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噂によるとどうやら彼はクズらしい。(web版)  作者: 紺野
噂によるとどうやら彼と彼女は
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公爵令嬢の幸福。





「姉さん、絶対、もう、二度と、絶対に、邸から出ないでくださいね」



「あのね、リヒテンきっとそれは難しいわ。

ずっと引きこもっていてはダメだと思うの。仮にも領地を預かっている身なのだから」



「それで貴方になにかあったら元も子もないと言っているのです!」



焦ったように声を上げるリヒテンにわたしはもう驚かなかった。


あの日、邸に戻った翌日からリヒテンはどうにかしてわたしを邸から出すまいと必死だった。


どんなときも冷静に、という父公爵の教えを忠実に守る彼には珍しく、たまに声まで荒らげて。



今までのわたしであれば、彼の主張を是も非もなく受け入れていただろう。

正直にいってもともと勝てる要素なんてないのだし。



それに、リヒテンの言うことはいつもわたしの身を案じてのことだ。


数少ない家族なのだ。

彼の愛には出来るだけ答えたいとも思っていたから、わたしは割と彼の言うことを聞いていた。



思えばいつでも、そうやって手を引いてくれる者にただただ着いていく、考えのない子供だったのだ。



わたしにとって自分で何かを決断することはとてつもなく恐ろしく重大な事で、責任を負いたくないからそれから逃げ続けていた。



ずっと流されるまま自分を守るのみのつまらない子供。



エル様の生き方を見て、リヒテンの成長を見て、イゾルテの方と触れて、たくさんのことを考えた。


考える必要があった。



そして、フィルメリア様とお会いしたあの日から5日。

わたしの知ろうとしないことも意思なく流されることも、その全てが罪だと悟った。


終わったあとに知ることが多かったのも、巻き込まれたと思うようなことも結局は自分の責任だ。



今更こんなことに気づいたわたしを共に婚約者候補として過ごした彼女たちは笑うだろうか。



フローラあたりには罵倒されてしまいそうだ。




「姉さん!聞いていますか?」



「もちろんよ、リヒテン、貴方に心配をかけないと約束するわ」



苦笑を漏らしたわたしにリヒテンは不機嫌そうに声を出す。


わたしの返答に彼はその濃い蒼の瞳を細めた。



「だからそれは信用ならないんですって…」



彼の両手がわたしの肩に置かれる。


盛大にため息をつくリヒテンのその両手をわたしはやんわりと掴んで俯く彼と視線を合わせた。



「大丈夫よ、リヒテン」



1度、息を飲んだ彼は驚愕に目を見開いて、すぐに視線をさまよわせて、そして不機嫌そうに顔を歪めた。



鼻の頭がほんのり赤いのは寒さのせいだろうけれど、頬が桃色に染まっているのはきっと照れているからだ。


ポーカーフェイスになってしまった彼が不機嫌そうな顔をするのは照れ隠しだ。

昔から変わらない、リヒテンの癖。





小さい頃のように両手を広げて微笑んだら、リヒテンは昔の天使の頃と変わらず顔を真っ赤にして目を逸らした。



「いつまでも子供扱いしないでくださいっ」



「あら、いつまでたっても貴方はわたしの大切なリヒテンだもの」



こーんな小さい時から、といって背丈を表すと彼は「だからいつの話ですかっ」と憤慨した。



「……まったく、そうやって話を逸らす術をどこで覚えてきてしまったのやら」



「え?」



「なんでもありません」



コホン、とクロードがひとつ咳払いをした。

リヒテンがため息をついて後ろをチラリと振り返る。



ルーファス家の家紋の入った馬車と父公爵が寄越した御者とクロードが並んでこちらを見ている。



わたしが苦笑いを返すとクロードは満面の笑みを浮かべた。

暗に早くしろと、そういう事だ。


この寒空の中突っ立たされてこの長い茶番を眺めることとなった彼らにわたしは同情する。




毎度毎度渋るリヒテンを馬車で連れ去るのはトルネオの役目であったが、当然と言うべきかあの日から彼の姿を見た者はいない。


父公爵にわたしは手紙でありのままを伝えたがまだ返事はない。


クロードにももちろん話したが彼は1度驚いたもののあとは穏やかに頷くのみだった。


彼もなにやら事情を知っているらしい。



トルネオ不在の状況を知ってか知らずか、とにかく馬車はあの日から五日後の今日の早朝に到着した。



御者の話によると雪が深くなる前に王都に戻るようにとの指示らしい。


リヒテンの学園の休みはまだ1週間ほど残っている。

残ってはいるが移動に大変な時間を要する上に雪が深くなれば深くなるほど移動は困難になる。



これは例年通りだ。

リヒテンも想定済みだったのだろう、いつものようにぶつくさ言いながら荷支度を始めた。





そうして、見送りに外に出たはいいがいつもの如くリヒテンが馬車に乗ろうとしない。


(リヒテンにしては)幸い、あのひょろりとした体躯のどこにそんな力があるのか、リヒテンを引きずって馬車に放り込む彼はいない。



無表情の御者の瞳から光が既に消え失せている気がする。




「姉さん」



「はい、なあに」



よそ見をしていたうちに広げた両手の間にリヒテンがいた。


既にわたしより幾らも高くなった身長で、彼は器用にわたしの肩に頭を載せる。


頬をくすぐるグレーがかかった複雑な色味の茶髪に目を細めた。



「……このまま連れ帰ってしまいたい」



ぼそぼそと話すリヒテンの低い声をどうにか聞き取った。

彼はその後すぐにはぁ、と息を吐いた。


首筋にかかる存外に熱い吐息に驚きながら「いつかね」と返した。



彼はとっくに姉離れを果たしてしまっていたと思っていたから素直に驚く。


彼は子供扱いや弟扱いをすることを嫌がるしわたしから無遠慮に近づくこともあまり好まなかった筈である。


確かに寂しくもあったが、たまに気まぐれに擦り寄ってくるのが子猫みたいでそれはそれで愛らしいとも思っていたのだ。


でも、そういえば、今回の帰省では特に甘えてくる頻度が高かった気がする。



「……なにかあったの?」



「……………イイエ」



たっぷり時間を要したリヒテンが吐き出すようにそう言った。


顔を傾けてリヒテンを見るが視界に映るのは後頭部のみで表情を伺うことは叶わなかった。



はぁー、とまた熱いため息をつくのとほとんど同時に再びクロードの咳払いが聞こえる。



……しかも先程よりも気持ち大きく。




「リヒテン」


片手で促すように愛しい弟の頭を撫でるとリヒテンはびくりと肩を揺らした。


それからまたため息をつく。


そんなにため息ばかりついていたら幸せが逃げてしまうのではないかしら。



「…………なんで、姉弟なんだ……」


「え?」



ぼそりとリヒテンがいっそう低い声を出したがわたしはそれを聞き取ることが出来なかった。

リヒテンは「なんでもありません」と呟いてようやく顔を上げる。



「姉さん」




「はい」




クロードがまた咳払いをした。

リヒテンは辟易したような顔を浮かべて、わたしはそんなリヒテンを見上げながら苦笑いをした。




「姉さんにもし、なにかあれば僕は何をしでかすか分かりませんからね」



「まあ、物騒だわ」



「僕は真剣に言っているのです」



コロコロと笑ったわたしにリヒテンは本当に真摯な瞳を向け続けた。

胸があたたかくなる。

こんな素晴らしいリヒテンが弟でわたしはなんて幸せなんでしょう。


もし、もし、エル様やフィルメリア様の傍にこんな存在があったなら、そして彼らが重荷を預けることができていたなら、なにか違ったのだろうか。


もう、遅い。遅すぎる話であるけれど。



そして、わたしもこの優しい弟にとってそういう存在でありたい。




「ええ、リヒテン。

わたしも貴方になにかあったら何をするかわからないわ。わたしは貴方のお姉さまだもの」


リヒテンは眉を寄せた。

不機嫌そうに顔を歪めてそっぽを向く。



「………まあ、…………とにかく、あまり心配させないでください」



「分かりました」



笑顔で返したわたしにリヒテンは大きなため息をついてそれから困ったように笑った。


姉さんらしいですね、と息を吐く彼に「どういう意味?」と尋ねると「ご自分でどうぞ」と突き返された。



思うに、きっとあまりいい意味ではないのだろう。

なんとなく悔しく思う。



クロードの咳払いが今度は3回聞こえた。



リヒテンはもうなんの反応も見せなかった。

いつもの、爽やかな笑みを向ける。


学園や王都でご令嬢方に騒がれていたあの笑みよりももっと砕けていて慈愛に溢れたそれ。




「姉さん、愛していますよ」



ほんのりと頬を桃色に染めてリヒテンはそう言った。

ふわりと、自然に零れたセリフにわたしも満面の笑みを浮かべる。



「ええ、わたしもよ」




「………だから、そういう意味じゃないんだよな…」




またもやぶつぶつと笑みを浮かべながらリヒテンの口が動く。


それと同時にクロードは咳払いをいくらか落とした。


リヒテンの言葉はもう大分大きくなった咳払いに掻き消された。



聞き直す間もなく、リヒテンは既に踵を返していた。


馬車に向かうリヒテンを先回りして御者が扉を開ける。


辟易とした顔を浮かべる御者にわたしは苦笑を送った。



「くれぐれも、気をつけてね!」



「姉さんこそ!」




ゆっくりと走り出した馬車に向かって早歩きで声を上げると、リヒテンが窓から顔を出して笑みを返した。


邸の敷地の境目で足を止め、しだいに小さくなる馬車に手を振る。




気がつくとわたしは終始、微笑んでいた。





そうして、リヒテンは王都へと帰ってしまったのである。












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