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「ちょっと、ちょっと〜どーこ行くんですかぁー、だーいじな話をしに来たって言うのにー」
長い焦げ茶色の癖のありすぎる髪が口から上を覆っているせいでいまいち表情が読みづらいが唯一見える唇の端はつり上がっている。
そして、しばらく俺の顔を眺めたかと思ったらぷふぅと間抜けな音を立てて吹き出した。
「いんやー、ほんっと傑作でしたね〜。ジークさんにも見せてやりたかったですよ〜」
「え?なになに、何があったんだ?」
「おい」
やめろと力なく制しては見たがこの男がこういうことで俺の言うことを素直に聞いた試しがない。
殊更アルトステラ嬢がらみのことでは絶対にない。
というか、俺がこの男と話すことなんて殆どが彼女絡みである。
零れそうな舌打ちをどうにか飲み込んで目を閉じた。
「王様ったらビンタされたんですよー、お姫様に!」
「うそだろ!」
ジークは歓喜の声とも呼べそうな甲高い声をあげて爆発するかのように笑った。
やめろ、その気持ち悪いにたにた笑いでチラチラとこちらを見るな。
歯ぎしりのし過ぎで歯がすり潰れそうだ。
ヒーヒーと笑い死にしそうなジークを全力で睨みつけると漸くやつは顔を引き攣らせた。
「……うん、ごめっぷぷ、俺っ、ちょっと、このままだとご主人様に殺されそうだか、っぷ、ら………執務室戻るわ。
……また後で話聞かせて」
「おい、聞こえてるぞ」
ジークは最後小声で耳打ちしたが、丸聞こえである。ひー怖っとかいってやっと退散したジークを今後どうしてやろうかとかそういうのは、まあ置いておいて。
とりあえずはまずこいつだ。
「で?」
「あーらら。王様ったらもうそういうモードなんですかー?もっと落ち込んで良いんですよー」
「放っておけ。俺のことはどうでもいい」
「はいはい、お姫様のことが気になるんですよね〜。
あらかた分かっている体で話をしますが構いません?」
「構わない。予想はついている」
ようやくまともな会話ができる。
先程のやり取りで疲弊した脳をどうにか回転させて気を引き締めた。
ここでいう、あらかたという話は昨日ヴィクターがハーディスト領から逃走してどこへ行って何をしたか、である。
そんなものアルトステラ嬢に会いに行き社交界へ引っ張り戻す以外に考えられない。
昨日イゾルテを訪れた際彼女はヴィクターの思惑を、なにか少なからず知っていそうであった。
ヴィクターはどうせ、彼女のことを王都にいたころのままだと思って侮っていただろうし、彼女に正体は明かさなかったのではないかと思う。
それでも、あの時彼女はどこか分かっていたような面持ちであった。
そういう覚悟のあるような目をしていた。
だから俺はその場で彼女の説得を諦めて、他の方法を探すことにしたのだ。
「そりゃあ良かったです。まずお姫様は社交界に復帰することになりますね」
「そうだろうな」
彼女が王の頼みを拒めるわけがない。
彼女の人柄的にも、立場的にも。
だから出来うる限り彼らの接触を防ぎたかった。
そしてつまり、ヴィクターがイゾルテの邸に辿り着いた時点で彼の勝ちは決まっていたようなものだ。
「でも王都の本邸には戻らないらしいですよ。イゾルテを拠点に指示が有った場合だけ通うらしいですね」
「……そうか」
やはり、思っていた通りだった。
俺にとっては頗る都合が悪いが嬉しくもある。
そもそも彼女がこんなところで領地を放り出すわけがない。
今まで通り彼女の隣の領地で彼女を見守ることは出来そうだし、彼女の移動に合わせて動けばいいだけの話である。
それはそうだが、移動が増える分リスクは格段に跳ね上がる。
守りにくいといえば守りにくい状況になった。
まあ、なにがなんでも、どうあろうとも彼女は死なせないがな。
「それで、まずはフィルメリア様のご実家であるセオドール家と親交の深いスヴェンソン伯爵主催の夜会からはじめるとのことです。規模は大したことないですけど」
スヴェンソン家はヴィクトレイク第1王子贔屓で有名でしたよね。
にたりと口元だけで笑って俺を伺う表情に顔がひきつりそうになる。
おいおい、どうやらヴィクターは初っ端から全力でフィルメリア様を釣りにかかるらしい。
言わば、俺やアルトステラ嬢からしたら敵陣地の真っ只中である。
好意的に接してくれるものなどほとんどいないだろう。
嘲笑と悪意の渦の中で少しのミスを槍玉にあげられてあっという間に足元を掬われる。
「陛下もさっさと方をつけたいわけですよーそりゃあ。」
「それは……分かるけどな。」
「招待状の方はあなたの分も陛下が用意してくれていますよー。
陛下なりにお姫様のことも気にしてるんじゃないんですか?大切な弟をわざわざナイトにつけようっていうんですから〜」
俺はその言葉に思わず目を丸くした。
正直この話には素直に驚いた。
さて、まずはどう招待状を入手するかが問題だと思っていたところであったし、まさか、ヴィクターが俺をアルトステラ嬢と行動させたがるとは思っていなかったからだ。
これは手間が省けて嬉しいばかりであるが、彼の言う通り、なにか思うところがあったのだろうか。
「夜会は1月後です。
じゃあ俺はこれで〜。おやすみなさい、傷心の王様」
まだ朝だと言うのに彼はそう言って笑った。
俺の顔にもジークのように濃いくまが出来ているのかもしれない。
まあ、なにはともあれ、ようやく少しはまともに休めそうである。
彼の言うとおり昼過ぎまで寝てやろう。
「トルネオ」
「はい?」
「ありがとう」
彼の存在なくしていまのこの生活は有り得ないだろう。
彼がいてくれるから俺は安心して領主であれるし、ハーディストにいながら彼女の様子を見守っていれるのだ。
そして、これからも彼がいてくれなければ彼女のことを守り抜くことは困難だろう。
こうやって、人に助けてもらって時には力を貸して、相談して、されて共にあるのも悪くは無いと近頃そう思う。
トルネオは返事をしなかったが代わりに笑顔を向けて鼻を鳴らした。
まあ、実際のところそれがどういう意味なのか、彼がどう思っているのかは分からないけどな。




