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「アルテンリッヒ、あまりわがままを言うものでないぞ」
………出やがったな、気持ちの悪いストーカー元王子め。
その不名誉な称号に今日からは約立たずを付けることを検討しようと思う。
僕はなんとか舌打ちしそうなそれを飲み込んでニコリと笑みを作った。
一瞬嫌そうに僕に視線を向けたハーディスト伯爵はすぐに姉さんに向かって膝まづいた。
正装でそんならしいことをされたら、彼は本当に王子にしか見えない。
いくら気持ち悪くて腐っていても元王族。
当然、溢れ出る気品とオーラ、それに神秘的な黒髪とアメジストの瞳と端正な顔立ちは昔のままだった。
恭しく手袋をしたまま姉さんの手をとる。
あの、男、気安く姉さんに触りやがって…と拳を握るが僕はあまり気にしなかった。
だって、姉さんはあの男のこの程度の接触を気にもとめないから。
他のご令嬢方のように顔を赤らめることもなければ、うっとりと目を蕩けさせることもない。
かといって拒否をする訳でもなく、物心ついたときから婚約者候補だった姉さんにとってあの男のこの挨拶は慣れきったもので、いわば空気のような、毛ほどにも感情を動かされないものであるからだ。
わざわざ、僕が邪魔立てする必要も……。
「ひっ…!」
………ちょっと待て、なにかおかしい。
姉さんの様子が変だ。
小さな悲鳴を上げた姉さんは取られた手を引っ込めて視線をうろうろと彷徨わせている。
「……姉さん?」
まって、待って…待ってくれ。
なんだこの反応は。
公爵家の令嬢として相応しくない態度なのはこの際どうでもいい。
相手はあの男だ。気にすることは無い。
問題はそこじゃなくて、これではまるで姉さんが意識をしているみたいじゃないか。
「す、すまない」
「いえ……あの、申し訳ございません」
ちょっと待って、なにこの感じ。
顔を青くしてハーディスト伯爵と視線を合わせようとしない姉さんはどうやら好意を持っているわけでは無さそうだ。なさそうではなあるが、このギクシャクした感じ。
今までなら有り得ない。
嫌な汗が吹き出る。
この人はあれほど気持ちが悪い程姉さんに執着しているにもかかわらず、自分の気持ちに全く気がついていなかったような頭のおかしい男だ。
その上、僕と姉さんが少し近付いただけで固まるような(目だけは僕を射殺すようであるけれど)超が着くほどの真面目な性格だったはず。
姉さんになにかする度胸もなければ、そもそもその理由さえ知らないだろう、この人が何かするとは思っていなかったのに。
何かが起きるはずもないとたかを括っていたけれど………まさか、まさかとは思うけどこの男、姉さんになにかしたわけ?
僕はきっと今信じられないものを見るような顔をしていることだろう。
ハーディスト伯爵を凝視していると、ふいにゆったりと立ち上がった奴と目が合った。
姉さんは未だ視線を反対側へ微妙に逸らしていてこちらを見ない。
それがいったいどういう種類の感情かは分からないけど頭の中がハーディスト伯爵でいっぱいということには間違いがないらしい。
アメジストの瞳はさっきまでは切なそうな色を映して姉さんに注がれていたはずである。
そのはずなのに、それは僕と目が合った瞬間、酷く挑戦的に細められた。
そして、あの男は驚愕に固まる僕を尻目に口を開いた。
「まだいたのか?アルテンリッヒ。弟である君に出る幕はないということだ。心配せずとも大切な姉君は俺が責任を持って守ろう」
そうだろうアルトステラ嬢。
ハーディスト伯爵にそう問われた姉さんは1度肩を跳ねさせ、それでも余程僕をいかせたくないのか、ええ、そうですわね。と神妙に頷いた。
ハーディスト伯爵のあの余裕のある笑みがやたらと腹が立つ。
心做しか“弟 ”とか“姉君 ”とかいう単語をやけに強調したこの人の思惑はわかった。
僕らが本当の姉弟ではないことくらい知っているだろうに。
詰まるところ、自分の気持ちに気づいたのだろう。
だからなんだと言うのだ、なにがあったのかは知らないが避けられていることは間違いない。
それでも父様がこいつに姉さんを預けているのだから、姉さんを傷つけるようなことをした訳では無いのだろうけれど。
一瞬、焦ったが姉さんの無関心がなくなっただけの事だ。……うん、大丈夫、大丈夫。
なんてことは無い、むしろ、嫌われてさえいそうな態度だ。
そう、あの男のの存在が空気でなくなっただけのこと……。
僕は務めて冷静に振る舞いこっそりと息を吐いた。
残念だけど、姉さん更にあなたたち2人で行かせる訳には行かなくなりましたよ。
「ハーディスト伯爵、少しお時間をいただけないでしょうか。
お話があります」
「出立の時刻が近い。少しだけだ」
「ええ、分かっています」
焦ってなんていない、いないけれど、僕はもう一度息を吐いた。




