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こんにちは、お久しぶりです!
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これからもよろしくお願いします。
※今回長いですがお付き合いいただけますと幸いです。
「婚約者候補だと言ってあなたが現れた時には驚いたわ。
あの方と同じプラチナブロンドの艶やかな髪、空色の透き通った瞳っ」
「…フィルメリア様……」
わたしを射抜く憤怒の瞳。
わたしの髪と瞳に視線を移して吐き捨てるように言われた言葉。
何を、言っているのだろうか。………いったい、誰のことを言っているのだろう。
彼女の瞳を見つめながら簡単に辿り着きそうな答えに、しかし気付くまいと必死だった。
「……トルネオ、まだか」
エル様が天井を睨みつける。
反応のないそれに彼は明らかに苛立った。
「わたくし、知らなかったの。あの方がご結婚されていただなんて、なぜかしらね。
しかも、色はあの方にそっくりなのに、顔立ちはあの女そのものなんだもの。
すぐにわかったわ、誰と誰の子なのか、ね。
元から、嫌いだったの。このわたくしよりも社交界で目立っていたあの女が。たかだか田舎貴族の分際で」
「黙れ」
………恨まれているのは、エル様だけではなかった。
王位継承権を巡ってエル様だけが命を狙われていたわけではなかった。
彼の婚約者だからというだけで命を狙われていたわけではない。
彼は知っていたのだろうか、知っていて自分が全て巻き込んだようにしたのだろうか、知っていて全て自分のせいにしていたのだろうか。
エル様の低い地鳴りのような声は、わたしに向けられた訳では無いのにわたしでさえも竦んでしまうほど、殺気立っていた。
彼女は恨んでいたのだ。わたしのことも、わたしの母のことも。
わたしを、わたしという存在を。
そもそも、産まれてきたことさえ。
「どうしてわたくしじゃなかったの?どうして王妃になれなかったの?
どうして、王の母が投獄されるの?
どうして、あの方の隣にいるのがわたくしでないの?どうして、あの方はわたくしを選んではくれなかったの……
どうして、」
「今すぐここに来い。さもなくば俺がこの女の息の根を止めることになる」
エル様が再度、部屋に向かって怒鳴る。
2人はもう会話が成立してはいなかった。
フィルメリア様も、もうすでに落ち着いて会話ができそうな状況でもなかった。
「嫌いよ、嫌い、あなたも、あの女もっ!嫌い、嫌い、あなたの存在が憎い!消えればいいのよ!」
裏返った叫び声が響く。
エル様とフィルメリア様が動くのは同時だった。フィルメリア様が何かを投げつけたかと思えばわたしはエル様に庇うように後ろにひかれていて、水の音と何か、高い音が耳を劈いた。
驚きで動かない体でノロノロと視線を動かすと、わたしの前に庇うように立ち塞がったエル様のローブはびしょ濡れだった。
こんな光景、前にもあったような気がする。
前と違うのは足元に、砕け散った陶器の欠片が散乱していることくらいだ。
彼はローブを素早く脱ぎ去ると、足で破片を払ってわたしに向き合った。
「失礼」
手早くコートを剥ぎ取られて冷たい外気に晒される。
叫び声をあげる暇なく淡々とされたそれにわたしは唖然とするばかりで。
存在を、生まれてきたことを否定されることがこんなに精神を削るものだと、思わなかった。
彼はとても平然としていた。
つまり、本当に慣れているのだ。
ずっとずっとずっとずっとそう言われてきたのだろうか。
「すまない、少しコートに飛んでしまった。あの液体になにが入ってるかわかったものでは無いからな、身につけていない方が良い」
「……あ」
真剣な顔でそう言われてようやく事態を把握する。
ティーカップ…いや、あのお茶の量からしてポットの方だ。
フィルメリア様に投げつけられたそれからエル様が庇ってくれたのだ。
ありがとうございます…と小さくつぶやいたわたしに
「…礼を言われるようなことではない」と彼は苦虫を噛み潰したような顔をした。
室内といえど外気はやはり冷たい。
デコルテラインの開いた薄紫色のドレス姿のわたしをエル様は真剣な表情で怪我がないかどうか素早く確認していく。
決して触れないそれは、それでも至近距離で注視されることに耐えきれず視線をさ迷わせた。
突然、エル様が舌打ちをしたかと思うとひくいこえをあげた。
ビクリとしたわたしに彼は表情を変えぬまま謝罪した。
「…遅い!」
「仕方が無いでしょー、心配しなくても王様が怪我しそうになったら流石に出てきますってー。
こっちだって色々あるんですよ〜、陛下も王様もむちゃばっかり言うんだから〜もー嫌になるなー」
彷徨わせた先で見慣れた焦げ茶色のくるくるとした髪がフィルメリア様を既に拘束していた。
先程怒りを顕にしたエル様は彼の言葉に答えることなく視線すらあげなかった。
またもや、いつの間にか現れていた彼ははぁとため息をつく。
驚くほどにあっさりと彼女は捕まっていた。
抵抗らしい抵抗もないように見える。
なぜ彼がここにいて、フィルメリア様を捉えているのか。
ルーファス家の領地の使用人がとても気安く、元王子と話し、陛下、やら王様、やらの話をしていることに頭がどうしてもついて行かない。
くるくると変わる状況とそのとても飲み込みきれないような内容たちにわたしはひたすら混乱していた。
そんなに頭が良くないし、そんなに冷静ではいられない。
わたしは決して完璧でも優秀でもないのだから。
これで、終わったのだろうか?
こんな、こんな形で、終わったのだろうか?
よくわからないけれど、陛下の望んでいたものは実現したのだろう。
それに、エル様も、わたしも生きている。
これで、ようやく、終わり……。
実感が湧かない。王都にいた頃、命が狙われていたという実感もなかった、というか知らなかったのだが、終わりもまたとてもあっけないものだった。
エル様からしたらわたしなんかよりもっと深い意味もあるのだろうし、感慨深くもあるだろう、ずっと戦ってきたものの終焉であるはず。
でも、彼はフィルメリア様をもう見なかった。
「さあー、帰りましょうかー!」
ぽかんとし続けるわたしに向かってトルネオは口元を大きく歪ませた。
笑みを返すことすらままならないわたしにやはりトルネオは笑う。
「……アルトステラ嬢?」
突然、エル様が低い声を出した。
かすかなそれはそばにいるわたしにしか聞こえない程度のもので、唖然と拘束されているフィルメリア様を見つめていたわたしは、はい?と間抜けな声を出した。
「王様ー!帰りましょうかー!」
「……これは?」
「これ?」
やはり、消え入りそうな小さな声で彼はそう言って震える指でわたしの首元を指さした。
首を傾けて〝これ〟を見ようとするがどうやら自分では見えない位置にあるのか、なにがあるのかすら分からない。
「怪我でもありましたか?」
痛みは全くないにしろ、もしかしたら、なにか怪我をしていただろうか、身に覚えもないけれど。
彼をしたから見上げてそう言うとアメジストの瞳がゆらりと揺れた。
前髪で影の出来るそれはわたしから目を離さなかった。
至極真剣そうな顔は青ざめているようにもみえる。
「なにか酷いことをされたり、そういうのは、なかったか?」
「……?」
「……ならば、良い」
硬い声を出した彼はわたしが首を傾けたのを見るとようやく目をそらして、自分のジャケットを脱いでわたしにかけて、その上からわたしの手に持っていたストールをぐるぐると巻いた。
エル様の体温の残るジャケットはとても暖かいが、エル様はドレスシャツ1枚である。
慌てて返そうとしたが突っぱねられてしまった。
「おーうーさーまー!帰りましょうかー!! 」
「煩い、聞こえている」
「だって無視するから〜」
トルネオは出口付近に拘束され大人しく俯くフィルメリア様を連れ、立っていた。
早く帰りたくて仕方が無い様子の彼にエル様はため息をついてどこか切なそうな顔をしてわたしを振り返った。
「……帰るか」
「はい」
いろいろなことがあった。いろいろなことがありすぎた。
感情の整理はつかない、物事の整理も理解も追いつかない。
過去の事にはまだまだできそうにない。
部屋を出ると屋敷中が真っ暗だった。
明かりは何も無いし、もちろん誰一人としていない。
時間はおそらくもう夜中だ。
ぶつぶつ恨み言を言いながら進むトルネオの後を着いていきながら、わたしとエル様は無言だった。
何も言わずに暗闇の中を歩く。
屋敷の外に出た。
簡素な、黒い闇に紛れそうな見知らぬ馬車が1台止まっていた。
目を凝らすと闇色のマントとフードを被った人が二人立っていた。
一人の手にはランプがある。
月さえ隠れた漆黒の闇の中でその明かりだけがぼうっと浮かび上がっている。
トルネオはフィルメリア様を2人に引き渡すと彼らは素早くフィルメリア様を馬車にのせた。
1度だけ、フィルメリア様がゆるりとこちらを向いた、こちらを向いてにやりと笑う、……いや、笑ったように見えた。
ランプの頼りない明かりに照らされて酷く歪な笑を浮かべた気がした。
本当に本当に一瞬だけ。
わたしは言いようのない寒気に振り返った。
正確には振り返ろうとした。
しかしそれは叶わなかった。
なにかに突き飛ばされて誰かの胸に収まる。
「殿下っ!」
トルネオが珍しく焦ったように叫んだ。
自分の頭上で上がった声に、わたしを受け止めてくれた人がトルネオだったことに漸く気がつく。
闇の中で暫く何かが動き、カランという、甲高い何かが落ちるような音がして、やがて動かなくなった。
よく、見るとエル様が何かを押さえ込んでいた。
微かに鉄のような異臭が鼻をつく。
彼の足元からけたけたという耳障りな笑い声が響く。
「しんだらいい、わたしがころす、あいつらがわるいんだわ、わたしはなにもわるくないの、なんにもわるくないの、みんなあいつの、せいだもん、あると、すてら、あいつのせいよ」
「黙れ」
「あいつのせい、あいつのせい、わたしはなんにもわるくな……」
エル様はそう言って屈んでそれの首に手を当てると、すぐにその声は聞こえなくなった。
何が起きたのか分からなかった。
混乱して頭は働かないし、あまりの異質な笑い声と唸るように吐き出される言葉に恐怖に体も動かなかったが、その声には聞き覚えがあった。
まさか、とは思う。
でも、恨まれているだろう心当たりも確かにある。
息がし辛いほど張り詰めた雰囲気の中わたしはどうにか口を開こうとした。
何が起きているのが理解したかった。
でも、喉が張り付いたようにひりつき、ひゅっと音が出ただけだった。
息をついた彼が動く前に、闇の中でまたもや何かが動いてそれを引っ掴み、フィルメリア様の乗る馬車に詰め込んだ。
そしてかすかな音を立てて馬車は去っていく。
あっという間だった。
「………職務怠慢だな」
「申し訳、ございません」
エル様の硬い声にわたしを支えたままのトルネオが聞いたことのないような声を出した。
本当にトルネオの声なのか疑わしいが、ここには3人しかいないのだから、わたしでも、エル様でもないのなら、トルネオだろう。
ゆっくりとエル様が近づいてくる。
トルネオはわたしをゆっくりと離してきちんと立ったことを確認すると膝をついた。
「エルレイン・ヴァルドルフ・フォン・ネイトフィール様、いかなる処分も…」
「………誰だそれは、そういうことはヴィクターに言え。
それより、アルトステラ嬢を無傷でイゾルテ邸へと送り届けてほしい」
「…………」
「ヴィクターになんと言われているのか知らないが、俺に悪いと思うならそうして欲しい」
「ですが…」
「もう方は着いた。俺は大丈夫だ」
「…………承知致しました」
長い沈黙のあとトルネオはやはり硬い声を出した。
諦めたようなそれにようやく険しい顔を崩したエル様が笑った。
エル様に手を引かれて乗ってきた馬車に誘われる。
彼はこの間無言だったが、わたしが席に座ると扉を閉める前にわたしに目線を合わせた。
ようやく厚い雲の合間から出てき始めた月の青白い光に彼の白い肌と宝石のような瞳が照らされる。
「アルトステラ嬢、今までありがとう。
今まで、重荷になっていてすまなかった。
君の幸せを願っている」
「…………エル様?」
今まで見た中で1番晴れやかで優しい笑顔だった。
彼はそう言って扉を閉める。
別れの挨拶のようだ。
ここでの別れ、ではなく、永遠の。
わたしがようやく名前を呼ぶと、切なそうに眉を寄せて、それでも、ゆるやかに笑った。
「君と出会えて良かった。ありがとう」
「なんで、」
何故かは分からないが涙が溢れそうだった。
エル様が泣きだしそうな子供のような瞳をしてそれでもとても美しく笑っていたからだろうか?
彼が突然よくわからないことを言い出したからだろうか?
馬車は走り出した。
呑気なはずのトルネオはなにも言わなかった。
わたしは急いでカーテンを開けて後ろを振り返ったが、闇に紛れて朧気な人影があるだけだ。
そして、それもすぐに見えなくなってしまった。




