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瞼の外が明るい。
重たいまぶたをゆっくりと開くと見慣れた光景が広がっていた。
ここは、俺の部屋か。
窓の外から柔らかい光が差し込んでいる。
明るい、朝なのか?
俺はどのくらい寝ていたんだ?
というか、いつ自分の部屋に帰ってきたんだったろうか。
その前にいつ寝たんだ?なにをしていたのだったか。
覚醒しない頭でとりあえず起き上がろうと腹筋に力を入れたところではしる激痛に顔を顰めた。
ーーーー身体が思うように動かない。
まるで自分のものでないような重さだ。
沼の中でもがくような奇妙な感覚に眉をひそめたところでベッドの右側にある、有り得ない光景に目弾く。
「……アルト、ステラ嬢……?」
今度は子供ではなく正真正銘、立派なレディである彼女がそこにいた。
ベッドにかかる長い美しい銀髪。
俺が見間違うわけがない。
簡素なワンピースにケープとブランケットを羽織りベッドの縁に倒れ込むようにして、……これは、寝ているのか?
その両手は俺の右手を握っているらしい。
右手だけが異様に暖かい。
…………有り得ない。
もう一度キョロキョロとあたりを見回した。
間違いない、確かにハーディスト領の邸の俺の、部屋だ。
ただ、寝るためだけのつまらない、いつもの部屋。
………いやいや、有り得ない。
こんな所にこんな部屋に彼女がいるわけが無い。
ここは、ハーディスト領で、さらに言えばハーディスト邸である。
彼女はここに足を踏み入れはしない。
そして、俺の部屋などに来るわけがない、理由もない。
「ああ、夢か…」
どうやらまだ俺は夢の中にいるらしい。
自室に彼女の幻想を作り出すなんて、いよいよ俺は自分が恐ろしくなる。
馬鹿か、俺は。何を考えているんだ。
そして、この夢を喜んでいる自分が自分で情けない。
……まあ、いいか。夢の中くらい。
本物の彼女にはもう二度と会えないし、会わないと決めたのは俺だ。
上体をどうにか起こし、鉛のように重たい左腕でベッドに広がる銀髪を掬う。
どれだけ、この錦糸のように繊細な髪に触れたかったことか。
震える指先に苦笑した。
「……ステラ」
どれ程、この名を呼びたかったことか。
「…………ん」
微かに彼女の頭が動く。
その拍子にさらりと手のひらから零れ落ちた銀髪を目で追いながらなんとなく、もったいなくおもった。
「エル、レインさま…?」
ほら、これは夢だ。
彼女はもう俺のことをエルレインとは呼ばないから。
ゆっくりと持ち上がった顔がうつろに俺を見つめて、それから空色の瞳はまるで子供の頃のようにまん丸になる。
見開きすぎてこぼれ落ちそうな瞳をした彼女は繕うことを知らない昔の彼女のようで俺はやはり、少し笑ってしまった。
「おはよう、ステラ」
微笑んではみるが、やはり表情筋が思うように動かない。気持ち悪い笑い方をしていたらどうしようと内心動揺した。
「………エルレイン、様……」
「夢の中でも貴方は美しいな」
握られたままだった手を少し握り返してみると彼女は硬直した。
その頬に手を伸ばして触れるか触れないか、のところでとめる。
やはり、夢とあっても触れがたい彼女に、しかし俺の夢だからと理由をつけてそっと触れた。
冷たい頬に俺の熱がゆっくりと移る。
ふっと微笑んだ俺から視線を逸らさないまま彼女は数回目を瞬かせた。
彼女に、触れている。
その事実だけで舞い上がってしまいそうな心をどうにか鎮めて息を吐いた。
「君にずっと、触れたかった」
ずっと、こうしたかった。
ずっと、ずっと。
「あの、、」
「ん?なんだステラ」
「………あの、もう、平気、なのですか?」
「平気?」
「お身体は……」
お身体?いったい、なんのことを言っているんだ。
………ああ、さっき、泣いてしまっていたからだろうか。
「平気だよ、見苦しいとこを見せたな」
夢であろうと、彼女が幼い姿であろうと、目の前で泣いてしまったなんて…。
なんという、失態。恥ずかしすぎる。
………そういえば、心做しか彼女も目が赤い気がするが、どうしたのだろう。
「君こそ、平気なのか?」
頬に寄せた手をゆっくりと目元に滑らせる。
彼女は肩を跳ねさせて擽ったそうに目を細めた。
「目が、腫れてるぞ」
どうしたんだ?
そう聞くと、彼女は一気に顔を真っ赤に染めた。
熱、でもあるのだろうか。
夢なのに?……夢だからか?なんでもありなのか。
それとも、これは俺が望んでいることだと、そういうことか?
なんでもありません、と彼女はもごもごと言って僅かに視線を彷徨わせた。
何故だか顔がさらに赤くなる。
俺は首を傾げてそれからそのあまりの愛らしさに目を細める。
「ステラ」
「?」
「好きだ」
ちらりと視線だけを寄越した彼女にそう言うと彼女はまたしも目を見開いた。
零れ落ちそうな瞳の下を親指でなぞるとやはり擽ったそうに目を閉じる。
「愛してる」
とてもすんなりと言葉は唇から滑り落ちる。
彼女は彫刻のようにぴしりと固まってしまった。
くすくすと笑い声をもらしながら柔らかい髪をくしゃくしゃと撫ぜた。
夢なのだから、良いだろう。これは俺の夢だ。
彼女に言いたくて、遂に叶わなかった言葉。
夢くらい、許されはしないだろうか。
「ずっと、愛してる。ずっと、きっと君と出会ったその日からそうだった。
俺はずっと、君の隣にいたくて君を逃がしたくなくて、きっと無意識に君を囲ってしまっていたんだ」
すまない。
微笑みながら眉を下げると、彼女の唇は僅かに震えた。
時が止まったかのように彼女は動かない。
実際止まっているのだろうか?とも思ったが、俺の作り出した幻想の彼女はなるほど、とても精巧で戸惑うように視線を下げた。
「きっと、俺は君を一生諦められない。
惨めに想い続けるのだろうな。
でも君は俺の隣では幸せになれないだろうから、俺から逃げるべきだ。
だが、勝手に想うことだけはどうか許して欲しい」
顔が真っ赤に染まる。
訝しげにやや、顰められた眉が愛おしい。
これは、俺の作り出した彼女であるが、現実の彼女であれば、どんな表情をするだろうか。
昔であれば微笑んで流されたかもしれないけど、
今の彼女であれば、怒るかもしれないな。
俺の予想通り、つり上がる目尻と赤く染まる目元が堪らなく愛らしくて俺は頬に添えていた左手を伸ばして銀色の頭を抱き込んだ。
妙にリアルな重量と熱が伝わって驚きはするが、夢だから夢だからと言い訳をして引き寄せる。
胸に沈む彼女の熱を片手でぎゅっと抱きしめた。
「っ!なにをっ…」
「……ステラ、誰よりも愛してる」
押し返すように藻掻く彼女を遮るようにそう言って俺の意識は再び闇に落ちた。
ああ、俺にとってとても都合のいい、この幸福な夢が永遠に醒めなければいい……。




