公爵子息の溜息。
あの夜会のあと姉さんに付き添ってイゾルテに戻った僕は休息もそこそこにトルネオに再び馬車に突っ込まれて王都へとトンボ帰りさせられた。
姉さんは一見笑顔で手を振っていたけれど、帰宅の途全く表情は晴れなかった。
そりゃあ疲れもあると思う。
けど、きっとあの男のせいに決まっている。
僕が女性に囲まれているあいだに消えた2人になにがあったのかは知らないけれど、あの男の顔を見るに姉さんにとっても、ハーディスト伯爵にとってもいい事ではないってことだけは確かだ。
くたくたの僕を待ち構えていた父様に僕は言った。
「父様はハーディスト伯爵に姉さんをやるおつもりなのですか?」
僕はあの男が義兄になるなんて耐えられないし、絶対に嫌だし、ルーファス公爵家にもう関わって欲しくない。
そのくらいには嫌いだ。
「馬鹿なことを言うな」
父様も心底嫌そうにそうは言ったが顔は複雑そうだった。
なんというか、きっと父様は僕よりはあの男を認めているんだろう。なんでだ、反吐が出る。
「じゃあ、僕が貰いますね」
姉さんももう数ヶ月で19になる。
貴族同士の結婚は諦めているようだけど、でもいつかは誰かと結ばれてしまうだろう。
今回の夜会で久しぶりに表舞台に出た姉さんはやはり素晴らしい淑女を演じて男達の視線も集めていた。
あの男絡みのことで悪目立ちはしてしまっていたけれど……それでも姉さんに追い縋る視線はいくつもあった。
これから、もしこういう機会が増えるとなるといつどこで変な虫がつくのかわかったものでは無い。
例えば隣にこしてきた元王子とか……。
それを父様はちゃんと分かっているのだろうか。
父様は何も言わなかった。
何も言わないということは肯定ととっても良いですね、とはとても言い難い表情で。
ただ、驚いてはいなかった。いつかこういう日が来るだろうとは思っていたのかもしれない。
それに、僕は少し面食らった。
「疲れただろう、早く休め」
僕の問いには触れず、父様はそれだけ言って踵を返してしまった。
また執務室に籠りでもするのだろうか。
なにか思い悩んだ時、仕事に逃げる癖は姉さんと一緒だ。
いや、この場合、姉さんが父様に似たと言うべきだろうか。
父様と姉さんは似ている。
顔つきはそうでもないが、持つ色もそうだしこういう細かいくせもそうだ。
人には言わずになんでも抱え込むし、そんなんだからいつの間にか体調を崩して気が付いたら倒れている。
姉さんも父様も体調を崩さなければいいのだけれど。
二人ともなんだか抱えているようだし、心労をあまり表に出さないから。
僕が言ったってその殆どは無駄に終わってしまうし。なんとなくそれが寂しくもあるわけで。
僕は父様の実子ではないけれど、愛されている実感はある。
姉さんは勿論父様に大切にされているし姉さんもそう思っていると思う。
僕らは二人とも嫌われてはいない、そんなはずはない。
けど、父様は僕と姉さんが一緒にいることを酷く嫌う。
直接そう言うわけではないけど、なんていうのかな、僕と一緒にいる姉さんを見たがらないのだ。
絶対に、可能な限りそれを避ける。
なにかから逃げるかのように。
子供の頃はそんなことは無かったけれど、ここ数年、それは大分顕著で。
僕と、あまり人の心の機微に聡くない姉さんさえも気がつくほどには。
姉さんが気づくなんてそのへんの野ねずみでも気づくんじゃないだろうか。
それが何故なのかは分からない。
父様は猫っ可愛がりはしないけれど、きちんと僕達を愛してくれているし、だから僕も姉さんも敢えてその理由に触れることはしない。
姉さんは僕と二人きりであってもその話題すら口にしないし僕がなにかいっても優しく微笑むだけだ。
そもそも父様のことを話したがらない。
もしかしたら姉さんは何か知っているのかもしれないとも思うけど、なんとなく聞けずにいる。
それから、父様はイゾルテに一切足を踏み入れることをしない。僕が知る限り、1度も。
姉さんを飛ばしたくせに逢いに来たこともない。
それに対して姉さんも邸の使用人も一切なにも口出しをしないのだ。
お忙しいのは分かる。あんな遠いところに行く機会がなかなかないというのも。
だからといってもう10何年もかつて本邸の執事だったクロードに領地を任せ切りというのもどうなんだろう……。
姉さんのことだって心配にならないのだろうか。あの男にストーキング紛いのことだってされているのに。……ああ、違うか。あれは父公爵公認のことか。……腹立つな。
僕と姉さんには絶対にハーディストに立ち入ってはならないとか言うし。
あそこに何があるって言うのか知らないけど。
あの男がいる地にわざわざ行こうとも思わないから、まあ別にいいんだけど。
とにかく、もう随分と昔からルーファス公爵家では、その話題はタブーのようになってしまっているわけで。
だからつまり、きっと、例え僕と姉さんの心が通じあったとしてもその道のりは厳しいってこと。
その場合は嫌でも父様の事情をどうにかする必要があるし、表向きには僕達は兄弟だし。
あ、もちろん、ハーディストにいるあの男なんか論外だ。
「はぁーー」
どうして、こうも僕らを取り巻く環境はいつも複雑なんだか。
自室のシーツにくるまってため息をついた。
もう冬が近い。
王都でだって空気が冷たくなってるんだ。イゾルテではもう相当寒いだろう。
姉さんは暖かく過ごしているだろうか。
あの男はまた余計なちょっかいをかけていないだろうか。
僕の誕生日は数日後だけれど一緒に過ごすのは今年も叶わない。
次、姉さんに会うときはもっとちゃんと話をしよう。僕達のこれからのこと。




