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思えば僕が姉さんへの気持ちを自覚してから何年がたっただろう。
従兄弟である僕が殆ど天涯孤独になったのとほぼ同じくらいの時期に姉さんは母親を失っている。
理由は知らない。
敢えて僕からその話も振れないし、ルーファス公爵家、ひいては貴族社会でその話題があがることもない。
僕の家族の死因は大変な事故だったとしか聞いていないが、顔も名前も覚えていないのだからそこまで気にしたことは無かった。
気がつくともうルーファス家に引き取られていて僕にとっての父親は父様で姉さんは姉さんであり、母のようだった。
いつも優しく微笑んでいる穏やかな姉さんが影でどれほどの努力をしていたのかその当時のことは今となっては分からない。
けれど公爵家子息としての役割を思い知らされている今ならそれが並大抵の事でなかったと良くわかる。
おまけにあの元王子の婚約者だったせいでその苦労は何倍にも膨れ上がっていたことだろう。
それなのに、忙しい父公爵の代わりに僕の面倒を見て貴族の何たるやを教えてくれたのはほぼほぼ姉さんだった。
僕の家系は田舎の地方貴族だったらしいから、いきなり筆頭貴族の跡取りのような立場に祭り上げられた甘ったれで反抗的なクソガキの相手はさぞ、面倒くさかったことだろう。
それでも姉さんは根気強く、いつもそばにいてくれた。
自分も家族を失ったばかりだと言うのに泣き喚いて我儘をいう僕を窘めたり、慰めてくれたり。
そんな姉さんに好意を持つのに時間はあまりかからなかったと思う。
そして、それが家族愛でないと気がつくのも。
僕はあの頭のおかしい元王子とは違うからね。
それでも僕は幼い頃尊敬していたエルレイン・ヴァルドルフ・フォン・ネイトフィール殿下であれば大切な姉さんを譲ってもいいと思っていたんだ。
だって2人はとても素晴らしいパートナーに見えたし、むしろ彼に叶う人なんてきっといないだろうと。
僕は市井の人達と同じように並び立つ2人の姿や在り方にに密かに憧れてさえいた。
そりゃ、貴族に産まれたんだから結婚なんて政略的なものになるだろう事も分かっていたよ。
だからこそ、それが彼とならいいんじゃないかなって。
……まあ、大きな間違いだったんだけど。
あれに任せるくらいなら僕の方がずっと姉さんを幸せにできる。
「リヒテンったら、また背が伸びたの?」
「…ああ、そうですね。伸びましたかね。
まあ、………伸びますよ、僕もう17歳ですし」
今、貴方とは歳もひとつしか違わないですしね。
向かいのソファに座り僕を見上げる空色の瞳に小さく呟いたそれは暖炉の巻が爆ぜる音に掻き消された。
え?と僅かに前のめりになった姉さんの肩から白銀の長い髪がはらはらと零れる。
首の詰まったブラウスから微かに覗くもはや青白いとさえ言えそうな肌に固唾を飲んだ。
そんな自分に気がついていたたまれなくなって、顔に熱が集まるのが分かる。
もう、また、ショールが落ちてます!と怒るふりをして再びそれをぐるぐると巻き付けた。
……近付いた瞬間の僕のこの心臓の音が聞こえていないと、いいんだけれど。
「ありがとう、リヒテン。
でも、こっちはとても暖かいから平気よ。
代わりましょうか?」
「いえ………。
そういうことじゃないんだけど……」
「リヒテン?」
「なんでもないです……」
はぁとため息をつくと、やっぱり疲れてるのね、早く寝た方がいいわと言われた。
本当にそういうことじゃないんです。ごめんなさい、姉さん。
「本当に平気?ここで寝てもいいのよ。
毛布を持ってくるわ」
「いえ、本当に…大丈夫ですから」
にっこりと笑って居ずまいをただすと、それでも不安そうに眉を寄せた切なげな顔で曖昧に頷いた。
……そういう顔をされる方が僕的には大いに問題です。
「リヒテンは昔からわたしを騙すのが得意なんだから。
こーんなちっちゃい時だって悪戯ばっかりして」
「……何年前の話をしてるんですか」
こーんな、とか言って床から40センチくらいを手で示す姉さん。
何歳の頃ですか…それ……。
そんなに小さい時は姉さんも同じようなもんだったはず。
「怒ったら拗ねてどこかに行ってしまうのに、すぐ戻ってきてお姉さまお姉さまって……」
「……勘弁してください」
くすくすと笑う姉さんにげんなりとして再びため息をつく。
そんなクソガキだった頃の話、今更しないでほしい。
たしかに姉さんに構って欲しくて悪戯ばかりしていた気もするけど……。
多分、姉さんの中で僕はいまだにあの時の悪戯ばかりする困った子供なのだろう。
姉さんは何も悪くないのにこの矛盾した激情と憤りをぶつける場所がないから、それが酷く……腹立たしい。
そしてそんな、情けない自分に対しても。
正直この状態で気持ちを伝えてどうこうなるとは思えない。
あのおかしな元王子を馬鹿にできないほど、愚かな事だとも思う。
けれど、他に打破できるような事も思いつかない。
余程のことがなければこの人は僕の気持ちになんて気づかないだろうし、僕を男として見ようとするわけがない。
当たり前だ。何年姉弟をやってきていると思っているんだ。
だから、負け戦なのは承知だけど、承知なんだけど。
それでも、この平行線が少しでも変わるのなら………
心臓がどくどくと跳ねる。
変な汗が背中を伝う、別に暑くもないのに。
姉さんのことがなんとなく見れなくて、ずっと俯いたままの僕を姉さんはどう思っているだろう。
心配してくれているのかな?
また、早く寝なさいとかいって窘められるのかな。
「……姉さん」
拒絶されたとしても、でも、意識してもらえるのなら……。
………これじゃあの男が言っていたことみたいじゃないか。……あの男と一緒だなんて、最悪だ。反吐が出る。
まあ、でも、とにかく。
あの男の方が1歩先に行っているような状況が許せない。
心底、許せない。
有り得ない。認めたくない、絶対に。
心臓が煩い。
ちょっと待って、気持ちを伝えるってこんな、怖い事だったの?
あの元王子は嫌われてそうでしかない状況でこんなことを……?やっぱり頭がおかしいとしか思えない。
握った拳が震えそうで反対側の手でどうにかそれを押さえ込んだ。
これで、もう、きっと元のただの姉弟には戻れなくなるかもしれない。
けれど、もう……それも、望むところだ。
そう、構わないよ。
それから、また弟のリヒテンではなく、アルテンリッヒ・ネイサン・ルーファスを1人の男としてゆっくり、知っていって貰えたら、それで……。
だから
「姉さん………僕は、あなたを愛しています」




