元王子の激情。
「いえ、その必要はありません」
「え?」
「は?」
アルテンリッヒの硬い声にステラに続き思わず声を上げた。
その必要はない、というのは、あれか?婿養子云々についての話か?
もともとハーディスト領並びにハーディストの爵位はアルテンリッヒが継承すべきものだ。
もとより、もしも彼が全てを知ってこの色々な意味で曰く付きの地を背負う覚悟があるというのなら譲り渡すつもりであった。
彼は両親のことを知りはしないだろうが領民は違う。
呪われた地といわれようとも、辺境の冬の厳しい決して豊かでない地であろうとも、出ていくものが少ないのはかつてのハーディスト伯爵が慕われ愛されているからだ。
ハーディストで過ごせばそれがよく分かる。
アルテンリッヒはそうして持ち得なかった家族の思い出と面影を拾っていけたらいいと思うのだ。
仮の席であった領主の椅子をおりた後は平民として暮らすのも一向に構わないし、ただのエルレインとして騎士となり身を立てるのもいいかもしれない。
けれどきっと、どこにいたって俺はステラを諦めきれないだろうが。
俺の妄執から逃れてステラが幸せになれるのならばそれでいい。
……が、婿養子……つまりステラが俺以外の男に寄り添い微笑み睦まじく共に歩く。
それもどこの馬の骨かもしれないぽっと出の奴とだ。
待て待て…耐えられるのか?
想像しただけで腸が煮えくり返りそうだ。
そんな光景を目撃したら即時に斬り掛かる自身がある。もちろん男の方にだが……。
なぜ、なぜ今までその可能性を考えなかったのだ。俺は馬鹿か。
彼女は貴族令嬢だ。
俺との婚約が破棄となれば当然、どこかの男と政略結婚をする。当たり前じゃないか。
幼い頃から共にあり、しかも俺の婚約者という立場であったから変な余裕があったのか?
馬鹿か、何故婚約破棄など……いやまあ、あの時はあの時で、あれだったし、しかも俺は自分の気持ちに気付いていなかったから、あれだけど……。
あの時の俺をできることならぶん殴って目を覚ましてやりたい……。
「姉さんには僕と結婚してもらいます。
そしてその……僕との子をルーファス公爵家へ後継者として養子に出します」
ステラがもし結婚するとなればできるだけ、できるだけ離れなければ……。
何をしでかすかわかったものでは無いな。
「……て、は?」
悶々とひとり考えている合間にとんでもないことを聞いた気がする。
気の所為に決まっているだろうが、恐ろしく馬鹿な発言を。
「な、なななな」
「…り、リヒテン?もちろん、冗談よね」
「大丈夫です、姉さん。僕達は従兄弟ですから」
「い、いえ、…あの……うん、そうね。……でも、違うのよ、そういう事じゃなくて……」
「僕、姉さんとは素敵な家庭を築く自信があります。あ、僕もステラと呼んでもいいですか?
ハーディスト伯爵だけ特別とか言わないですよね?もちろん」
「え?……はい、どうぞ……いえ、あの、そうでなくて」
あまりのことに状況を飲み込めずにいるのか、やけに穏やかに言葉を返すステラと真剣な眼差しで仄かに頬を染めるリヒテンは拍子抜けするほど呑気だ。
何を言っているのかちょっと自分の耳が信じられずにルーファス公爵を垣間見ると彼は食卓に肘をつき頭を載せたままビクともしない。
貴族社会や城で恐れられ敬われ一目置かれるこの方はその実、家族には甘いし弱い。とても。
「父様も姉さ……ステラがどこぞの男に取られるなんてお嫌でしょう?その点僕ならほら、許容範囲じゃないです?
いつでも会えますよ、今までとそう、変わらないですよね。
少なくともそこの残念王子……失礼、元王子よりはマシではないですか?
あ、言っておきますがハーディスト伯爵、僕は貴方に感謝はしていますが気に食わないってことは変わりませんからね。勘違いしないでくださいね」
「お、お前……」
ステラと全く似ていない顔つきの男に驚愕の視線を向けると奴は顎を上げて蔑むように笑った。
ちょっと待て、ステラに向けていた顔とまるで別人じゃないか。それに、公爵、何故そんな神妙に考えているのです。
よもや、悪くない、なんて思っているんじゃないでしょうね、この親バカが。
「公爵、ステラ……それにアルテンリッヒ。
少し落ち着くべきだ。
そんないつ産まれるのかも分からない、そもそも男児が産まれるかどうか分からない事に縋るなんてどうかしているぞ。
ルーファス公爵家を絶やす気か」
「それは、伯爵、ステラに対しての侮辱ですか?」
「そんなわけがないだろうが、不確定要素に頼りすぎているといっている。
そもそもステラの意思はどうなる?彼女を道具にしたいのか。真面目で優しい彼女がプレッシャーに押し潰されるのは目に見えている。
彼女の意思を軽んじているのはお前の方だろうが」
「どこの家に嫁ごうとも同じことです。
万が一子が生まれずとも構いません。その時には親類の子を養子にもらい後継者として育てるまでです」
「は?本末転倒だぞ。お前ただステラを手に入れたいだけだろう」
思わず刺々しい口調になってしまった。
取り繕う余裕もなく正論を年下に捲し立てるだけの俺は酷く滑稽なことだろう。
こんな姿をジークやトルネオに見られたら間違いなく爆笑されている。
けれど、別に構わない。
どこかの馬の骨にやるくらいなら、こいつで、とは思えなかった。
いずれにしろなにかと理由をつけて俺は結局、彼女を失うことを認められない。確信した。
そして気がつく。
ステラから離れるとか彼女が幸せであれば、とか綺麗事を並び立てては見たが、無理だ。
どこかの見知らぬ男にステラが嫁ぐのも、弟として長らくそばに居たこの男に任せるのも、我慢ならない!
なんて、自分勝手で見苦しい男だろうか、そして俺はいつだって自分の気持ちを理解するのが遅い。
馬鹿馬鹿しくて笑いさえ漏れそうだ。
「ああ、そうだよ。
僕はアルトステラ・リンジー・ルーファスが好きだ。
姉として見れたことなんてない。ずっと好きだった。お前みたいに身勝手に振り回して、傷付けて、そのくせしつこく付きまとう中途半端なかっこつけ野郎なんかよりもずっと!
どんなことでも利用してやるよ!なんだってしてやるよ、カッコ悪くていいよ別に、僕はステラと一緒にいたいんだ!」
俺を睨みつけて顔を赤くしながらそう言ったアルテンリッヒにステラは同じく顔を真っ赤に染めあげていた。
ルーファス公爵は顔を上げ、顔色の悪いまま心做しか目を丸くしている。
わがままなこどもの癇癪のようなそのセリフに何故だか感動したかのような空気が流れている。
………なぜだ!
こういう、なりふり構わないストレートな表現がうけるのか、女性というものは。……まったく、訳が分からん。
「なんの茶番だよ、こりゃいったい…揃いも揃って……」
しばらくして静寂を破ったのは呆れたようなペテルバンシー様の声とため息だった。




