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「父様、アルテンリッヒです。失礼いたします」
「アルテンリッヒ・ネイサン・ルーファス、私はお前をそんな恥知らずに育てた覚えはないぞ」
入室の許可も取らず、ノックとほぼ同じくして扉を開けた僕に父公爵はじとりとした視線を寄こした。
執務室の机越しに鎮座する、流石はネイトフィール貴族の頂に座する存在の厳しい視線に息を飲んだ。
「……申し訳、ございません」
「……リヒテン、お前はルーファス公爵家の後継者だ。
常にそうあるに相応しく、行動しなさい」
「………はい、父様」
硬い表情で頭を下げる僕に思い沈黙のあと、父様は深いため息をついた。
「で?一体何があった。
何か急ぎの用でもあったのだろう」
近頃父様のクマがまた再発している。
元々痩せ気味なのに少し痩せられたように見えるし、それになにより、表情を崩さない父様には珍しく眉間にシワがよっている。
仕事でなにか抱えておられるのか、それとも僕や姉さんの事なのか、はたまた、別の、なにかか……。
定かではないが、確かに何か思いつめているらしい父様に、こんなことを聞くのは非常に心苦しい。
けれど、もし、僕のこの推測が正しいとしたら、僕だけが何も知らないまま守られているのだとしたら……。
「父様、聞きたいことがあります」
父様が俯いていた顔を持ち上げて姉さんと同じ色の澄んだ空色が僕を真っ直ぐに映し出す。
書類から手を離し机の上で手を組んだ。
「なんだ」
「僕の父親の名は、ネイサン・ハーディストですか」
空色が僅かに見開かれ、そしてゆっくりと細まる。
「呪われた地、ハーディストとは僕の両親が治めていた地ですか」
瞳は完全にまぶたに隠れた。
眉間に細かい線が走る、それから深いため息を吐いた。
「………どこで、誰にそれを聞いた」
「学園の傍の露店街で、昔ハーディストに住んでいたという老人に。聞いたわけではありませんが、彼は僕のことをネイサン・ハーディストと呼びました」
父様は瞳を閉じて口を固く引き結んだまま微動だにしない。
僕も何も言わずに父様の反応を待った。
重々しい空気が数分続いたあと、ようやく、彼は重い口を開いた。
「………ああ、そうか、もう、そういう可能性もあるのか………。確かにお前はネイサンに似ている」
「では、やはり…」
「……………ああ、お前の実の父親はネイサン・ハーディスト、母親はアルテイシア。
お前のミドルネームは父親からもらった。
……私の親友だった男と、そして、私のただひとりの妹だ」
「妹………」
「そうだ、お前とステラがいとこなのだから。有り得る話だろう」
まあ、そうだ。
それはそうなのだが、僕は今までそのアルテイシアという叔母……いや、母の存在を全く知らなかった。
むしろ、従兄弟、というのはきっと亡くなられた母君方の…と勝手に思っていたほどだ。
それほどまでにルーファス公爵家で父様の妹の話は秘匿とされていたのか…。
「話がそれだけなら、自室に戻れ。
私は急ぎ城へ用がある」
やけに素直に話した父様に拍子抜けしていたところではあるが、なるほど。
その他の一切を話す気がないらしい。
威圧気味にそう言い放った父様を真っ直ぐに見つめる。
「城へ赴く際は後学の為、出来る限り随行させてくださっていますが、僕が着いて行っては都合の悪いお話ですか?
出来れば車中でぜひ、両親のことを詳しく伺いたいのですが」
「私は忙しい。暇ならば好きなだけ仕事を回そう。知りたいのなら屋敷の者にでも聞けばいいだろう」
「父様が隠しておられることを話すものがいるとでも?」
「別に隠してなどいない、いない、が………。
わかった、ならば帰ってからお前の両親のことはきちんと話してやる。それでいいな」
「分かりました、10日以内には帰ってきてくださるのでしょうか」
「…………」
帰って来ないつもりだ。
このまま有耶無耶にしてごまかして逃げるつもりだ。
目に見えて嫌そうな顔をした父様に僕は心の中で謝罪をして眉を下げた。
どうあっても話したくはないらしい。
鉄仮面のように張り付いた無表情のなかでくっきりと眉間にシワが寄っている。
これは、相当に珍しいことだ。
「ルーファス公爵家当主ともあろうものが厭に逃げ腰じゃないか、アルバーノン」
ノックもなしにするりと入ってきた金髪に僕は驚愕のあまり声さえ出なかった。
「アルテンリッヒも連れて行ってやればいいじゃない。彼は壇上に上がるべきだ、そうだろう?」
柔らかな編み込まれた肩ほどまでの金髪と薄紫色の瞳。
それはまさしく王家の象徴たるアメジスト色で、その美麗な優男風な顔立ちは紛うことなく…
「陛下ーーっ?!」
「おー、アルテンリッヒかい、随分と久しぶりだね。立派になって、君の素晴らしい噂は私の元にも届いているよ」
ひらひらと手を振る彼に固まっているところで背筋をぞわりと伝う、冷気のようなおぞましい感覚にぶるりと体をふるわせた。
はっと、振り向くと執務室の机から相も変わらず無表情の父公爵が陛下を見ていた。
無表情ながら、瞳孔の開いた獣のような瞳と溢れ出る殺気に喉が引き攣った。
陛下に向かってなんて顔を…いや、顔つきは変わらないけど、なんというか……オーラが…。
「……これはこれは、ヴィクトレイク陛下。お忙しいところ、わざわざこのようなつまらない屋敷においで下さり光栄です。
まるで旧知の友のように、親愛なる家族のように接して下さる陛下の慈悲深さには感服致します」
……なんだろう、なぜだか、話していることと内容の本質がまったく一致して聞こえない。
つまり、こんなところまで王が何しに来たんだ、仕事はどうした、というか勝手に家に入ってきてノックもなしに入室とは随分だな、と言うふうにしか聞えない……。
「あはははは、悪かったよ、アルバーノン!……ちょっと、もしかして機嫌悪いの?殺されそうなんだけど、どうにかしてよ君の父親だろう?」
肩口に顔を近づけこそこそと耳打ちをするやけに親しげな陛下に父様の視線は更に鋭さを増した。
胃が痛くなりそうな板挟みにどうにか口を開き、「陛下、何故こちらに?」と尋ねることに成功した。
………が、よく良く考えればここは跪くべきだった。
慌てて腰を折ると陛下は「あははー、そういうの別にいいからね」とさらりと言った。
「何故かって……まあ、そういう事なわけだよアルバーノン」
陛下は優しげな声音のトーンをいくらか落としてアメジストの瞳でまっすぐに父様を射抜いた。
対する父様も眉間に皺を寄せながら頭をガシガシとかく。
こんなに目に見えて取り乱す父様は久しぶりに見る。
「ごめんね、アルバーノン。もう待っている暇がない」
「父様……?」
父様は暗い瞳で陛下をひたすらに見つめ返す額に浮かぶ汗に僕は驚愕と焦燥すら覚える。
「もう一度言おう、アルバーノン。
アルテンリッヒは壇上に上がるべきだ」




