公爵令嬢の決意。
こんにちは!こんのです。
今回から最終章に入ります。
ここまで来れたことに感謝、ここまでお付き合いくださった皆様に感謝です!
どうぞ、最後までよろしくお願いいたします。
わたしは早朝、馬車に揺られていた。
毛足の長いいつもよりも大きな白い馬は冬や寒さに強く丈夫な品種らしい。
軽快な足取りで進む馬はしかし、普段よりもやや多めに揺れる。
昨日はせっかくリヒテンが帰ってきたというのに早々に寝てしまっていたらしい。
被せてあった毛布は彼がそうしてくれたのだろう。
胸が熱くなる。こんなに優しい良い子が弟だなんてわたしは幸せ者だ。
向かいのソファで座ったまま寝ている彼にそれをかけてトレイシーとクロードにリヒテンのことをお願いねと出発前に声をかけた。
「お嬢様、くれぐれもお気を付けください」
「お坊ちゃまのことはお任せ下さい。全力でお守り致します。
この邸から一歩たりとも外に出しませんわ」
「まあ、頼もしいわ。よろしくね、あの子ったら無理ばかりするから」
「それはルーファス公爵家の因習のようなものですわね」
トレイシーはそれから咎めるように眉をあげた。
苦笑いを浮かべるわたしにやがて溜息をつく。
やけに神妙な顔をしたクロードはやはり、事情をあらかた知っているのかもしれない。それでもすぐに暖かな笑顔を浮かべた。
リヒテンが冬の休みにこちらにやってくることは分かっていた。
分かっていたのだが、雪の深いイゾルテに来るのは容易ではない。
ないからこそ到着が2日ほど遅れていた。
結果的には長旅で疲れたリヒテンが早く寝てしまったらしくそれはそれでよかったのだけれど、実のところ彼の到着が今日と被ってしまったらどうしようと気を揉んでいたのだ。
出立はもう少しも延ばせないし、リヒテンにバレでもしたらなにがなんでも着いてくるだろう。
そしてそれを言いくるめる自信は全くない。
かといって早く行ってしまえば領地の仕事が回らない。
当初はどうにかリヒテンに知られないよう隙を見て仕事が片付き次第出発する予定だったが、彼が思いのほか熟睡してくれていて助かった。
はるばる王都からきたのだもの。疲れているはずだわ…。
子供の頃に戻ったような幼い笑顔に思わずくすりと笑って心のなかで折角逢いに来てくれたのにごめんなさいと謝罪をした。
どうにか睡眠を削って3日の旅程分の仕事を済ませ、リヒテンが寝ているうちにこっそりと邸を出た。外には既にエル様の乗る馬車が待機していたが、わたしはわたしで小さめの馬車に乗り、前を走る。
あれ以来、エル様とは1度も顔を合わせていない。
ヴィクトレイク様の案件で幾度か手紙は交わしたが、それだけ。
手紙では互いに至極事務的なやり取りで彼もわたしも何も変わりない。
正直顔は合わせにくい。どんな顔をして会うべきなのかわからない。
わたしはいろいろと、その、エル様にぶちまけてしまったし、感情に任せて酷いことを言ってしまった自覚もある。
自分の中にあんな激情があっただなんてさっぱり知らなかったが、とにかく、やってしまったのだ。
言ってしまったことはもうどうしようもないし、彼がどう思っているのかも分からない。
つまり、とても、会いたくない。
……今日からはそうとも言ってはいられないのだけど。
事の発端は相も変わらずヴィクトレイク様。
彼の寄越してきた軽薄そうな文面の手紙に起因する。
ヴィクトレイク様はどうしても、わたしのことをこき下ろさないと気が済まないのか、必ず嘲るような馬鹿にするような文面を交える。
いつか、エル様からの手紙にヴィクターは変な性癖がある奴だが悪気はないと書いてあったが、なんと返していいのか分からず悩んだ末に結局触れないことにした。
悪気がないとはよく言ったものだ。
そういう云々は最終的に受け取り手が決めることなのでは?
まさか、あんなに気さくで優しく民に愛されているヴィクトレイク様があのような人物だとは思いもしなかったし、今でも信じきれていない部分がある。
……とにかく、ヴィクトレイク様の手紙の内容はこうである。
イゾルテより西に半日とすこし、馬車を走らせたところにあるエヴァリス子爵邸である子爵令嬢の誕生会にわたしとエル様が招待されたらしい。
社交界に戻ったらしい噂のルーファス公爵家の娘と、何も持たない元王子にお近付きになりたいとか企むおバカさんか、フィルメリアの頭の悪い罠か、と手紙には書いてあった。
それと、十中八九後者だろうとも。
それはそうだ。
シャロン・エヴァリス子爵令嬢とは確かに学友であったが会話をしたことは殆どない。
わたしにもエル様にも媚びるように擦り寄ってきたことはあったかもしれないが、好かれているとはとても思えない。
いかに公爵令嬢とはいえ、勘当同然で僻地に送られた曰く付きの令嬢とお近付きになりたいわけもない。
それに、だって、彼女はアンナ・ロデライ男爵令嬢と仲が良かったのだし。
加えて密かにエヴァリス子爵家はフィルメリア様を支持しているらしい。
ヴィクトレイク様の手紙には最後にこう記してあった。
フィルメリア、つまり私の母だけど、彼女はご覧の通り頭は良くない。
良くないんだけど、他者の心の隙間に入り込む能力と自分に同情させて他者を操る術に長けている。
つまり、天然ものの腹黒でカリスマだよ。
何が何でも目的を果たそうとするその気概は素晴らしいけど何分、手駒にするには手に余るからね。
漸く、今度こそかたがつきそうだよ。気合を入れてよろしくー。
その何とも軽薄な締めくくり方に脱力しながら、ああ、この親子似ているわ、とぼんやり思った。
「お嬢様〜、もうすぐ到着しますよー」
いつの間にかそんな時間になっていたらしい。
確かに薄明るい早朝に出発してから休憩なしで走り続けて、太陽はもう沈みかけていた。
カーテンと窓を開けて大声で叫ぶ御者は今回はトルネオだ。
以前はなぜだかトルネオが行方不明だった為、クロードの知り合いにお願いしたのだが、今回はきっちり御者席で構えて待っていた。
いつでも呑気なトルネオは今回のこの遠征がどんな意味を持つのか知っているのだろうか。
……いいえ、従僕の彼が知っているはずが無い。知っていたのなら御者なんて引き受けないだろうし、こんな呑気に構えてなんていられないはず。
ヴィクトレイク様の目がどこかについているらしいから、エル様と行動していればある程度安全らしいが、それもどこまで本当なんだか。
目的はエル様の身を守ることでわたしに関してはあくまでおまけであるし。
普段のよれたシャツにコートを羽織っただけの彼はひどく寒そうで、寒くないのかと訪ねたら、「え?寒いんですか?」と驚いたような口調で返された。
相変わらず、くるくるとした長い前髪に隠れて口元しか見えないが、あの前髪の中で目を丸くしているのだろう。
さ、寒い、と思うわ。と言っては見たが余りの平然さにわたしが間違っているのかと思ってしまった。
……いや、でもこんなに雪が積もっているんですもの。
そんなトルネオはグングン進んでいった。
いつかの領地視察とはまるで違うスピードで。
「随分早かったのね」
「そりゃあ、天気も良かったですし、さっさと終えて帰りたいじゃないですか〜。
こう見えて気ままな従僕生活が気に入っているんですよー僕。」
「えっと、それは……良かったわ?」
「いえいえ〜」
恐らく噛み合っていない会話を終えると彼はピシャリと窓を閉めてしまった。
それから少しして、若干の揺れとともに馬車がとまる。
どうやら、到着したらしい。
何時間座ったままだっただろうか、どこか広いところで大きく伸びをしたい気分だ。
大きく息を吐いて目を閉じた。




