公爵家子息の日常。
「アルテンリッヒ様!また授業に参加されなかったのね、それってよくないと思うわ」
「………また君ですか」
学園にあるサロンで公爵家の勉強と学園の役員の仕事を広げているところで銀色に限りなく近い淡い金髪が飛び込んできた。
勝気な茶色の瞳に僕はあけすけにため息をついてパタリと、資料を閉じる。
ティエーリ・メイトローブ。
1つ歳下の彼女は何故だか僕によく絡む。
事の発端は彼女が学園の役員に立候補したことに遡るが、割愛しておこう。
僕はといえば、あの粘着質男が学園を去ってから役員長とかいうめんどくさい事この上ない席に着かされているが、まあそれも家柄を考えれば仕方の無いことだ。
僕が自由に学園を休んでイゾルテに通えなくなった理由は、実はこれが大きい。
「はぁ」
姉さんは今頃何をしているだろうか。
また馬鹿なことをしていないだろうか。
姉さんは自分のことを顧みなさすぎだ。目を離すのが恐ろしい。
………それに、あの男は大人しくしているだろうか…。
「あのですね、前にも話しましたけどこれはきちんと学園に許可を得ていることです。
授業の課題は既に提出済みですし」
「うう………」
「貴方、知っていて突っかかってきているでしょう」
短く唸ったティエーリ嬢に溜息をつきながらそう言うと、彼女は悔しそうに口を閉じた。
「まあまあ、ティア。素直に言ったらどうなの?
せっかく合同授業だったのに一緒に授業が受けれなくって寂しかったって」
「レファ!う、うるさいわね!別にそんなんじゃないわっ」
レーファリア・マルケル、同じく役員を務める同輩にティエーリ嬢が噛み付く。
どこかのんびりとした彼女は口元に手を当ててあらあらと楽しそうに笑った。
彼女達がやってきたということは授業はもう終わったらしい。
もうこんな時間かと時計を仰ぎみてため息をつく。
だいぶ、没頭していたみたいだ。
「……ああ、帰りたい」
「今から帰るのでしょう?……あ!そうだわ帰りの方向、一緒じゃない?
つ、ついでだからうちの馬車で送って差し上げるわ!」
僕の思わず漏れた呟きを面倒なことにティエーリ嬢は拾ってしまったらしい。
彼女は放課後やたらと僕を誘おうとする。
僕が毎日馬車で帰っているわけではないと知られてから毎回そうだ。
というか、あんな目と鼻の先にあるような屋敷にわざわざ馬車で帰る馬鹿がいるか……。
いや、この学園には大勢いるな。
まあ、とにもかくにも俺の答えなんてわかりきっているだろうに。
そして、彼女は大いに間違っている。
僕が帰りたいのはルーファス公爵家のタウンハウスではなく、イゾルテの邸だ。
姉さんの笑顔に癒されたい。
姉さんとゆっくり過ごしたい…。
「まあ、嬉しいわティア。
わたくしの家って少し離れているのよね」
「貴方には言ってないわ!というか貴方、逆方向じゃない!」
やいやいと騒ぎ出した2人を尻目に、トントンと資料を合わせて口を開く。
「お気持ちは嬉しいのですが、この後、用がありますので。失礼します」
では、また明日。と2人に微笑んで僕はサロンを後にした。締め切ってあるサロンより廊下の空気は遥かに冷たい。
けれど、イゾルテの寒さに較べたら可愛いものである。
コートを羽織ってバッグを持ち直し声をかけてくる生徒達に笑顔で返しながら学園を出た。
ーーーーーーーーーーー
……どうしてこうなった…。
ちらちらと感じるあからさまな視線に僕は足を止めてくるりと振り返った。
王都でいま、人気らしい菓子店の横の薄暗い通路の前。
いつか姉さんにここの菓子をご馳走してさしあげたいなとか、心の端で思いながら。
「ティエーリ嬢、どうされましたか?馬車で帰宅されるのでは?」
「ぅわうっ!!な!ななな!」
学園を出てから彼女が……もとい彼女達が僕の跡をつけてきていたのは知っていた。
なまじ、侯爵家のご令嬢であるティエーリ嬢と伯爵家のご令嬢であるレーファリア嬢を屋敷の敷地に踏み入れさせてしまっては、追い払うのが面倒この上ない。
無下にはできないし、とても、厄介だ。
……そう思って王都の街を適当に歩き回ってみたが、一向に離れない彼女等に僕はとうとう痺れを切らしたわけだ。
「………まさか、そんなおざなりな尾行でバレていないおつもりでしたか?」
「あぅっ、…あう、」
「まあまあ、ティアはっきり言ったらどうなの?アルテンリッヒ様の用がどんなものか気になった、って」
「はぁ!っ、そんなんじゃないわよ!わたくしはたまたま、そう!たまたま、街に用があったのよ!」
「そうですか、では僕はこれで、失礼しますね。着いてこないでくださいね、迷惑ですから」
にこりと微笑んであけすけにそう言った僕にティエーリ嬢はぴしりと固まった。
だって、どう考えたって迷惑じゃないか。
間違ったことは言っていないはずだ。
僕がいつもにこにこしてるだけの男だと思ってなにやら幻想を抱いているとしたら、その考えはどうにか改めてほしい。
あと、金輪際付きまとって欲しくない。
レーファリア嬢が目を見開いてやはりのんびりと「あらあら、まあ」と口元に手を当てた。
そうして今度こそ踵を返して歩を進めたー。
………進めるはずだった。
「おお!これは……ネイサン様!ネイサン様じゃないですか!」
「……………え?」
白髪に伸びた髭。
優しそうな目元に貴族らしくはない格好の老人は嬉しそうにそう言って頭を垂れた。
「まさか、こんなところでネイサン様にお会い出来るとは思っておりませんでした!
王都で、なにか御用がお有りですか?」
「えっと、失礼ですが、人違いでは?」
確かに僕のミドルネームはネイサンである。
で、あるがそれを呼ぶ者は滅多にいないし、そもそもあまり名乗りもしないし、というか、この老人に一切の見覚えがない。
へらりと愛想笑いを浮かべた僕に老人はぽかんとして戸惑うようにその円な瞳を揺らした。
「まあ、おじいさんっ!そんなところに!すみません!お貴族様っ」
「ああ、ケイティ、見なさい、ネイサン様が」
「何を言っているの、ネイサン様はもうお亡くなりになったじゃない」
ケイティと呼ばれた中年の恰幅の良い女性が忙しくぺこぺこと頭を下げた。
青白い肌は寒さのせいだけではないだろう。
面倒な貴族の子息に絡んでしまったと思っているに違いない。
小声で叱咤した女性がおずおずと顔を上げてその瞳に僕が映った瞬間、彼女は目を見開いた。
「……ネイサン、様?」
「ほら、見てみなさい。やはりネイサン・ハーディスト様じゃないか」
「………ネイサン、ハーディスト……?」
老人の言葉に僕は驚きを隠せなかった。
ハーディスト、ハーディストと彼は言ったのか?
ハーディストとは、まさか……。
偶然だろうか、彼の知人にたまたま僕が似ている?たまたま、そして、その名なのだろうか。
「そんな、だってネイサン様はあの事故で…」
「事故?」
女性がハットしたように口元を抑える。
顔色はもう青白いを通り越して土色にも届きそうである。
「いや、しかしネイサン様にしては若すぎる気もしますな……もしや!ご子息様ですか?
我らはもう随分と前にハーディストから越して別の土地に移り住んでしまいましてな。
あそこは確かに厳しい土地ですが、とても良いところです。何より、領主様が素晴らしい。
いやいや、領主様だけでなくハーディストの邸の方皆様がとても素敵な方ばかりで……。
いやはや、長生きはするものですな!まさかご子息様にこんなところでお会い出来るなんて………」
嬉しそうにいやに饒舌に話す老人の話を上の空で聞き、そして聞き終わらないまま僕は走り出した。
頭が真っ白というのはこういう時のことを言うのだろう。
なんとか短い挨拶のようなものはした気がする。
ティエーリ嬢もレーファリア嬢もあの老人も女性もそのままに僕はひたすら走った。
動悸がする。
貴族たるものいつでも毅然として冷静で弱みを見せたらいけない。
けれど、そんなことに気を配る余裕すらなかった。




