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「ねえ、トルネオ、あなたは誰なの?」
「…………」
トルネオは答えなかった。
答えられないのかもしれない。
エル様ともヴィクトレイク様とも知り合いのような口ぶりであった彼は、それを答えられないのかも。
表情の分からない彼は動きが無さすぎて悪趣味な人形だといえばそう思えてしまうくらいだ。
いつからそこにいたのだろうか、動かないままの彼が口を開いたのはそれから更に数分が経ったあとだった。
「アルトステラ・リンジー・ルーファス様」
アルトステラお嬢様やお嬢様と呼ぶ彼がわたしのことをそう呼んだのは初めてのことだ。
やけに硬い声にわたしは素直にはい、と答える。
しかし、それ以降再び口を閉ざした彼にわたしは再び質問を投げかけた。
「エル様は、無事?」
「………」
「手袋に血がついていたの。エル様はどこかお怪我をされているの?」
「………」
「……エヴァリス邸にいたあの方は、アンナ・ロデライ嬢だったのかしら」
闇の中で顔はあまりよく分からなかった。
でもあの愛らしい鼻にかかったような声と丸い大きな瞳には覚えがあった。
そして、わたしを憎む理由にも。
かつて、第二王子の寵愛を一身に受けていた少女。
そう、思われていた少女。
そう思っていただろう少女。
彼女の学園での振る舞いは決して正しくはなかった。
しかし、彼女がそうなるに至る要因は彼女のせいだけではないと思う。
エルレイン殿下とそしてわたしと出会わなければ彼女の人生はまた違っていただろうから。
「ごめんなさい、貴方が知っているわけもないわよね」
「申し訳ございませんでした」
突然声を出した彼にわたしは少し驚く。
質問に答えられないことに対してかとも思ったがどうやら違うらしい。
押し殺したような声で彼は低く謝罪した。
「貴方が謝る必要があるとは思えないわ」
「……いえ、僕は出来損ないです」
トルネオはそこで言葉を区切った。
それからしばらく沈黙した彼はわたしに話しているというよりは自分に言い聞かせているようだ。
「出来損ないは暫くこの邸を離れなければなりません、僕の代わりも、いません」
何を言っているのかは分からない。
彼も恐らくわからせる気は無いのだろう。これはきっと彼の為の独白である。
恐らく王家となんらかの関わりのある彼にはこの邸で過ごしていた事自体、役割があったのだろうと思う。
従僕という立場の似合わない、とても従順でない彼にはなるほど、他に従うべき主人があるのだろう。
彼が誰の元でどんな目的を持ってここにいたのかは定かでないが、今まで彼がルーファス公爵家に対して不利益なことをしていないのは確かである。
むしろ、わたしもリヒテンもイゾルテも少なからず彼に助けられていてさえあるのだし。
けれど、まあ……お父様には一応報告しておくべきだとも思うけれど。
いくら待っても彼はそれ以上口を開かなかった。
彼の独白はそこで終わりだったのかもしれない。
やはり、よく分からなかった。
「……まあ、でも、その謝罪が従僕として、公爵令嬢の部屋に無断で、しかもこんな夜更けに現れたことに対してだというなら、受け取っておきましょう」
わたしの言葉にトルネオ息を吐き出した。
「………本当にお嬢様は貴族として、なっていませんね」
「それを言うなら貴方だってとっくの昔に従僕失格よ」
そりゃそうだと、乾いた笑い声をあげるトルネオは少しだけいつもの呑気な彼に戻っていたと思う。
呼び方だって、お嬢様、に変わっているし、声音は少し明るくなった。
「残念ながらお嬢様の質問に僕がお答えすることはできません。
ですが、お嬢様が心配することはなにもない、とだけ言っておきます」
「そう」
トルネオは先程の答えだとも、そうでないとも言えないような答えをした。
エル様が無事かどうか、あの女性がアンナ嬢であるのかどうなのか、彼が何者なのか。
ひどく曖昧に答えてみせた彼にわたしは少し安心した。
彼は答えられませんと言った、そして心配することは何も無い、とも。
彼が答えられないというのであれば、彼を従わせているものに問うべきだ。
暗に自分で調べろとそういうことを言いたいのだろう。
……きっとこう、そのまま信用してしまうところなんて本当に貴族としてなっていないんだろうと思う。
「僕はね、存外、気ままな従僕生活が気に入っているんです」
「ええ、それは、よかったわ」
「……いえいえ」
どこかでしたことのあるようなやり取りだった。
不自然に噛み合っていない、会話。
彼はきっとそれを分かっているのだろうと思う。
「ではそうしていたらいいわ」
トルネオは1度口を固く結んだ。
いっしゅん僅かに肩が持ち上がったけれど、そんなに驚くこと?と顔を傾ける。
「……………はい」
それから口の端をいつものように釣り上げて笑った。




