3
「僕は学園を卒業した後ハーディスト領を治めたいと思っています」
イゾルテの邸で昼食をとり始めて早々にリヒテンはそう言って、マリーがカトラリーをぶちまけた。
控えていたトレイシーは倒れ込んだところをクロードに受け止められバンスの姿は見えない。
20年近く、座するべき席をあけていた父公爵はその椅子で頭を抱えた。
「……こうなると、むしろ陛下はこれが目的だったのかと思わざるを得ん…」
小声で憎々しそうになにかを呟くお父様の声を聞きながらわたしは淑女らしからぬ開いた口が塞がらないという状態でリヒテンを凝視するはめになる。
「………知ったか、すべてを」
家族の食卓にさしたる違和感なくつくエル様が穏やかな声でそう言った。
ハーディスト領でかつて悲劇が起きたこと、わたしの母、リヒテンのご両親が巻き込まれたことは大雑把に知っている。
詳しくは知らない。
誰も口にしたがらないからだ。
私の世界からまるで無かった事のようにわざとらしくその話題は消されていた。
わたしが知るのはその事実と、当時のリヒテンの様子だけ。
リヒテンは公爵家に引き取られた当時、無、だった。
目の前でたくさんの人の死を見たからか両親の死を見たからか、炎に焼かれる人を見たからか、空虚としか言いようのない酷い状態だった。
そのくせ突然泣き喚き自分を傷つけ、夜になるとどこかに何かを探して行こうとする。
数年をかけて徐々にそれが落ち着くとある日リヒテンはその全てを忘れた。
忘れるしかなかったのだろう、きっとそうしなければ精神が壊れてしまっていたのだと思う。
だからルーファス家ではあの事件に少しでも関与のありそうな事はなにもかも、完璧に秘匿とされた。
リヒテンを守るために。そして、お父様の心を守るために。
「はい、ハーディスト伯爵。
僕は貴方に一生では返しきれないほどの恩があります。
今まで本当にどうもありがとうございました。」
「……やめてくれ、俺が勝手にしたことであって君の為にしたのではない。
頭を下げられる道理はない」
「それでもです。
真実を明らかにしてくれたこと、どんな方法であれ僕の家族を守ってくれていたこと、両親に代わり感謝致します」
ちらりとわたしとお父様を見据えた深い青の瞳がその後エル様へと向かった。
「………アルテンリッヒ、確かにハーディスト領は君が治めるにふさわしい土地と言えよう。君が治めるべきだと言ってもいい。
だがな、貴族社会はそれほど単純では無い。
事情を知っている君なら分かるだろうがルーファス家の君が治めるにはあそこは弱すぎる。
フィルメリア様がお亡くなりになられ、陛下が数多の面倒を処理したと言っても強すぎる力はいずれ歪を生む。
人間というものは実に勝手だ。
それにルーファス公爵を務めながらこのような辺境を守りきれるわけもない。
目を離せば弱みになり利用され、つけ込まれる。
ルーファス家として彼の地に関わろうというのであればそれはただの強欲なこどもの理想論だ」
「……やめてくれ、エルレイン…」
つらつらと淀みなく続けるエル様にお父様は緩慢な動作で顔を上げ今にも嘔吐しそうな表情で睨みつけた。
エル様は、といえばアメジストの瞳を細めて、見間違いでなければ悪戯っ子のように微笑んだのだ。
ああ、そうか、そういうことか。
つまりは、そういうことなのだ。
さすがにここまで言われればわたしだって気がつく。
なにもこのエル様の発言は心よりそう思って言っている訳では無いのだ。
リヒテンが言わんとしていること、しようとしていることを理解してわざと、からかっているのだ。
エル様はただ、リヒテンの舞台を整えたに過ぎない。
それは当然お父様も承知なわけで、だから彼らは共に来たのだ。
「僕はルーファス公爵家を抜けハーディスト姓に戻ります。
両親を継ぎハーディスト伯爵家を継ぎます」
お父様が再び頭を抱え、エル様が満更でもなさそうに眉を上げた。
彼は恐らくこうなることが分かっていた。
そしてお父様もきっと……。
お父様はどこか諦めている。どこかで恐らく両親を継ぎたいというリヒテンを認めてしまっているのだ。
「お待ちください、ではルーファス公爵家は一体誰が継ぐというのです?ネイトフィールでは女子の爵位の継承を認めていないはず」
「それは……当然、君が婿養子を迎えることになるだろうな」
そうだ。それはそうだ。
ルーファス公爵家の親類にいま父公爵がそれを認めた継承者となり得るものがいない。
となると、リヒテンが家を出ていってしまえば必然的にそうなる。
当たり前だ。
当たり前なのだけれど、物心着いた頃からずっとわたしはエル様の婚約者候補で、爵位を継ぐのはリヒテンだとしか思っていなかったから実感がわかない。
恐らく政略的な婚姻の相手をお父様が選びその方と結婚してルーファス公爵家を守っていくのだ。
当然といえば当然、貴族令嬢として最大の役割だと言っても過言ではない。
わたしの不名誉な評判はエル様のお力で消え去っているらしいのだし、公爵家とお近付きになりたい者は至極たくさんいることだろう。
どなたか、互いに都合の良い方と永遠を誓い一生を共に過ごすのだ。
良かったじゃない、アルトステラ。
これで家の役に立てるのだから。
………わがままを言うのならば1度くらい恋をしてみたかった。
誰かを愛し、報われずとも、アイシャがかつてしていたような燃えるような恋を。
エレナが幼馴染と結んでいたような絆を。
マリーが語っていたように愛に夢を見てみたかった。
なぜだか胸がつきんと痛んだ。
お久しぶりです!
いつもいつも本当に本当にお付き合いいただきありがとうございます
ようやくシリアスが終わる…
ご都合主義の発動だ…!




