこのユリア様に捕まえられればよかったのだ! ハハハッ!」


 頭上の雲模様を観察するみたいに見上げないと見えないほど、ユリアは高い所にいた。それでも彼女の明るい声はよく通り、シオリたちにもしっかり届いた。


「あっ」


 急展開は、いつだって急なものである。

 カフォが飛んだ。ユリアの頭上を滑り降りるように下降しながら。

 思わずユリアは右手でカフォの動きを追いかけてしまい、バランスを崩してしまった。


「危ない!」


 だが、ユリアはほとんど反射的に両足の力を抜き、ひっくり返らないように落ちて行く。その下には太い枝があった。見事に着地する。

 ほっ、と胸を撫で下ろしたシオリとジャネルだったが、ユリアはよっぽど大きなカフォに執着しているのだろう、「ユリアちゃんナイス着地」と冗談めかして笑った後、思い出したように「誰か捕まえて!」と羽を広げるカフォに指を差して叫んだ。

 カフォは半ば落ちるようにして隣の木の元へと宙を滑っていく。向かう場所はシオリたちの身長の倍はあるであろう高い位置だ。

 シオリはそれを目で追い、虫嫌いなジャネルは「きゃー」と背を向けて逃げる。

 その時。

 クウが地を駆けた。

 ユリアのいる木へと跳ね上がり、勢いそのままに幹に足をつける。

 反動で逆側――カフォが飛んで行く側――へ大きく舞った。

 飛翔能力の低いカフォは軌道をそう簡単には曲げられない。

 まっすぐ飛ぶカフォを、クウの口が捕らえた。


「あああっ!」

「あー、食べちゃった」


 獲物を横取りされて落ち込むユリアと、苦笑するシオリ。

 虫が大嫌いなジャネルは「虫を食べる」という句に拒絶反応を覚える体質なのか、見てもいないのに「いやぁー!」と叫んでいる。


「絶対に見せないでね! わたしずっとあっち向いてるから!」

「うん、わかった」


 微笑んだのも束の間、クウが虫を食べたという事実を思い出し、シオリは焦る。


「クウ! そんなもの食べちゃダメ! ぺっ、しなさい! ぺっ!」


 温厚なのか呑気なのか、それともシオリの気持ちが伝わっていないのか、クウはわけが分からなさそうに首を傾げ、口を開けた。その舌にはグロテスクに潰されたカフォの死骸が無残に転がっている。


「ぺっ、しなさい!」

「だいじょうぶだよ、シオリ」


 木の枝の上で風を浴びながら、ユリアが声をかける。


「カフォは毒なんてないし、むしろ普通に食べられるらしいよ」

「でも……」

「鎧は硬いから剥がさなきゃダメだけど、昔の人は食べ物がないときによく食べてたらしいから。栄養満点らしいよ」


 ハエのようなサイズならともかく、子供の掌ほどの虫が食べられるという事実に、シオリは納得がいかなかった。でも、虫博士のユリアがそう言うのなら、としぶしぶ肩を下ろす。


「クウ、硬い所だけ吐き出しなさい。ジャネルのために、向こうの茂みで」


 今度はしっかりと想いが通じたのか、クウはテクテクと茂みへ潜っていった。そしてすぐに戻ってきて、シオリにキレイな口の中を見せた。


「よし、偉いぞ、クウ」

「アゥ!」


 尻尾を振って喜ぶクウが愛おしく、シオリはしゃがみこんで彼の頭を撫でる。

 そのまま彼女は、木の幹の前でしゃがんでいるジャネルへ「もうだいじょうぶだよ」と声をかけた。


「ほんとに? ほんとのほんとに?」

「うん、ほんとにだいじょうぶ」


 ようやくジャネルが振り向いてくれた。再びクウは口を開け、彼女に舌を見せる。そこに何もないのを確認してジャネルは胸を撫でおろした。腰にさげていた水筒に口に当てる。ごくごく、と喉を鳴らす音は、シオリの喉まで潤わせてくれるほど涼しげだった。


「ねえ、シオリ! ジャネル!」


 ユリアは空から声をかけた。


「枝の根っこに変なキノコが生えてるんだけど、ちょっと来てよ!」

「えっ」


 地面にいるふたりは再び閉口した。木に登りたくないのだ。


「非力のジャネルなら無理かもだけど、シオリなら来られるでしょ」

「誰が非力よ! 確かに木は登れないけど! シオリ! わたしの代わりにユリアのところまで行ってきなさい!」

「ふたりとも、私のことからかってるでしょ」


 えへへ、ふふふ、と笑うユリアとジャネル。つられてシオリも苦笑した。

 シオリは高いところが苦手だった。体力や運動神経はあるのに、自身の体三つ分くらいまでしか木を登れず、泣きだしてしまったこともあった。それが悔しくて、ユリアに付き合ってもらって木登りの訓練もしたこともあったが、手足と目を真っ赤にするだけで上達はしなかった。

 どうして私は高いところが苦手なの、と以前母に訊いたことがあった。どうやらまだ赤ん坊の頃に家のタンスから落ちたことがあったらしい。どうして私はそんな所に登ったの、と訊くと、母は「元気があり余ってたからじゃないかしら」と口元をほころばせた。

 もしかすると、自分の少し冷めた性格はそこからの反省だったのかも、とシオリは思う。

 ごめんごめん、と器用に木から降りてくるユリアの姿が、やっぱりちょっと羨ましい。


「もう。カリサが汚れちゃってるよ」


 シオリの指差す胸を見降ろし、ユリアはへへへ、と笑う。


「またお母ちゃんに怒られちゃうかも」


 彼女の手には少し赤みがかった茶色いキノコが握られていた。傘は先程のカフォよりも一回り大きい。


「こんなキノコ初めて見た」

「私も」


 食べられるかな、とつぶやくユリア。

 キノコは毒があるものが多いからね、とシオリ。


「ちょっと、お母さんに訊いてくる。お母さんキノコに詳しいから。待ってて」

「ユリアも行きたい」

「ユリアは汗っかきでしょ。木影のない村に戻ったらまた()()()()()()になっちゃうじゃない」


 彼女は先ほどの木登りで薄っすら汗をかいている。この状態でまた動くと、汗が噴き出してしまうだろう。

 ユリア自身もその体質に悩んでいたので「じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな」とキノコを差しだした。


「行くよ、クウ」

「アゥ!」


 シオリはユリアからキノコを受け取り、腰にかけていた麻の小袋に入れて走りだした。

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