元王子の孤独。
ヴィクターの手紙を読みながら破り捨てそうになったのがおよそ20日前ほど。
馬車で揺られながら俺はその文面を1字1句違うこと無く反復していた。
自分の役割を刻むために、その作業をもう何回繰り返したことだろうか。
確認しておきたいのだが、ここで重要なのはヴィクターの性癖の話やあのくだらない追伸ではない。
人をおちょくるのが本当に好きな人だ。そういう質だ。仕方がないと思う他あるまい。
少し前を走る馬車にはアルトステラ嬢と結局彼女の側から離れようとしなかったあのやけに口の達者な〝弟〟が乗っている。
ルーファス公爵も彼を行かせるのには相当な難色を示したが彼が一切譲らなかった。
ルーファス公爵も貴族らしくそれはそれは口が回るし、交渉ごとは彼の得意分野である。おまけにねちっこい。
であるが、彼が手塩にかけて育てたその後継者も負けてはいなかった。
最後、折れたのはルーファス公爵の方で、彼は辟易しながらも少し嬉しそうであった。
あの目は敵に回したら相当厄介だろうと思う。
………俺には今更、もう、遅い話だが。
ルーファス公爵邸を出立してから、あの馬車にはいくつもの目がついている。
それはもちろんヴィクターのものだ。目が裏切ることはない。そう言いきれる。そういうものだからな。
しかし、それは決してアルトステラ嬢を守るためのものでは無い。
言うなれば俺への監視の目だ。
王家……もっといえば王が代々受け継ぐ影は、表ではない裏の騎士団の事であるが、その存在は直系の王家以外にはひた隠しにされる。
例えば側姫なんかにもな。
フィルメリア様は知る由もないだろう。
実に忠実で確実に仕事をこなす彼らは王の大きな武器である。
彼らは如何なる任であっても、誰が相手でも最終的には王に従う。
いや、王にしか従わない。
故にこの国で王は強い。
いかなる場合であっても絶対的な味方がいるというのは何事にも変え難い価値がある。早々得られるものでは無いからだ。
だからこそ、俺のようなものが王にならずに本当に良かった。
俺がもし、その力を得ていたとすれば真っ先にフィルメリア様を抹殺していただろうから。
貴族達のバランスとか、国の状況や被害とか、隣国との関係とか、そんなことは一切考えずにな。
王家に絶対忠誠を誓う影の唯一のデメリットはその数だ。
数が圧倒的に少ない。国を守るにはどうしたって足りない、と言っても過言ではないだろう。
それはそうだ、もともと王を守るための近衛の裏版みたいなものなのだからな。
俺も実態はほぼほぼ知らないし、俺の母も朧気にしか知らないだろう。
彼らをきちんと把握していて存命のものは父とヴィクターくらいだ。
俺が知るのはトルネオくらいのものだが、そのトルネオですら、歳も顔も、その名が本当のものかも知らない。
だからこそ、たしかに俺はアルトステラ嬢と共に行動をする必要がある。
もうすでに当事者となってしまった彼女に、何か危険なことがある時、俺一人では守りきれないかもしれない。
それなのに、気を抜くと先程のアルテンリッヒの台詞が頭を占めそうになるのだ。
あいつは、何も知らないからあんなことを言えるのだと思ってはみたが、それを肯定するものは最早自分自身の中にさえもいない。
自己満足の為に彼女をいままで巻き込んでしまっていたのだろうか。
しかし、彼女の命を守るためにはそれしかなかった。あの時の俺にはその選択肢しか選べなかった。
誰かに打ち明けていたら何か変わっていた…?
馬鹿な。
陛下は1人の少女よりも万の民と数年の平穏を優先しただろう。
母はそもそも関心がない、俺への愛もなにもない。
ヴィクターはあの頃、力がなかった。
自分のせいで命を狙われる運命の彼女に、自分だけが気づいてしまった。
頼れるものなど居なかったからそうするしかなかった。
分かっている、言い訳だ。
どこかで、俺はそうしたくてそうしていたのだ。
自分が彼女の命を担っている事への愉悦があった。
どこか、彼女を守っているという矜持のためにそうしていた。
彼女は自分のモノであるかのような錯覚さえも。
本当はずっと分かっていた。
分からないふりをしていた。気づいてしまえば俺はきっと止まってしまっただろう。
ずっと強さを偽ってきた。
分かっていたのだ。あの口の悪い弟に言われずとも、ルーファス公爵に殴られずともな。
「しかし、派手にやられてましたね〜王様ったらもうズタボロ」
「うるさい、仕事をしろ」
「アルテンリッヒお坊ちゃまもぜーんぜん手加減なしなんですもん。
僕は王様の気持ちも、あのお坊ちゃまの気持ちも分かりますけどねえ〜。
………黙らせます?」
「やめろ」
走っているはずの車上からのんきな声が聞こえてくる。
非常に腹が立つが、こいつがこんな感じでいるということは異常がないということだ。
少し安心する。
「あとどれほどで着く」
「ほんの数分ですよ〜。楽しいパーティーになりそうですね〜、王様」
「そんなわけが無いだろう」
「そうですかぁ〜?元王子とその元婚約者が一緒にやってくるんですよ〜?奴さんったら大喜びでしょうねえ」
くすくすと笑うトルネオの声にため息をついただけで、返答はしなかった。
その後すぐに馬車は止まり、気配は消えた。
ザワザワと喧騒が聞こえてきて深く息を吸う。
何はともあれ、余計なことに気を取られている場合ではない。
俺のことなどどうでもいい。
御者が扉を開けゆっくりと馬車から降りた。
この先に待つのは紛うことなき貴族社会の闇。
人間の悪意と権力を求めるものの縮図だ。




