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「お誕生日おめでとう!リヒテン」
「お坊ちゃまおめでとうございます」
「おめでとうございますー!」
学園は冬の休みに入った。
雪に包まれたイゾルテにようやくたどり着いたのは王都を出発して約十日後のことだった。
いつものごとく山のように出された課題と仕事を一心不乱にこなしてどうにか馬車に乗り込んでどんどん寒くなる空気を感じつつ降り立ったイゾルテはすっかり厚い雪に覆われていた。
寒すぎるし、眠たすぎる。
暖炉のそばの広いベッドで時間を気にせず寝たい気分だ。
馬車が止まるなり邸から飛び出してきた姉さんに引かれて邸に入ると暖かい邸は盛大に飾り付けがされていて僕のささくれた心は少し癒された。
「ありがとう、ございます…」
疲れてはいるけれど、気恥ずかしくもあるけれどやっぱり嬉しい。
2週間以上前だった僕の誕生日からいつ帰ってくるか定かでない僕を祝うためにずっと準備していたんだと思う。
その証拠に壁に付けられた飾りは付け直したあとがあったりするし。
……ちょっと待って、そこに掛けられている肖像画は、もしかしなくても、僕…なのかな。
随分と、その個性的だけど……。
マリーあたりが描いてくれたのかもしれない。
ちらりとマリーを振り返るとやはり彼女は得意げだった。
ははっと笑って姉さんに向き直る。
「当日にお祝い出来なくてごめんなさい」
「いいえ、姉さん。
手紙とプレゼントいただきました。ありがとうございます」
当日の朝早くに届いた姉さんからの手紙は久しぶりに内容の濃いもので、僕への愛と感謝が2ページに渡って書き連ねてあった。
……もちろん、家族としてのだけど。
とりあえず額に入れて飾った。
それから、プレゼントはイゾルテにいってから毎年恒例になっている手編みのもので、今年は大判のマフラーだった。
丁寧に編まれた紺色のマフラーはあまり目立たないよう微妙に明るい蒼で端正な刺繍がされている大作だ。
忙しい彼女がここまでのものを編むのにどれほど時間を要したか。胸が歓喜で切なくなった。
去年は同じ色の糸の手編みの手袋、一昨年は手編みのブランケットだった。
僕はこれらを手編みシリーズと呼んでいるけれど、来年はぜひ一緒に過ごしてそれが作られる過程を見届けたいところだ。
手編みシリーズは姉さんの前でつけるのがなんだか気恥ずかしくて大切に取ってあるのだけれど、ここぞという時にには身につけるつもりである。
たとえば、ハーディスト伯爵に見せつけるとか。
「手編みなんてもう、恥ずかしいかしら…?」
「いえ!姉さんの手編みシ……編み物の技術はプロ顔負けですし、あの、とっても、なにより嬉しいです」
「まあ」
そういって柔らかく微笑む姉さんは可愛い。
目元が若干潤んでる瞳とかほんのり赤くなる頬だとか。
肩からずり下がるショールをかけ直して、むしろぐるぐると巻いた。
「姉さん手がとっても冷たいですよ。
いったい、いつから待っていたのですか」
「ついさっきよ。馬車の音が聞こえてから」
そうですか、と口では言ったが、絶対に嘘だ。
姉さん軽く肩が震えているし。
まあ、それだけ楽しみにしてくれてたんだと思えば今回ばかりは追及しないであげようという気にもなる。
姉さんを暖炉の前に誘導してから僕も向かい側に座った。
すっかりお茶を入れるのが上手くなったマリーがまたもや得意気にハーブティーを入れて焼き菓子を置いて礼をしてから居間を出ていく。
僕より年下であろう彼女の成長ぶりは目まぐるしい。
僕がたまにしか来ないからかもしれないけれど。
姉さんに前そう言ったら、私の前では可愛い妹の様なのよと言って楽しそうに笑っていた。
それはそれで何となく面白くなくて話を変えたけど。
「リヒテン、疲れているでしょう?自室で少し休むといいと思うの」
「はい、その前に少しだけ……姉さんと一緒にいたい、です。……ダメ、でしょうか」
恥ずかしさを堪えて言った言葉に姉さんはやはり、まあ、リヒテンったらと目元を緩ませた。
その時に空色の瞳にかかる銀色の長いまつげと桃色に染まる目元がなんというか、すごく、劣情をそそる。
「ダメなわけないじゃない」
ひどく緩んだ表情の姉さんは控えめに言って隙だらけで、それがひどくもどかしい。
つまり、姉さんにとって僕は今もずっと可愛い弟だということだ。
警戒心の欠けらも無い。
こういう所ばかりは嫌われているとはいえ男として警戒されているだろうハーディスト伯爵が羨ましくも思える。……気がする。
たとえば、ここで手を握ったところで満面の笑みで握り返されるだけだろうし。
それはそれで切ない。
僕はもう姉さんとは体格も随分違うし力もそれなりにある。
姉さんくらいその気になれば簡単にねじ伏せられるのに、彼女はそんなことが起こりうるなんて思いもしていないのだろう。
僕がそんなことを想像しているとかいうことももちろん。
このままソファに押し倒したらどんな顔をするんだろうと、今僕が考えているとか。
信頼されているのは嬉しいけどさ。
今回はその関係をどうにかさせたいと思ってきたからか、珍しく二人きりだからかやたらと心臓が煩い。
これではハーディスト伯爵にヘタレだなんて言えないじゃないか。
でも、この暖かな姉弟関係が崩れてしまうのが怖い。もし拒絶されてそれきりになってしまったら?
姉さんに拒絶なんかされたことがないから想像がつかないけど、壮絶に辛いだろうとは思う。
でもこのままの状態でいるのもきっといつか限界がくるだろう。
このまま仲良しの姉弟ではいられないし、いたくない。だって姉さんは姉さんだけれど、姉さんじゃないんだし。
僕は弟だけれど、その前に男なんだ。
強烈にそれを分かってほしいし、理解させたいし、かといってこの弟という便利で窮屈な立場を失うことが怖い。
そう、そう。だから話をしに来たんだよ、今回は。
緊張とか、自分への落胆とか顔に出ないうちにハーブティーを飲んでなんとか誤魔化した。




