2
その日帰ってすぐ、クロードを問い詰めた。
クロードは父がハーディストに来るらしいということを伝えると石像のように固まった。
その次には何か口を開こうとして言葉が出なかったのか目を見開いたまま、またその口を閉じた。
この驚きようをみて、まさか演技だとは思わないけれど、エル様いわくわたしは騙されやすいらしい。
あんまりな物言いに言い返したかったが、過去を振り返ってみると何も言えなかった。
そんなわけであるから、割と粘って質問を変えながら聞き出そうとしてみたのだ。
それでもクロードは何も知りませんの一点張りで、むしろいつ来るのか、だの何をしに来るのか、だの視察という事はイゾルテにも立ち寄るのか、だの彼の剣幕におされたくらいである。
最後には「お嬢様は旦那様に似てこられましたな…」としみじみと言われ、わたしは青ざめた。
それは、なにかしら?
わたしがお父様に似てねちっこく嫌味っぽく執拗い、と?
………嬉しくない。
そして、それから僅か三日後。
清々しく晴れたその日に邸の門の前に1台の馬車が止まった。
「お父様!……まあ、リヒテンも一緒なの?」
「おひさしぶりです、姉さん」
ルーファス公爵家の家紋が描かれた馬車からまずはリヒテンが飛び出した。
満面の笑みを浮かべた可愛い弟は悠々と歩き小走りになるとわたしの両脇に手を入れて子供のように持ち上げる。
「ちょっと!リヒテン!」
赤面していることが如実に、はっきりと自分でもわかるがそれも仕方ないと思うのだ。
クロードやトレイシー、マリーやバンスも出迎えのために出てきているはず。
それに、なにより、お父様の前でなんてことを……。
ただでさえ、お父様はわたしとリヒテンが一緒にいる所ですら見たくないはず。
こんなところ見られたら、きっと酷く傷付けてしまうだろう…。
「会いたかったです!」
責めるように声を荒らげたわたしを気にした素振りもなくリヒテンの深い青の瞳は眩しそうに細められ、そのまま抱き込められた。
「リヒテン!」
一方で、わたしをひょいと軽々持ち上げたこともそうだけれど、こんなに力強いものなのかとわたしは感心していた。
背に回された腕は振り切れそうにないし、肩幅はまた少し広くなり頭の位置ももう随分高いところにある。
ぎゅうぎゅうと抱きしめられる胸を精一杯押しながら、可愛い弟の成長を誇らしくも思った。
こっそり緩む頬はリヒテンの胸板に遮られ誰も気付きはしないだろう。
……そんなことを思っていると、突然ばっと身体が離された。
凛々しくなった深い青の瞳が太陽の光を反射して輝いている。
「姉さん、お誕生日おめでとうございます!」
リヒテンは神々しい程の眩しい笑みで勢いよくそう言った。
「……え?」
………お誕生日?
「……リヒテン。ルーファス公爵家の時期当主ともあろう者がなんという恥知らずな真似を…。
ステラを離せ。
それから、ステラ、お前もリヒテンに好きにさせるのでない。お前はいつも甘やかしすぎだ」
「お父様……?」
お父様に会うのは半年ぶりくらいだろうか。
わたしと同じ銀色の髪が風にたなびく。
少し目尻にシワが増えたかもしれない。
けれど身内の贔屓目抜きにしても精悍で怜悧な顔つきとピシャリと伸びた背筋は変わらない。
しかしその口元にうっすらと浮かべられたぎこちない笑みと和らげられた目元にわたしはこの人はよく似た偽物なのではないかと思った。
「久しぶりだな。息災だったか」
「え、ええ……お父様も、お変わり…ない?……よう、で?」
わたしは数度瞬きをして、首を傾げる。
………おかしいわ、わたし、疲れているのかしら。
「ほら、父様の笑顔が気持ち悪すぎて姉さんが固まってしまいました」
「そんなわけがあるか、お前がおかしな行動をするからだ。
それかお前がお誕生日おめでとう等と口にしたからだろう。
ステラは毎年自分の誕生日を忘れている」
「ああ、そう言えばそうですね。父様と同じですね」
わざとらしくにっこりとしたリヒテンに空気がが固まった。
そもそもわたしは元から固まっていたのだが。
固まった空気をどうにかしたのは、やはり、というかなんというかクロードの咳払いだった。
「お帰りなさいませ、旦那様、お坊ちゃま。
続きはどうぞ中で。」
ハッとした使用人達があくせくと動きだし、マリーが何もない所で転んだ。
荷を下ろし馬車を戻しお父様がクロードにコートを渡すのをぼんやり見つめながらわたしだけが未だ、覚醒できずにいた。
「姉さん驚かせてしまいましたか?すみません。でも誰よりも先に言いたくて…。僕が最初でした?」
「ええ、もちろん…そうよ。ありがとう、リヒテン」
誕生日、誕生日…誕生日……、そう言えばそうだっただろうか。
すっかり忘れていた。
今年は特に、余りにも色々なことがありすぎたから。
ニコニコと嬉しそうに笑顔を浮かべるリヒテンになんとなく気分が落ち着きその柔らかな髪をとかした。
「くすぐったいです、姉さん」
「あなたもよくするでしょう?わたしリヒテンの髪すきよ。サラサラで綿毛のようにふわふわしてる。
こればっかりはずっと変わらないわね」
「…本当ですか?………ハーディスト伯爵よりも、僕が好きですか?」
「?もちろんよ?」
どうしてここでエル様が出てくるのかしら。
確かにエル様の艶やかでハリのありそうな闇色の髪は美しい、けれど。
触れたことは無いし、別に触れたいと思ったこともないし…。
ちらりとお父様の方を除くとお父様は微妙な顔をしてこちらを見ていた。
しまった、いつものくせでリヒテンに近づきすぎてしまった。
この子にはいつも拒絶されることが多いからこう、近寄ってくると距離感が分からなくなるし、お父様の言う通りわたしは甘やかしてしまいがちなのだ。
慌てて距離を取ろうとしたのに、なぜだか腰が引き寄せられてしまう。
「わっ」
「……らしいですよ、残念でしたね」
可愛らしい……とはもう言えないかもしれない、すっかり大人の顔をしたリヒテンは突然声を低くしてどこか挑戦的に口元を歪めた。
え?と小さく音を漏らし視線を遷移する。
ぐるりと視線を回すと、わたしの背後から少し離れたところにやけに見慣れてしまった黒髪の男性が佇んでいた。
風になびく長く整えられた黒髪と真紅の髪紐が揺れる。
彼は底冷えするような暗い瞳でリヒテンをじっと見つめていたし、リヒテンはリヒテンでギラギラと青の瞳を燃やしている…気がする。
しかしわたしと目が合うと途端に優しげな笑みを浮かべたものだから気の所為なのかもしれない…。
「……ごきげんよう、ステラ」
「ごきげんよう、エル様。……どうしてここに?」
ますますこのリヒテンと密着している状態がいたたまれなくなったわたしはどうにかリヒテンを押しのけて素早く距離をとった。
ちらりとお父様を伺うと何故だかさっきよりも険しい顔をしている。あれ?どうして?
「それは君が…」
「ごきげんようハーディスト伯爵。姉さんがお呼びじゃないって言ってますよ。
そもそも家族団欒、一家水入らずのところに押し入るなんて貴方本当に正気なんですか?
空気が読めないにも程があります。
というか、誰の許可を得て姉さんを愛称で呼んでるんですか。
元王族だかなんだか知りませんが、たかだか田舎の貧乏伯爵風情が馴れ馴れしくしないでください」
「それは申し訳ない事をした。貴殿らの予定を知らなかったのだ。
それから呼び名のことだが、誰にって……ステラ本人に、だ。
俺達は既に互いの邸を通いあい愛称で呼び合う仲だが、それがいったい弟の君に、どう、関係があるというのだろうか」
何処かからため息がふたつと悲鳴がひとつ聞こえた。
誰のものだっただろうか、ため息の落とし主は存じないが悲鳴は確実にマリーだ。
……どうしたことだろう。
しばらく会わない間にリヒテンの攻撃性は増し、エル様は饒舌になったらしい。
弟の君、というワードをやけに強調したのはわたしの聞き間違いではないだろう。
リヒテンはそこでなんだか背筋がゾッとするような笑みを浮かべた。
……リヒテンが本当の弟でないから、そういったのかしら。
実際の血の繋がりがどうであれ、リヒテンはわたしのたった一人の大切な弟で、心配せずともそれはずっと変わらないというのに。
エル様も意地が悪いわ……。
それにリヒテン、元王族だかなんだか知らないって…その元王族になんて失礼な口を聞くの?
あなたが口が回るのは存じていたけれどそこまであからさまに態度に表すような子だったかしら?
大層な暴言に怯むことなく淡々と返したエル様が気に食わなかったのかリヒテンから小さくチッと音がした。
………嘘でしょ、まさか、今の、舌打ち?
あの可愛いわたしの天使が、舌打ち?
数分前とは対照的にきっと青ざめているだろう顔でお父様を垣間見ると、お父様はやはり微妙な顔をしつつ、何故だか満足そうに1度頷いた。
………なに、なんなの?それは、どういうことなの?
可愛い天使のような弟が野蛮になっていく気がして、わたしはこめかみを抑えた。




