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バンスがドアノッカーを再び叩いた。
彼が数回叩いて大声をあげたが邸の反応はない。
そして、今回もしかり。
「なんだ?留守か」
「わたしが以前聞いた話だとこのお邸にはエル様とジーク様しかおられないとのことだったわ。
お出かけかしら?」
わたしの言葉にバンスははぁっ!?と声を上げた。
「2人っ!?
元王子とあの剣を振るしか能のない糞ガキが、たった2人?……そりゃ、生きていけるんですか?」
「……さあ、まだこちらに来たばかりの話だったから今はどうか分からないけれど……」
あいつ、馬鹿じゃねえのかと頭を抱えるバンスにわたしは首を傾げる。
エル様のことは知っていて当然だ。
当然だけれど、ジーク様のことを“剣を振るしか能のない糞ガキ“とは、いったい……。
ここで知り合ったとしてそういう評価になるものだろうか。
確かにジーク様は以前、騎士であった。
王都ではエル様直属の騎士団で側近で、陛下親衛隊にも一目置かれるような腕のたつ人物であったと記憶している。
しかし、それは王都での話だ。
穏やかなこの地でいったいいつ、その剣の腕を振るう機会があるというのだろうか。
「………バンス、貴方、ジーク様とも随分親しいのね」
「……。」
バンスは眉を寄せて、わたしから目を逸らして、どこか遠くを見て、ややあり、扉に手をかけた。
………わかりました。話す気がないと、そういうことね。
ため息をついたわたしを遮るかのように背を向ける。
「まあ、いいわ」
エル様にあなたのことも聞くことにしましょうと心の中で呟いたところでガチャりと音がした。
「…え」
「………お嬢様、開いちゃいました」
「………」
「…………」
すんなりと、呆気なく扉は開いた。
施錠されていなかったらしい。
無言で見つめ合うわたしたちの時は一瞬止まったが、すぐにバンスはわたしを背に隠した。
2人がもし出かけているとして、施錠もせずに留守にするわけがない。
エル様はそのようなミスを犯す方ではない。
むしろ、慎重がすぎるほどに、慎重なはずだ。
なにか、のっぴきならない事情があるか、なにか不測の事態に見舞われたか。
「お嬢様、離れないでくださいよ」
バンスはちらりと振り返って小さく呟いた。
わたしはそれに短く答えて彼の後ろを着いて歩く。
物音をたてないよう、慎重に。
邸にはとくに異変はないようだった。
ものは少なく、全体的に薄暗く、埃っぽくて無造作にまとめられた書類がたまにあるくらいで、生活感がまるでない。
ひとつひとつ、そのほとんどが使われている形跡のない部屋を開けていく合間に「これじゃあこそ泥じゃねえか」とバンスが呟いた。
まさにその通りであるが、もしわたしたちが本当にこそ泥であったとして、盗めるようなものが見当たらない。
その中で唯一、小綺麗に整えられ整理が行き届いた部屋があった。
簡素な机と椅子にソファセットが1組。
壁中が棚に覆われ本や資料が所狭しと並べてある。
机に積まれかけた書類と手紙は恐らく手付かずで、封が切られていない。
「……執務室、のようね」
「そうですね、後は2階の奥の部屋ですが、あのふたつは恐らく寝室でしょうな」
人の気配のない邸、その中に置いて恐らくどう見ても寝室だろう部屋を覗くのはさすがに気が引けたが、バンスは少し思案して動き出した。
慎重に階段を登り手前の部屋を少しだけ覗きバンスがこめかみを抑えて首を振った。
「バンス?どうしたの」
「いや、お嬢様は見ない方がいい」
「え……?」
何かあったのだろうか。
わたしが見ない方がいいことって、なに?
もしかして、なにか残虐なことでも?
冷や汗が垂れた。
俯きがちで感情の消え失せたバンスは私をちらりとみて何か言葉を発する前に被せるように言った。
「……汚い。お嬢様に、見せられるもんじゃない」
「え……きっ?……え?」
戸惑うわたしにバンスはやれやれと頭を振ってため息をついた。
「どう考えてもあの糞ガキの部屋だな、あの、ばかっ」
「え?……あの、バンス、それだけ?」
「はい、この部屋は。残るはそっちですが確実にエルレイン様の部屋ですね」
バンスは顔を引き締めて扉を見つめた。
もし、なにかあるとするなら、なにかおきたとなるなら、そこだ。
うっかりエル様とジーク様が邸の施錠を忘れてお出かけされている可能性もここまでくると否定はできない。
むしろそうであって欲しいとすら思う。
バンスはその飾り気こそないが繊細な金細工の施されたドアノブに手をかけた。
音を立てずにゆっくりと開かれたそこを壁に背をつけたバンスが覗く。
瞬間、琥珀色の瞳が大きく見開かれて唇が固く閉じる。
「なに?どうしたのっ」
わたしの悲鳴にも似た声にバンスの口元が小さく動いた。
声は出ていない、出ていたのかもしれない、けれどおそらくそれも微かな吐息程度。
しかし、確かにこう動いた。
エル、レイン
見た瞬間、わたしは扉を大きく開いて部屋に踏み込んだ。
それは咄嗟の行動で、どこか冷静な内側のわたしは自分に驚いてさえいた。
後ろからバンスの静止の声がした気がする。
それでも、止まれなかった。
消毒液のツンとした匂いが鼻腔を満たす。
他の部屋と同様にとても物の少ない部屋だった。
簡素な机とベッドがあるくらいで、その他に家具らしきものも私物らしき物も見当たらない。
ただ、ひとつ違うのは綺麗に清掃されていることだろうか。
その中心に横たわる人物にわたしは驚愕した。
喉が張り付き声の出し方が分からなくなる。
ベッドに横たわるビスクドールのような彼。
陶器のような肌は今はいつもに増して幾分も青白い。
長い黒髪は横で緩く結われているが彼の平素のようなキッチリとした結い方ではない。
いつもであればツヤと品のあるミステリアスな闇色のそれはどこか潤いがなく、高貴さが消え失せてしまっている。
固く閉じられた瞼の淵で長い睫毛がその白に影を落とし続ける。
引き結ばれた色のない唇に痩けた頬。
どう見ても、生気がない。
「っひ」
随分と時間を使い、ようやく取り戻した声は悲鳴となって空気を滑ろうとした。
突然、後ろから伸びた手に口元を覆われる。
恐怖にどうにかして瞳を動かすと、その主はバンスだった。
「アルトステラお嬢様、お静かに。
エルレイン様はまだ生きています」
バンスの真剣な琥珀色の瞳は一心にエル様へと注がれていた。
その言葉にエル様へと視線を移すが、これが、生きている人間の形相なのかと刮目した。
それほどまでにエル様は衰弱しきっていて生気がない。
わたしが、おとなしくなったのを確認したバンスがゆっくりと手を離しエル様に近づく。
わたしはその場から動くことが出来なかった。
まさか、まさか、あの日から彼はずっと、こうなのだろうか、だから、あんな、別れの口上を口にしたの……?
口元を抑える手が震えていたことに気がつく。
これは、本当に生きていると言えるの…?
死を、ただ待っているだけなのではなく……?
バンスはベッドのそばで膝を折り、顔を傾け息を確認した。
首筋に指を当てて、エル様の瞼を指でこじ開ける。
「生きては、いる。
ただ眠っているようにも見えるな」
その間、エル様は一切の身動ぎもしなかった。
いつもご拝読いただきありがとうございます!
ブクマ、評価、ご感想本当にありがとうございます。
楽しく読ませていただいております。
リヒテンを応援してくださる方もエルレインを応援してくださる方もおられて、嬉しい限りです。
完結まであと、どのくらいでしょうか……もう少しお付き合いくださいませ。




