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噂によるとどうやら彼はクズらしい。(web版)  作者: 紺野
噂によるとどうやら彼と彼女は
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5




「っんの、ばかっ!!」



リヒテンの怒鳴り声で目が覚めた。







イゾルテに着いたのは翌日の夕方だった。


トルネオはその間1度たりとも口を開かなかった。


行きとは違い雪が降ってたから、そのせいでわたしの声もトルネオの声も聞こえなかったのかもしれない。


コートは置いてきてしまったし、エル様にかけられた質の良さそうなジャケットにくるまってストールと馬車に積んであるブランケットを身体に巻き付けた。



トルネオはやはりジャケットだけという薄着だったが大丈夫なのだろうか?

それにエル様はジャケットすらわたしに譲ってしま

われたけれど……。



休憩なく無言の時間がどのくらい続いたのだろう、いつの間にかわたしは寝ていたらしかった。



目が覚めた時に見たのは怒りに目尻を釣り上げたリヒテンの顔だった。




いつしか家族にさえ敬語で話すようになった可愛い弟のこんなに感情的な声を聞いたのはいつぶりだろうか…。

2年前、フローラたちが訪ねてきた時以来かしら?



ついでに言えば、馬鹿とリヒテンに言われたのは初めてである。



「どこに、行ってたんです!?」



荒い口調とは裏腹な優しい手つきで馬車から下ろされたわたしはすぐさまトレイシーに毛布でくるまれた。

ぐるぐる巻きになったわたしを引っ張るようにして邸に引き入れる。

途中、足を縺れさせたわたしをリヒテンは幾度も抱き抱えようとしたが、それはどうにか断った。





「リヒテン……ただいま」



「おかえ………そうじゃなくて!」




毛布にくるまれたまま彼にそう言ってどうにか笑顔を向けてみるがリヒテンは流されてくれない。



リヒテンをごまかしきれる自信はまったくないけれど、彼にことの顛末を素直に話す気もなかった。


リヒテンには関係ない、この面倒ごとにわたしの弟を巻き込みたくない。


どうしようかと思案しているところでトレイシーが早足で近づいてくる。



「お坊ちゃま、まずはお嬢様にご入浴の時間を差し上げてくださいませんか?

それから、長旅でお疲れのレディを休ませるお時間も。

お説教はその後だってできますわ」



どこかリヒテンを非難するような目を向ける彼女は、さすが女心というものをただしく理解している。

わたしの視線に気付いてか気づかずか、トレイシーはふんっと鼻を鳴らした。



リヒテンは釣り上げたままの目の上で更に眉を寄せて、それから、了承した。

決して快く、という感じではないけれど。



「ええ、お坊ちゃま、それでこそ一人前の紳士ですわ」



「………では、姉さん今夜はお休みください。

明日、明日かならずお話しましょう、ゆっくりと」




トレイシーの言葉にリヒテンは繕うことも忘れて嫌そうな顔をした。

この2日、彼はきっと使用人たちの妨害を受けていたことだろう。

言う気はなかったけれど、心配をかけてしまった……。

リヒテンが2日この邸から(大人しくとは言わないが)出ずにいただなんて奇跡に近い。



「リヒテン、ありがとう」



「心配、しました」




「わたしは大丈夫よ」



「……姉さんのその言葉と笑顔は信用なりませんから」



リヒテンはわたしから僅かに視線を逸らす。

憤りだっていた瞳は少しずつ鎮火へと向かっているらしい。



「………おやすみなさい、リヒテン」



「おやすみなさい…」




次第に恨めしそうな、拗ねたような色に変わりつつあるリヒテンの濃い青に苦笑を返して、わたしはトレイシーに連れられて廊下へと出た。





先程からどんなに視線を動かしてもトルネオの姿はどこにもない。














「ひっっ!」





浴室で毛布とストールとブランケットとエル様のジャケットを剥かれたわたしが皮の手袋をトレイシーに手渡したところで彼女は悲鳴をあげた。



本当にいったい、何をしていたのだだとか、どうして旅程が1日も縮まったのかだとか、なにがどうして紳士物のジャケットを身につけているのだだとか、コートはどこへやったのかだとか。


それまでぶつぶつ言っていたトレイシーの言葉を、まあまあ受け流していたわたしだったがさすがにこの悲鳴は流せるわけもなく。



振り向いた先でトレイシーは手袋を床に落としてわなわなと震えていた。




「どうしたの?」




焦って彼女に近づくわたしの肩を血の気が引いた顔でトレイシーが掴む。


「お嬢様!お怪我は、お怪我はどちらですか!」



「……怪我…?」



余りの剣幕に半身を引きながら眉を顰める。

わたしの反応に乖離を感じたのか、トレイシーは表情を無くしてぽつりと呟いた。




「……では、この血は、いったい……」







床に落ちた薄く伸ばした皮の手袋は茶色で、分かりづらくはあるが、確かに赤黒い液体がべっとりとこびりついたあとが見える。

そして、それは既に乾燥していた。















ーーーーーーーーーー








なんだかこのあたたかい空気が現実でないように思える。

いつもの、ゆるい雰囲気の邸で簡単に食事を済ませた。

突然の事であるというのに、暖かい食事をすぐに用意してくれたバンスと身の回りの世話をやいてくれたマリーに感謝だ。



マリーとバンスが一緒にいるとどうしたって賑やかになるものだ。

その賑やかしさがたまらなく心地よくて都合のいいことにいろいろなことから気をそらせてくれていたのに。


騒がしかった食堂とはうって変わって自室は静まり返っている。



久しぶりに1人きりになる感覚に心寒く感じた自分にすこし驚く。



考えなければいけないことが多すぎる。

果たしてなにから考えるべきなのか


知らないことが多すぎて、今まで、知らずにいたことがありすぎて自分が愚かすぎて。


本当に終わったのだろうか?と自問自答して一体何回目になるだろう。





フィルメリア様のことも、エル様のことも、終わったのだろうか?

どうして、エル様はあんなことをいったの?


疑問と不安が次々と浮かんでは積み重なり答えが見えない。



こうなると、馬車の中で眠れてよかった、と心の底から思う。



どうやら、こう周りが落ち着いてしまうと眠れそうにない。

ひどく疲れて、泥のように意識が沈んでくれない限りはとても。




ベッドサイドの明かりがゆらりと小さく揺れた。


ベッドからみえるいつもの風景に紛れて異質なものが紛れていることに気がつく。


悲鳴を上げてしまいそうだったけれど、どうにか呑み込めたのはその正体に気がついたからだ。




壁に張り付くようにしてひょろりと、男性にしては細身の体躯が伸びる。


そのてっぺんにはくるくると癖のありすぎる髪の毛があって、それは顔の3分の2を覆い隠してしまっている。




見慣れたそれは、しかしいつもとは違った。


生成の寄れたシャツではなく真っ黒な闇に紛れそうな服を纏っている。





「こんばんは、トルネオ」





「…………」




「こんな夜にレディの寝室に現れるなんてマナー違反にも程があるわ」





トルネオは何も言わなかった。


前髪に隠れた彼の瞳がどこを見ているのかさえ分からない。

有り得ない状況だった。

有り得ない状況なのに、なぜだか、怖くはなかった。うまくはいえないけれど。




彼が呑気でお調子者の我が邸の使用人だからだろうか。





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